平成18年度一橋大学附属図書館企画展示

江戸時代の豪農と地域社会 : 岡田家文書の世界

成立当初の岡田家

岡田家はもともと、長谷川家という家の名跡を継承して成立した家である。年代は確定できないが、18世紀初頭には岡田家として成立していたようである。当家に残された文書のうち、18世紀段階の史料は当初、ほとんど発見されていなかった。しかし近年、岡田家の経営帳簿を中心とする18世紀段階の史料が新たに発見された。ここでは、新発見の経営帳簿類をとりあげ、これまであまり知られてこなかった成立当初の岡田家の姿を垣間見ることにしたい。

18世紀段階の岡田家の経営帳簿は、大きく3種類に分けられる。まず、岡田家の商業経営に関わる「糟売帳」と「木綿之売帳」である。これらは、「種糟」「荏糟」(菜種や荏胡麻から油を絞ったあとにのこる滓)などの肥料や木綿の販売量、販売先、代銀を記載した帳簿で、享保20(1735)年の両帳によると、岡田家は肥料を14ヶ村、木綿を8ヶ村にわたって販売していた。

「糟売帳」(享保20年)、「木綿之売帳」(享保20年) ▲
 

第二に、地主経営に関わる「御年貢下作宛帳」である。岡田家は所持地を自身でも耕作していたが、多くは小作に出していた。この帳簿は、岡田家の所持地の所在、小作人名と小作の規模、小作料の収納状況を記載した、地主経営の基本帳簿である。最も古い享保20年の「夘御年貢下作帳」によると、岡田家は居村岡村と隣村藤井寺の2ヶ村で土地を所持し、これを、両村と北宮村の3ヶ村の者に小作させていた。

▲ 「御年貢下作帳」(享保20年)

第三に、金融業に関わる「万覚帳」と「小質取替帳」である。「万覚帳」は、岡田家が銀を貸し付けた相手、利率、担保、返済状況などを記載した、同家の営む金融業の基本帳簿である。他の帳簿と同じ享保20年の「万覚帳」によると、岡田家は15ヶ村にものぼる百姓・寺と貸借関係をとり結んでいた。こうした金融業の一環として、岡田家は質屋業を営んでいた。「小質取替帳」は、この質屋業に関わる帳簿で、岡田家がとった質物(帷子、布団、袴など多岐にわたる)や、それに対する貸付額などが記載されている。最も古い延享2(1745)年の「小質取替帳」によると、岡田家は5ヶ村の百姓らから様々な質物をとって、銀を貸し付けていた。「万覚帳」に記載される金融と比べて範囲が狭く、貸付額もかなり少額である点が特徴的である。

「万覚帳」(享保20年)、「小質取替帳」(延享2年) ▲
 

以上のように、成立当初の岡田家は、肥料・木綿を商う商人、居村と隣村の土地を集積し多くを小作に出している地主、そして、質屋業を含む金融業者(利貸し)、という顔をあわせもつ有力百姓であった。この後、同家は商業経営を縮小し、地主・金融業の規模を拡大して成長していく。そして、18世紀末には庄屋となり、居村岡村の村政をとり仕切っていくことになるのである。

(一橋大学大学院社会学研究科博士課程 小酒井 大悟)

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当