常設展 図書館所蔵コレクション紹介

ラインバーガー文書(Linebarger papers)

(戦時アメリカ極東政策文書 / SF作家コードウェイナー・スミスの実務生活)


一橋大学の校章

日    程: 平成17年5月24日(火)〜平成18年4月7日(金) [終了しました]
場    所: 一橋大学附属図書館 公開展示室(時計台棟1階)
入場時間 : 月〜金曜 9:00〜16:00 (入場無料)(土・日・祝日は休室)

(【  】内は、一橋大学の請求記号)


1.解説    2.著作リスト    3.参照文献    4.年譜    5.補足

1.解説

   「人類補完機構」(The instrumentality of mankind)の未来史シリーズで知られる極めて独創的なSF小説家コードウェイナー・スミス(Cordwainer Smith) の正体は、亡くなる直前まで秘密にされていましたが、本名はポール・マイロン・アンソニー・ラインバーガー(Linebarger, Paul Myron Anthony, 1913.7.11-1966.8.6)、極東政治(特に中国)を専門とする政治学者で心理戦争の権威でもありました。
   ラインバーガー博士/コードウェイナー・スミスの自筆原稿をはじめとする文書類の大部分は、スタンフォード大学(Stanford University)の 戦争・革命・平和に関するフーヴァー研究所(The Hoover Institution on War, Revolution and Peace)の 文書館(Archives)、および、カンザス大学(The University of Kansas)のスペンサー図書館(Kenneth Spencer Research Library)に所蔵されています。
   一橋大学附属図書館は、ささやかな分量ながら、 2群のラインバーガー文書(Linebarger papers)を所蔵しています。(1) Papers prepared for Mr. J.C. Grew 【Qcea:167】と、(2) Papers written during World War II【Qcea:168】です。これらは、ラインバーガーが収集または執筆した1942年から数年間の文書で、第二次世界大戦中のアメリカの極東政策の一次資料として、特に、戦後日本の象徴天皇制の起源を解明する上で極めて重要な史料です。当時のラインバーガーは30歳前後、陸軍省戦時情報局の将校で、中国の政治に関する著書は既に3冊刊行していたものの、小説家としてはまだデビューしていませんでした。
   大部分はタイプ打ちされた文書ですが、手書きのメモも若干あります。書簡、報告書の写しや下書き原稿、関係者に配付された公文書類、新聞記事の切り抜き等から構成されています。機密公文書もかなりの部分を占めており、“CONFIDENTIAL”“RESTRICTED”“SECRET”のゴム印の押されたページが随所にあります。なお、書簡には私的な内容はほとんどなく、もっぱら事務的な通信・連絡類です。用紙の片面にのみ文字が記載されて裏面は白紙のものが大部分ですが、ときおり、裏面にも記載のある部分があります。ただし、【Qcea:167:4】は例外的に全体が両面印刷です。

(1) Papers prepared for Mr. J.C. Grew

Papers prepared for Mr. J.C. Grew : 1(1942)-4(1943) / [gathered together and bound by Paul M.A. Linebarger, at Washington, D.C., 1943].
【Qcea:167:1】 【Qcea:167:2】 【Qcea:167:3】 【Qcea:167:4】 【Qcea:167:5】 → マイクロフィルム 【MF:798:4】【MF:798:5】【MF:798:6】【MF:798:7】

   外交官ジョセフ・クラーク・グルー(Grew, Joseph Clark, 1880.5.27-1965.5.25)のためにラインバーガーが収集した1942-1943年の資料を製本したものです。全4巻4冊とクリアフォルダー1冊とから成ります。
   グルーは、1932年から1941年12月8日(ハワイ時間では7日)の日米開戦までの駐日アメリカ大使でした。グルーと配下の大使館員は、東京の大使館内での6か月以上にわたる幽閉生活を経て1942年に帰国しました(交換船グリップスホルム号で6月25日に横浜を出港、8月25日ニューヨーク着)。滞日十年の経験を持ち日本の事情に詳しいグルーには、各方面から演説依頼が殺到しました。グルーは1943年末までに全米を巡回して250回におよぶ演説をおこないましたが、それらはすべて戦時情報局によって周到に準備されたスケジュールに沿って実施されました。うち、かなりの部分の草稿は、ラインバーガーが下書きしたものです。
   Vol.1〜3は、グルーの講演の原稿(下書きあるいは完成原稿)および関連する手紙や連絡メモ、新聞記事の切抜等の資料です。Vol.1は1942年9月末〜12月、vol.2は1943年1月〜5月、vol.3は1943年6月をカバーしています。Vol.4はグルーのスピーチの予稿を報道機関用に事前配布した、国務省の印刷物を製本したもので、内容日付は1942年8月〜1943年6月、つまり、vol.1〜3と並行しています。Vol.5は、製本から漏れていた紙葉を事後的にクリアファイルに収納したものです。
   『東京報告』Report from Tokyo (1942) は、大戦勃発一周年を機会にグルーの演説から代表的なものを選び、加筆して出版した図書です。グルーひとりしか著者名として表示されていませんが、Papers prepared for Mr. J.C. Grew のvol.1【Qcea:167:1】の先頭には、原書 Report from Tokyo : a message to the American people が丸ごと1冊合綴されており、その目次ページには、実際の執筆分担の内訳が書き込まれ、どの章を誰が書いたかが色分けで明示されています。また、巻末には、戦時情報局がBook digest という叢書のno.7として刊行した『東京報告』の要約版も合綴されています。
   Report from Tokyo は、前付けを含めても120ページにも満たない薄い本でした。2年後の1944年、グルーは日記・公文書・私文書に基く1932-1942年の記録を『滯日十年』Ten years in Japan という比較的大部な2巻本にまとめて公刊しています。 中村政則『象徴天皇制への道 : 米国大使グルーとその周辺』(1989)は、『東京報告』が「激しい日本軍国主義および日本人批判につらぬかれているのに対し」、『滯日十年』では「基調(トーン)が代わって天皇および穏健派に対する高い評価が前面に出てくる」ことに注目し、戦時情報局が中国通のラインバーガーを「グルーの演説草稿のゴースト・ライターとして抜擢したのは、ラインバーガーが心理宣伝戦でまれにみる高い能力を持っていたから」だけでなく、「親日派のグルーが対日心理・宣伝戦でアメリカ世論にそぐわない演説をしないよう、歯止めをかけるためではなかったか」と推測しています(p. 21-23)。

(2) Papers written during World War II

Papers written during World War II, 1-5 : 1942-1946 : [personal file on the Far East, consists of miscellaneous papers, letters and paperclippings, etc.] / [gathered together and bound by Paul M.A. Linebarger].
【Qcea:168:1】 【Qcea:168:2】 【Qcea:168:3】 → マイクロフィルム 【MF:798:1】【MF:798:2】【MF:798:3】

   Papers written during World War II という書名は、背表紙に記載されている標題です。第二次世界大戦中に書かれた、極東に関する1942-1946年のラインバーガーの個人ファイルです。全5巻(通しのページ付けで1740 leaves)が3冊に製本されています。
  第1冊(vols.1-2)は1942年2月〜11月、第2冊(vols.3-4)は1942年11月〜1943年6月、第3冊(vol.5)は1945年3月以降をカバーしています。
   第1冊(vols.1-2)【Qcea:168:1】には、機密公文書「日本計画」の草稿が4種類収録されていました。加藤哲郎『象徴天皇制の起源 : アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社, 2005 (平凡社新書 ; 281)は、この「日本計画」について、「連合軍の軍事戦略を助けるための、帝国日本に対するプロパガンダ戦略であり」(p. 35)、「パール・ハーバー半年後のミッドウェイ海戦時に、すでに米国は、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略を、個人的意見・提案ではなく、陸・海軍、国務省、情報調整局(COI、Coordinator of Information ... )、それに英国政治戦争本部(PWE)も加わって検討した公文書中で明言していた。日本国憲法の産みの親マッカーサー ... も、それを承知していた。」「戦後日本の天皇制存続は、開戦直後から米国の基本戦略に含まれていた。」(p. 29)と紹介しています。
   「日本計画」の4種類の草稿は、1942年5月5日付け(p.228-244, 245x)、5月13日付け(p.251-271)、5月23日付け(p.281-317)、6月3日付け(p. 321-358)でしたが、p. 322-358はカッターで切り取られ、亡失しています。マイクロフィルム(製作は雄松堂書店、1984年【MF:798:1】)にも p. 322-358 は欠けており、加藤(前掲書 p. 240)は「おそらくラインバーガー自身の手でカットされた」と推測していますが、この6月3日付け「日本計画(最終草稿)」Japan Plan (Final Draft) は別途、「ドノヴァン長官文書」Records of the Office of Strategic Services, Washington Director's Office Administrative files, 1941-1945 のリール62【MF:800:62】にも収録されています(加藤 前掲書 p. 33-34参照)。

2.著作リスト

(1) ラインバーガー博士の著書

(2) 小説作家としての著書

(3) その他


3.参照文献

(1) グルー、日本計画、象徴天皇制等に関するもの

(2) ラインバーガーの生涯、および、SF作家コードウェイナー・スミスに関するもの


4.年譜(ラインバーガー/コードウェイナー・スミスの生涯)

主として、ラインバーガー自身による履歴書(1945年12月12日、ワシントンの School of Advanced International Studies 宛)(【Qcea:168:3】の leaves 1691-1696 を参照)、および、 Elms, Alan C. "Paul Myron Anthony Linebarger Biographical Summary" (Cordwainer Smith Unofficial Biography Page) に拠る。
なお、一般に、ラインバーガーに関する伝記的情報やエピソードは、SF作家コードウェイナー・スミスに関する文献やウェブサイトから多く得られる。

5.補足

(1) ラインバーガー文書 (Smith/Linebarger Archives)の所在

ラインバーガー博士/コードウェイナー・スミスの原稿その他の所在の全体像については、 Alan C. ElmsSmith/Linebarger Archiveshttp://www.ulmus.net/ace/csmith/slarchives.html に解説がある

(2) 中村政則『象徴天皇制への道 : 米国大使グルーとその周辺』岩波書店, 1989 (岩波新書 ; 新赤版89) より引用

「   ジョセフ・グルーと配下の大使館員は、東京のアメリカ大使館内で六ヵ月以上にわたる幽閉生活をよぎなくされたあと、一九四二年八月二十五日、アメリカに帰国した。そのころアメリカ国内は、真珠湾奇襲攻撃で反日感情が頂点にたっしていた。そのため、滞日十年の経験を持ち、日本の事情にくわしいグルーの話を聞こうと、誰もが待ちかまえていた。各方面からの演説依頼がグルーのところに殺到したのだ。しかし、グルーはいぜんとして公人(国務長官の特別顧問)であり、彼の演説活動は、"自由と民主主義のための戦い" というアメリカの戦争目的に(かな)うものでなければならなかった。四二年九月二十五日、グルーは国務長官コーデル・ハルと会談し、これ以降の演説の題目と日程は、戦時情報局長エルマー・デービスと相談のうえ決定すべしとの指示をうける。グルーは帰国以来四三年末までに、全米を文字どおり東奔西走、二百五十回におよぶ演説をおこなっているが、それらはすべて戦時情報局によって周到に準備された演説スケジュールにそって実施されたのであった。
   “Report from Tokyo――A Message to the American People”(『東京報告――アメリカ国民に与えるメッセージ』一九四二年)は、帰国直後のグルーの演説の一部を収録したものである。このなかで、グルーは日本軍部の残虐・狂暴を繰り返し糾弾するとともに、アメリカ国民の奮起をうながしている。」(p. 13)

グルーのゴーストライター
   だが、この『東京報告』と、その二年後に公刊される『滞日十年』とを仔細に読みくらべてみると、私には何か腑に落ちないものがある。前者が激しい日本軍国主義および日本人批判につらぬかれているのに対し、後者になると突如、基調(トーン)が代わって天皇および穏健派に対する高い評価が前面に出てくる。『東京報告』は、真珠湾攻撃直後の米国民の対日感情が最も悪化していた時期の演説集であるから、当然といえば当然であるが、それにしても両者のトーンがあまりに違うことに、私は長いあいだ、違和感のようなものを抱いていた。ところが最近、この謎をとく重要な資料を入手することができた。ラインバーガー文書である。
  ラインバーガー文書の大部分は、スタンフォード大学のフーバーインスティテューションの「戦争・革命・平和」資料室に所蔵されているが、ラインバーガーとグルーとの関係をしめす資料は日本にある(一橋大学図書館所蔵)。それを見て驚いたことには、グルーが全米を文字どおり東奔西走しておこなった演説の相当部分が、じつはラインバーガーによって代筆されたものであったことが判明したのである。すなわち、『東京報告』の三六%はラインバーガー、二五%はブラッドフォード・スミスによって書かれていたのである。そこでここでは、ラインバーガーについてのみ、簡単にその経歴を説明しておくことにしよう。
   ポール・ラインバーガー(一九一三−六六年)は、ジョージ・ワシントン大学卒の中国問題の専門家で、太平洋戦争中は戦時情報局の将校として活躍した人である。父親のポール・M・W・ラインバーガーは、孫文の辛亥革命に参加し、孫文と個人的親交があった。その関係で、ポールは孫文夫人に中国語を習ったことがあり、父親とともに、絶えずアメリカと中国のあいだを往復していたほどの中国通であった。この経歴からもわかるように、彼はプロ・チャイナ、アンチ・ジャパンの立場にあり、グルーとはいわば対極の位置にあったといってよい。戦時情報局が、そのような彼をグルーの演説草稿のゴースト・ライターとして抜擢したのは、ラインバーガーが心理宣伝戦でまれにみる高い能力を持っていたからであるといわれているが、私はそれと同時に、親日派のグルーが対日心理・宣伝戦でアメリカ世論にそぐわない演説をしないよう、歯止めをかけるためではなかったかと思う。

   対日心理・宣伝戦の枠内
   そういう目で『東京報告』をもう一度読み返し、かつグルーとラインバーガーとの往復書簡に目をとおしてみると、一九四二−四三年ころのグルーの演説活動が、すべて国務省・戦時情報局の対日心理・宣伝戦の政策の枠内にあったことがわかる。もちろん、ラインバーガーたちは、演説草稿を執筆するにあたって、グルーから資料を提供してもらい、それを参考にしていた。しかし、それにとどまらず、彼らは戦時情報局の独自の立場から演説草稿をねり、仕上げていった。『東京報告』が、ふだんグルーが使わないような激しい表現をとったり、対日敵視のトーンが優越していたのは、そのためだったのである。」(p. 21-23)

(3) 加藤哲郎『象徴天皇制の起源 : アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社, 2005 (平凡社新書 ; 281) より引用

「パール・ハーバー半年後のミッドウェイ海戦時に、すでに米国は、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略を、個人的意見・提案ではなく、陸・海軍、国務省、情報調整局(COI、Coordinator of Information ... )、それに英国政治戦争本部(PWE)も加わって検討した公文書中で明言していた。日本国憲法の産みの親マッカーサー ... も、それを承知していた。
   戦後日本の天皇制存続は、開戦直後から米国の基本戦略に含まれていた。」(p. 29)

「 ... 「ドノヴァン長官文書」(日本でも一橋大学と早稲田大学がマイクロフィルム全一三六リールを所蔵)のリール六二の中に、一九四二年六月三日付陸軍省軍事情報部心理戦争課「日本計画(最終草稿)」という、奇妙な文書があった。」(p. 33-34)

「 ... CIAのホームページに、その前史であるOSSの歴史が公式に掲載され(http://www.cia.gov/cia/publications/oss/)、ワシントンの情報研究センター(CSIhttp://www.cia.gov/csi/about.html)やオハイオ州のムスキンガム・カレッジ「情報学文献センター」(http://intellit.muskingum.edu/index.html)のように、膨大な参考文献を付した研究サイトもある。
   日本の戦争体験がそうであるが、第二次世界大戦における無名の人々の体験と記憶は、かつては自費出版やテープで保存され継承されたが、戦後五〇年の一九九五年頃を境に、膨大な記録が、インターネット上に集積されてきている(私の主宰する「イマジン・データベース・戦争の記憶」http://members.jcom.home.ne.jp/katori/imagine6.html)。
   ポール・ウルフの「OSS心理戦争」というホームページでは、対日心理戦争資料を含む国立公文書館所蔵のOSS関係原資料そのものが、スキャナー画像で掲載されている(http://www.icdc.com/~paulwolf/index.htm)。同じく心理戦を扱ったH・A・フリードマンらの「心理戦士Psywarrior」というホームページでは、第二次世界大戦時に米国情報機関が作ったビラの膨大なコレクションがカラー写真で掲載されており、南方・中国戦線で使われた日本語の宣伝・謀略ビラ多数も、現物写真を見ることができる。「東京ローズ」などのラジオ放送についても、音声を含めたデータベースがある(http://www.psywarrior.com/)。」(p. 61-62)

第一草稿における階級分析と天皇利用
   本書第二章の原型である雑誌『世界』二〇〇四年一二月号に「日本計画」を紹介した論文を発表した直後に、私は、メキシコで国際会議があり、帰路に米国に立ち寄った。
   そのさい、フジタニ教授が「戦下の人種主義」論文執筆の土台にした「日本計画」の第一草稿一八頁(一九四二年五月一三日)と第二草稿三四頁(同年五月二三日)の原文を、ワシントンの米国国立公文書館(NARA)から入手することができた。
   またその後に、一橋大学図書館所蔵「ラインバーガー文書」中にも、第一・第二草稿を見つけた。そこには、第一草稿起草のための陸軍省軍事情報部(MIS)内原案と見られる五月五日付草稿も入っていた。MIS極東班長ラインバーガーが、ソルバートの部下として草稿作成を助けた可能性が強い。
   それらを読むと、六月の「日本計画」最終草稿に出てくる「天皇を平和のシンボルとして利用する」という、直接的な表現は見られない。しかし、シンボルとしての天皇の戦略的利用の観点は、第一・第二草稿から一貫している。
  天皇シンボルの利用は、最終草稿では末尾の「特別の慎重に扱うべき提案」の項で集中的に論じられるが、第一・第二草稿では、「日本の政府と普通の民衆との間に分裂をつくりだす」戦略の一部として出てくる。
   当時の日本社会総体の政治的矛盾の利用、とりわけ軍部に反対する支配層内部の矛盾・対立と日本における被抑圧少数派を分析的に抽出し、その分裂・亀裂を連合軍が政治的に利用する戦略が詳しく述べられるなかに、天皇シンボルの利用が位置づけられている。
   五月一三日付の「日本計画」第一草稿「日本帝国に向けた詳細なプロパガンダの基礎[Basis for a detailed plan for propaganda into the Japanese Empire]」は、陸軍情報部ソルバート心理戦争課長の起草だが、そこでは、「実行可能な目的」として、六月の最終草稿とは内容と順序がやや異なる、以下の八点を挙げた。」(p. 118-119)

「   なお、本書の完成時に、ポール・M・A・ラインバーガー博士の収集した「ラインバーガー文書」(Linebarger Papers written during World War II、一橋大学図書館所蔵)中にも、「日本計画」草稿及び関連資料を見出した。
... 。
「ラインバーガー文書」原本には、フジタニ教授の発見したものと同じ「日本計画」第一・第二草稿が入っていたが、奇妙なことに、私の見つけた六月三日付最終草稿のみは、カッターで全文が切り取られていた。マイクロフィルム版でも欠落しているので、おそらくラインバーガー自身の手でカットされたものである。」(p. 240)

(4) 機関名の略語集


一橋大学附属図書館 学術・企画主担当