ヘルメス/メルクリウスの図像 (一橋大学の校章「マーキュリー」の由来)

神々の使者ヘルメス Hermes の姿は、時代によってその描かれ方が異なりますが、「古典期以降は、ペタソスと呼ばれる旅行者用の鍔広の帽子をかぶり、「ケーリュケイオン」(kerykeion , ラテン語では caduceus)と呼ばれる使者の杖をたずさえ、足には翼の生えた(くつ)を履いた若々しい美青年の姿であらわされるのが常」でした(注1)。

医療の神であるアスクレピオス Asklepios の杖もカドゥケウスと呼ばれ、世界保健機関(WHO)ほか、医療関係のシンボルに使用されています。ただし、アスクレピオスの杖の蛇は1匹、商業のシンボルとして使用されるヘルメスの杖の蛇は2匹という違いがあり(注2)、さらにヘルメスの杖は多くの場合、翼を付けて描かれます。翼は、報らせを伝える速さを意味します。

ヘルメスの描かれた絵画は、「パリスの審判」をはじめ、多数あります。ボッティチェッリ Botticelli の「春」Primavera (注3)は、オウィディウス『祭暦』の5月2日(注4)、クロリスが西風ゼピュロスの妻となって花の女神フローラに変身する場面に対応するといわれますが、画面左端に立っているのがヘルメス(メルクリウス)です(注5)。

16世紀〜18世紀のヨーロッパで流行したエンブレム・ブック(寓意図本)(注6)にもヘルメスは登場します。

千代田区一ツ橋の如水会館の3階庭園には、 マーキュリーのブロンズ像(注7)があります。1982年の改築(注8)の際に設置されたもので、フィレンツェの国立バルジェルロ美術館 Museo Nazionale del Bargello 所蔵のジャンボローニャの作品(1580年)のレプリカです。旋回するような立体構成は、16世紀イタリアのマニエリスム Mannierism の様式を代表する彫刻として評価されています。ジャンボローニャ Giambologna(1529-1608)は、フランドルの Douai(現在はフランス北部、ノール県 Nord のドゥエ)に生まれ、20歳代半ば頃、ローマ経由でフィレンツェに出て活躍しました。


【注】
  1. ホメーロス [著] ; 沓掛良彦訳『ホメーロスの諸神讚歌』 p.274-275 【9900:80】

    呉茂一『ギリシア神話』(上). 東京 : 新潮社, 1979.11.20 (新潮文庫) 【158:119】
    「彼の身装(みなり)は大体(古典時代以降は)つば広の帽子(ペタソス)をかぶり(これはギリシアでは旅行者が()()けとして通例かぶるものであった)、手には黄金づくりの伝令杖ケーリューケイオン(ラテン語ではカードゥーケウスと呼ばれる、元来は牧人の木の棒であろう)を執り、足にはおおむね羽根のはえた(サンダル)穿(うが)っている。」(p.228)
  2. 古川明『医学と薬学のシンボル : アスクレピオスの杖とヒギエイア(ハイジア)の杯』東京 : 医歯薬出版, 2002.3.10
    p.49-71: 第2章「医学と薬学のシンボル」
    「  「アスクレピオスの杖」には1匹の蛇が絡まっているが,ヘルメスの杖には2匹の蛇が絡まり,杖の頭に1対の翼のついていることが多い.前者は医学のシンボルで,健康,長寿,不老などを象徴し,後者は商業,通信,交通などのシンボルで,幸福,平和などを象徴している.」(p.53)
    「  医学のシンボルとしてヘルメスの杖が使われはじめたのはルネサンス期で,いまではアスクレピオスの杖と混同して両者が使われている.」(p.54)
    「  1520年にイギリスのヘンリー8世の侍医バッツ Sir William Butts がヘルメスの杖を自分の紋章とした.また中世に盛んになった錬金術では,鉱物,金属,動植物を使って製剤としたが,とくに水銀 mercury が取り扱われたことから,錬金術師たちがヘルメスの杖を水銀に関係あるものとして,自分のマークとした.当時の錬金術師は医師が多かったため,ヘルメスの杖を医学のシンボルと解釈して用いたにちがいない.
      1902年にアメリカ陸軍軍医部が「ヘルメスの杖」をその紋章としたことで,この誤りに拍車をかけることになった.アメリカ陸軍軍医部の使命は戦闘ではなく,平和のために働くのだから,その紋章は「ヘルメスの杖」でよいというのがその言い分である.
      このことを正しく理解しないで,多くの医学・薬学関係の機関が「ヘルメスの杖」を医学の紋章としてしまったことは残念なことである.アメリカ医師会,オランダ医師会,国連世界保健機関(WHO)の示しているとおり,医学には正しく「アスクレピオスの杖」を用いるべきであろう.
      アメリカ陸軍軍医部がヘルメスの杖を使っているのは誤りであると主張したのは有名な医史学者ギャリソン Fielding H. Garrison (1870-1935) で,彼は1919年から1932年にわたってこのことを報告しつづけた.」(p.54-55)
  3. 若桑みどり「ボッティチェッリ『春』 : 愛の弁証法」. 若桑みどり『絵画を読む : イコノロジー入門』東京 : 日本放送出版協会, 1993 (NHKブックス ; 668), p.54-67 【7200:11】
    アビ・ヴァールブルク著 ; 富松保文訳『サンドロ・ボッティチェッリの《ウェヌスの誕生》と《春》 : イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』東京 : ありな書房, 2003.3 (ヴァールブルク著作集 ; 1) 【7080:26:1】

  4. オウィディウス ; 高橋宏幸訳『祭暦』東京 : 国文社, 1994.7.20 (叢書アレクサンドリア図書館 ; 1) 【9900:21】【高本/9Ov:1J】
    p.188-197:「五月二日」
    「「いまでこそフロラと呼ばれる私も、かつてはクロリスと言っていました。ギリシア名であった私の名がラテンの呼び名に崩れてしまったのです。かつてクロリスと言っていたとき、私はかの幸福の野、おまえも聞いているでしょう、その昔に至福のひとびとの国があったという野のニンフでした。私の容姿がどのようであったかなど、おこがましくてとても話せませんが、母が神様の婿殿を見つけて下さったのはこの容姿のためでした。
    「春のこと、そぞろ歩きをしている私がゼピュルスの目に止まりました。私は引き返そうとしました。が、ゼピュルスは追いかけてきます。私は逃げます。けれども、あちらの力のほうが強いうえに、兄弟のボレアスの前例があるので、娘をさらうのは天下御免であったのです。ボレアスはなんとエレクテウスの家から獲物をもち去ったのでした。
    「とはいえ、力ずくでしたことの償いに、彼は私に正妻の名をくれました。いまこの結婚に私はなんの不平もありません。私はいつも春を謳歌しています。いつでも一年でもっとも輝かしい季節、木々には葉が繁り、大地はいつも牧草がおおいます。そして野には私の婚資である実り豊かな庭があります。そよ風が育み、泉から湧く澄み切った水が灌漑しています。私の夫はこの庭を優雅な花で満たし、『女神よ、花のことはおまえにすべて任せよう』と言ってくれました。
    「何度も私は、いったい何色あるのかと、並んだ花を数えたいと思いましたが、できませんでした。数が及ばないほどたくさんだったのです。朝露の滴が葉からこぼれ落ち、色とりどりの草花が陽の光に暖められるや、ただちに彩り鮮やかな衣を身にまとった季節女神ホラたちが集まり、私からの贈り物を籠に摘んでゆきます。それにすぐさま優雅の女神カリスたちも加わって、冠を編み、編んだ冠を神々しい髪に結ぼうとします。」(p.190-191)
  5. E・H・ゴンブリッチ著 ; 大原まゆみ, 鈴木杜幾子, 遠山公一訳『シンボリック・イメージ』東京 : 平凡社, 1991.5 (ヴァールブルク・コレクション)【7000:250】
    p.86-136「《春》【プリマヴェーラ】」
    「メルクリウスの身振りはウェヌスのそれに優るとも劣らぬほどさまざまに異なる解釈を施されてきた。ある人々は彼にオレンジとか歌う小鳥などを探させたし、また別の人々は彼が雲を散らしているのだと考えたが、そもそも雲が存在するか否かについて図像学的天気予報官たちの意見は一致していないのである。スピーノによれば彼はウェヌスの登場を告げるために蛇杖(カドゥケウス)をかかげている。プランケット伯爵は彼が天の方を指していると言っている。またヴァイスバハは彼がウェヌスの存在を知らせるためにマルスに向かって手を振っているのだと考えている。」(p.114)
  6. アンドレア・アルチャーティ著 ; 伊藤博明訳『エンブレム集』東京 : ありな書房, 2000.3.15
    「  アルチャーティの『エンブレム集』は、1531年にアウグスブルクの書肆ハインリヒ・シュタイナー (Heinrich Steiner) から刊行された。この八つ折版(オクターヴォ)、44葉の小冊子が、それ以降に陸続と現われるエンブレム・ブックの嚆矢となった。16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ各国で出版されたエンブレム・ブックの数は2000点以上にも及んだ。一般的に言えば、エンブレムとはモットー・図像(狭義のエンブレム)・エピグラムという三つ組から構成され、主として道徳的な訓戒を総合的に表現する、特異な文学 - 美術的ジャンルである。そして、アルチャーティの『エンブレム集』が、このジャンルの範例として長く尊重されてきた。」 (p.149)
  7. 如水会十二月クラブのサイト(http://www.josuikai.net/nendokai/dec-club/)を参照。 十二月クラブ (東京商科大学の昭和16(1941)年学部後期卒業の同期会)のサイトには、このほか、一橋大学の歴史に関する豊富なコンテンツも掲載されている。

  8. 『如水会館落成記念』東京 : 如水会, 1982.9.29【Az:444】

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当