令和3年度企画展示「渋沢栄一と一橋大学」6

現代の一橋大学と渋沢栄一

 本学においては、国内外の研究者が参画したプロジェクト型の研究や個人における研究の両面を通して、渋沢が扱われてきた。本稿ではその中から、本学研究者による著作(図書や論文)を数点取り上げることとする。

 大学院商学研究科では、2008年度から2012年度にかけて文部科学省グローバルCOEプログラムに採択され、「日本企業のイノベーション」に関する研究に取組んでいた。その一環として「渋沢栄一研究プロジェクト」が進められ、このプロジェクトのメンバーである橘川武郎教授・田中一弘教授らによって『渋沢栄一と人づくり』(橘川武郎, 島田昌和, 田中一弘編著. 有斐閣, 2013)がまとめられた。この著作では、「近代日本の形成にはたした渋沢栄一の人づくり面での貢献」(1)に光が当てられている。

 橘川教授・田中教授らはこの他にも、アメリカ・イギリス・フランスの研究機関に所属する研究者らとともに、渋沢栄一記念財団が2011年から始めた「『合本主義』研究プロジェクト」にも参画し(2)、国内外でその研究成果を発表するとともに、『グローバル資本主義の中の渋沢栄一 : 合本キャピタリズムとモラル』(橘川武郎, パトリック・フリデンソン編著. 東洋経済新報社, 2014)や『Ethical capitalism : Shibusawa Eiichi and business leadership in global perspective』(edited by Patrick Fridenson and Kikkawa Takeo. University of Toronto Press, 2017)を刊行している。

 研究論文としては、小松章教授が執筆した「渋沢栄一の実業思想–『青淵百話』にみる」(一橋論叢. 1992, 108巻5号,p. 700-717.)や、笹倉一広准教授が執筆した「渋沢栄一『論語講義』の書誌学的考察」(言語文化. 2011, 48号, p.  127-145.)、「渋沢栄一『論語講義』原稿剳記(1) 論語総説」(言語文化. 2012, 49号,p. 109-128.)および「渋沢栄一『論語講義』原稿剳記(2) 学而第一 1~10 章」(言語文化. 2013, 50号,p. 97-120.)等が、本学刊行物に収録されている。(これらの論文は、本学機関リポジトリ(HERMES-IR)で全文を閲覧することができます。)

 また本学では、教育活動においても渋沢に関連する取組みや授業が展開されてきた。

 2013年4月には「グローバル社会における「キャプテンズ・オブ・インダストリー」を育成することをめざして」(3)「グローバル人材育成」プログラムが始められた。このプログラムに沿って商学部においては、「日本資本主義および一橋大学(商学部)の父たる渋沢をロールモデルとして、未来を担う若き人材を育てていくという意味を込め」(4)、英語による専門科目・ゼミ、長期留学、One Bridgeセミナーを特色とした渋沢スカラープログラムが発足し、現在に至っている。

 2021年度に開講している授業では、全学の共通教育科目として大月康弘教授が担当している「一橋大学の歴史」や大学院経営管理研究科のMBAプログラムで田中一弘教授が担当されている「経営哲学」において、渋沢の生涯を通して見た本学の歴史や「渋沢の実践を支えた思想のエッセンス」(5)が扱われている。

  1. 橘川武郎, 島田昌和, 田中一弘. 渋沢栄一の「合本」と道徳経済合一説 : 『渋沢栄一と人づくり』の刊行にあたって. 書斎の窓. 2013, 626号, p. 63-67.
  2. このプロジェクトの活動については、渋沢栄一記念財団発行の『青淵』に掲載されている「研究部だより」780号ほかで紹介されている。https://www.shibusawa.or.jp/research/newsletter/783.html ,(参照2021-09-29)
  3. 一橋大学グローバル人材育成事業.“グローバル・リーダーズ・プログラムとは”.一橋大学. http://glp.hit-u.ac.jp/jp/program/about/, (参照2021-09-29)
  4. 渋沢スカラープログラム.“渋沢スカラープログラム 名前の由来”.一橋大学. https://ssp.cm.hit-u.ac.jp/program-overview, (参照2021-09-29)
  5. 田中一弘教授の授業紹介については、以下に掲載している。

本学教員による自著論文の紹介

前述の『渋沢栄一と人づくり』第2章を執筆された田中教授に、自著論文(「道徳経済合一説の真意–東京高等商業学校での講話から–」)を紹介していただきました。

渋沢栄一は、1884年から1920年まで、本学の前身である東京商業学校・東京高等商業学校の「商議委員」としてこの学校の運営に深く関与すると共に、大学への昇格を強力に後押ししました。本論文では、この間に渋沢が本校において卒業式などでなした数々の講話の内容を詳細に検討することにより、彼がこの学校で何を説き、我々に何を期待したのかを探っています。
 渋沢が説いたのは、①「商業」と「商業者」(ビジネスとそれに関わる人々)の社会的地位の向上、②「学問と実践の密着」(学理に裏打ちされた実務能力の錬成)の必要性、③「商業道徳」(いまで言う経営倫理)の重要性、の3つでした。ただ、早い段階から渋沢が熱心に唱えたのはもっぱら①と②であり、③に論及するようになったのは1910年(渋沢70歳)以降になってからでした。
 「『論語と算盤』で有名な渋沢だからこの学校でもいつも商業道徳を説いていた」というわけではないのです。とは言え、この学校が1920年に東京商科大学となるにあたって渋沢が高調したのは(「深遠なる知識を以て商業を経営する」と同時に)「道理ある観念を以て商業界の道徳を充実させる」ことに他なりませんでした。「この事を商科大学生として御実行下さることを深く希望致します」と渋沢は創立45周年記念式典で述べています。いま一橋大学に身を置く我々も銘記すべきメッセージではないでしょうか。

渋沢栄一を扱った授業の紹介

 本学で2021年度に開講している授業では、全学の共通教育科目「一橋大学の歴史」や大学院経営管理研究科のMBAプログラム「経営哲学」等において、渋沢が扱われています。各授業を担当されている大月康弘教授、田中一弘教授に、授業の内容やねらい、受講者に望むこと等を紹介いただきました。

授業名:渋沢栄一と「一橋大学の歴史」 担当教員:大月 康弘 教授

 本学の起源は、1875年(明治7年)に森有礼によって創設された商法講習所にあります。
 「一橋大学の歴史」という講義では、この黎明期から、高等商業学校(高商)、東京商科大学(東京商大)を経て、1949年(昭和24年)に一橋大学となった本学の歴史を学んでいます。
 毎回多くの受講者を集める人気講義ですが、今年は特にNHKで渋沢栄一関連の大河ドラマが放映されたこともあってか、多くの学生諸君の関心を集めました。
 近代日本の経済社会を創り上げたと言ってよい渋沢栄一。
 実業界での活躍もさることながら、彼は新しい有為な人材育成にも心を砕きました。世界的な経営学者P・ドラッカーはこう書いています。「岩崎は巨大で非常に収益力のある会社を残したが、渋沢の遺産は東京にある有名な一橋大学である」(ピーター・ドラッカー著『断絶の時代TheAgeofDiscontinuity』より)
 渋沢と本学との関わりは、実際とても深いものでした。何度か危機に見舞われた一橋を渋沢は救いました。いわば大恩人です。講義では、歴史の具体的な局面に沿って、渋沢が一橋にどう関わったのかを紹介しています。商法講習所の開設時、幕臣・大久保一翁と勝海舟がこの学校を助けました。そして渋沢も。一橋家の家臣だった渋沢が、元旗本たちとともに商法講習所を盛り立てたのです。
 やがて商法講習所、高商は、大変な人気を博します。明治政府はこの学校を帝国大学に併合しようとします。これに反対した学生たちは総退学を決意。世に言う申酉事件(1908-9年(明治41-42年))が起こりました。この時も、渋沢栄一の助力で事態は収拾されました。
 申酉事件を機に、卒業生の同窓会はより結束を固めました。今日に至る母校支援の源流はここにあります。1914年(大正3年)、同窓会は渋沢の命名により「如水会」として再出発をしました。
 1931年(昭和6年)11月11日、満91歳に没するまで一橋のために尽力した渋沢栄一。本学を助け、救い、育んでくれた大恩人の足跡は、近代日本、そして本学の歩みとともにありました。「一橋大学の歴史」での学びから、多くの受講生がその縁を心に刻んでいます。

授業名:経営哲学 担当教員:田中 一弘 教授

 〈経営哲学〉は、経営管理研究科(一橋ビジネススクール)の2つのMBAプログラム–国立キャンパスの経営分析プログラム、千代田キャンパスの経営管理プログラム–で、それぞれ半年間の選択必修科目として開講されています。経営分析プログラムでは1・2年生、経営管理プログラムでは2年生のみ、が受講対象者です。
 この科目は、受講者が現在または将来の企業人/企業家/経営者として、その責任を立派に果たすための思想的基盤やものの考え方を養い、志と倫理感を高めること(正確に言えば、今後長期にわたってそれらを自ら錬磨していくための土壌を作ること)を目的にしています。扱うテーマは、経営者の役割、企業の目的、営利活動の意義から、経済と道徳の両立、道徳的総合判断(モラル・ジレンマ)、動機としての良心など多岐にわたります。
 13回ある授業のうち、渋沢栄一を直接的にとりあげるのは「経済と道徳の両立」がテーマの2回です。受講者が事前に読み込んできた渋沢の『論語と算盤』をめぐる自由討議と、渋沢が唱えた「道徳経済合一説」に関する担当教員によるこれまでの研究成果を盛り込んだレクチャーを通じて、渋沢の実践を支えた思想のエッセンスを抽出し共有することが狙いです。
 部分的にせよ『論語と算盤』をテキストとして渋沢の思想に触れることは、私がこの科目を担当し始めた2006年から続けてきました。その内容は年々多少なりとも深化するよう努めてきたつもりです。
 もっとも、〈経営哲学〉の授業では他の回でも折に触れて渋沢に言及しています。それどころか、この科目全体を貫くのが「経営の本質は『責任』に他ならないことを世界の誰よりも早く見抜いていた渋沢栄一」(P.ドラッカー)の「論語と算盤」なのです。公益の追求を主目的として誠実さと勇気をもって事業活動にあたることを何よりも重んじ、かつそこから確実に利益があがるよう努め、あがった利益は堂々と得る––そういう構えです(これは本学のモットーであるCaptains of Industryのあり方と軌を一にしていると言えます)。
 これによって実現される「道徳と経済の合一」を、渋沢は後進の「真の実業家」たちに、そしてとりわけ我々「一ツ橋の学校」(と渋沢は呼んでいました)の学生と卒業生に、期待しました。一橋ビジネススクールで〈経営哲学〉を受講した皆さんには、今の世にあって、この渋沢の期待を真正面から引き受け、それに応える存在であってほしいと願っています。


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