複式簿記がやってきた!

明治初期簿記導入史と商法講習所

日本郵船株式会社会計帳簿目録 明治18年〜昭和19年
(特殊文献目録4)

一橋大学産業経営研究所 1978
 

はしがき
 当研究所が日本郵船の会計帳簿445冊を受入れたのは,昭和52年(1977)2月のことであった。爾来同合計帳簿の整理を行い,この度目録を刊行することとなった。
 従来,当研究所は,広く研究の便宜をはかるため,蔵書目録・雑誌目録のみならず,特殊文献目録として「本邦会社史目録(特殊文献目録1)昭和36年」、「本邦会社史目録(特殊文献目録2)昭和42年」、「本邦企業者史目録(特殊文献目録3)昭和44年」を刊行してきた。日本郵船の会計帳簿は、特殊な文献であると同時に、わが国企業の研究にとってきわめて貴重な資料であることから,その目録を特殊文献目録4として刊行することとした。
 この目録に収めた資料解題は,当研究所所員西川義朗の執筆によるものであり、目録の他の部分すなわち狭義の目録の作成は,当研究所資料室君島條太郎がこれを担当した。
 
 昭和53年11月20日
 一橋大学産業経営研究所長
 藤津清治

目次

 はしがき
 資料解題 xi 〜 xvi
 凡例 xvii
 ? 元帳 1 〜 13
 ? 金銀出納帳 15 〜 22
 ? 日記帳 23 〜 36
 
資料解題

1.総説

 日本郵船株式会社は,明治18年9月29日に当時の郵便汽船三菱会社と共同運輸会社とが合併して創立され,当初は政府の特許会社として運営されていた会社である。
 当社の営業開始日は,明治18年10月1日であるが,その財務会計記録を開始したのは同年10月6日である。
 この記帳開始日以降,昭和19年9月30日に至るまでの当社の会計記録を示す帳簿445冊が、以下に述べるところの「日本郵船株式会社旧帳簿資料」(以下「帳簿」と略称する。)である。これらの帳簿はすべていわゆる主要簿であり,総勘定元帳,金銀出納帳、日記帳の3種類である。この内には、初期の英文元帳1冊及び英文日記帳3冊が含まれている。各帳簿の会計期別、記帳期間、頁数、大きさ、重さ等は本目録に詳細に示されている。
 現在、当研究所に保存されている英文帳簿は、右の4冊のみであるが、この内Journal(英文日記帳)の第1期分(明治18年10月6日〜明治19年9月30日)に見合うLedger(英文元帳)は見当らない。第2期分及び第3期分(明治19年10月1日〜明治21年9月30日)のJournalは、同期のLedgerにほぼ見合って記帳されているが、記帳の連続性を欠いている。第10期及び第11期分(明治28年8月〜明治29年9月)の英文日記帳に見合う英文元帳は、本「帳簿」の中に見当らない。
 このような英文帳簿と邦文帳簿の関係は、取引の記録内容及び設定されている勘定科目等からみて、両者併行記帳が行なわれていたものと解される。それも第10期までではなかったかと思われる。但し、両帳簿の記帳並びに勘定記録は、開始記入後、数取引のみが完全に併行して同一方式で記帳されているにとどまる。したがって、英文帳簿と邦文帳簿の整合関係は、ほとんどないものとみられる。
 なお、邦文の第2期元帳も欠落しているが、金銀出納帳及び日記帳の仕訳記録によって同元帳勘定記録を再生せしめることは可能である。
 以上のほかは、本「帳簿」は第1期の記帳開始日から第59期の終りまで記帳の連続性が完全に保持されている。

2.記帳組織と勘定口座
 本「帳簿」の全体を通じてみるに、記録は、勘定閉鎖手続を別にすると、ほぼ英国式記帳方法に準拠している。すなわち、取引記録は最初から普通仕訳帳としての日記帳並びに特殊仕訳帳としての多桁欄を有する現金出納帳への記入を介して、総勘定元帳に転記する分割仕訳方式が採用されている。
 総勘定元帳は、第10期までは、1年決算制で毎期1冊を使用している。第11期以降半年決算制にするとともに、元帳を「甲」T乙」2分割制に改めている。
 甲元帳には、大体において貸借対照表勘定を記載し、乙元帳には、損益計算書勘定を記載し、それぞれに毎期1冊の帳簿を当てている。
 なお、第27期末までの総勘定元帳は、上記甲・乙2帳簿制であるが、第28期以降は、甲元帳及び乙元帳をそれぞれ前半年度(10月1日〜3月31日)と後半年度(4月1日〜9月30日)とに期間的に分割する元帳4帳簿制に改められている。
 総勘定元帳への記入は、現金取引については現金出納帳、その他の取引は日記帳で、それぞれ仕訳記入をしたものを転記する典型的な複式簿記法によっている。
 元帳勘定の記帳形式は残高式であり、初期の資産負債勘定はiv頁の写真の示すとおりである。
 元帳の勘定口座は、初期(第1期〜第10期)の頃まで大体において取引の発生順に、任意空白の頁間隔を置いて設定されている。
 たまたま当該勘定口座の取引記録が多くなり、記帳スペースが尽きた場合には、その都度同一勘定を同一元帳の別の箇所に任意設定し、その頁数が尽きると、再度、また別の箇所に設定するという成行記帳要領が採用されている。
 その際、当該勘定口座の頁数は、ときには遡及し、先に空白として残されていた頁に挿入されることもある。
 このような勘定口座の非連続的記帳要領は、第11期の総勘定元帳以降、元帳を「甲」と「乙」に分割して記帳するようになってから、ある程度改められている。勘定口座の設定順序も、この頃から必ずしも体系的であるとはいえないまでも、次第に連続性が保持されるようになり、第13期以降ほぼ定型化されるに至っている。

3.金銀出納帳
 金銀出納帳の記帳方式の変遷過程をその記帳開始日から本「帳簿」の最終日に至るまで通覧するに、その記帳形式としては、最初からその頃進歩的な多桁式特殊仕訳帳制を採用し、然も第4期末(明治22年9月30日)まで円とドルの2本建当座預金の出納記録であった。この間において取引銀行が増加するにつれて、特殊金額欄の桁数を逐次増加せしめ、帳簿自体も第1期では10桁出納帳であったものを、第2期以降は v頁の写真に示されているとおり14桁に増幅し、それでも納まり切らなくなれば同じ桁の金額欄に赤字記入を行ない、黒字記入と併行記録を行なうことによって特殊金額欄の不足を補う特異な方式が採用された。また、これに先立ち、同一銀行にドル口座が設定されたとき、その銀行金額桁欄に、赤字でドル取引を記載し、あるいは保有現金としてドル貨幣を入手したとき、「手許有金」欄にも赤字でドル金額を併行に記入する方式が採用された。
 もともと本「帳簿」で赤字記入が行なわれるのは、総合転記を行なう際の「小以本日収入高」ないし同「仕払高」のごとき集計金顛を示すためのものであった。いずれにせよ初期の出納帳には、それぞれ特殊な意味を持たせたこのような例外記録としての赤字記入が随所に見出されるのが本「帳簿」の特色をなしている。
 第5期以降、ドル建預金の記帳が無くなってからも、銀行預金口座は減少することなく多少の増減はあっても漸増し、出納帳の記帳様式を大きく変更した第11期に至る間において、赤字記入を併用しながら8銀行と「手許有金」欄の計9勘定口座の出納記録を行なっている。
 第11期(明治28年10月2日)以降、出納帳の記帳様式は、通常の4桁式現金当座預金出納帳に改められた。但し、第31期前半年度まで、各銀行別の日日の残高を「銀行」欄残高の内訳金額としてその末尾に朱記する方式をとることとしているので、出納記録内容の実質はそれまでと大差はなく、ただこのとき記帳の簡明化がはかられたものとみてよい。現金出納帳の記入が実質的に簡素化されたのは、第31期前半年度の大正4年12月1日以降のことである。このときから、保有現金の出納記入を廃止し、出納帳を当座預金1本に改め、さらに第32期後半年度の大正6年4月14日には、それまでの朱記による銀行別日日残高の内訳記入方式も完廃したのである。このとき既に取引銀行は20行にも及んでおり、これらの内訳残高記入を主要簿としての出納記録に日日表示するまでもなかったのである。というのは、元帳の当座預金勘定への転記は、当初より通貨勘定(第11期より銀行勘定)1本にしぼられており、各銀行別収支残高は補助簿で処理されていたからである。それでも策37期前半年度の大正10年12日末まで、取引勘定項目を示す摘要記入欄に「小書き」で銀行別金額が記載されていたのであるが、それも翌年1月4日以降は省略され、その後の出納記録はただ相手勘定項目と金額のみを示す近代的当座預金仕訳帳として、統括記入簿の形態をとるに至ったのである。

4.日記帳
 日記帳への記入は、金銭並びに当座預金取引以外の取引が発生順に仕訳記録されている。その記帳様式は、vi頁の写真のごとく当初より典型的な仕訳帳形態をとっている。このような特殊仕訳帳を前提とする一般仕訳帳としての日記帳の特色をなす、期首開始記入法並びに期末決算及び利益処分手続を主にして、それらの仕訳方式の変遷過程をあとづけるとその大筋はつぎのとおりである。
 期首の開始記入仕訳は、第2期以降に至って実施されているが、開始残高勘定への転記は省略され、閉鎖残高勘定への転記のみが「資産負債勘定」になされている。
 ついで、決算手続がある程度定型化されるまでには相当の年月を要している。まず第1期の決算手続は、第2期に入ってから配当金支払の利益外部処分先行の形で実施され、第2期末に至って同時に2つの決算処理が併記されている。その際第1期の決算について2種の特異な集合損益勘定を用いて整理記入がなされている。第3期に至って、決算処理手続はある程度固まり、ほぼつぎの順序で行なわれている。
 ? 資産及び損益勘定の修正
 ? 積立金の充当
 ? 利子及び負債額の修正
 ? 損益勘定の整理
 ? 利益処分
 ? 資産負債勘定の整理。
 資産及び損益勘定の価値修正については、最初のうち未整理勘定としての「諸口」勘定が相手科目として用いられており、また当社の主要資産である「船舶代価」と船舶に対する保険積立金並びに大修繕積立金等の補填関係が相互に交錯して処理されている。また、これらの積立金の積立不足分を、たとえば第2期分を第3期に、第3期分を第4期に追加計上することによって利益の平準化をはかっている。
 利益処分の手続については、第8期末まで内部留保も外部処分もすべて損益勘定1本で期末に実施されている。また、その間において第3期及び第4期においては、特に決算報告のための損益勘定並びに資産負債勘定を設けて仕訳記入が実施されている。さらに、第8期では、普通の損益勘定に加えて「資産整理臨時損益勘定」を設け、旧会社時代の引継資産や特別損失の補填方策が講ぜられている。
 第9期末(明治27年9月30日)以降、利益の外部処分は翌期の株主総会後に行なうことにしたのであるが、最初は期末損益勘定残高を、後に「繰越勘定」を用いていわゆる利益剰余金の期末処理が実施されている。
 第10期以降、集合損益勘定並びに資産負債勘定への決算仕訳の転記は、合計額でなされるようになったので、それまでのように両整理勘定によって決算内容を総括的に知ることはできなくなっている。また、期中の仕訳記録自体も集約化の傾向をとるようになり、帳簿組識が細分化される以前の第27期末(大正1年9月30日)までの手書き記帳をもってしては、個別取引内容の判読も困難視されるに至っている。
 第28期(大正1年)以降、記帳方法は面目を一新し、勘定科目の仕訳記入にはすべて印判を用い、「小書き」も殆んど省略されている。このようにして日記帳は、唯勘定科目と金額のみの変動を総括記録するための文字通り仕訳帳としての役割を果すようになったのである。取引記録の具体的内容は、すべて補助簿にゆだねられている。
 その後の仕訳記入の主要な変化は、第28期以降、決算整理仕訳を3段階ないし2段階に区分するに際してのさまぎまな整理とそれぞれの段階に属せしめる仕訳構成の変更である。たとえば、「決算振替」としては、各種積立金並びに滅価引除金の取崩し並びに積立を行ない、次いで「期末振替」としては「第1回」として各種損益勘定の集合損益勘定への振替、「第2回」としては期末在高勘定の資産負債勘定への振替を行なうというような区分方式である。
 これらの決算整理記入のうち、期間損益の調整に主要な役割を果してきた勘定グループは、船舶並びに建物についての減価引除金と、船舶に討する保険積立金並びに大修繕積立金である。何れも「利益差引項目」として最初から毎期計上されてきた項目であるが、これらの勘定グループが前述のような所定の処理法と決算整理仕訳の位置に定着するまでには長い年月と種々の過程を経てきている。すなわち、船舶並びに建物減価引除金は、最初のうち勘定処理としては集合損益勘定に直接借方記入し、「船舶代価勘定」並びに「土地家屋勘定」に貸方記入する方式を採用していたのである。独立の費用項目として、これらの減価引除金を計上するに至ったのは第33期後半年度(大正7年9月30日)以降のことである。いずれにしても減価償却計算としての「引除金」の差引計算は、終始直接法によっていたのである。ところが船舶保険積立金及び船舶大修繕積立金は、最初のうち直接これらの金額を集合損益勘定に借方記入し、貸方記入は「保険積立金勘定」及び「大修繕積立金勘定」を設けて処理し、第33期後半年度以降.独立の借方記入項目として、それぞれの積立金の名称に「船舶」を付した勘定を設定することに改められている。
 以上が本「帳簿」の特色とみられる決算処理手続である。損益計算計理上、多少問題がないわけではない。とはいえ、本「帳簿」は終始複式簿記の記帳原則を忠実に守って継続記帳されており、特に現金収支の記録に関する限り、毎期の財務決算報告書の金額と符合している。その意味において、本「帳簿」は会計上の分析に耐え得るものである。また、第27期(明治45年)頃までの帳簿内訳記録は、具体的な取引内容をかなり詳細に明示している。例えば、前記船舶減価引除金、保険積立金、大修繕積立金の計算根拠が、個々の船舶ごとに記載されている。また、運賃をはじめ船舶関係の各種賃銀・俸給の類、その他燃料・資材等記帳された当時の各種物価や取引条件等の実績を抽出することも可能である。
 このような意味において、本「帳簿」は、明治中期以降、今次大戦直前までのわが国における代表的海運企業の内実を物語る資料として、かけがえのない貴重なものである。
 
 
凡例
1 本目録は、日本郵船株式会社会計帳簿(明治18年〜昭和19年)445冊を収録したものである。その種類及び冊数は元帳173、金銀出納帳88冊、日記帳184冊である。
2 収録の形式はつぎのとおりである。
(1)掲載の順序は、元帳、金銀出納帳、日記帳とし、それぞれの年代順に配列した。
(2)掲載の形式は、期、記入開始年月日〜記入終了年月日、頁数、大きさ(タテ×ヨコ×厚さ)、重さ、当研究所の整理記号、注記事項の順とした。
 記入開始及び終了年月日不明のものには〔 〕、当研究所の整理記号には( )をつけた。(3)注記事項は、表紙・背表紙・カバー等に記載があるものにつき留意した。
(4)口絵には本帳簿の代表的と思われるものを選び掲載した。
 

奥付
日本郵船株式会社会計帳簿目録
(特殊文献目録4)
昭和53年12月20日印刷
(非売品)
昭和53年12月25日発行
編集発行 一橋大学産業経営研究所
国立市中2-1
電話(0425)-72-1101
印刷・三鈴印刷株式会社
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