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平成14年度企画展示(WEB版)


  武家社会と江戸・大坂の経済
          ― 幸田成友とその史料 ―


                                2002.11.1〜11.15



                                                     ※ このページの写真を使用されたい方へ 

武 鑑 コ レ ク シ ョ ン
 武 鑑 と は

武鑑とは、江戸時代の大名および幕府諸役人に関する明鑑である。民間の本屋によって編集・出版されたことがその特徴であり、利用者の便宜のために見やすいように工夫が凝らされ、また、役人の異動にともなって随時改定が施された。
近世初期には多くの板元が武鑑の出版を手掛けたが、中期以降は須原屋茂兵衛が独占的に販売しはじめる。須原屋は、貞享・元禄頃から出版を始め、『武鑑』や『江戸切絵図』を主力商品としていた江戸最大の書物問屋である。日本橋一丁目にあった須原屋の店は、江戸へ登った観光客の見物が出るほどであった。須原屋の武鑑は、巻一、巻二は「大名衆」、巻三は「御役人衆」、巻四は「西御丸附」という構成である。(後に「御三家方御附」を加え、5冊仕立てとなる。)幸田文庫には正徳元(1711)年から慶応三(1867)年までの須原屋版を中心に、出雲寺その他の武鑑が多数含まれている。

  [参考文献] 藤實久美子 『武鑑出版と近世社会』 東洋書林 1999
          今田洋三 『江戸の本屋さん』 日本放送出版協会 1977
          国史大辞典編集委員会編 『國史大辭典』 吉川弘文館 1979-1997 「武鑑」 「須原屋茂兵衛」
『享保武鑑』  享保18(1733)年 江戸須原屋茂兵衛刊本 4冊


 須原屋版の武鑑は4冊でほぼ定式化している。巻一、巻二は「大名衆」、
 巻三は「御役人衆」、巻四は「西御丸附」という構成である。
新改 明和武鑑』  明和6(1769)年 江戸須原屋茂兵衛刊本 4冊



      豆知識 「武鑑の見方」 へ 
新板改正 文久武鑑』  文久2(1862)年 江戸須原屋茂兵衛刊本 5冊

 巻之三「御役人衆」の「表御坊主衆」の項に「下谷三枚はし 幸田利貞」と
 いう名前が見える。これは幸田成友の祖父であり、成友自身も武鑑で確認
 したことが、自伝『凡人の半生』にも記されている。
 表坊主とは、江戸城内の表座敷を管理して大名や諸役人の給仕等をする
 剃髪・法服の下級武士である。
新刻増補 大成武鑑』

            文政年間 (1810-20年代)  [江戸出雲寺刊本]  8冊



 近世中期以降、須原屋茂兵衛に対抗したのは、幕府御書物師の出雲寺和泉

 掾であった。須原屋と出雲寺は、それぞれに武鑑に掲載する情報を充実させ、

 掲載してよい情報をめぐって争論を繰り返すことになる (藤實久美子 『武鑑

 出版と近世社会』 東洋書林 1999年)。その中での8冊本という大部の印行

 は珍しい。
『懐寶御国分略武鑑』  明治2(1869)年
                 江戸出雲寺萬次郎・須原屋茂兵衛刊本 1冊


 四冊物の武鑑から「大名付」部分を国別に編集して抄録した略武鑑である。
 近世中後期に登場した略武鑑は、「懐宝」 「懐中」 「袖珍」 「袖玉」などという
 言葉を冠しているものが多く、懐や袖に入れて持ち歩くことが想定されている。
 古 武 鑑

近世の武鑑の様式は、山口屋権兵衛が出版した『一統武鑑』によって、ほぼその様式が確立された。初期には多数の板元から多種多様な武鑑が出版された。これら近世初期の武鑑を古武鑑と呼ぶ。古武鑑には、大名の紋所を主に編集した「紋帳」、大名の名前と石高・居城地を記した「知行付」、幕府役人の役職ごとに人名を記した「役人付」、大名および幕府役人の江戸屋敷地を記した「屋敷付」、武家の旗指物を記した「旗指物揃」などの種類がある。これらは相互に影響を与えながら次第に収録する要素を増やしていき、「江戸鑑」に至って、「紋帳」 「知行付」 「屋敷付」 「役人付」 「旗指者揃」の記載が出揃うことになる。後の武鑑の原型をなすものである。
板元も京都と江戸で出版されていたが、幸田文庫に所蔵している古武鑑はすべて江戸の板元から出版されたものである。

  [参考文献] 藤實久美子 『武鑑出版と近世社会』 東洋書林 1999
          国史大辞典編集委員会編 『國史大辭典』 吉川弘文館 1979-1997 「武鑑」
『明暦武鑑』  明暦元(1655)年 江戸伊勢屋九左衛門刊本 2冊


 本学で所蔵する近世初期の古武鑑のうち、最も古いもの。「知行付」 「役人
 付」 「屋敷付」から構成される。
『大名武鑑』  明暦4(1658)年 江戸松会堂刊本 1冊



 本資料は、題箋は「大名武鑑」となっているが、内容は「紋尽」である。
『大譜江戸鑑』  寛文13(1673)年 江戸善右衛門刊本 5冊

 この資料を幸田成友は昭和14年1月11日に南陽堂から購入した。南陽堂
 の主人はこの書を幸田が購入したことを喜び、「珍奇の逸書今回縁ありて
 先生の書斎に入る此書にして若シ霊あらば其居所を得たる幸福に大満足
 ならん」と帙に落書きをしている。
『江戸鑑』  寛文13(1673)年 江戸経師屋加兵衛刊本 1冊

 近世初期の古武鑑のうち「江戸鑑」は、「紋帳」 「知行付」 「屋敷付」 「役人
 付」 「旗指者揃」の記載が揃っており、後の「武鑑」の原型をなすものである。
『文明武鑑』  享保3(1718)年 江戸山口屋權兵衛刊本 4冊


 武鑑は、山口屋権兵衛が上梓した宝永5(1708)年の『一統武鑑』4冊で巻の
 構成が定式化した。この資料は、山口屋の享保3(1718)年の文明武鑑であ
 る。
武 鑑 と 武 家 社 会
 武 鑑 の 利 用 と 武 家 社 会

武鑑の利用法の第一は実用書としての利用であった。御用商人にとっては、献上品の入用など、さまざまな情報を得ることができた。武家にとっては、その紋所等で人物を識別し、相応の対応をとる必要があった。その際の情報源となったのである。近世の武家社会が格式と儀礼の社会であったことが背景にあろう。本来は武家として知っておかなければならないことを、手軽に参照できる資料として重宝されていた。ちなみに、近世後期には、武鑑の他にも年表や早見表など武家の教養書が出版されている。
第二の利用法は観光ガイドブックとしての利用である。江戸城の下馬先は江戸の名所の一つとなっており、武鑑を片手に見物する者もいたという。また、江戸土産としての需要も高かった。
第三は歴史史料としての利用である。江戸時代から、古い武鑑を並べて歴史考証に使われている。幸田成友の武鑑の利用も歴史史料としての利用であったといえる。

  [参考文献] 藤實久美子 『武鑑出版と近世社会』 東洋書林 1999
『徳川盛世録』  市岡正一著 明治22(1889)年 博文社刊


 著者市岡正一が、徳川時代の事跡を記録することを目的とし、編述したも
 の。第一編は禮典の部である。彩色図を多用し、詳細な叙述になっている。



  左の絵は、足軽以下、供の者の図である。主人の印をつけた看板を
  着用し、槍に主人の記号を付していたことがわかる。武鑑に記載され
  たのは、これらの目印であった。
『柳営秘鑑』  菊池弥門述 写本 22冊


 幕臣菊池弥門が、江戸幕府の年中儀礼、殿中の格式、武家方の法規など
 を記した書である。10巻本が寛保3(1743)年に成立したが、その続編として、
 『後編柳営秘鑑』 『拾遺柳営秘鑑』 『柳営秘鑑脱漏』 『温知柳営秘鑑』 『残
 集柳営秘鑑』 『新益柳営秘鑑』が相次いで出された ( 『日本史文献解題辞
 典』 吉川弘文館 2000年)。 本資料は、それらすべてを写したものである。


  右は、水戸家および加賀前田家の旗指物図
『徳川覇府 江戸三十六城門畫帖』  清水三次郎編輯兼画
                   明治29(1896)年 東京市東陽堂出版 1冊


 江戸城の周囲の城門について、絵を描き、江戸時代の門番の規定を掲げたも
 の。下座見(大手門、桜田門、西丸大手門の門番)は、武家の紋所や槍印、駕
 籠持ちの着ている法被の印(看板)を暗記し、それらから人物を識別して、混乱
 無く登城させる役目を負っていた。下座見にとって武鑑は重要な情報源であっ
 た (藤實久美子 『武鑑出版と近世社会』 東洋書林 1999年)。
『泰平年表』  大野広城編輯 写本 2冊

 天文11(1542)年から天保8(1837)年までの史実を編年体で記述したもの。天保
 12(1841)年の刊本は絶版処分を受けたが、多数の写本がひそかに作られた。
 幸田成友の講義では、必須の工具書として紹介され、大野広城のエピソードも
 交えて学生の関心を引く講義であった (林基 「幸田先生の思い出」 『幸田成友
 著作集月報』 4 1972年)。なお、「有三願楼」の蔵書印は幸田の印である(阿
 部隆一 「奥床しき書物の数々」 『慶應義塾大学新聞』 149 1955年)。
 とのいふくろ
『殿居嚢』  大野広城著 天保10(1839)年 江戸訂書堂刊本 折本2冊

 武家年中行事・武家諸役班列・服忌令公安集成・武家心得書きなど、武家が
 知っておかなければならないことを、常に懐に入れて参照できるようにまとめ
 た便覧。著者の大野広城は、幕臣で国学者でもある。当時、殿中の様子を一
 般に知らせることは禁じられていたので、著者・版元・彫師が処罰を受けた(宮
 武外骨 「筆禍史」 『宮武外骨著作集』 4 河出書房新社 1985年)。
『懐中道しるべ』  塩沢忠敏編輯 文化元・2(1804・05)年

             江戸隋澤堂塩澤,青陽堂石徳要刊本 2冊





 武鑑を模して、500石以上1万石未満の下級武士の屋敷地を纏めた書である。

 近世中後期には、このような武鑑を模した出版が増えてくる。板元はこの出版

 によって罰せられた (宮武外骨 「筆禍史」 『宮武外骨著作集』 4 河出書房

 新社 1985年)。
町 鑑 コ レ ク シ ョ ン
 町 鑑 と は

江戸町鑑は江戸の市政名鑑であり、武鑑と同じように毎年改定されて出版された。主な内容は、町奉行所関係の名簿、名主支配付(名主名簿とその支配町名)、町火消関係記事(町ごとの火消しの纏や管轄範囲の図)、町尽(町名・地名一覧)である。江戸時代には「ぶかん(武鑑)」に対して「ちょうかん(町鑑)」と読まれていた。その出版の系列は、萬世系列、泰平系列、その他の3つに分類できるという。
萬世系列の町鑑について、幸田成友は「萬世江戸町鑑」という一文を発表しているが、その中で家蔵の江戸町鑑を紹介している。現在、萬世系の江戸町鑑は12種所蔵しているが、本文に紹介されているのは8種である。「出板年月の違ってゐる分を集めて見たいといふ考はあっても、自分一己では及ばないので、同好諸君の御援助を希望する次第である」とあることから、残りの4種は論文発表後の昭和2年9月以降に入手したものではないかと推測される。
他に京町鑑と大坂町鑑があるが、内容は町名・地名一覧が主であり、江戸町鑑とは性格が異なるものである。

  [参考文献] 加藤貴編 『江戸町鑑集成』 5 東京堂出版 1990
          加藤友康,由井正臣編 『日本史文献解題辞典』 吉川弘文館 2000
          幸田成友著 『萬世江戸町鑑』 『幸田成友著作集』 2 中央公論社 1972
『萬世町鑑』  享保14(1729)年 江戸吉田宇白刊本 1冊

 「名主支配付」に町奉行所関係の名簿を加えた江戸市政明鑑として最初に
 出版されたものである。この時期の江戸町鑑は1冊本であった。
『萬世江戸町鑑』

  野路昌蔵筆、坂本清右衛門増補輯
  明和元(1764)年
  江戸出雲寺和泉掾刊本 2冊



 出雲寺和泉掾が単独出版した江戸町
 鑑の中で、本学で所蔵する最も古い版
 である。


文政9(1826)年 江戸出雲寺和泉掾、
西村源六、英平吉郎刊本 2冊

化政期以降、出雲寺を含
 むいくつかの板元で共同して
 改正増補版が出版された。
 天明期までの版とは異版で
 ある。この後、版権は英屋に
 移ることになる。英平吉は文
 化年間に急速に成長した新
 興書商の一人であった(今田
 洋三 『江戸の本屋さん』 日本
 放送出版協会 1977年)。



   改正増補          
       萬世江戸町鑑』



天保期に入ると、萬世系
の江戸町鑑の版権は、 英
屋から須原屋へ移動した。
文政9(1826)年に出雲寺和
泉掾が刷っていた版と 全く
同じ版木で 刷られている。




天保12(1841)年
江戸須原屋佐助ほか刊本 2冊
『泰平御江戸町鑑』  嘉永4(1851)年 江戸出雲寺刊本 1冊

 出雲寺が江戸町鑑の旧版を校訂し出版したものである。『萬世江戸町鑑』
 出版株を手放した出雲寺が巻き返しをはかったものと評価できる。
『改正東京新町鑑』 條野傳平編輯 明治7(1874)年 東京日報社刊本 1冊

 明治6(1873)年大区小区制が敷かれたのに伴い、各小区毎に、戸長と年寄、
 管轄下の町名を載せている。従来の名主支配附の体裁を保ちながら、大区
 小区の情報を取り入れたものと言える。合併された町については、旧町名も
 注記されている。
【 町  鑑  各  種 】         


  『江戸町づくし』  文政4(1821)年 須原屋佐助ほか刊本

  『泰平御江戸町鑑』  安政7(1860)年 江戸出雲寺刊本

  『袖玉町鑑』  万延元(1860)年 [江戸出雲寺刊本]

  『改正町鑑』  明治2(1869)年 東京須原屋伊八ほか刊本

  『(伊呂波分)東京町鑑』  富岡貴林編輯 明治7(1874)年序
                    東京須原屋茂兵衛ほか刊本
『京町鑑』  宝暦12(1762)年 江戸山野孫兵衛、京都安藤八左衛門刊本
         2冊




 京都の町名・地名案内書。町名を列記した『江戸町づくし』に相当するもの。
 名主の支配に関する記述はない。 書名の読み方は 「きょうまちかがみ」
 (加藤貴編 『江戸町鑑集成』 5 東京堂出版 1990年)。
『萬代大坂町鑑』  小川愛道著 宝暦6(1756)年
             大坂柏屋清右衛門刊本 1冊


 大坂の町名・地名案内書。町名を列記した『江戸町づくし』に相当するもの。
 携帯に便利なように小型本で出版された。幸田成友が『大阪市史』を編纂
 するにあたっても地名の調査に活用された (有坂隆道、藤本篤編 『大坂町
 鑑集成』 清文堂出版 1976年)。
『 大 阪 市 史 』 編 纂 と 幸 田 成 友
『大阪市史』  大阪市参事会 1911-1914 8冊



 土屋文庫からの出品である。土屋文庫は、『大阪市史』を高く評価していた

 土屋喬雄の旧蔵書(本学附属図書館に約18,000冊所蔵)である。
『大阪東町奉行所掛図』
            藤原中正画  掛図1枚


 大坂東町奉行所の図である。大
 坂町奉行所は、地方・川方・寺社
 方に関する件、廻米、消防、警察、
 訴訟等の町政全般に責任を負っ
 ていた。東西に分かれ、2名が定
 員で1ヶ月交代の月番制をとって
 いたが、慶応3(1867)年7月に東西
 両奉行所を合わせて東町奉行所
 一箇所となっている ( 幸田成友
 「徳川時代の大阪市制」 『著作集』
  1 所収)。 本資料も一色直温旧
 蔵史料の一つである。
   一色山城守(直温)文書


 幸田成友は、『大阪市史』の編纂係の
 解散した2年後(明治44年冬)、旧大坂
 東町奉行所一色山城守直温在職中の
 書類数十点を、その子孫に当る人から
 譲り受けた (幸田成友 「江戸の町人
 人口」 『著作集』 2 所収)。
 一色直温が大坂東町奉行を勤めた
 のは、安政5(1858)年9月から文久元
 (1861)年正月まで。
おふれがきのとめならびにはまかたきろく
『御觸書之留并濱方記録』  室谷鐡膓編 大正4(1915)年6-9月写本

 室谷鐡膓が同家に伝わる書類・書籍の中から堂島米市場に関する法令等を
 整理編修したもの。室谷家は屋号を播磨屋といい、大坂堂島米仲買をしてい
 た。幸田はこの資料を「米に関する貴重な史料」と評価し、「幾十百度か市史
 に引用し、又東京へ帰ってからも特に室谷氏に請い、同所を影写して今座右
 に備えている位」 (室谷鐡膓編 『濱方記録』 序文 改造社 1926年)であっ
 た。
『鴻池新田開發事略』  草間直方著 大正7(1918)年2月写本


 鴻池新田は、大坂の富商鴻池善右衛門・善次郎によって開発された町人
 請負新田である。著者の草間直方は、幼少より鴻池家に仕え、新田会所
 に勤めていた。後に鴻池家の別家草間家に婿入りし、通称を鴻池屋伊助
 と称する (幸田成友 「鴻池屋伊助」 『幸田成友著作集』 6)。 本資料は、
 鴻池新田開発研究の基礎史料となるものである。幸田成友は、『大阪市
 史』 編纂後もこの史料を必要としたらしく、大正7(1918)年2月に草間直方
 の孫繁蔵氏から借用して、書写している。
『米屋本文書』  写本 16冊


 表紙に「米屋本」と墨書された史料の綴である。『大阪市史』で使用した米屋
 家の文書であると考えられる。米屋家は、鴻池家と並んで大坂屈指の富商
 であり、一族は両替商、蔵元など、幅広い経営を行っている(幸田成友 「大
 塩平八郎」 『幸田成友著作集』 5)。史料は「甲」と「乙」に分けて綴られて
 おり、「甲」は油関係の史料である。油は、江戸時代には米についで多く消
 費され、物価の標準となった商品である。油について本格的な研究を行っ
 たのは幸田成友が最初であった (幸田成友 「江戸と大阪」 『著作集』 2
 所収)。


 (上) 「出油屋傳書 (文化二乙丑年十一月)」

 (下) 「和州絞油屋名簿并江戸油問屋名簿 (天保十三年寅五月改)」
『 日 本 経 済 史 研 究 』 と そ の 史 料
← 『日本経済史研究』

    大岡山書店 1928.11



 土屋文庫からの出品である。
 幸田を「尊敬する史家」として
 いた経済史家土屋喬雄の旧
 蔵書には、幸田の著作物が
 多数所蔵されている。





→ 『江戸の名主について』

『史学』 2-4抜刷 1923 
『日本経済史研究』に再録



上田文庫からの出品である。上
田貞次郎(東京商科大学学長)
に幸田が献呈した抜刷である。


『市中取締類集 (名主之部) 』  5冊 写本


 天保の改革に際して、町奉行管下に設置された市中取締掛が集めた町触・
 伺書・届書などの文書を分類整理したもの。天保改革以降も幕末まで編纂
 が続けられ、『市中取締類集』 『市中取締類集追加』 『市中取締続類集』の
 3編に分かれている。
 本資料は、旧幕府引継書の写本である。幸田の『日本経済史研究』は、「江
 戸の名主」 「株仲間の解散」など、この史料に依るところが大きい。
『享保宝暦天明集成細目 (米穀の部) 』  1冊 写本

 上野帝国図書館(現国立国会図書館)の所蔵する旧幕府引継書から『享
 保令典永鑑』 『宝暦令典永鑑』 『天明令典永鑑』 『天保令典永鑑』の米穀
 部の目録を書き抜いたもの。それぞれに『御觸書集成』と「全ク相同ジ」で
 あることが朱書されている。
 幸田は高柳眞三氏・石井良助氏の手による『御觸書寛保集成』が公刊さ
 れたとき、厳しい書評をしている (幸田成友 「御觸書寛保集成」 『著作集』
 7 所収)が、石井良助氏との論争の中で、『令典永鑑』の存在と『御觸書集
 成』との関係が論点となった。幸田は「自分が集成と令典永鑑とを異名同
 物と主張するのは、實地に對讀した上での主張です」と論述している (幸田
 成友 「石井博士に答ふ」 『著作集』 2 所収)。
『札差事略』

 札差は江戸時代に旗本・御家人の代理として、その俸禄米を幕府の米蔵
 から受け取って委託販売するとともに、それら俸禄米を担保に金融を営ん
 だ商人仲間のことである。この札差研究を日本経済史の大テーマに据え
 たのが幸田成友であった (北原進 『江戸の札差』 吉川弘文館 1985年)。
 本学は、札差研究の基礎資料『札差事略』の旧札差和泉屋源兵衛家に伝
 存した札差会所備付本を伊藤賢氏から、和泉屋清七家に伝存した一番組
 備付本を出口清七氏から、いずれも大正4(1915)年6月に寄贈された。
 幸田成友は『札差事略』の成立と著者について考証し、『札差事略』とともに
 寄贈された関連史料についても詳細な解題を付した論文を本学発行の『商
 学研究』 第8巻2号(1928.7)に発表している。
 展示は、寛政改革時の棄捐令に関わる史料である。
『中山道追分宿文書』

 昭和10・11(1935・36)年頃、幸田成友は同僚の上田辰之助(本学名誉教授)
 の紹介で信州追分宿旧本陣兼問屋土屋亮一家の史料調査を行っている。
 土屋家の離座敷の一室を借りて、研究と避暑を兼ねた追分滞在であった
 (幸田成友 「信州追分駅」 『著作集』 7 所収)。若き日の経済史家大塚久
 雄も偶然に別の一室を借りており、夫婦ともども親交を深めたという (大塚
 久雄 「追分での幸田成友先生」 『幸田成友著作集月報』 6 所収)。
 本資料はこの時書写したもので、詳細な目録も作成している。幸田成友の
 研究スタイルを知ることのできる好資料である。