常設展示 図書館所蔵コレクション紹介

日本郵船株式会社会計帳簿類



日    程:  2008(平成20)年1月31日(木)〜     9:00〜16:00(入場無料)  うち、土日祝日は閉室
場    所: 一橋大学附属図書館 公開展示室

一橋大学附属図書館では、日本郵船株式会社(1885-)の創立より約100年間にわたる会計帳簿類を合計1,357冊所蔵している。 資料は同社より寄贈されたもので、1885年10月から1944年9月末までの帳簿は1962年に、1944年10月から1985年3月末までの帳簿は2002年に贈られた。 これらには、日本が世界に誇る海運会社の1世紀におよぶ会計上の歴史が収録されている。


帳簿類は、@日記帳、A現金出納帳、B総勘定元帳に分かれる。 記帳はほぼ英国記帳法に準拠しており、取引記録は日記帳(普通仕訳帳)および現金出納帳(特殊仕訳帳)に記入され、これらを総勘定元帳に転記する分割仕訳方式を採っている。 明治期の帳簿には、1冊1,000ページ、重量にして20kg〜40kgにもなる巨大な帳簿類がいくつもあり、小口や見返しにはマーブル装飾が施され、形態的にも特筆すべきものがある。 しかし明治を過ぎて時代が下るにつれ、帳簿は小型化・軽量化されていき、やがてマーブル装飾すら見られなくなる。




日本郵船株式会社の成り立ちと現状


日本郵船は、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により1885(明治18)年9月29日に創立され、同年10月1日に創業した。 株式会社となったのは、8年後の1893(明治26)年の商法の施行によってである。 この大海運会社の設立の過程はそう単純でなく、政府と複数の企業の思惑が絡みあっていた。


1880年当時、国内の海運業は郵便汽船三菱会社の独占に近い状態で、この勢いに押された同業者たちの経営はかんばしくなかった。 これと同じ年には、第一国立銀行(現みずほ銀行)頭取の渋沢栄一の協力を得た三井物産会社社長の益田孝によって、東京風帆船会社が設立されている。 しかし同社は、1881年の紙幣整理政策がもたらした不況のあおりを受けて資金難に追いこまれ、1882年には低利資金貸下げを政府に申し出るまでになった。 同様の請願は、北海道運輸会社と越中風帆船会社からも提出されていた。

政府はこれらの請願に個別に応えるより、三菱の独占状態という根本的な問題の解決に乗り出す。 政府は1882年5月30日付の「農商務省伺」を通じ、官民折半出資の汽船会社を新たに設立することを提案したのであった。 こうして政府からの出資を得た1883年1月、東京風帆船会社、北海道運輸会社、越中風帆船会社の合併による新会社、共同運輸株式会社が設立された。 半官半民という出資形態を理由に、同社には軍事輸送の任務が課され、戦時にはこれを最優先にすることが定款に記された。


1884年における三菱の、船客および貨物1単位あたりの運賃と、総運賃収入の減少を見れば、共同運輸の参入とそれに起因する競争がもたらした衝撃のほどが分かる。 だが依然として三菱の運賃収入の優位は維持されたままであり、共同運輸の巨額な初期投資を差し引けば、三菱の強さは変わらなかったといえる。


 

1883

1884

三菱

共同運輸

三菱

共同運輸

船客 人数

運賃収入 ()

運賃収入/人数

195,267

817,979

4.19

14,377

41,087

2.86

157,498

634,462

4.03

67,499

196,113

2.91

貨物 数量  ( T )

運賃収入 ()

運賃収入/数量

555,207

2,216,001

3.99

35,535

336,200

9.46

551,670

1,663,214

3.01

286,539

807,953

2.82

送運賃収入

3,033,980

377,287

2,297,676

1,004,066



競争はその後、両社の経営を徐々に圧迫しはじめた。 顧客を獲得するための運賃の引き下げは、パイの増大を伴わなければ往々にして損失に転じてしまうためである。 これに、前述の不況が追い打ちをかけていた。 とくに経営の苦しくなった共同運輸は、1884年の決算で25,402円の損失を抱え、定款に定められた積立金はおろか株主への配当も実施不可能になっていた。 政府は共同運輸への資金貸下げに応じたものの、特定の企業に対する優遇措置には問題があるとし、三菱と共同運輸の和解が農商務省より勧告された。 政府には、海運業の混乱を収拾したうえで軍事輸送を強化する思惑もあった。

勧告に従い両社は合併に向けて協議を重ねるものの、すぐさま昨日の敵が今日の友に変わるわけでなく、共同運輸の社内では反発の声が圧倒的多数を占めていた。 合併は、これを望む政府および両社トップらの地道で辛抱強い努力をもって進められたのである。 その後ようやく両社は1885年9月25日に「日本郵船会社創立規約」を政府に提出し、4日後の29日に許可が下りた。 こうして日本郵船会社は1885年9月29日に創立、10月1日に創業を果たした。

日本郵船は1885年の創立以来、海運業において長らく国内首位を守ってきた。 白地に赤線を2本配した社旗は世界の海上ではためき、貿易立国たる日本を象徴していた。 しかし2004年3月期の決算で、営業利益において株式会社商船三井に逆転されている。 この期では、営業利益が前期比33%増の919億円であった日本郵船に対し、商船三井は前期比2倍強の921億円に到達した。 その後も商船三井は優勢を保ち、売上高は日本郵船に及ばないものの、各種利益では凌駕しかつその差を広げつつある。これに、海運第3位の川崎汽船株式会社が追い上げを図っており、日本の海運業における競争は熾烈を極めている。


日本郵船株式会社『日記帳』第1期
1885(明治18)年10月〜1886(明治19)年9月   請求記号【VY1:2:1】
日記帳は、普通仕訳帳に相当し、特殊仕訳帳である現金出納帳に記入する以外の取引を記録するために用いられる。 日本郵船会社は1885(明治18)年10月1日に創業し、財務会計を記録しはじめたのは10月6日のことであった。





日本郵船株式会社『金銀出納帳』第7・8期
1891(明治24)年10月〜1893(明治26)年9月   請求記号【VY1:3:7-8】

現在でいう現金出納帳であり、特殊仕訳帳に相当する。日々の取引に伴う現金の出入を記入し、現金の残高を明らかにするために用いられる。

裏表紙ラベルに London: CLEMENTS, NEWLING & Co., Wholesale & Retail Stationers, Account Book Manufacturers, Commercial Printers, 96, Wood Street, Cheapside, London. E.C., Date when made, June 1891 とあり、イギリスの帳簿専門業者製であることが分かる。


【参考文献】   (主要なものから順に)


一橋大学附属図書館 展示・貴重資料ワーキンググループ