【附属図書館第2回常設展 一橋大学への歩み −大正期− 解説】


  ◎東京高等商業学校Tokyo Higher Commercial Schoolから東京商科大学Tokyo University of Commerceへ
 東京高等商業学校は、1920(大正9)年に、東京商科大学に昇格した。大学昇格への背景には、以下のような高い社会的評価と高い研究教育水準などがあった。
 商法講習所時代にはたったの3名という時代もあった高商卒業生の数は、第一次世界大戦の勃発した1914年には324名にまで達していた。その就職先も三井物産、日本郵船、大阪商船、横浜正金銀行など実業・金融界に多数の人材を送り込む一方で、外交官や高等文官試験でも合格率トップを示すまでになっていた。創立約40年にして東京高商生は帝国大学法科生と比肩されるほどの地歩を占めつつあったのである。
 注目すべき卒業生の進路には教育関係も挙げられる。わが校が卒業生を全国の高商や商業学校の教師として提供するというパターンの原型は、商法講習所草創期に既にできていた。日本のビジネス教育の最高峰にあった本学は、体系的な実務教育を教授するばかりでなく、そのような教育体系を全国的に拡大再生産する役割を果たしていたのである。
 教授陣の充実もめざましかった。この時期に福田徳三、関一、上田貞次郎、佐野善作、三浦新七、左右田喜一郎など高商出身の教授が一斉に教壇に立つようになった。1914年8月病気で辞任した坪野平太郎に代わって校長に任命された佐野善作は、就任に際して「一橋は四十年で自己の産出した校長を戴くことゝなった。一橋の完全な一人立ちは漸くこゝから始まるとも云える」と記している。
 第一次大戦による日本の経済的拡大はその勢いの中で広範な民主的運動「大正デモクラシー」を生み出した。この状況において一橋では、アメリカのビジネス・スクール的な商業教育をサイエンスに高めようとする科学としてのビジネス教育ではなく、教養主義的、総合教育重視の学風が商学と並んで、あるいは商学を凌駕する形で成立していた。
 そして、好況を呈し、実力を蓄えた経済界は、今までより以上に高度な教育を受けた人材を多数必要としていた。また、高商の大学昇格を通して実業界そのものの地位向上を目指した。このような「官」に対する「民」の強力な支持があった。
 当時の東京商科大学には、吉野作造とともに大正デモクラシーの片方の牽引車であり、大学昇格後も単科大学でありながら「ユニヴァーシティ」たらんことを提唱し続けた福田徳三を筆頭に、経済思想史や文明史の精鋭が並び立ち、まさに一橋社会科学の黄金期を形成していた。
 参考文献 : 「一橋大学百二十年史 : Captain of Industryをこえて」 一橋大学学園史刊行委員会編 1995
         「一橋大学附属図書館史」 [一橋大学編・刊] 1975




福田 徳三
 1874(明治7)年、東京に生まれる。1896(明治29)年、高等商業学校研究科を卒業、ただちに同校講師に就任する。1898(明治31)年からドイツに留学し、ミュンヘン大学で歴史学派経済学者、L. ブレンターノに師事、共著の『労働経済論』を出版してブレンターノの所説を日本に紹介した。
 帰国後、東京高等商業学校、慶應義塾で経済学・経済史を教える一方、1919(大正8)年、吉野作造らと黎明会を創設して大正デモクラシーの啓蒙運動を展開した。
 1924(大正13)年、恩師ブレンターノの80歳を祝し、自分の著作全てを『経済学全集』として出版する計画を立て、1927(昭和2)年5月に全6集8巻の刊行を完了した。1930(昭和5)年、57歳で死去。

三浦 新七
 1877(明治10)年、山形市に生まれる。1901(明治34)年、高等商業学校専攻部を卒業、同校講師となる。1903(明治36)年、文部省留学生としてドイツに赴き、ライプツィヒ大学で歴史学者カール・ランプレヒトに師事、後の歴史学への転向の契機となる。1912(大正元)年に帰国。東京高等商業学校の教授となり、商業史・経済史を担当するが、1920(大正9)年の大学昇格を機に異色の講義科目「文明史」を創設し、ヨーロッパ文化をその精神構造において理解せしめんとする格調高い講義を通じて、学内学外に名声を博した。1935(昭和10)年から翌11年には東京商科大学学長を務める。
 一方、家業の両羽銀行(現山形銀行)の頭取として、山形県の中枢金融機関の基礎を築き、貴族院議員(昭和7, 14年)に勅任されたほか、1945(昭和20)年には日本銀行参与を委嘱された。1947(昭和22)年70歳で死去。

左右田 喜一郎
 1881(明治14)年、横浜に生まれる。横浜商業学校を経て、1898(明治31)年、東京高等商業学校に入学、引き続き同校専攻部に入り、1904(明治37)年に卒業。その後、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスと十年にわたる外国遊学を終えて1913(大正2)年に帰国した。同年12月、東京高等商業学校講師となり、専攻部において経済哲学ゼミナールを指導した後、東京商科大学本科講師、京都帝国大学文学部講師となった。
 実業界においても左右田銀行頭取を務め、横浜社会問題研究所を主宰するなど神奈川県の社会事業にも深い関心を示した。その功で1925(大正14)年に貴族院議員に勅任されたが、1926年12月病を得て、翌年8月に46歳で没した。
 文化価値主義にもとづく経済哲学研究、カント研究で有名。

上田 貞次郎
 1879(明治12)年、東京に生まれる。1902(明治35)年、東京高等商業学校を卒業した後、イギリス、ドイツへの留学を経て、1905(明治38)年本校に奉職。1936(昭和11)年、東京商科大学学長となり、没年の1940(昭和15)年までその職にあった。
 日本の経営学研究を確立し、イギリス経済学の影響を受けた理論的・実証的研究を行った。生涯を通じ商業政策や企業経済に関する研究を続ける一方、1926(大正15)年に個人雑誌『企業と社会』を創刊。学問と企業と社会の新たな相互の切磋琢磨と共存を目指して「新自由主義」を提唱した。

佐野 善作
 佐野善作(1873〜1952)は、1914(大正3)年、東京高等商業学校時代に初の本校出身の校長となり、1920(大正9)年の大学昇格後も引き続き1935(昭和10)年まで学長を務めた。その間、1923(大正12)年の関東大震災とそれに続く国立移転という現在の一橋の基礎を築いた。
 主著は、「銀行論」と「貨幣論」であり、それが一つの学問として形成されたのは、佐野の力に依るところが大きい。
 1929(昭和4)年建造の私邸を大学に寄附、佐野書院として外国人研究者の宿舎として使用されていたが、老朽化が進んだため如水会の資金援助により1994年に改築され、現在の佐野書院となっている。





メンガー文庫
 オーストリア学派の創始者の一人として知られる経済学者カール・メンガー(Carl Menger, 1840-1921)が蒐集した約20,000冊からなる世界的コレクションである。全体の六割を占める経済学・社会思想の古典は、Lateinische, Alt-Deutsche, Compendien, Monographien, Englische, Franzosische, Italienischeに分かれている。また、法学、歴史学、社会学、民族誌、旅行記、統計、雑誌類など実に多方面にわたる収書が行われており、メンガーの生涯における学問的思索の広がりを表している。さらに、蔵書の随所に見いだされる無数の書き入れにより、メンガーの経済学の形成・発展過程を研究する上で極めて貴重な資料といえよう。

The Carl Menger Collection ―― In 1922 the University Library acquired an excellent collection of books, pamphlets, bound periodicals and other materials assembled by Carl Menger (1840-1921), the founder of the Austrian school of economics. The collection contains approximately 19,100 volumes, and embraces works in many fields of social science - economics, political science, law, history, ethnography, travel and so on. Is also includes many books with Menger's own marginal notes, his author's copy of Grundsatze der Volkswirthschaftslehre with many holograph revisions, the records he kept as a book-collector, and letters addressed to him.

ギールケ文庫
 「団体法論」で名高いベルリン大学教授オットー・フォン・ギールケ(Otto Friedrich von Gierke, 1841-1921)の約1万冊の蔵書。本コレクションの中心は法学で、法学一般、民法、国法、労働法、刑法、商法、教会法、慣習法といった分野に分かれ、さらにそれぞれの分野で、歴史、一般、地方に細分化されている。中でも民法、国法は全体の50%を占めている。民法の中にはローマ法部門があり、そこにはヴァンゲロウの『パンデクテン法教科書』のような手書きの講義ノートもある。ギールケの一連の著作も多くはこの民法の分野に分類されている。なおギールケ文庫には法学の周辺領域として政治学、経済学、社会学等の文献も所蔵されている。

The Otto Friedrich von Gierke Collection ―― The private library of Otto Friedrich von Gierke (1841-1921), a leader of the Germanist school of historical jurisprudence, was purchased in 1921. It comprises approximately 10,800 books, pamphlets and periodicals, and is particularly strong in law and medieval history.