令和3年度企画展示「渋沢栄一と一橋大学」2

商法講習所

 一橋大学の前身である商法講習所の創設には、東京会議所と、その会頭を務める渋沢栄一の助力に負うところが大きかった。1873(明治6)年、在米中の森有礼は米国の実業教育に並ぶ日本版ビジネス・スクールの設立を構想し、時の東京府知事に協力を仰いだ。大久保知事はこれに賛同したものの、財源の不足から渋沢を訪ね、東京会議所が保管する共有金での開学支援を相談した。会議所は、同基金による講習所教師の費用負担や校地貸付等を決定し、森との間に約定書を取り交わした。

 なお、共有金というのは、松平定信が寛政年間に定めた町費節減額の7割を救荒対策に備える“七分積金”制度の貯えで、新政府は引き継いだ資金の管理団体として、1872(明治5)年に東京会議所の前身となる東京営繕会議所を設けた。渋沢は経営委員を担い、後に基金の管理責任者となっている。

 1875(明治8)年、特命全権公使に任ぜられ清国への派遣が決まった森は、渋沢に事情を説明し、講習所を創立者の私有から東京会議所に移管する了承を得た。翌年には東京府へと再移管されたが、府の委員依嘱により、渋沢は引き続き学校経営に携わることになった。

 1879(明治12)年に東京府会が開設されると、会議所が運営してきた共有金事業は地方税の支弁に移り、議会の承認を経なければならなくなった。これ以降の講習所は安定的な財源が確保できず、経営難から幾度かの廃校危機に直面している。同年度予算の半減で存亡の機にあった講習所のために、渋沢は有志による献金を提唱した。自伝『青淵回顧録』(青淵回顧録刊行會, 1927)には、経緯が以下のとおり記されている。

明治十二年の春になって商法講習所は殆んど挫折せんとする大きな傷手を負うた。それは東京府会に商法講習所の経費として五千円計りを要求したに対し、府会議員の知識が浅薄であって実業教育の何者たるかを解せざる者が多かったのと、且つ一般世人も教育の必要、就中商業教育の必要を熟知する者が無かった為めに、府会に於いて此の経費に大削減を加へ約半額の二千五百円を支出する事に修正したのである。予算を半減されては商法講習所の維持は勿論不可能だから、此儘に放置しては廃校の余儀無きに到るは当然の帰結である。折角伸びかゝったのを嫩葉の中に摘み取るやうな事があってはならぬと考へ、私は各方面の有志を説いて寄付金を集め経費を補充して漸く維持する事が出来たのである。

 1881(明治14)年、予算の全額否決と講習所廃止の決議を受けて、渋沢はまたも学校継続に奔走した。前述の自伝では、次のように続いている。

明治十四年頃、商業教育に理解の無い府会議員は、遂に商法講習所は不必要であると云ふので僅か一二票の差を以てではあったが、商法講習所の経費を否決し、廃校の決議をなすに到った。明治十二年の時は経費を半減されたのであるが、此度は廃校の決議をしたのであるから、殆んど手の着けやうがなかった。それで私は何うしても之れを生かさなければならぬと考へ、東奔西走して商法講習所存続の必要を説き、要路の大官にも会って意見を開陳し、農商務省に対しては補助金下付の建議をなし、あらゆる方法を構じて講習所を存続せしむる事に力を注いだのである。

 こうして、渋沢が手を尽くして存続を守った商法講習所は、1884(明治17)年、農商務省の直轄に移って東京商業学校と称し、文部省の所管に変じて後、1887(明治20)年には高等商業学校と改称された。


木挽町時代の校舎
田中一幸編『Hitotsubashi in Pictures : 1950』45頁, 一橋創立七十五周年記念アルバム委員会, 1951年
【請求記号 Az:81B】

木挽町時代の校舎

 1876(明治9)年5月、商法講習所は仮開校時より尾張町2丁目に借り上げていた旧校舎から、木挽町8丁目の校地に設けた煉瓦づくりの西洋館である新校舎に移転した。
 下記資料「商法講習所の教場」では、”生徒が各々帳場格子内に座して勉強する様は、過渡期の学校たる珍事態である”と、和洋折衷の内装が紹介されている。


商法講習所の教場
『東京商法講習所の圖并畧則』東京府商法講習所, 1881年
【請求記号 Az:93A】

商法講習所の教場
商法講習所の教場

商法講習所取設ニ付森有礼ト東京会議所トノ約定書
『商法講習所 (都史紀要 ; 8)』40-41頁,
東京都, 1960年
【請求記号 Az:457A】

約定書の表書きと三人の自署

 1875(明治8)年9月、東京会議所と森有礼との間で交わされた、商法講習所設立に関する約定書。会議所は、学校建設地を無税で5カ年間森へ貸し渡すこと、雇い入れた講習所教師の年俸を経費負担すること等が定められ、最後に、渋沢栄一、大倉喜八郎、森有礼の自筆署名と捺印がある。

商法講習所取設ニ付森有礼ト東京会議所トノ約定書

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商法講習所の設立と廃校決議
澁澤榮一述 ; 小貫修一郎編著『青淵回顧録』434-439頁, 青淵回顧録刊行會, 1927年
【請求記号 VQb:35(14):1】

商法講習所の設立と廃校決議『青淵回顧録』

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