平成18年度一橋大学附属図書館企画展示

江戸時代の豪農と地域社会 : 岡田家文書の世界

農業生産と労働

岡田家は地主活動・金融活動を中心にしながらも、米・麦・菜種・木綿を中心とした手作経営(自家での直接生産)を行っていた。その規模は約2町歩程度で、全保有地の1割程度である。明治3(1870)年「手作農方勘定帳」および明治15(1882)年「農方勘定帳」には、奉公人の給金や肥料代等の必要経費が記され、経営収支が具体的に明らかにできる。また、「実綿農取帳」2冊からは嘉永7(1854)年から明治17(1884)年までの岡田家の綿の収穫量を知ることもできる。

では、岡田家で働いていたのはどのような人々だったのであろうか。奉公人請状という証文には年季奉公の契約内容が記されており、長期の年季奉公にあたっては給金を前払いで受け取っていたことがわかる。中には給金だけを受け取って年季途中で辞めてしまう者もあった。このような問題は頻繁に見られたらしく、文政7(1824)年「奉公人取締書」では、暇を乞うときは代わりの人を出すこと、半季で交替するときは給銀の7割を返済すること、奉公人請状に村役人の奥書奥印をすることなどを取り極めている。この史料からは、文政期には一年季を基本としながらも半季での出替わりが出現しはじめていることや、郡中組合で問題に対処しようとしていることがわかる。これを受けて作成された嘉永3(1850)年「奉公人取締調印帳」、万延元(1860)年「奉公人調印帳」は岡村内の雇用主とそこで働く奉公人の給金、奉公人親、請人、世話人の名前が記載された史料である。岡田家は村役人として村内の奉公人の出入の帳簿を管理していた。

「奉公人取締書」(文政7年) ▲
 

明治政府による戸籍の編成が明治4(1871)年に行なわれるが、岡村の戸籍掛を勤めたのも岡田家であった。村人一人一人の情報を集め戸籍に編成していく過程がよくわかる関係書類が多数残されている。「奉公人別手形差出候控并出稼人出入とも」は、奉公人の居所を確定し、戸籍に記載する作業のための書付である。岡村からの出奉公7人に対して、岡村への入奉公は19人(妻子を入れると23人)にのぼる。近隣の村々との間で奉公人が行き来していたことがわかる。ちなみに、近世の岡村の人々の動きは、婚姻や引越の記録が記された宗門人別帳や人別送り状を調べることからも明らかになる。婚姻関係があったのは近隣の農村だけでなく大坂や堺の都市部にも及んでおり、人々が河内国・摂津国・和泉国・播磨国等を広範囲に移動していたことがわかるだろう。

▲ 明治四年未年人籍出入手形箱および「奉公人別手形差出候控并出稼人出入とも」ほか

 
▲ 「手作農方勘定帳」(明治3年)

年季奉公人たちの存在の一方で、近世後期から日雇という新たな雇用形態も生まれてくる。先に紹介した「手作農方勘定帳」は明治3(1870)年以降の岡田家の手作経営に関わる帳簿だが、日雇の賃金が記載されているのが注目される。男女には賃金の格差があり、女性の賃金は男性の二分の一以下であった。

(一橋大学学術・図書部学術情報課 高橋 菜奈子)

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当