平成17年度一橋大学附属図書館企画展示

オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開

4. 日本で紹介されたロバート・オウエン

オウエンの名前が登場する最初の日本の文献は、西周(1829-1897)の『百学連環』と言われている。これは1870(明治3)年頃に西が行った学問論を、門下生永見裕が記録したもので、百科事典形式の一項目になっており、大久保利謙編『西周全集』第4巻(宗高書房)に再録されている。

次にオウエンの記述のある文献は、1874(明治7)年に分冊で発行された『百科全書』の「交際編上」である。本学所蔵本の見返しには文部省とあり、巻首には「百科全書/交際篇上/高橋達郎訳編」とある。トーマス・モアのユートピアを紹介し、その実行者としてオウエンとフーリエの名を挙げている

1883(明治16)年発行のミル原著『弥児経済論』、フォーセット原著『政治談』、1886(明治19)年発行のマーシャル原著『勧業理財学』などの翻訳書によっても、オウエンの名は紹介されたが、日本人が書いた本でオウエンを説明した章を持つのは、1891(明治24)年の『社会党瑣聞』が最初である。石谷斎蔵の著述兼発行だが、これは『明治文化全集』第15巻(日本評論新社)に再録されている。

百科全書:交際編上
▲ 『百科全書:交際編上』(1874)




       ミル著、経済論
▲『弥児経済論』(1883)




       『社会問題研究』第14 冊
▲『社会問題研究』第14 冊(1920)


雑誌論文中にオウエンの名が出てくるのは、1881(明治14)年の『六合雑誌』7号に載った主宰者小崎弘道の「近世社会党ノ原因ヲ論ス」である。1898(明治31)年には河上清が同じく『六合雑誌』に「消費者協力組合論」という論文を 210、211、214 の3号に亘って載せ、オウエンにも言及しているが、翌年の同誌222号に「英国社会主義の木鐸ロバート、オーヱンを論ず」を書いた。これがオウエンを主題とした雑誌論文の最初である。

この後、著書や雑誌論文のなかでオウエンに触れる文献はたくさん出て、明治の末期には紹介が盛んになった。なかでも、1920(大正9)年から翌年にかけて、河上肇(1879-1946)が個人雑誌『社会問題研究』に9回に亘って連載した「ロバアト・オーウェン(彼れの人物、思想及び事業)」は、かなりな影響力を持った。

オウエンの著作の翻訳は、1925(大正14)年の『大原社会問題研究所雑誌』3巻1号に、大林宗嗣が「ニュー・ラナーク講話」を訳出したのが最初である。

1924(大正13)年に発刊された『一橋新聞』1号には、猪谷善一著「英国労働学校の誕生」が掲載され、労働者教育の重要を力説した第一人者としてオウエンを紹介している。また、1925(大正14)年から翌年にかけて『一橋新聞』に4回に亘って掲載された「工業制度の影響に関する考察」は、本学所蔵カール・メンガー文庫中のオウエン著述原文を山中篤太郎(1901-1981)が訳出したものである。

1927(昭和2)年に、本学出身の北野大吉(1898-1945)が『ロバート・オーウェン : 彼の生涯、思想並に事業』という本を出したが、これはオウエンを主題とした図書の最初である。


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