令和3年度企画展示「渋沢栄一と一橋大学」8

コラム 渋沢文庫

 附属図書館の所蔵資料の中に、「渋沢文庫」と押印されたものがある。渋沢による寄贈書でも、渋沢に関する資料でもない。「渋沢文庫」は、山下亀三郎の寄付金によって購入した図書である。山下汽船の創業者で海運王と呼ばれた山下より、1917(大正6)年に渋沢の喜寿を記念して本学図書館に金1万円の寄付があった。図書館では、「渋沢文庫」として学術研究のための図書2,315冊を購入した。

 山下は、本学卒業生ではない。なぜ本学の図書館に寄付しようと思ったのか。渋沢が熱心に関わっている本学に関心を持ち、商業学校で学ぶ未来の実業家たちを支援したいと思ったのだろうか。なぜ自身の名前を冠するのではなく、「渋沢文庫」なのか。“公益を追求する”という渋沢の考え方に共鳴して、その意を後世に伝えたいという思いを「渋沢文庫」の名称に込めたのだろうか。残念ながら記録に残っておらず、真意は分からないままである。

山下 亀三郎 (やました・かめさぶろう)
[1867(慶應3) – 1944(昭和19)]

大正・昭和前期の実業家。伊予(愛媛県)出身。勲一等。
山下汽船(現・商船三井)・山下財閥の創業者。三大船成金の一人。

海運業に進出し、1915(大正4)年に山下汽船を創立。1916年(大正5年)には渋沢栄一らと扶桑海上保険(現・三井住友海上)を創立するなど、矢継ぎ早に事業を拡大していった。

本業の海運業のほか多数の会社の役員を兼任する一方、郷里に山下実科高等女学校(現・愛媛県立吉田高校)を設立する等、教育にも関心を示した。
山水中学校(現・桐朋中学校・高等学校、東京都国立市)、山水高等女学校(現・桐朋女子中学校・高等学校、東京都調布市)は、山下氏による陸海軍への寄付を基に財団法人山水育英会が結成され、軍人の子弟子女の教育を目的として創設された。


渋沢文庫として購入した図書の標題紙
村上恭一著『債権各論』巖松堂書店, 1914年
【請求記号 Mhd:81A

企画展示2021_8-1

 渋沢文庫として購入した図書のうちの1冊。標題紙に「渋澤文庫」の押印があり、当時の図書原簿にも購入記録が残っている。


書影(山下亀三郎氏肖像)
青山淳平著『海運王山下亀三郎 : 山下汽船創業者の不屈の生涯』光人社, 2011年
【請求記号 VQb:606:(3)

企画展示2021_8-2

 かつて、イノベーション研究センター資料室では、会社史や団体史のほかに、経営者史も積極的に収集していた。その中に、山下亀三郎氏の自伝や研究書もあり、現在は附属図書館で所蔵している。


御大典記念図書館開館式
『高等商業学校同窓会会誌 第113号』口絵, 東京高等商業学校同窓会, 1917年
【請求記号 ZA:34

企画展示2021_8-3

 1917(大正6)年9月に図書館が開館した。開館式では渋沢が演説を行っている。
 佐野善作校長は開館式詞の中で、渋沢文庫等篤志家の寄贈によって購入した学術研究図書を専攻部の研究室内に収蔵する、と述べている。

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「近頃の人では山下氏」実験論語処世談(第丗一より
『竜門雑誌 第356号』34-35頁, 龍門社,1918年
【請求記号 ZA:25

企画展示2021_8-4

 渋沢の説話の1つ。渋沢は山下のことを「能く親切に部下の面倒を見、之を引き立ててやる事に骨を折り、随分厚く酬いても居る」と述べ、山下の人物見識眼も高く評価している。


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