平成18年度一橋大学附属図書館企画展示
江戸時代の豪農と地域社会 : 岡田家文書の世界

岡村の人々の移動 [展示ケース11]

江戸時代の岡村の人々の動きは、婚姻や引越の記録が記された宗門人別帳や人別送り状を調べることから明らかになる*。岡村への転入理由は引越し・同居などを除くと8割以上が婚姻や養子縁組によるものであり、移転元は7割以上が岡村のある丹南郡の隣接郡(約8km圏内)からであった。郡内では隣村からが多いのはもちろん、特に街道筋にあたる村や、大和川より岡村側の村からの流入が多く見られた。一方、河内国外からの送り状も全体の1割強あり、摂津国・和泉国・播磨国からの移転もあった。江戸時代における農村−都市間の婚姻による移動は、農村から都市・町方へという方向が多いと言われているが、岡村へは都市部である大坂・堺からも人が流入していた。これは、岡村の中心部を、西は堺を経由し大坂、東は大和国につながる長尾街道が走っていたためと考えられ、当時としては人々の交流がさかんだったことがわかる。一方、時系列的には、天保から弘化にあたる1840年代の移動が多く見られ、自然災害等で不安定な時代に人々が住居を変えていた様子をうかがわせる。このほか、奉公を理由とした労働移動は、宗門人別帳に各戸の奉公人として記載された。婚姻・養子等による住居移転よりもその範囲は狭いものであった。

明治政府による戸籍の編成が明治4(1871)年に行なわれるが、岡村の戸籍掛を勤めたのも岡田家であった。村人一人一人の情報を集め戸籍に編成していく過程がよくわかる関係書類が多数残されている。江戸時代、宗門人別帳ほかさまざまな公文書の作成にあたってきた岡田家のような庄屋が、戸籍を取り扱うことは当時合理的かつ自然であった。こののち、明治5年旧村役人が廃止され、戸長・副戸長に統一された。

*調査には岡田家文書中の人別送り状627通(寛政10(1798)年から明治4(1871)年まで)を使用した。


出品資料
〈コラム: 宗門人別帳 〜江戸時代の戸籍〜〉

「宗門人別帳」は、江戸時代の領主が、キリスト教禁止の政策から、住民一人一人が仏教徒であることの証明として毎年作成させた帳簿である。のち明治4年に戸籍法が整うまで維持された。作成形態や時期は地方によりさまざまだったが、岡村では定期的(毎年3月)に作成され、「人別送り状」と呼ばれる「宗門人別帳」を補う文書も逐一作成されていた。「宗門人別帳」には、世帯ごとに家族、所属寺院、宗派、世帯主の身分、世帯人員の男女別合計などが記載されていることから、歴史人口学では重要な史料である。作成方法には本籍地主義、現住地主義の2通りが見られ、岡村のような現住地主義の「宗門人別帳」は、本籍地主義のものに比べ村人の動態が詳細に記されている。

「人別送り状」は、「宗門人別帳」の後に出入りした人々について、移転元の村が作成し、移転先の村へ送られた一紙ものの文書である。岡田家文書には、岡田家が庄屋であった寛政から明治までの「人別送り状」約630通が含まれており、その内容から、転入した村民の理由や出身を知ることができる。

【参考文献】
速水融『江戸の農民生活史 : 宗門改帳にみる濃尾の一農村』東京:日本放送出版協会,1988 (NHKブックス;555)
→ [改題増補]: 速水融『江戸農民の暮らしと人生 : 歴史人口学入門』[柏]:麗沢大学出版会(発売:廣池学園事業部),2002
人別送り状から見る近世岡村への転入者分布

隣村である志紀郡小山村の39通が最多で、丹北郡島泉村・津堂村から古市郡古市村へかけての一帯に集中している。最も遠方は播磨国揖東郡太田(現在の兵庫県揖保郡)からで、岡村まで直線距離にして110キロ以上離れている。

分析には人別送り状中、作成地が明記された528通を使用した。


一橋大学附属図書館 学術・企画主担当