一橋大学附属図書館常設展示より

Captains of Industry の由来



日    程:  2008(平成20)年1月31日(木)〜5月30日(金) 終了しました
場    所: 一橋大学附属図書館 公開展示室(時計台棟1階)
入場時間: 9:00〜16:00(入場無料)(土・日・祝日は閉室)
(【  】内は、一橋大学附属図書館の請求記号)

“キャプテンズ・オブ・インダストリー” つまり、国際的に通用する産業界のリーダーたり得る人材の育成。これが教育機関として一橋大学が創設して以来、使命としてきたものである。1875(明治8)年に森有礼が私設した商法講習所の時代から本学は、単に西洋式の「商法」‐「商い方」を身に付け、即戦力になる人材を供給することだけではなく、“キャプテンズ・オブ・インダストリー” にふさわしい実業人の育成を目標としてきた。産業界における高貴な騎士道精神を前提とした“キャプテンズ・オブ・インダストリー” は、一橋大学の理念として建学以来、今に至るまで語り続けられている。

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■展示資料
一橋大学学園史刊行委員会編『一橋大学百二十年史 : captain of industryをこえて』 一橋大学, 1995.9【Az:234】【Az:234A】【Az:234B】
1900(明治33)年の佐野善作の帰国につづいて、翌1901年には、「福田徳三、関一、志田ナ太郎、石川巌、神田乃武ら少壮教授が次々と帰国した。彼らは講壇の上からヨーロッパ諸国の商業教育理念を学生たちに熱っぽく語りかけた。“Captain of Industry”のスローガンが叫ばれ、産業の指導者・経済騎士道の追求は、こうして高商生すべての目標となったのである。」(p. 53)
小泉明「学長式辞」『創立百年記念式典誌』[国立] : 一橋大学, [1976], p. 1-3【Az:405】【082:8】【082:8A】
1975(昭和50)年10月30日(木)、兼松講堂で開催された一橋大学創立百年記念式典の式辞で小泉明学長(1975年8月就任、在職中の1977年2月死去)は「キャプテン・オブ・インダストリーというのは単に産業界の覇権を握れという意味ではありません。この言葉を作ったのは、トーマス・カーライルですが、彼は十九世紀前半のイギリスの産業界をみて営利至上原則の弊害を指摘し、人間愛にめざめた新しい 型の経営者像を待望してこの言葉をつくったのです。」と述べ、従来必ずしも自明ではなかったこの言葉の出所が、カーライルの Past and present を典拠としていたことを明らかにしている。
Past and Present / Thomas Carlyle. London ; Toronto : J.M. Dent, 1912 (Everyman's library ; no. 608 . essays and belles lettres)【Tsuchiya/VI:49】
イギリスの思想家・歴史家、トーマス・カーライル (Carlyle, Thomas 1795-1881)の1843年の著書『過去と現在』 Past and present の第4編 “Horoscope” の第4章は “Captains of Industry” と題されている。
The Leaders of Industry, if Industry is ever to be led, are virtually the Captains of the World; if there be no nobleness in them, there will never be an Aristocracy more.
(p. 261)
     産業が指導できるものならば、産業の指導者は実質的に世界の指揮者である。かれらに気高さがなければ、もはや貴族というべきではない。
(上田和夫訳『過去と現在』東京 : 日本教文社, 1962.11 (カーライル選集 ; 3), p. 383)
久我太郎 “Tempus fugit” 『鐘 : 一橋大学附属図書館報』No.32, p. 6 (1997.3)【ZA:600】
ヨーロッパ留学中の1901(明治34)年2月に「商科大学設立ノ必要」と題するいわゆる「ベルリン宣言」を起草して高等商業学校から大学への昇格運動を展開した本学の若手教員8名は、このスローガンにいたく感激、帰国後「産業の指導者としての経済騎士道の追求」を高商生の目標としたものの如く、それをうけた学生の檄文のスローガンとして度々見られ、爾来母校に事あるごとに高唱され周知され今日に至った。
「『過去と現在』には多くの版があり,Penguin版1冊もの『カーライル選集』(1967)にも『過去と現在』は入っているが第4巻4章は省略されている。原著刊行から時移り編者の興味がキャプテンズにはなくなったと見える。原文として本学附属図書館蔵マクミラン版(1927)を参照すると Captains of Industry であるが,その後人口に膾炙するにつれキャプテン(単数)になっていったらしい。」
捉影子「高等商業教育制度に就て (論説)」『一橋会雑誌』25, p. 1-10 (1906.10)【ZA:16】
日露戦争終結後の1906年頃から、『一橋会雑誌』には商業大学論があいついで掲載されるようになる。たとえば「捉影子(ペンネーム)「高等商業教育制度に就て」は当時の学生や卒業生の意気込みをよく伝えている」(『一橋大学百二十年史』p. 57)。
「斯の如くして能く世界交通の上に立って、将来益々発展す可き産業界の指導者、経営者たる可き Captain of Industry を作ることを得るや。斯の如き教育制度の犠牲となりて、実業界に出でたる彼等不幸なる卒業生を見よ、彼等は実用に適すと云う点に於て、至る所に歓ばれつつあり、又如何なる方面にも役に立つと云う事を以て便利なりと迎えられつつあり。而かも焉んぞ知らん、其実用に適すと云うは小僧上りも尚お能く為し得る底の瑣々たる事項に就て言わるる語にして、吾人高等の商業教育を受け、将来の産業界のキヤピテンを以て任ずる者に取って寧ろ大なる侮辱に非ずや、其何事にも役立つと云うは何事にも役立たずと云うと畢竟同意義のみ、蓋し少く深刻なる問題は彼等の多くは到底理解し能わざるを以てなり。」 (p. 5-6 *引用にあたり現代表記に改めた)
圖南生「最近十年間に於ける校風發展史論 (雑録)」『一橋会雑誌』52, p. 19-55 (1909.9)【ZA:16】
「帰国教授たちは、“Captain of Industry”のスローガンを国民経済的な観点から理論づけ、個人完成主義を唱えた」(『一橋大学百二十年史』p. 58) 。
「是等諸教授の教育方針は 此の学校よりは帝国実業界の将帥 Captain of industry を造り出さねばあらぬと云うにありしので 或は講座の上より或は種々なる学会雅会集会のある際には熱心に世界の大勢欧米諸国の実力其の政策方針等より商業教育の地位目的等を説き 我国現下の形勢に及び 実業界を指導統率す可き深厚なる教養ある将校の必要あること 其の資格として学芸と人格との修養を奨励するに極力尽瘁せるが故に 元より遠大の志望を懐きて百難を排して入学し来れる学生の事なれば 恰も渇者の水を得たるが如く彼等は学習に又たは修養に猛然として其の褌を締め直すに至った」(p. 21)
  「国民経済の発展を完成の域に達せしめんには先ず以て一般個人の完成を期せざる可からず」「個人の完成とは外ではない独立自尊の人格を確立するにあるのである 権利義務の思想を明確にするにあるのである 奴隷的主従関係を打破して雇傭関係とし 恩恵的関係を打破して貸借的関係としなければならぬ」 (p. 22)

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■資料テクスト
一橋大学附属図書館 展示・貴重資料ワーキンググループ