メルクリウスとローマ神話 (一橋大学の校章「マーキュリー」の由来)

ローマの商業神メルクリウスは、ギリシア神話のヘルメスと同一視され、ヘルメスの神話が「そのまま彼の話としてローマで語られて」いました(注1)。「古代のローマにももちろん、ローマの民族の起源や、宇宙の創生や世界の発生について語り、太古の時代を生きたひとびとの暮らしを律し、神聖で真実と信じられていた伝承や祭儀がありました」(注2)。しかし、ホラティウス(紀元前65-8)がアウグストゥス宛の書簡詩の中で、「捕らえられたギリシアは、猛き勝利者を捕らえた」Graecia capta ferum victorem cepit (注3)と書いたように、軍事的・政治的には征服されたギリシアが、野蛮な勝利者ローマを文化面では逆に征服しました。これは神話についても同様で(注4)、「ローマ固有の神話体系は、ローマの神々のギリシァ的解釈によって誘発された、文学的魅力において圧倒的に優越したギリシァ神話の全面的濫入によって、神話自体の形においては完全に解体し、それを構成した個々の説話も、」「わずかの例外を除けば、現存するラテン文学作品が書かれた時代のローマ人の意識からは、ほぼ完全に忘れ去られていた」のです(注5)。

古代ローマでは5月15日は商人の祝日「メルクリウスの日」(メルクラリア Mercuralia)でした。 オウィディウスの『祭暦』の5月15日の項には、

「  品物を売ることを生業としているひとはだれでも、あなたに香を焚いて、儲けを授けて下さいますように、と祈ります。カペナ門の近くに、メルクリウスの水という泉があって、試した人たちを信じてよければ、効験があります。
  ここへと商人は、身清めをし、トゥニカを端折った姿でやって来ます。硫黄を焚き込めた瓶に水を汲み、もち帰ろうというのです。この水で月桂樹の枝を濡らし、濡らした枝でこれから新しい主人のものになる品物すべてを湿します。彼自身も自分の髪を滴のたれる枝で湿し、いつもはひとを騙してばかりの口で祈りの言葉を唱えます。」(注6)
という記述があります。この祝祭は、紀元前495年、2人の執政官の間に、どちらがメルクリウス神に神殿を奉献するかという争いが起きた事件をきっかけに始まったそうです(注7)。

ところで、「ローマ人は神話を作らなかったばかりでなく、彼らの祖先がイタリアに持ち込んだインド=ヨーロッパの非常に古い神話を、歴史化、つまり人間の歴史に変え」ました。「ジョルジュ・デュメジルが証明したように、ローマの古代史と言われるものの主なエピソードは、実は歴史化された古い神話から取ったものであり、そこに登場する人物たちは、人間に置き換えられた古い神々なの」です。「ローマの戦士とされているムキウス・スカエウォラ(《左利きのムキウス》)やホラティウス・コクレス(《片目のホラティウス》)は、北欧神話の《片手の神》(チュール)や《片目の神》(オーディン)の化身以外の何者でも」ありません(注8)。 印欧語族の共通文化に遡る神々の構造/機能体系や、ギリシア神話の焼き直しではないローマ固有の神話の痕跡は、建国伝説の中に「歴史」として取り込まれたり、祭典での儀礼的行為の中に痕跡をとどめていました。


【注】
  1. 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』東京 : 岩波書店, 1960.2 【1600:207 参考】【158:15】 p.288
  2. 丹羽隆子『ローマ神話 : 西欧文化の源流から』東京 : 大修館書店, 1989.12, p.1-2
  3. Horatius. Epistola, 2.1: Ad Augustum, 156-160:
        Graecia capta ferum victorem cepit et artes
        intulit agresti Latio; sic horridus ille
        defluxit numerus Saturnius, et grave virus
        munditiae pepulere; sed in longum tamen aevum
        manserunt hodieque manent vestigia ruris.
    
    田中秀央, 村上至孝譯『ホラーティウス書簡集』東京 : 生活社, 1943.6.20 (ギリシア・ラテン叢書) 【Yamauchi/I:16】
    p.105-125: 「アウグストゥスへ : 詩について」

    鈴木一郎訳『ホラティウス全集』町田 : 玉川大学出版部, 2001.12.10 【9900:73】
    p.621-636: 『書簡詩』第二巻一「古い詩と新しい詩 アウグストゥス宛(前一三)」
    「「捕われたギリシアは獰猛な勝者を捕虜にした」結果、文化を鄙びたラティウムにもたらしました。それ以後はサトゥルニウスの 粗削(あらけず)りなリズムの流れは断ち切られ優雅な趣味が荒々しい悪趣味にとって代わったのです。しかし、その後も長い間鄙びた跡は残されたし、今なお残っているのです。」(p.630-631)
  4. 吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話』東京 : みすず書房, 1974.3 (比較神話学の試み ; [1]) 【1600:97】【Pb:855】
    「  古代ローマの宗教の著しい特徴の一つは、固有の神話に乏しいことであると言われる。周知のようにローマは、文学、哲学、美術その他多くの領域で、ギリシァの圧倒的影響を受け、独自の文芸を発展させる前にまずギリシァ文化をほぼ全面的に受容したのであるが、宗教の分野でもローマ人は、早くからアポロン、ヘラクレスなどのギリシァ神の祭祀を受け入れる一方、ローマ古来の神々の多くを、ギリシァ神話中に見出される類似の神話と融合させることによって、ギリシァ神話を彼らの信仰の中に取り入れていた。このローマ宗教のギリシァ化の過程が、何時頃から始まりどのような段階を経て進行したかを跡づけることは、われわれには不可能だが、われわれの知る最古のラテン文学作品が書かれた前三世紀にはすでに、ユピテル = ゼウス、ユノ = ヘラ、ミネルワ = アテナ等々の、今日一般の常識となっている、ローマの神々の「ギリシァ的解釈」(interpretationes graecae)は、すべて確立されていたのである。」(p.211)
  5. 前掲 吉田敦彦『ギリシァ神話と日本神話』p.219
  6. オウィディウス ; 高橋宏幸訳『祭暦』東京 : 国文社, 1994.7.20 (叢書アレクサンドリア図書館 ; 1) 【9900:21】【高本/9Ov:1J】
    p.211-212: 「五月十五日」
    Ovidius. Fasti
  7. オウィディウス ; 高橋宏幸訳『祭暦』東京 : 国文社, 1994.7.20 (叢書アレクサンドリア図書館 ; 1) 【9900:21】【高本/9Ov:1J】
    [訳注]
    「(122) 大競技場とアウェンティヌス丘のあいだに、古くからメルクリウス神の聖域があり、穀物取引所と商業組合が帰属していた。リウィウス二・二七・五以下によれば、前四九五年、神殿の奉献に当たって、執政官二人のうちどちらが奉献するかで議論となり、元老院が民衆に諮問した。元老院はこの諮問で選ばれた執政官に穀物供給の監督、商人組合の編成、儀式の執行をも務めさせることにしたため、民衆は執政官に恥をかかせるつもりで民衆の百人隊長に神殿奉献を委任することとした。以来、商人組合は五月十五日に守護神メルクリウスの祝祭を行った。」(p.343)
    ティトウス・リーウィウス ; 鈴木一州訳註「『ローマ市建設以来の歴史』(IV)」『論集 : 神戸大学教養部紀要』19, p.1-54 (1977) 【ZA:377】
    Livius, Titus. Ab urbe condita. 2.27
    「〔5〕コーンスル二人の間に、どちらがメルクリウス神に神殿を奉献するかという争いが起きていた。元老院はこの問題を裁定せず、人民に任せた。二人のうち、民会決議によって奉献者となる者が食料供給を主宰し、商人の同業者団を設立し、ポンティフェクス立合いの下に儀式を担当するよう、命じたのである。〔6〕人民は神殿奉献を筆頭百人隊長、マルクス・ラェトーリウスに委ねる。彼の地位にそぐわない破格の扱いだったから、この決定が彼の名誉のためよりも、コーンスルたちに恥をかかせるためだったことは容易に見てとれた。〔7〕このことにコーンスルの一人と父たちとは激怒した。だが、平民は肚を決めていた。そして初めに企てていたのとは全く異る道を突き進んだ。」(p.27)
  8. ルネ・マルタン(監修) ; 松村一男(訳)『図説ギリシア・ローマ神話文化事典』東京 : 原書房, 1997.8, p.255

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当