修学旅行報告書
概要
解説
一橋大学の前身である、高等商業学校・東京高等商業学校・東京商科大学の学生達による各種調査報告書。
本資料群は学生による各種調査報告書で構成されているが、修学旅行の報告書が中心のため、「修学旅行等報告書」と通称されている。総点数439点。
調査には高商・商大の本科学生だけでなく高商専攻部 (明治30年設置) と附設商業教員養成所 (明治32年設置) の学生も従事しており、中でも商業教員養成所の学生による報告書はかなりの割合を占める。これまでに判明した限り、作成時期の上限は高等商業学校へと改称した2年後の明治22年 (1889)、下限は東京商科大学への昇格を果たした翌年の大正10年 (1921) なので、実質的には高等商業学校・東京高等商業学校 (神戸高等商業学校の設立に伴い明治35年に改称) の学生による調査報告書といってよいだろう。
修学旅行報告書はその名の通り、修学旅行に赴いた学生達の報告書である。成績優秀な学生若干名に旅費を支給して地方を視察させる修学旅行の制度が明治21年 (1888) に定められ、以後、学生達は各地で調査を行った。調査地域は日本国内のみならず東アジア各地に及び、福田徳三・佐野善作・三浦新七ら、後に母校で教鞭を執った者も報告者に名を連ねている。なお、佐野善作の米国留学生報告書【Azn:171】は高商助教授時代に留学先の米国で作成された報告書であり、学生による調査報告書ではない。
修学旅行報告書以外には、商業教育・商慣習・会計実務・保険などに関する調査報告書が散見される。商慣習・会計実務・保険に関する調査報告書は高等商業学校内国実践科に提出されたことが序文から判明するが、詳細については今後の研究に俟つところが多い。
伝来
昭和10年 (1935) 1月29日から同14年9月13日にかけ、断続的に学生課・庶務課教務係から移管。ただし、活字のものは刊行直後に庶務課から送付されている。
移管元および移管時期は、以下のとおりである。
請求記号 | 移管・送付元 | 移管・送付時期 |
---|---|---|
Azn:1~395 | 学生課 | 昭和10年1月29日~同年7月5日 |
Azn:396~402 | 庶務課教務係 | 昭和11年9月17日 |
Azn:403 | 庶務課 | 昭和11年10月12日 |
Azn:404~411 | 庶務課 | 刊行の都度送付 |
Azn:412~414 | 庶務課教務係 | 昭和14年9月13日 |
Azn:415~417 | 不明 | 不明 |
整理の経緯
整理は移管時に実施され、通し番号の請求記号が付与された。
現在の請求記号は作成年順・作成者の氏名順・作成者の所属順・内容順のいずれにもなっておらず、明確な秩序を見出すことができない。各地の商工業の状況 (Azn:1~142)、保険 (162~169)、商慣習 (172~181/353~360)、会計実務 (183~207) など内容上の塊をいくつか見出すことができるが、塊の中にはまったく別内容で提出先も異なる資料が含まれている。このような事態が生じた理由として、
(1) ある段階では報告書の種類別に分類されていたが、図書館への移管前後に秩序の一部が失われた
(2) 移管前は無秩序に並んでいたが、移管後に図書館側で可能な限り内容による分類を施した
(3) 報告書を審査した教員の元で一部別種の報告書が混入し、教員単位の順番が学生課・庶務課を経て図書館に受け継がれた
などが考えられる。
資料リスト・画像へのリンク
関連情報
※この資料は、デジタルアーカイブ「近代日本経済史・経営史」の収録タイトルです。
関連資料
図書・論文
- 長谷川伸三・今野茂代 「小樽高等商業学校産業調査報告書目録」 『商学討究』 41-4、1991年
- 阿部安成 「滋賀大学の新しい動き 「戦前のアジアへの修学旅行。WEBでみられる所蔵資料展。」」 『しがだい : 滋賀大学広報誌』 23、2006年
- 松重充浩 「戦前・戦中期高等商業学校のアジア調査」 『岩波講座「帝国」日本の学知 第6巻 地域研究としてのアジア』 岩波書店、2006年
- 横井香織 「旧制高等商業学校学生が見たアジア : 台北高等商業学校の調査旅行を中心に 」 『社会システム研究』 15、2007年
- 阿部安成 「大陸に興奮する修学旅行 : 山口高等商業学校がゆく「満韓支」「鮮満支」」 『中国21』 29、2008年
- 杉岳志 「高商生の調査報告書」 『小樽商科大学史紀要』 5、2012年
所在
附属図書館 貴重資料室 【Azn】