平成17年度一橋大学附属図書館企画展示

オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開

外池家の歴史

外池五郎三郎
1888(明治21)年6月、外池正誼(五郎三郎)の次男として生まれる。
1910(明治43)年、東京高等商業学校本科を卒業。卒業アルバムの肖像写真に付記されている氏名は改名前の「外池五三郎」。
1912(明治45)年、父の正誼の死去(1月31日)後、外池五郎三郎を襲名し、柳屋油店を経営。
1920(大正9)年、柳屋ポマードを発売。
1959(昭和34)年、外池文庫を一橋大学に寄贈。
1982(昭和57)年2月3日(水)死去。

化粧品メーカー柳屋本店は、徳川家康に仕えた漢方医、呂一官の「紅屋」に始まる創業400年近くになる日本橋の老舗である。
ただし、呂一官の家系は19世紀に途絶え、近江出身の外池家が養子として紅屋を継いで現在に至っている。

蝦名賢造『日本橋の近江商人 : 柳屋外池宇兵衛寅松家の四〇〇年』新評論, 2001【社会科学統計情報センター K3G211:E14】【イノベーション研究センター VQb:C454】 から引用:

「  元亀・天正のころ(一六世紀後半)、明国より呂一官という若くして日本に渡来した漢方医がいた。しばらくは京都に留まっていたが、薬草の学に精通していたのでその名が徐々に世に知られていくことになる。
  家康がいまだ岡崎城にあった時代、近傍一帯に悪疫が流行する。たまたま呂一官なる唐人が薬学に造詣が深いということを耳にした家康は、一官を京都より招き、その治療にあたらしめたところ大いに効用があり、流行病は終熄してしまったという。
  一官はまた博学で、医学のほかに土木、貿易などの面にも精通していたため、家康は一官を信頼して浜松に居住せしめていた。いうなれば、外国人を顧問として登用したのである。一官は家康より諸事の諮問を受け、家康の知遇を受けていたという。その功労により浜松に拝領屋敷(宅地)を賜わり、近国の商業および渡海に関することなどについて免許されていた。
  やがて家康が征夷大将軍に任ぜられて江戸城を修築し、江戸市街の区画整理を終えるに及んで(天正一八年であろうが)一官を江戸に招き入れ、現在の柳屋ビルディングの所在する日本橋二丁目に御朱印地として土地を与え、一官はここに居住することとなった。“御朱印”とは、室町時代から江戸時代に武将が公文書に用いた朱肉の印であり、御朱印地は朱印の押された公の地であり、由緒ある地となるものであった。」(p.14-15)

「紅屋の創設者である呂家は、一官の死後一〇代を経て跡継ぎが絶えて危機を迎えていた。文政五年(一八二二)、外池正義が養子の形で紅屋に入って一官の名跡を継ぐことになったのである。」(p.107)
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