令和3年度企画展示「渋沢栄一と一橋大学」10
年譜
- 天保11年庚子(かのえね)2月13日(グレゴリオ暦換算1840年3月16日)武蔵国榛沢郡血洗島村に誕生
- 文久4(1864)年2月8日 渋沢栄一は従兄の喜作と共に一橋家の家臣となり篤太夫と名乗る
- 慶應2(1866)年9月7日 幕臣に転ずる
慶應3年1月11日(1867年2月15日)徳川昭武に随行し横浜港より出航 (パリ万博使節団) - 明治元(1868)年12月 静岡藩士となる
明治2(1869)年11月4日 民部省租税正に任命 - 明治5年11月9日(1872年12月9日) 改暦ノ布告公布、明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日を明治6(1873)年1月1日とする
- 明治6(1873)年5月23日 大蔵省を退官する
明治6(1873)年6月11日 第一国立銀行創立総会が開催され総監役に就任する - 明治8(1875)年9月24日 商法講習所の開業を東京会議所から東京府知事に届け出る(一橋大学はこの日を創立記念日としている)
- 明治12(1879)年8月 東京府養育院院長に任命
- 明治17(1884)年3月25日 商法講習所が農商務省の直轄に移り東京商業学校と改称する
- 明治20(1887)年10月5日 高等商業学校と改称
- 明治27(1894)年11月18日 右頬の顔面上皮癌を切開手術で除去
- 明治33(1900)年5月9日 男爵に叙せられる
- 明治41(1908)年戊申(つちのえさる)~明治42(1909)年己酉(つちのととり)
高等商業学校の申酉事件。明治42年5月23日学生大会に商議員会を代表して学生に懇諭 - 明治42(1909)年 数え年70歳の古稀を機に多くの関係会社・団体からその職任を辞する。
- 8月渡米実業団団長として訪米、12月帰国
- 大正3(1914)年11月14日 如水会創立総会
- 大正5(1916)年7月 数え年77歳の喜寿を機に実業界を引退、第一銀行頭取を退任
- 大正9(1920)年4月1日 東京商科大学設立
- 大正9(1920)年9月4日 子爵に陞爵される
- 大正12(1923)年9月1日 関東大地震。
9月11日大震災善後会を組織し副会長となる - 昭和2(1927)年3月3日 親善人形歓迎会を開催
- 昭和6(1931)年4月25日 日本女子大学校長
- 昭和6(1931)年10月3日 東京商科大学の籠城事件に病中のため運動方を中島久万吉に依頼
- 昭和6(1931)年11月11日午前1時50分永眠
主な参考文献
- 大澤俊夫著『東京商科大学予科の精神と風土』東京 : 大澤俊夫, 2005
- 小島慶三著『日本の近代化と一橋』東京 : 如水会, 1987 (一橋大学百年通史稿本)
- 澁澤榮一述 ; 小貫修一郎編著『青淵回顧録』上巻. 東京 : 青淵回顧録刊行會, 1927
- 渋沢青淵記念財団竜門社編纂『澁澤栄一傳記資料』第58巻 索引. 東京 : 渋沢栄一伝記資料刊行会, 1965
- 酒井龍男編『一橋五十年史』東京 : 東京商科大学一橋會, 1925
- 第一銀行八十年史編纂室編『第一銀行史』上巻,下巻. 東京 : 第一銀行, 1957-1958
- 東京都編『商法講習所』東京 : 東京都, 1960 (都史紀要 ; 8)
- 東洋紡株式会社社史編集室編『東洋紡百三十年史』大阪 : 東洋紡, 2015
- 一橋大学学園史刊行委員会編『一橋大学百二十年史 : captain of industryをこえて』国立 : 一橋大学, 1995
- 三好信浩著『渋沢栄一と日本商業教育発達史』東京 : 風間書房, 2001 (産業教育人物史研究 ; 3)
- 依光良馨著『大学昇格と籠城事件』東京 : 如水会, 1989 (一橋大学百年通史稿本)
- 依光良馨著『申酉籠城事件史』[東京] : 申酉籠城事件記念事業実行委員会, 1991
詳しい年譜、および、本学関係人物文献リスト 渋沢栄一 (1840-1931)も併せてご参照ください。
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