平成17年度一橋大学附属図書館企画展示

オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開

3. 日本における協同組合思想 : 一橋を中心に

3.1 明治初期の協同組合思想の受容

イギリスで展開した協同組合思想は、日本では明治初期に輸入書籍が流入するとともに、その翻訳書によって普及した。これらの初期の翻訳書のなかには教科書として使用されたものもある。例えば、本学の前身の商法講習所の教科書一覧にもフォーセット、ペーリー、ボウエン等の名前が見られる。

『宝氏経済学』
▲宝氏経済学 (1877)

M.G.フォーセット(Millicent Garrett Fawcett 1847-1929)の Political economy for beginners は、1873(明治6)年に林正明(1847-1885)による翻訳書『経済入門』が、1877(明治10)年永田健助(1844-1909) による翻訳書『宝氏経済学』が出版され、日本への協同組合思想の流入に大きな役割を果たしたとされている。永田健助はさらに『経済説略』を編集し、ロッチデール公正先駆者組合についてより詳細に紹介している。また、明治初期の協同組合思想導入の代表例としては、A.B.メイスン(Alfred B. Mason 1808-1868)とJ.J.レイラー(John J. Lalor 生年不詳-1899)の The primer of political economy を翻訳した『初学経済論』も有名である。牧山耕平によるこの翻訳書は、1877(明治10)年に出版され、その後の研究や消費組合運動に多大な影響を与えた。

『初学経済論』
▲初学経済論(1877)
協力商店創立ノ議
▲馬場武義「協力商店創立ノ議」『郵便報知新聞』1878 年7 月5 日

日本人によるイギリス消費組合の紹介は、1878(明治11)年『郵便報知新聞』に掲載された馬場武義の「協力商店創立ノ議」が最初である。この翌年、共立商社その他の日本初の消費組合が設立された。

消費組合の発祥の地とされたロッチデールには多くの外国人が訪れており、日本からも1872(明治5)年に会津藩士野口富蔵と土佐藩士松井周助が訪問したのを皮切りに、多くの関係者・研究者が視察に向かった。彼らの訪問記もまた日本にイギリスの消費組合思想を伝えるのに一役買うことになる。

3.2 本学における協同組合研究
上田貞次郎の肖像
▲ 上田貞次郎

明治後半から昭和に至るまで本学で教鞭をとった上田貞次郎(1879-1940)はロバート・オウエンや協同組合に関する論考を多数発表している。国家の指導する産業組合を批判し、オウエンに始まる自律協同の精神を基とした協同組合を説く彼の主張は、その後の思想と運動に影響を与えた。

「産業組合か協同組合か」
▲ 上田貞次郎 「産業組合か協同組合か」 『産業組合』237 号 (1925.7)
緒方清の肖像
▲緒方清の肖像     協同組合研究(1935)所収

上田の指導を受けた緒方清(1896-1934)は、イギリス留学中に英文で書き上げた The co-operative movement in Japan で学位を得、世界に日本の協同組合を紹介するのに貢献した。帰国後は本学の助教授として迎えられ、社会政策を講ずるとともに、消費組合研究に精力的に取り組む。レーニン(Lenin 1870-1924)によって生み出された政治主義的なモスコウ式消費組合ではなく、経済主義的なロッチデール式を是とするところが、彼の主張の特徴である。

緒方清の著書
▲The co-operative movement in Japan (1923)
上田宛の献辞
▲ 上田宛の献辞
3.3 一橋消費組合の歴史
福田徳三の肖像
▲福田徳三

一橋消費組合は、1910(明治43)年9月23日設立の決議を行い、一橋会に附属して設置された。これに先立つ1903(明治36)年の一橋会発会式に際し、福田徳三(1874-1930)が消費組合設置を希望すると演説している。本学の学問・思想形成に影響の大きかった福田は協同組合にも大きな関心を寄せ、『国民経済講話』ではイギリスのロッチデールやドイツの消費組合事情を紹介している。一橋消費組合は、1898(明治31)年の同志社大学購買組合(一年足らずで消滅)を除くと、1903(明治36)年9月に発足した慶應義塾に次いでかなり早い時期の成立であった。学生全員の参加する自治会である一橋会の財源確保のため設置されたこと、教員主導で学校監督下に置かれたことがその特徴である。

『国民経済講話』
▲国民経済講話(1917)
『東京商科大学卒業記念写真帖』
▲東京商科大学卒業記念写真帖 (1930)

1923(大正12)年9月には一橋会の会計から切り離されて共益部となるが、その業績は不振であった。1928(昭和3)年に発足した消費組合研究会によって共益部改善問題や東京学生消費組合への加盟問題が議論され、1929(昭和4)年5月一橋消費組合として再出発することになる。同年6月、学生運動取締りのため西神田警察署が業務停止命令を下したことなどから、東京学生消費組合には加盟せず、独自路線を歩んだ。1931(昭和6)年、本学予科・専門部廃止に反対して勃発した籠城事件に際しても、食料・物資の調達に活躍している。

戦時体制が人々の生活に影を落し始める中、1940(昭和15)年、東京学生消費組合は強制解散の通告を受け、一橋会にも文部省から解消指示があった。翌年2月、一橋消費組合は三科報国団からなる新一橋会本部の直属団体となり、敗戦の日まで活動を行うことになる。

戦後は、食料・物資の不足の中、いち早く1946(昭和21)年6月25日に一橋消費組合再開状況の記事が一橋新聞に掲載されている。1948(昭和23)年には、教職員と学生を組合員とする生活協同組合定款が定まり、一橋消費組合は正式に再開した。なお、現在の一橋大学消費生活協同組合が消費生活協同組合法に基づいて設立認可を受けたのは1957(昭和32)年のことである。

『籠城事件写真帖』
▲籠城事件写真帖(1961)

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