平成17年度一橋大学附属図書館企画展示

オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開

講演「ロバアト・オウエン再考 : オウエンとロバアト・オウエン協会」

都築忠七 (一橋大学名誉教授、ロバアト・オウエン協会会長)

2005(平成17)年11月7日(月) 一橋大学附属図書館 研修セミナールーム

ご紹介いただきました都築でございます。まだまだ若いと思っておりましたが、いつの間にか年をとってしまいました。そこで今日は老人のさがをお許しいただき、懐旧談、思い出話になるかもしれませんが、あらかじめご了承をお願いいたします。また、一橋大学の図書館の方で、オウエンと協同組合について、立派な資料の展示をしてくださっております。また周到な解説も用意されておりますので、私が申し上げることはあまり無いような気がいたします。そこで、最初に申しましたように、ロバアト・オウエン再考が、ロバアト・オウエンをめぐる私の回想になるおそれがありますけれども、ご容赦お願いいたします。

もう一つ、ロバアト・オウエンと協同組合という形で、今回の問題の設定がおこなわれております。私自身、協同組合については、外から拝見させていただくというようなことで、実際に協同組合の歴史については、全くの素人でございます。そこで私なりに、オウエンのもう一つの側面、初期社会主義のロバアト・オウエンについて私がしらべてきたことについてお話をさせていただきたい、時間があればロバアト・オウエン協会についてもお話をさせていただきたい、と考えております。

お話を1950年代に戻してみたいと思います。1954年、私は2年間のアメリカ留学を終えてアメリカからイギリスへ留学先を移しました。アメリカ人の学生たちがチャーターした飛行機に乗って大西洋を西から東へと飛んだのが54年の夏のはじめです。後から考えますとこの54年は私にとって特別な意味があったようです。アメリカ留学の最後の頃、マディソン、ウイスコンシンで私が知り合ったオクスフォードの歴史家ヘンリー・ペリングが、彼の主要な著作2作を発表したのもこの年でした。ひとつは『労働党の起源』1)です。もうひとつは『社会主義の挑戦』2)Challenge of socialism です。

社会主義の挑戦を一世紀以上も続けているイギリスで、ようやく労働党が、戦後のイギリスで政権の座に就き、基幹産業の国有化や、ゆりかごから墓場までの福祉諸政策を実行に移しました。この54年には、チャーチルが政権に復帰しますが、なお戦後の諸政策が維持されていた、そういう時でした。この54年から、私の研究上での社会主義の遍歴が始まったように思います。

イギリスの場合には、19世紀の初めに遡る社会主義の歴史がありますが、日本における社会主義の挑戦の歴史は、もっと短く、かつ厳しいものでした。ここで、協同組合に若干関係しますが、私の先生でした大塚金之助先生にふれてお話しさせていただきたいと思います。

大塚金之助先生は、戦前、治安維持法違反の廉で大学をお辞めになり、戦後間もなく教壇に復帰されました。私が商大の学生になったのは1947年。先生は社会思想史の講義を始めておられ、ゼミナールのテキストにはベンジャミン・フランクリンの自叙伝を選ばれました。しかし先生の穏やかなお人柄と学風の背後には、戦前の非常に厳しい、いわば戦う大学教授という一面もございました。1949年先生は、岩波新書の青版1号として『解放思想史の人々』3)を出版されました。それは300日におよぶ苦難の獄中生活のエピローグでした。先生は1933年に逮捕され、それから1年近い未決勾留の期間があり、そのあと執行猶予付きで釈放になりますが、大学はお辞めになっておられる。先生が大学を追われてから、まだものを書くことができた数年間、解放思想史上の先覚者について、書店の宣伝用の印刷物や『一橋新聞』のような学生新聞に短い評伝をお書きになり、それを収録したものでした。たとえばトマス・モアの死亡400年、これが1935年に、それからシャルル・フーリエの死亡100年、これは1938年に。残念ながらロバアト・オウエンの出生・死亡は、34年から40年までの短い期間には入ってきませんでした。

逮捕前の先生のお元気なころの小冊子に『恐慌と我等の消費組合』4)というのがございます。「諸君、日本も世界も不況のどん底です。支配階級は恐慌という恐ろしい言葉を避けていますが、この不況というのは恐慌のことです。」 これは世界恐慌のさなか、1931年に吉祥寺の映画館で先生がおこなった演説の一節です。この年の9月には満州事変が勃発し、日本の侵略戦争が本格化してまいりますが、その直前、7月に国際消費組合デーの一環として、この吉祥寺の催しが企画されています。「聴衆400人以上入りきれない。なぜ今度の恐慌はこんなにひどいのでしょうか。世界の資本主義が老衰しきったからです。棺桶に片足を突っ込んだ資本主義は、もう工場も機械も人間も使いこなせないほどやくざになりました。資本家は恐慌を切り抜けようとして5割も6割も生産制限をやっています。無数の失業者が出ています。私どもはどうすれば消費者として私どもの利益を守ることができるでしょうか。言うまでもなく、われわれの消費組合に団結することです。われわれの消費組合は、労働者の労働組合や、農民の農民組合や、失業者の失業同盟のように、消費者としての労働者・農民・無産市民の闘争組織であります。そこが家庭購買組合とかその他いろいろの御用購買部や資本家の息のかかった消費組合とは違うところです。」 大変元気のよいお言葉ではありますが、歴史的にはおそらくこれは第三インターナショナルがその当時進めておりました統一戦線 United Front という国際的な戦術・戦略の中の動きだったように思われます。

先生はこのあと約1年ちょっとしまして、伊豆湯が島で岩波書店の『日本資本主義発達史講座』の執筆中に逮捕されます。先生がここで言われた「ヤクザな資本主義」は今、大変スマートになりまして、もう「資本主義」という言葉もほとんど使われなくなりました。これはガルブレイスがどこかで書いていたことですけれども、「資本主義」は The Market System で置き換えられてしまったようです5)

こうして私の二人の先生、大塚先生とヘンリー・ペリングさんにふれてお話を始めさせていただきましたが、もう一度1950年代に戻ってみたいと思います。まだ私のロバアト・オウエンへの道は遠い遙かなものでした。50年代、オクスフォード大学で勉強しておりましたが、ようやく利用可能になった新しい資料が研究者の研究の方向やテーマを左右することが多く、私の場合も例外ではなかったようです。ちょうどそのころ、アムステルダムの国際社会史研究所で、戦争中イギリスに疎開していたドイツ社会民主党の膨大なアーカイブが利用可能になりました。しかも、そのころの大学は大変寛大でして、オクスフォードの私のカレッジ(St. Antony's College)から、生活費だけでなく、船賃をふくむ旅費までもらって、ときどきアムステルダムへ資料を読みにまいりました。そんなことで、さきほど言った『労働党の起源』を書いたヘンリー・ペリングの指導のもと、イギリスの社会主義者、H.M. ハインドマン等々の勉強を始めたわけです。また私は、オクスフォード留学の最後の頃、幸運にもG.D.H. コールの論文指導を受けることができました。コールは私が書き上げたチャプターをひとつひとつ丁寧に読んでくれました。コールの研究室にも、またヘンドンの自宅にもおうかがいして、私のテーマについていろいろとお話を聞くことができました。コールの最晩年の短い時期でした。

このころから私はよく大英博物館の資料室に通いました。あるとき、1889年のロンドン港湾労働者のストライキについて調べておりましたところ、ストライキ指導者のひとりのプライベート・コレクションから大量のロバアト・オウエンの書簡が出てまいりました。こんなところにオウエンの手紙があるなどと予想もできなかったようで、いままであまり注目されなかったものです。そのオウエンの手紙の大部分は、1848年の革命のころのもので、48年オウエンはパリにまいりまして、フランスの政治革命をオウエンなりの平和的な社会主義革命に導こうと努力したようです。1848年はイギリスではチャーティストの最後の大示威運動の年でした。そこで私はオウエン、あるいはオウエニズムとチャーティズムとを総合的に見てみたらどうだろうかと考えまして、そういう内容の論文をまとめてみました。

ひとつの僥倖が待っておりました。ちょうどそのころ私はシェフィールドにおりました。大学紛争の年、考えてみますと一橋も構内が封鎖された年です。泥沼化し、解決の糸口もみつからないとき、なんとなく後ろ髪を引かれる思いで、前から予定されていたシェフィールド大学での在外研修に出かけました。ちょうどこのときシェフィールド大学では、シドニー・ポラードがオウエン生誕200年記念の論文集を編集していました。おまえの論文も使うよ、ということで、この記念論文集に入れていただいたのです6)。この1971年ですが、オウエンの生誕200年のこの年、イギリスで2冊の記念論文集が出版されました。ひとつが今申し上げたポラードのもので、そのタイトルは、Robert Owen : prophet of the poor、貧民の予言者ロバアト・オウエンというものです。もうひとつは、ジョン・バットの編集したもので、これは、綿紡績業のプリンス、ロバアト・オウエン、Robert Owen, prince of cotton spinners7)というタイトルになっております。ある意味では対照的なもので、その対照的なタイトル自体が、また対照的なオウエン解釈、オウエン観を示しています。

そこで、お話の力点を変えて、オウエン観が時代と共にどのように変わってきたかということを通観してみたいと思います。オウエンが亡くなりますのは1858年。そのあとしばらくロバアト・オウエンは、協同組合運動の守護聖人として位置づけられておりました。特に今日の展示の中にも出ておりますロッチデールのパイオニアたちは、熱心なオウエン主義者でして、オウエン自身の弟子でありますホリヨークが、このロッチデールのパイオニアに注目し、協同組合とオウエンについて多くの書き物をのこしています。そのこともあって、オウエン自身は消費協同組合にたいし、かなり距離を置く態度をとり続けましたけれども、オウエンこそがロッチデールに始まる消費協同組合の思想的な源流である、とひろく理解されてまいりました。

しかしやがて協同組合に代わって労働組合が労働運動の主役となってまいります。そうなりますとG.D.H. コールのオウエン像にしたがって労働組合がオウエンの思想を体現するものだというような見方が有力になってまいります。これは、G.D.H. コールのオウエン伝8)に負うところが多いようです。コールのオウエン伝は1925年に出版されます。ちょうど1926年のゼネストの前の年です。コール自身はそれ以前、ギルド社会主義の提唱者として知られておりました。ギルド社会主義もまたコールなりにロバアト・オウエンと関連させています。1830年代にイギリスの労働運動が高揚期を迎えますが、そのとき活躍した建築工のギルドは、自ら人間の性格のより良い建築家、建築者たらんとした、というような説明がなされています。それからもうひとつ、当時にわかに労働組合の全国大連合が作られますが、これもオウエンは、オウエンらしく新しい社会建設の方向に持っていこうと考えます。G.D.H. コールのオウエン伝はまさに1830年代の労働運動の高揚期に注目してまとめられたものです。したがって、そのあとのオウエン、オウエンはそのあとまだ30年近く生きておりますけれども、この時期はG.D.H. コールから見れば老年期、衰退の時期でした。

コールにとって、1830年代のオウエンが問題でした。この時期オウエン主義にチャンスがやってきた。労働者組織が急速に広がり、行動のプランや指針が必要となった。オウエン主義がその必要を満たした。資本主義的競争の恩恵を説く支配的思想に対し、オウエンは社会的協同の福音、生産者の協同のコモンウエルスに組織された社会という福音を説いた。しかし、コールが期待しました1926年のゼネストも、かつての1830年代のオウエンの労働組合大連合と同じように労働者の敗北に終わります。労働組合大連合の敗北のあとロバアト・オウエンの関心は千年王国主義に急傾斜してまいります。理想社会がにわかに実現可能なものに見えてくる、あるいはそうさせなければならないというような。たとえば万国全階級同盟 Association of All Classes of All Nations を作ってみる。千年王国の到来をそういうようなかたちで期待する方向へ向かい、教育宣伝活動を強化する。G.D.H. コールのこれに対する審判は大変厳しい。オウエンの晩年は、耄碌した恍惚の人の晩年である、と彼は言います。最後にオウエンは霊媒をまじえたスピリチュアリズム、霊との交信に染まりますが、そのずっと以前から彼は精神のバランスを失っていた、とコールはオウエンの晩年について評価しております。オウエンの関心は、コールが言うように、政治や産業や労働よりも道徳や宗教へと向かってまいります。

ところが、われわれのほうで、オウエンを解釈する側で、この晩年のオウエンがやがて魅力的になってくる。われわれの時代、特に1960年代に、そうした精神的な土壌が出来てまいります。そうしたなかで1969年にJ.F.C. ハリスンの優れたオウエン研究、『イギリスとアメリカにおけるオウエンとオウエン主義者』が出版されます。Robert Owen and the Owenites in Britain and America9)です。この本の副題が「新道徳世界の探求」the quest for the new moral world となっているのも暗示的です。オウエンは後半生、new moral world という言葉をよく使っておりますが、ハリスンの副題はこのオウエンの後半生のテーマを全体に広げたものとも考えられます。ハリスンにとって晩年のオウエンは決して恍惚の人ではありません。それだけではなくオウエン主義ははじめから千年王国主義 millenialism に特有の社会変革のエートスを持っているというように解釈されます。

ちょうどこの1960年代・70年代は、ヨーロッパでアメリカで日本で、多くの大学で、学生たちが直接行動に出たときです。また一部の労働者もこういう運動に参加します。彼らがオウエンの考えたような新道徳世界を追求したかどうかは別としまして、変革の思想、千年王国主義の思想が時代の背景にあったように見られますし、ハリスンはそういう背景のなかでオウエン像をまとめております。

このJ.F.C. ハリスンのあとオウエン研究をリードしたと思われますのは、ロンドン大学のグレゴリー・クレーズです。彼は1980年代の終わりに2冊のオウエン研究の本を書いております。ひとつは『機械、貨幣、千年王国』10)そういうタイトルで、副題は「道徳経済から社会主義へ」です。いまひとつは『市民と聖人』Citizens and saints11)です。グレゴリー・クレーズの2つのオウエン研究の特色は、労働運動の視点そのものが薄められて弱まってしまった反面、いままでの研究よりも、扱うテーマが包括的で、ほとんどあらゆる問題にタッチし、同時に脱イデオロギー的に、労働運動も含めて評価の定まらない社会的な価値に対するコミットメントはしないという脱イデオロギー的な特色を持ってまいります。

グレゴリー・クレーズはオウエン協会の1992年の最初の英文論文集12)に「社会主義以後、ミスター・オウエン、民主主義、そして将来、社会主義以後」というタイトルの一文を寄稿しております。ベルリンの壁は既に崩壊し、社会主義の歴史的な後退が始まっています。そういう中でクレーズは、社会主義について彼なりの評価をする。社会主義は政治と所有の面で、ほとんど致命的な傷を負ってしまった、と言います。その傷は自分で付けた傷かもしれないし、社会主義という発想自体が間違っていたかもしれない。マルクス主義者の間の兄弟せめぎあいのその結果だったかもしれない。とにかく過去一世紀、世界の多くの国々で急進的な考え方を支配してきた思想、社会主義が、今では破産し、使用不能になってしまった、と言っております。そうした中でロバアト・オウエンを救い出すにはどうしたらよいか。それは、もはや所有の問題ではない、あるいはおそらく政治の問題ですらないかもしれない、そこまで言っておりませんが、所有の問題よりも、市民生活における民主主義を推進し、環境を保全することがわれわれの課題だ、と言っております。民主主義も環境も、政治の問題でもあるように思うのですが。

しばらくまえクレーズはオウエン協会の研究集会で報告し、その内容が結城さんによって翻訳されて協会の年報に載っております13)。彼の持ち味がはっきり出てくるように思いますので、最後のところを少し読んでみます。「偉大な、あふれんばかりのオウエンの人間性を呼び覚まし、祝福しよう。オウエンの精神とは要するに、教育者・工場改革者・コミュニタリアン・資本家と社会主義者としての彼の業績を包括し、同時に慈愛心 charity の心にあるのだろう。そのような慈愛心はいつも稀少な商品である。開明的な企業家としてのロバアト・オウエンか、社会主義者としてのロバアト・オウエンか、どちらをわれわれが受け入れることが望ましいかという問題は、社会をより良い場所にするために要求される善意 good will というものを、どちらがより良く紡ぐことができるかということに関わっている」 と書いております。さきほどふれましたオウエン生誕200年記念のふたつの論文集の対照的な問題提起、貧民の予言者としてのオウエンと、cotton spinners のプリンスとしてのオウエンという、それぞれの位置付けのちがいは、クレーズの場合、どちらがよりよい社会をもたらすのに貢献するかということで、問題を先送りにしているようです。

またクレーズは、オウエンの著作や手稿などの精力的な編集刊行を続けております。その豊富な資料に支えられて、オウエン像は一層客観化され、思想の歴史の中にうまく収まるように思われます。しかしどのようなかたちであれ、歴史の中にオウエンを閉じ込めてしまってよいのか、という疑問が残ります。それぞれの時代にはそれぞれの時代のロバアト・オウエン像があるといわれますが、なぜそうなのか、それぞれの時代、特にわれわれの時代の歴史的な位置位相をどう考えるのか、という厄介な問題があると思います。クレーズのオウエン解釈との関係で、われわれの問題をもう一度考えてみる必要があるように感じます。

オウエンであれ、マルクスであれ、思想を歴史の中に閉じ込めてしまうことにふれて、すこし回り道をしてみたいと思います。私の個人的な回想になって申訳ありませんが、アメリカ留学の最初の年、1952年、私はプリンストンにまいりました。この年プリンストン大学出版局から『社会主義とアメリカン・ライフ』Socialism and American life という二冊本が出ました14)。これは論文集と文献案内でして、私の研究上の社会主義にたいする関心は、このとき始まったように思います。というのは、この書物がアメリカの社会主義を歴史の博物館に納めてしまう試みのように思われたからです。イデオロギーの冷戦のはしりの時代だったように思います。この書物は社会主義の歴史を総括し、アメリカの文明にたいする社会主義の意味を検討します。多様な展開を遂げるアメリカの社会主義と、そのヨーロッパ的な背景を問題にし、それぞれの理想や目標の中味を調べ、目標達成のための制度や組織を問題にし、そうした理想や組織の歴史的な位置付け、歴史的な関連を明らかにすることが、この書物の意図だったようです。しかしそうしたアカデミックな作業そのものの歴史的な意味が気になったのです。

当時は冷戦が始まった最初の数年間でして、緊張が極度に高まった時期です。ウィスコンシン州選出のマッカーシー McCarthy上院議員がが活躍した時期、アメリカの上院非米委員会がマルクス主義者やその同調者の糾弾を始めた時期です。このプリンストンの論文集のなかで、のちに『イデオロギーの終焉』15)で知られるダニエル・ベルが社会主義を総括する長大な論文16)を書いていますが、それはマルクス主義ないしコミュニズムに焦点が絞られてまいります。ダニエル・ベルはこんなふうに言っています。ほぼ一世紀の間にアメリカの社会主義はユートピアンや初期マルクス主義者たちが抱いていた明るい限りない社会正義の夢から、コミュニストの間の相互不信と痛恨の悪夢へと移っていった、と。ベルの論文は、なぜアメリカに社会主義がないのかという、ウェルナー・ゾンバルトの古典的な問いかけから問題を説き起こしまして、マルクスの予言はアメリカには適用しないといいます。やがて通説となる議論です。「技術の躍進、労働者の生活向上に努める労働組合、革命ではなく、既存の社会内の改革のために戦われる政治闘争、いずれもプロレタリアートの窮乏化とは相容れない。特に1920年代以降、大量生産、大量消費に支えられた中産階級が、その中産階級の文化が、資本家や労働者の文化に勝利した。生産の原動力は、資本財生産から耐久消費財生産へと移り、大衆市場が消費者の嗜好を左右し、生活様式が標準化する。財産よりも専門の熟練が力を持ち、相続財産よりも教育が社会的上昇の主要な手段となる。新しい管理社会的な大衆社会が出現する。その大衆社会に吸収されることによって、労働組合は社会的な品位を獲得する」と。この最後のところは、こんにちの協同組合にも適用されるかもしれません。「社会主義者はディレンマに逢着し」第三勢力 third force たらんとする。他方コミュニストは「政党ではなく陰謀集団となる」と。彼らコミュニストは「自ら社会の敵になる」といいます。しかし弾圧の歴史をあわせて考えませんと、なぜ彼らが「社会の的」「陰謀集団」にならざるをえなかったかということが半分しか説明できないように思われます。

結論としてベルは、アメリカの社会主義は、1950年までに、歴史のアーカイブの中のひとつの註釈以上のものにはならなかった、と大変さみしいことを言っております。しかしベルのこの論文は予言者的でもあります。管理社会的な大衆社会が戦後の先進資本主義国を特徴づけるようになる。そういう管理社会的な大衆社会に対する新左翼の抵抗は、戦後思想史の重要なテーマですが、その抵抗も無惨に弾き飛ばされてしまったと言えそうです。

その新左翼の抵抗ということで思い浮かぶのはエドワードないしE.P. トムスンです。『ニュー・レフト・レヴュー』誌の論説をあつめた『新しい左翼』17)で知られていますが、ウィリアム・モリスの伝記 Romantic to revolutionary18)が最初の重要な著作です。付言しますと、トムスンのモリスと私のハインドマンとは相性がよくなかったのですが、彼がイヴォンヌ・カップのエリノア・マルクスを書評したとき、私のエリノアに好意的な言及をしてくれています。またトムスンは、『イギリス労働者階級の形成』The making of the English working class19)という社会史の古典ともいえるものを書いています。『モリス』も『形成』も私のゼミのテキストでした。彼はウォーリック大学の社会経済史研究所の所長をしておりましたが、辞めて在野の学者になります。そのきっかけになったのが、ウォーリックの大学紛争でして、彼自身、大学当局を糾弾します。その経緯が、彼の編集する『株式会社ウォーリック大学』Warwick University Ltd20)に書かれています。しかしコヴェントリー/バーミンガムの自動車産業の衰退やこんにちの大学改革の方向を見ていますと、トムスンもまた弾き飛ばされたように思われてなりません。

さきほど申しましたようにクレーズは、社会主義は負けたと言い切っております。本当にそう言えるのだろうか。1954年以来私がイギリスで学んだもの、社会主義の挑戦とは一体何だったのだろうかと考えざるをえません。そこでもう一度近代社会主義の原点に戻って、その原点に立つパイオニアのひとり、ロバアト・オウエンとの対話をもういちど始めてみたいと考えたのです。

今日のもうひとつのテーマは私どものロバアト・オウエン協会の自慢話です。オウエン協会と一橋との関係も、決して浅いものではありません。協会は25周年記念を如水会館で開催させていただきました。このとき日生協の専務理事だった中林貞男さん、ユートピア研究で知られるインディアナ大学のピッツァさんとならんで、私も講師でした。このとき会場を隣の学士会館に移したあとだった思いますが、五島茂先生が短歌を朗詠されました。「大き人 オウエン学び来て50年 髪白くなりてなお学びあえず」という、大変五島先生らしい短歌です。これがオウエン協会創立25周年のときです。その5年あと、30周年記念は、ここ国立の大学の本館の特別応接室で開催させていただきました。このときも図書館のほうで、オウエン関係の書籍資料の展示をしてくださいました。このときの講師は古典資料センターの永井義雄さん、工学院大学の今井義夫さん、それから全生協連の高村勣さんでした。さらに40周年記念もまた国立で、このときは佐野書院で開催させていただきました。このようにオウエン協会と一橋とは浅からぬご縁がございます。

しかしオウエン協会が発足しましたのは関西です。オウエン死亡100年を記念して、1958年、関西学院大学で、創立宣言をおこないます。このときオクスフォードのG.D.H. コールと国際協同組合同盟 International Co-operative Alliance のウィル・ワトキンス、おふたりからメッセージをいただいております。会長には関西学院大学の堀経夫さん、そして専務理事に五島茂さんが就任されます。世界唯一の、当時からそう言っていますが、世界唯一のオウエン協会が発足します。残念なことにその後10年間、協会は休眠の状態を続けます。この冬眠から目が覚めますのは一種の外圧のせいでして、オウエン生誕200年記念の行事がイギリスを中心におこなわれ、オウエン復興、オウエン・ルネッサンスの波が外からやってきます。1971年、五島茂先生が協会会長になられ、そして翌72年から『年報』、当時は『会報』といいましたが、『年報』の編集が始まります。復活したオウエン協会は、日本のオウエン研究者による、すぐれた『ロバアト・オウエン論集』を発行します。これは1971年、家の光協会から出ております。ここでは戦前から協同組合研究で知られる本位田元東大教授のほか何人かが書いておられますが、特に私の印象に残りますのは、大河内一男先生のものです。「オウエンにおける「人間」の問題」21)と題する一文です。そこで大河内さんは、こんなことを言っておられます。

「既存の産業組織や雇用関係のもとで」、要するに資本主義的なシステムのもとでは、「個々の雇用条件を改善し、福利施設に工夫をこらしても、人間の新しい性格を作り出すことはできない。このことをオウエンが悟ったとき、オウエンは巨大な越え難い厚い壁の前に立ってしまった」。これはアメリカ、ニュー・ハーモニーにおける平等村の失敗のことだと思います。「人間の問題が新しい環境の中で解決できるとオウエンは考えたようだけれども、人間に関するこの楽観的な判断の中にオウエンの空想性があった。」そこで「過去何十年かの資本主義的生活経験のしみの付いている人たちの集団が、オウエンの設計図に従ったニュー・ハーモニーで、にわかに生まれ変わることは期待できないし、その限りでは環境が人間を作るとは言えない、そういう問題が残されている」。環境が人間を作るなどと簡単に言うことはできない。「そこでオウエンにとって人間教育のための長い後半生が始まる」。これはオウエンの後半生に関する非常に意味深い解釈だと思います。さらに大河内さんは続けて言います。「マルクスが大衆的な革命運動の中でそのような人間を上から作ろうとした」、この点、私には十分わかりませんが、「これに対してオウエンは、人間の道徳的改造と精神教育とによって、新しい未来社会を背負いうるような人間を作ろうとした」。そのような人間をつくるという課題にオウエンはどのように取り組んだのか、この点もいまひとつ調べてみる必要があるように思います。しかし「新しい人間形成と教育の問題はその後発展されることなくオウエンを道徳的説教家として価値付けるのに役立っているだけである」、と。人間の問題は旧共産主義国でも豊かな資本主義国でも見失われている。それは「個人と社会とを結び付けていた唯一の絆である労働から、仕事から、あるいは職場から [人間が]疎外されようとしている」ことであり、そのことことを忘れかけたことである。大河内先生はオウエン協会と同時にもうひとつのサロン的な学者の集まりであるアダム・スミスの会の会員にたいし、亡くなられる直前でしたが、最後のメッセージを送られまして、その中で、「労働を忘れないでください」と言っておられます。働かなくても何でも手に入りそうに見える今日の社会では、労働は片隅に追いやられ、個人と社会を結び付けているものは労働よりもむしろ消費のように思われます。労働の視点が欠落する。消費協同組合は消費と「人間」のつながりに注意をはらいますが、同時に市場経済の仕組みに埋没する危険があります。資本主義の根元的な問題を考えるためにも、もういちど労働の問題に立ち返りたいように思います。

これは、ロバアト・オウエン協会発足のときのお話です。10年間の冬眠をへて復活したオウエン協会は、はじめ農協および家の光協会のお世話になりまして、われわれ研究者は大変恵まれた研究の環境を与えられました。そして1990年に入りますと、農協のほうの事情もあり、生活協同組合のお世話になるようになります。中林貞男さんのご尽力があり、オウエン協会も事務局を生協総合研究所に移しまして、はじめ代々木、ついで四谷で、生協運動の理論家、実践家のかたがたと交流を深めております。

中林さんは、生協運動の中で国際連帯を推進されたかたです。ピース・ファイターとして国際連帯を推進させ、一貫して核兵器と軍拡に反対され、スウェーデンで表彰されたこともあります。そのころ中林さんは、ワシントンで開催された国際協同組合同盟の中央委員会で発言され、協同組合の最高の理想は世界平和にある、日本生協連の創立のスローガンは「平和とより良い生活のために」であり、毎年8月には広島・長崎の原水爆禁止世界大会や平和行進に大勢の主婦や組合員が積極的に参加していると報告なさっておられます。オウエン協会も国際的な協同組合運動との関係を深めてまいります。

オウエン協会の最初の英文論文集も、国際協同組合同盟の東京大会に向けて用意されたものでして、世界の協同組合の指導者のかたがたに読んでいただくのにふさわしい内容だと自負しております。第二の英文論文集22)が今年出ております。そういうことで我々の努力は地道ながら続いております。

それだけでなくオウエン協会がとうとう街頭に出るときがやってまいります。はじめは協会員有志が、「黙ってはいられないフォーラム」を企画し、民主主義と雇用と憲法を守るという趣旨のフォーラムを開催いたしました。これは2000年です。フォーラム・パート2が2001年でした。続いて3年目の2002年にフォーラム・パート3、これは協会のプロジェクトとして、「平和と協同のフォーラム、戦争と平和」というように銘打ちまして、現実に起きている戦争と平和について具体的に問題を検証しようという趣旨でした。そしていよいよ2003年、イラク戦争の始まる年ですが、開戦の前日、私どもは戦争反対の緊急決議をおこないまして、総理と外相および主要新聞にその決議を送っております。そうは申しましてもオウエン協会の主要な仕事は年4回の研究集会における研究発表と討論です。そしてそれを年報にまとめてみなさんにお見せしています。

こんにちの情勢はおそらく、私どもが「黙ってはいられない」フォーラムを企画しましたころよりも深刻かもしれません。日米軍事同盟なるものも軍事一体化のほうに更に進んでいるようで、国内政治の諸問題とあわせて考えますと、1930年代を思わせるような危険な徴候がわれわれの周辺に出て来ているようです。そういう中で、改めてオウエンとの対話が必要だと思います。コールの時代にコールのオウエンがあったように、ハリスンの時代にもハリスンのそれがあった。クレーズはクレーズなりのオウエンをみつけたようですが、私どものオウエンも、われわれの中から生まれてくるように思っています。それは平和と協同のロバアト・オウエンです。「中林ビジョン」のオウエンです。この機会に、ロバアト・オウエン協会は、ただの物好き、好事家やユートピアンのあつまりではないことをご理解いただいて、オウエン協会が、できればみなさんのお力添えで更に立派なものに育つよう、見守っていただきたいと思います。

それと同時に、大河内先生がおっしゃった「労働を忘れないでください」という言葉も、私どもにとってのどに刺さった棘のようなものかもしれません。また協同組合そのものを更に活性化させるためにいろいろな提言もなされているようです。どのようなかたちを取るにせよ、やがて社会主義のルネッサンスのときが来るものと私は信じております。オウエンが長い生涯を通じて惜しみなく人々に分かち与えた社会的な良心、チャリティの心、これに再びわれわれが耳を傾けるときが必ず来る、そのように信じております。時間をかなりたくさんとってしまって、みなさんからご意見をお聞きする時間もあまり残されておりません。どうもご清聴ありがとうございました。


【注】
  1. Pelling, Henry. The origins of the Labour Party, 1880-1900. London : Macmillan, 1954
  2. Pelling, Henry(ed.). The challenge of socialism. London : Adam & C. Black, 1954 (British political tradition series ; 7) 【Otsuka/P:148】
  3. 大塚金之助『解放思想史の人々 : 国際ファシズムのもとでの追想 1935-40年』東京 : 岩波書店, 1949.4 (岩波新書 ; 青版-1) 【0800:33:青1】【030:2A:1-1】【030:2B:1-1】
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