平成17年度一橋大学附属図書館企画展示
オウエンから一橋へ : 消費組合の成立と展開
戦後の生活協同組合

生活協同組合〔生協〕(戦後消費組合はこう呼ばれた)は、戦中から続く食糧危機に促され、また大衆運動全体の高揚に支えられて 1946(昭和21)年から翌年にかけて爆発的に広がり、世界の協同組合運動史上かつてない激増を示した。そんな中、戦後も産業組合法が 生協の根拠法であったが、1948(昭和23)年に厚生省案をもとにした消費生活共同組合法〔生協法〕が成立した。この法律の附則により 産業組合法は廃止され、生協の所管官庁も農林省から厚生省に移行された。

ドッジラインの施行によって、1948(昭和24)年後半から日本経済は恐慌状態に陥り、労働者は大きな打撃を受けた。こうした情勢の変 化は生協運動にも大きな打撃を与えたが、他方で労働者の間に福祉問題への関心を高め、生協運動に新しい局面を開く出発点を与えた 。まず、1951(昭和26)年に日本生活共同組合連合会〔日生協〕が設立され、翌年にはICAへの加盟を果たし、国際舞台での活動も展 開するようになった。さらに生協の活動分野が、地域生協、職域生協、学校生協、大学生協などの購買事業だけでなく、医療・住宅・ 労金などの新しい分野に広がり、多面的な発展をもたらした。

大学生協は1960(昭和35)年以降、共同仕入組織を形成し、地域生協への支援を組織的発展方向として位置づけた。1964(昭和39)年には 同志社大学が洛北生協を、翌年には都内大学生協が中心となって所沢生協をそれぞれ設立した。その後、全国の主要都市には大学生協 の支援によって地域生協が設立された。 国際舞台では、日生協がICAにおいて平和への取り組みを訴えたり、さまざまな専門分野の活動に参加するなどして、諸外国の協同 組合運動との交流をすすめた。このような生協運動の協同連帯の輪は、1970(昭和45)年前後の調整期以降に飛躍的な広がりを見せた。

【参考文献】
一橋大学 附属図書館