平成17年度一橋大学附属図書館企画展示

オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開

虹は本当に七色か

虹がいくつの色からできているかを現代の日本人に問えば、「七」と答える人が多いかもしれない。けれども、その七つの色の内訳をすらすらと言える人はどのくらいいるだろうか。「七色の虹」というのはなじみ深い慣用表現だが、実は、日本人が「虹は七色」とみなすようになったことには意外に浅い歴史しかなく、江戸時代末期に西洋科学を取り入れ始めるまでは、日本の文献で虹の色の数を「七」と記載したものはないという。

実際、七色がはっきり揃って見分けられるような完璧な虹を現実に目撃したことのある人はどのくらいあるだろうか?  金子隆芳『色彩の科学』岩波書店, 1988 (岩波新書 ; 新赤版 44) は、「虹の色は大ざっぱに言えば赤、黄、青の三色、それに緑を加えてせいぜい四色であるが、ケンブリッジ大学の一室で、プリズムによって太陽の光を七色のスペクトルに分解したのはニュートンであった。」(p.2)と述べている。

現代の西洋人に虹を構成する色の数を問うと、たいてい六色以下で答えることは、鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波書店, 1990 (岩波新書 ; 新赤版 101), p.59-104: 第二章「虹は七色か」をはじめ、多くの人々が言及している。 けれども実は欧米人もひと昔前までは、虹を七色と考えていたらしい。 板倉聖宣虹は七色か六色か : 真理と教育の問題を考える』仮説社, 2003 (ミニ授業書) によると、アメリカの小中学校用の理科教科書は、1940年までは、みな「虹は七色」と書いてあったという。

虹を七色とみなす考え方の起源は、ニュートン(Isaac Newton 1643-1727)による太陽光線の分光実験に由来する。ニュートン以後、西洋の学校教育では、「虹は七色」として教えられるようになっていった。ところが、シカゴ大学の実験学校の Bertha Morris Parker著 Clouds, rain, and snow (1941) をきっかけに、「虹を七色と考えるのは無理で、六色と考えたほうがいい」という説をアメリカの他の教科書の著者たちも採用するようになった。

虹の色の数については、太陽光線をプリズムで分解したスペクトルとセットで説明されることが多く、「七色か六色以下か」を論じた文献も、虹について語っているのか実験室での分光スペクトルの話をしているのか、はっきり区別せずあいまいなまま書いてある場合が多い。

構造主義言語学や文化人類学では、言語が世界の見え方を規定するという「サピア=ウォーフの仮説」に代表される言語相対論や、ソシュールのいう分節の恣意性を説明する例として、虹あるいはプリズムを通したスペクトルがひきあいに出されることがある。 グリースン(Gleason)『記述言語学』がアフリカのショナ語は三色、バサ語は二色、と例示しているのは、色彩語彙の基本カテゴリーの構造(cf. Berlin, Brent ; Kay, Paul. Basic color terms : their universality and evolution. Berkeley : University of California Press, c1969)の次元のことに過ぎず、もちろんショナ語にもバサ語にも「もっと細かい色を表わす用語が多数ある」。文化の発達していない「未開部族」なので色認識が乏しくて色彩語彙も二色や三色しか区別しない(できない)のでは決してない。けれども、前後の文脈を離れて引用されると、あたかも、世界の言語の中には、色彩名称が二つか三つしかないような「驚くべき言語」がある、珍しいですね、という話のように誤解されかねないので注意が必要である。



















  1.5 言語の二面的な構造は実例によって明らかにするのが最もよいであろう。本書で後ほど述べるもっと専門的な説明には更に細かい実例を挙げてあるが,次の例をみれば,ややこしい用語や専門的諸概念をとり入れないでもある程度説明できることがわかるであろう。   1.5 The dual structure of language can best be made clear by an example. The more technical description which will follow later in this book will afford more refined examples, but the following will indicate something of the possibilities without involving complicated terminology or technical concepts.
   まず,虹あるいはプリズムを通したスペクトルを考えてみよう。色は端から端まで切れ目なしに徐々に変わっている。いいかえると,どの点をとっても,そこで隣接する左右の色の間はごくわずかの違いしかない。にもかかわらず,アメリカ人が虹やスペクトルについて述べるには,red (赤), orange (橙), yellow (黄), green (緑), blue (青), purple (紫) といった風にその色合いを列挙するであろう。自然に存在するところの切れ目なく徐々に移行する色が,言語においては1連の離散的 (discrete) な範疇によって表わされている。これは,内容を構造化する1つの例である。スペクトルまたはそれに関する人間の知覚そのものには,いずれも,色を強いて上のように分けなければならない理由は何もない。この特定の分け方は英語の構造の一部をなしているのである。
  これと比べると,他の諸言語においては色の分類法は千差万別である。ここに添えた図では,英語,ショナ語 (Shona) (ローデシアの1言語) およびバサ語 (Bassa) (リベリアの1言語) において,スペクトルに表われる色がどのように分けられているかを大まかに示してある。
   Consider a rainbow or a spectrum from a prism. There is a continuous gradation of color from one end to the other. That is, at any point there is only a small difference in the colors immediately adjacent at either side. Yet an American describing it will list the hues as red, orange, yellow, green, blue, purple, or something of the kind. The continuous gradation of color which exists in nature is represented in language by a series of discrete categories. This is an instance of structuring of content. There is nothing inherent either in the spectrum or the human perception of it which would compel its division in this way. The specific method of division is part of the structure of English.
  By contrast, speakers of other languages classify colors in much different ways. In the accompanying diagram, a rough indication is given of the way in which the spectral colors are divided by speakers of English, Shona (a language of Rhodesia), and Bassa (a language of Liberia).

英語:
purplebluegreenyelloworangered

ショナ語:
cipswukacitemacicenacipswuka

バサ語:
huizĩza
English
purplebluegreenyelloworangered

Shona
cipswukacitemacicenacipswuka

Bassa
huizĩza
  ショナ語では,スペクトルを大きく3つの部分に分ける。cipswuka が2回出ているが,これは赤と紫がショナ語の分類では同種のものであるのに,図ではこの2つが両端にきて分かれているためにすぎない。面白いことには,citema はさらに黒を含み, cicena は白を含んでいる。もちろん,これら3語のほかにも,もっと細かい色を表わす用語が多数あるが,これらは英語の crimson (深紅色),scarlet (緋色),vermilion (朱色) などに相当するもので,すべて red (赤) の変種である。このようにスペクトルを6つでなくて3つの部分に分ける慣習は,色を知覚する視覚能力の差異を示すのではなく,その言語による色の分類ないしは構造化の仕方の違いを示すにすぎない。   The Shona speaker divides the spectrum into three major portions. Cipswuka occurs twice, but only because the red and purple ends, which he classifies as similar, are separated in the diagram. Interesting enough, citema also includes black, and cicena white. In addition to these three terms, there are, of course, a large number of terms for more specific colors. These terms are comparable to English crimson, scarlet, vermilion, which are all varieties of red. The convention of dividing the spectrum into three parts instead of into six does not indicate any difference in visual ability to perceive colors, but only a difference in the way they are classified or structured by the language.
  バサ語では,スペクトルの分けかたが甚だしく異なっていて,わずかに2つの大きな範疇に分けるだけである。バサ語にも細かい色を表わす用語は多数あるが,一般的な色の類を表わすものはこの2つしかない。だからアメリカ人が,英語式に色を大きく6つに分けるほうが優れている,と断定しやすいのも無理からぬことであって,目的によっては恐らくその通りであろう。しかし,目的が違えば英語式が非常な不都合を生じる場合もある。たとえば,植物学者がすでに発見しているように,花の色を論じるには英語の分類法では充分な一般化ができない。黄,橙,および多くの赤は1つの系列をなし,青,紫,および紫がかった赤がもう1つの系列をなすということが分かっていて,この2つが,すべての植物学的記述の基礎として扱うべき根本的な相異を示している。このような事実を簡潔に述べるためには,これら2つの類別に対するもっと一般的な用語として,xanthic (帯黄色)および cyanic(帯青色)という2つの新語を造り出す必要があったのである。バサ語を母国語とする植物学者ならば,その必要は全くないであろう。というのは,バサ語の zĩza および hui という語がたまたまこの目的にほぼ必要なスペクトルの分け方をしているので,この2語で充分目的に適うはずだからである。   The Bassa speaker divides the spectrum in a radically different way: into only two major categories. In Bassa, there are numerous terms for specific colors, but only these two for general classes of colors. It is easy for an American to conclude that the English division into six major colors is superior. For some purposes it probably is. But for others it may present real difficulties. Botanists have discovered that it does not allow sufficient generalization for discussion of flower colors. Yellows, oranges, and many reds are found to constitute one series. Blues, purples, and purplish reds constitute another. These two exhibit fundamental differences that must be treated as basic to any botanical description. In order to state the facts succinctly it has been necessary to coin two new and more general color terms, xanthic and cyanic, fo these two groups. A Bassa-speaking botanist would be under no such necessity. He would find zĩza and hui quite adequate for the purpose, since they happen to divide the spectrum in approximately the way necessary for this purpose.
(H. A. グリースン著 ; 竹林滋, 横山一郎共訳『記述言語学』再版. 大修館書店, 1972, p. 6-8) (Gleason, H. A., Jr. An introduction to descriptive linguistics. New York : Holt, 1955, p. 4-5)


一橋大学附属図書館 学術・企画主担当