平成18年度一橋大学附属図書館企画展示

江戸時代の豪農と地域社会 : 岡田家文書の世界

地主経営と帳簿作成

19世紀を通じ、岡田家は岡村第一の持高を維持している。文化年間(1804-1817)には、岡村の石高約90石、藤井寺村の約70石に加え、片山村、新堂村および立部村、道明寺村、西川村、林村、南島泉村、小山村、古室村にも出作地を得ており、幕末にかけて出作地の範囲は拡大していく。

岡田家は、これらの土地を自家で耕作するだけでなく、百姓に耕作させて小作料を得る地主でもあった。岡田家文書にのこる連年の小作台帳からは、近世を通じた地主経営の変遷を窺うことができる。

まず、享保期以来、土地ごとに小作人の名と小作料納入の記録を記す様式の「御年貢下作宛帳」が作成されている。この帳簿は毎年作成され、納入が滞ったときなどに、適宜過去の記録が参照される。「御年貢下作宛帳」は、徐々に体裁が整備されており、効率的な帳簿のあり方を模索している様子が窺える。

文化4(1807)年からは表題が「下作宛口帳」に改まり、小作人ごとに小作地と勘定を記す形式に変化している。小作人ごとの記録をまとめて記すことで、彼ら個々の小作料納入状況を把握することが容易になった。

▲「下作宛口帳」(文化4年)

文政13(天保元、1830)年からは、帳簿を単年度ごとに作成するのではなく、3年分を1冊にまとめている。この変化によって、次年度の剰余分を前年度の不足分と相殺するような、複数年度に渡る決済を帳簿上で把握することが容易になった。帳簿の小口部分には索引が付されており、それぞれの小作人の記載箇所が一目でわかる。

 
▲「下作宛口帳」(天保10年)

こうした小作台帳の変化の背景には、予定通りに小作料納入が果たされていない状況がある。文化、文政年間から顕著となる未進額は、飢饉の影響を受けた天保年間に激増している。そこで岡田家は、小作台帳とは別に、小作人ごとに小作料の滞り分をまとめた「未進帳」を作成し、嘉永2(1849)年には、特に未進額の多い藤井寺村の小作人分を別の帳簿にまとめている。

岡田家は、用途に応じて様々な帳簿を作成している。転載した箇所には「写」、「合」などの印を付しており、対応箇所が明確にわかる。岡田家文書の帳簿類は相互に関連しあっており、岡田家の経営の全体像を知ることができる貴重な史料なのである。

(一橋大学大学院社会学研究科博士課程 小田 真裕)

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当