平成17年度一橋大学附属図書館企画展示

オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開

1. ロバート・オウエンの人と思想

オウエンの肖像
▲肖像
Frank Podmore 著 Robert Owen : a biography (1906) 所収

ロバート・オウエン (Robert Owen) は、1771年5月14日イギリス・ウェールズ地方のニュータウンに、馬具商と金物商を兼業する父母の6番目の子として生まれる。4歳頃、小学校に入学した後、7歳で校長の助手兼教師となったオウエンは10歳になると、自ら望んで商店に住み込みで働くようになる。その後、紡績業で成功し、1799年、スコットランドのニューラナーク工場を買収し、支配人となる。

産業革命で工場労働は機械化が進んだが、労働者の労働条件・生活環境は劣悪で、オウエンの目には、大多数の労働者は怠惰で不道徳、労働意欲のない人間と映った。初期の主著 A new view of society (社会に関する新見解 1813)では、どのような性格も適切な手段を用いることによって形成できるという環境決定論を主張した。そしてその手段は社会に影響力を持つ人達が保有していると述べ、工場内に学校や幼稚園を設立し、独特の教育方針で児童・成人教育にあたった。また良品を原価で販売する売店を設置するなど、労働条件の改善を図り、経営者への信頼と労働意欲の向上をめざした。

博愛主義から社会主義への転機ともいわれる1817年の Report to the Committee of the Association for the Relief of the Manufacturing and Labouring Poor (労働貧民救済委員会への答申書)、1820年の Report to the county of Lanark (ラナーク州への報告)で、貧窮にあえぐ労働階級の救済策として生産から消費までを構成員自らが行う大規模な協同村の構想を提案するが、私的所有制度を否定したこれらの報告は議会には受け入れられなかった。しかしオウエンは、新聞への投稿や講演会など議会外の活動を強め、彼の思想に同調する人達はその数を増していく。

『労働貧民救済委員会への答申書』より
A View and Plan of the Agricultural and Manufacturing Villages of Unity and Mutual Co-operation ▲
Report to the Committee of the Association for the Relief of the Manufacturing and Labouring Poor (労働貧民救済委員会への答申書 1817) 所収
オウエン直筆の書簡の写真 ▲ William Rathboneに宛てたオウエン直筆の書簡 (1824)
Manuscript letter collection of Robert Owen, etc. 所収

オウエンはこの協同村構想を基に、アメリカに渡り、私財を投じて設立した「ニュー・ハーモニー」(1825年)の実験、帰英後「クイーンウッド・コミュニティ」の設立(1839年)を試みるが、いずれも失敗に終わった。1832年には労働時間を単位とするLabour Note (労働貨幣)によって生産物の交換を行うNational Equitable Labour Exchange (労働公正交換所)を創設するが2年足らずで閉鎖、労働組合の連合を図り、Grand National Consolidated Trades Union を成立させる(1834年)が、数ヶ月で崩壊する。

その後も著作や定期刊行物の創刊、講演活動を繰り広げ、The life of Robert Owen (自叙伝) の第1巻を出版した翌1858年11月7日、87歳で生地にて没する。

彼の協同思想と、彼の影響を受けたOwenite(オウエン主義者)達がイギリスの協同組合運動の主要な担い手であったことからオウエンは「協同組合運動の父」と称えられている。

オウエンの自叙伝の標題紙 The Life of Robert Owen (自叙伝 1857)


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