ヘアー., A.J. (1847-1918)

  • 「三十七年勤続の外国教師 (片々録)」『英語青年』34(1), p.29 (1915.10)
  • 「恩師ヘーヤ先生の死を悼む」『一橋会雑誌』第138号, p.111-114 (1918.6)
  • 阿部市助「旧師のおもいで(その二)」『如水会会報』301, p.10-11 (1955.4)
    「  (ヘーヤ先生)明治時代の一円紙幣の裏面に、いともキレイに印刷してあった英文は先生のハンドライティングになつたものであつた。当時もう余程のお年であつたとみえて、既にヨボヨボしておられた。これは或は先生のすきなお酒のためであつたとも聞いている。われわれのクラスでも、出席だけとつてしまえば、あとはサツサと先生の目を掠めて、教室からぬき足さし足抜け出る要領のよい連中もあつた程であつた。それは誰々であつたかは、今覚えていない。」(p.10)
  • 藤本幸太郎「ヘヤー先生」『如水会会報』380, p.3 および巻頭口絵写真 (1961.12)
  • 一橋大学学園史刊行委員会編『一橋大学学問史 : 一橋大学創立百年記念』国立 : 一橋大学, 1986.3, p.1053, p.1075-1076
  • 一橋大学学園史刊行委員会編集『一橋大学百二十年史 : captain of industryをこえて』国立 : 一橋大学, 1995.9.30【Az:234】
    「  ヘアー(Alexander Joseph Hare, 一八四七~一九一八)   ロンドンに生まれ、のちフランスとプロシアの大学に学ぶ。一八六八(明治元)年来日、神戸のプロシア公使館の翻訳官、横浜のウオルシュ・ホール商会(亜米一商会)社員を勤め、のち海軍兵学校教師や私塾の教師を転々とし、一八七九(明治一二)年商法講習所予備科教師に就任、三九年間勤続して、東京高等商業学校が東京商科大学に昇格する直前の一九一八(大正七)年三月に満期退職、五月に死亡。彼ははじめ英語教師として就任したが、のち商業作文を担当、熱心な指導によってわが大学の商業英語の水準を日本一に高めた。温厚篤実、大の日本贔屓で、日本名を平谷と名乗り、学生、同僚教師の敬愛を集めた。」(p.32)
  • 関統造「日本に眠る外国人恩師ヘアー先生墓碑案内板除幕式」『如水会会報』1027, p.2627 (2016.10)

雑司ケ谷霊園

IN MEMORIAM
ALEXANDER JOSEPH HARE
1848-1918
PROFESSOR OF ENGLISH FOR FORTY YEARS
AT THE
TOKYO HIGHER COMMERCIAL SCHOOL
ERECTED BY HIS FORMER PUPILS

故アレキサンダー、ジョセフ、ヘヤー君西暦一千八百四十八年九月七日
英亰倫敦ニ生レ長シテ「リッチモンド、セミナリー」ニ入リ羅典希臘語ヲ
研究シ又佛獨ニ游ヒ其語学ヲ修ム明治ノ初本邦ニ来リ海軍省傭貟ト
為リ其後北米ニ航セシモ再來商業ヲ營ム明治十二年我東京髙等商業
學校ノ前身タル商法講習所ノ教師ニ聘セラル爾来四十季一日ノ如ク
帝國商業教育ニ貢獻シタル功績實ニ偉ナリトス朝廷特ニ勲三等旭日
章ヲ授ケラル大正七年五月九日病歿ス齢七十君性温厚寡言人敬愛ス
今ヤ本校将ニ大學ニ昇ラントシテ君在ラス惜ムヘキナリ頃日門人等
相謀リ碑ヲ建テ且ツ本校内ニ君ノ記念圗書ヲ備ヘ以テ遺芳ヲ千載ニ
把ムト云爾
  大正九年星次庚申三月建  東京髙等商業學校同窓有志者