令和3年度企画展示「渋沢栄一と一橋大学」9

コラム 如水会

 高等商業学校には1889(明治22)年に結成された学友会と称する同窓会組織があったが、会員数は少なく活動も活発ではなかった。そこで1898(明治31)年に新たに東京高等商業学校同窓会が結成された。
 申酉事件後の1914(大正3)年、同窓会の有志により、母校の大学昇格を支援するための新しい組織が創設された。渋沢は同窓会から依頼され、『礼記』の一節から「如水会」と命名した。1920(大正9)年に既存の同窓会を吸収して事業を一元化し、今日に至るまで本学に多大な支援を行っている。
 渋沢周辺が「子爵ご自身はすでに如水会会員同様に考えておられる」というほど如水会と渋沢は密接な関係をもった。如水会は1931(昭和6)年に渋沢を、駐日ベルギー大使ド・バッソンピエール(Albert de Bassompierre, 1873-1956)とともに最初の名誉社員に迎えた。渋沢逝去の翌月には追悼会を催し、如水会会報「靑淵先生追悼號」を発行して、深い感謝と哀悼の意を表した。


如水会主催「青淵先生米寿祝賀会」に於いて謝辞を述べる渋沢
『渋沢栄一アルバム 大正13年3月~昭和6年9月撮影
【一橋大学学園史資料室蔵 請求記号 A04-8】

青淵先生米寿祝賀会

1929(昭和4)年6月25日、如水会により「青淵先生米寿祝賀会」が開催された(数え90歳時の開催)。300名以上の出席があり、佐野学長の祝辞、渋沢の謝辞、万歳唱和ののち、一同食事を共にした。渋沢からは祝賀会当日の日付と自署の入った写真が寄贈され、複製が広く如水会会員有志に配付された。 この祝賀会は渋沢が公の席で一橋関係者の前に姿を見せた最後の機会となった。


矢野二郎先生銅像
矢野二郎先生記念計畫委員會編『矢野二郎先生記念事業記録』口絵, 如水会, 1932年

【請求記号 AZ:18

矢野二郎先生銅像

1930(昭和5)年6月に如水会により、校長を長らく務めた矢野二郎の記念事業が計画され、渋沢も賛助員に名を連ねた。第一計画として国立キャンパスに建設された矢野二郎像の題字は渋沢が揮毫したもの。翌年5月の同像除幕式には、石井健吾(高商卒業生、第3代第一銀行頭取)が出席し、渋沢の祝辞を代読した。

※銅像は兼松講堂西にあります

※除幕式についてはこちらをご覧ください


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