常設展示 図書館所蔵コレクション紹介

奎星帖

(けいせいちょう)


日    程 :  2007(平成19)年12月3日(月)〜2010(平成22)年5月6日(木)
場    所 :  一橋大学附属図書館 公開展示室(時計台棟1階)
入場時間  :  月〜金曜 9:00〜16:00 (入場無料)(土・日・祝日は閉室)


明治年間の広告を中心に、記事の切り抜き・肖像写真・領収書・名刺・封筒・はがき・番付・本の題簽や見返し・短冊・扇面図・江戸時代の文書の断簡等雑多なものを貼り込んだ、今日でいうところのスクラップブックである。

製作者の山寺清二郎は福島県会津の出身。 編著に『大日本名士伝』(1891)・『東京商業会議所会員列伝』(1892)等がある。 1891(明治24)年に「木星・火星・土星・金星・水星の五星は奎星(星座の名)に集まる」という言葉にちなんで私設博物室「奎星館」を設置しており(「奎星館設置の要旨」、第14号所収)、『奎星帖』も同じ趣旨に基づいて命名されたのだろう。

本資料を本学が所蔵するに至った経緯は残念ながら明らかでない。 しかし図書出納簿に残された記録から、1923(大正12)年5月8日に全45冊を100円で購入したことがわかっている。 これを単純に今日の価格に換算することはできないが、参考までに数字を挙げれば、同年の第一銀行の初任給は月額50〜70円、慶応義塾大学の授業料は年額120円であった(週刊朝日編『値段史年表 明治・大正・昭和』朝日新聞社、1988年)。

山寺は広範な人脈を有したようで、本資料には様々な人物の直筆が収められている。 目についた著名人のものだけでも、内村鑑三の直筆名刺(第4号所収)・仮名垣魯文に記してもらった序(第9号所収)・福地源一郎の封筒(第15号・27号所収)・岸田吟香の封筒や書簡(第27号・30号・41号所収)・正岡子規の年賀状(第41号・45号所収)等がある。 明治期の風俗資料として、また広告デザイン史の資料として貴重なだけでなく、山寺個人の交際範囲を示す資料としても本資料は興味深い。

■ 展示パンフレットはこちら



『奎星帖』第1号より

左ページ左下に鉄道開業日の新橋駅入場許可証が見える。 右ページの番付は、源氏方(右)と平家方(左)の武士をランク付けしたもの。 横綱はおらず、頼朝と重盛が大関、義経と知盛が関脇、清盛は義朝と共に勧進元となっている。

『奎星帖』第16号より

広告やラベルの他、右ページ右上にロシア皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)の肖像、右下に都々逸、左ページ右上に本の扉、左上に印影が貼り込まれている。

内村鑑三の名刺 第4号所収

朱筆で、「明治廿一(二十一)月(ママ)五月丗(三十)日東京出発、上野発汽車ニ同乗セリ」と記されている。 偶然乗り合わせ、サインをもらったのだろうか。

正岡子規の年賀状 第41号所収

山寺の弟清三郎は梅龕と号する俳人だったが、1893(明治26)年8月、27歳の若さで死去した。 子規はその死を悼み、「亡友山寺梅龕」という一文を草している(『子規全集』第4巻所収)。 明治27年の年賀状が貼り込まれていることから推測すれば、子規との縁は弟の死を契機に生まれたのだろう。

右の句:「初東風や 日の丸の皺 吹きのばし」
左の句:「草庵  掃溜に ようこそ春の こられけれ」


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