日・EUフレンドシップウィーク企画展示
EUの公用語

ラテン語の没落と「国語」の誕生

「   1500年以前だと全印刷物の3/4はラテン語であり、1/12がそれぞれイタリア語とドイツ語であった。... フランクフルトとライプツィヒの図書市で売られたラテン語及びドイツ語本の比率は1650年で71:29, 1700年で38:62, 1740年で28:72, そして1800年では4:96であった。」
S.H. スタインバーグ(高野彰訳)『西洋印刷文化史 : グーテンベルクから500年』東京 : 日本図書館協会, 1985, p.126)
「   中世の西ヨーロッパにかぎって言えば、そこの知的生活は、もっぱらラテン語の読み書きによって行われていたので、書くということはかならずラテン語で書くことを意味し、それを学ぶための文法は、もっぱらラテン語のためのものであった。」
(田中克彦『言語からみた民族と国家』東京 : 岩波書店, 1991.9 (同時代ライブラリー ; 81), p.5)
「   16世紀に翻訳活動が爆発的な高まりをみせた、もうひとつの決定的な要因は、フランス語の使用が「国策」だったことだ。国王フランソワ1世(在位1515-1547)は、1539年8月15日、裁判所の判決などすべての司法関係の書類にラテン語ではなく、フランス語を使用すべし、との王令を出した。」
(辻由美『翻訳史のプロムナード』東京 : みすず書房, 1993, p.76)
「... また、私の教師たちの用語たるラテン語をもってせずに、私の国の言葉をもって書くのは、古人の書物のみを尊信する人人よりも、全く単純な生得の理性のみを活用する人人のほうが私の所説を正しく判断されるであろうと思うからである。私は良識を研究に結びつける人人をこそ私の審判者として仰ぎたいのであって、かかる人人は、私が俗用語をもって私の論旨を説明したからとて、それを聴くことを拒むほどラテン語を偏重しないであろうことを私は確信する。」 (デカルト(落合太郎訳)『方法序説』第17刷改版. 東京 : 岩波書店, 1967 (岩波文庫 ; 青613-1), p.92)
「 ... ラテン訳は、幾何学の部分のほか、すべて神学者エティエンヌ・ド・クルセル Etienne de Courcelles が担当し、デカルトみずから校閲した。... 著者は、当時としてはいわば英断をもって、『序説』をフランス語で発表したが(第6部末尾に近いところ参照)、やはり学者間の国際共通語の版をも必要としたのであろう。」
デカルト(落合太郎訳)『方法序説』第17刷改版. 東京 : 岩波書店, 1967 (岩波文庫 ; 青613-1) [訳者による]「解題」より, p.6-7)
「   本書が扱う時代の範囲は, およそ1660年から1914年までである. ... これらの学会誌は, それを発行する国の母国語で書かれるのが普通であった. ... ニュートンのきわめて深遠な『プリンキピア・マテマティカ(数学的原理)』, 1687年刊は, その意味では例外であったが, 一般に, ラテン語が, 1660年以後比較的長期にわたって情報伝達言語としての役割を果たしたのは, 医学と植物学に限られていた. ... ラテン語の知識は, ルネッサンスや17世紀の初期を扱う科学史家にとっては必要不可欠であるが, それ以後の時代になると事情は別である. 17世紀の前半では, 科学上の著作の大部分は, 母国語に翻訳されており, 後半になると, ラテン語で書かれた著書は姿を消してしまう.」
D.M. ナイト原著; 柏木肇, 柏木美重編著『科学史入門 : 史料へのアプローチ』東京 : 内田老鶴圃, 1984, p.10-11)
「 ... 十七世紀 ... 初頭のヨーロッパでは、非ヨーロッパ圏の言語の発見や国際語としての不完全さなどによって、権威を失墜させつつあった学術語としてのラテン語に取って替わるべき、完全な言語の模索がおこなわれていた。それは、ひとつには、普遍言語、哲学的言語、真正文字などの模索と議論とを含む、人工言語の構想として形を成す。三十年戦争(1618-48)。内乱と疲弊と、まさに統一されざる世界を経験したかれらのなかでは、他世界の存在 − それが地球上であろうとなかろうと − への関心とともに、言語の統一問題は、重大な関心事となっていった。かくして、この世紀の後半を中心に、数多の普遍言語のアイデアが提出されることになるのである。」
(武田雅哉『蒼頡たちの宴 : 漢字の神話とユートピア』東京 : 筑摩書房, 1994, p.99-100)
「   ラテン語ばなれも、イギリスやドイツのほうがゆっくりしていたようだ。デカルトはすでに1637年に『方法叙説』をフランス語で書いているのに、ニュートンは1687年に『自然哲学の数学的原理』をラテン語で書いた。ドイツの数学者ガウスやヤコービは19世紀のはじめにまだラテン語で著作をあらわしていた。」
(辻由美『翻訳史のプロムナード』東京 : みすず書房, 1993, p.146)
「   外交用語としてのラテン語の使用もまた、17世紀末、または18世紀の初め頃には消滅した。... 遂に1714年のスペイン王位継承戦争を収拾したラシュタット ... 会議では条約の正文にはフランス語を用いることが決定された。爾来、ヨーロッパ諸国の公文書はそれぞれの国の国語によるというのが一般慣例となり、また、口頭による交渉も僅かな例外を除いてはフランス語を用いるのが一般慣習となって、外交用語としてのラテン語の使命は終りを告げたのである。」
(片岡孝三郎『ロマンス語言語学』東京 : 朝日出版社, 1982 (ロマンス語言語学叢書 ; 1), p.196-197)
「   フランス語は宮廷や貴族や知識人の言葉としてフランス国外でもつかわれるようになり、かつてのラテン語に部分的にとってかわりつつあった。1714年、スペイン継承戦争を終結させるためにドイツとフランスとのあいだで結ばれたラシュタット条約が、ラテン語ではなくフランス語でしたためられたことは、フランス語の国際語としての地位をかためるのに決定的だった。以後、フランス語はヨーロッパの外交用語となり、それは第一次世界大戦までつづく。」
(辻由美『翻訳史のプロムナード』東京 : みすず書房, 1993, p.110)
「(19) たとえばオーストリア・ハンガリー二重帝国では、ラテン語がまだウイーン会議のころまで公用語であった。
  (20) 国際的な交流においてラテン語が用いられなくなっていったことは、国際条約を研究するとはっきりわかる。1648年10月のウェストファリア条約の際 ... は、もちろんまだラテン語であった。一方ウィーン会議の最終文書はフランス語で書かれている。」
(フロリアン・クルマス(山下公子訳)『言語と国家 : 言語計画ならびに言語政策の研究』東京 : 岩波書店, 1987, p.401[原註])
「   国語の発展過程には人工的要因が必ず含まれている。言文一致という表現があるが、それは一般に理解されているように、話し言葉を書くことを意味するのではない。柄谷行人が説くように、我々が現在使用する話し言葉と書き言葉とがよく似ているのは、その反対に、書かれた文章を話すようになったためである。イタリア語・フランス語・ドイツ語で著されたダンテ・デカルト・ルターなどの書物がいまでも読めるのは、これらの言語がそれほど変化しなかったからでなく、逆に、彼らの作品が各国語を形成したからに他ならない。柄谷行人「文字論」『〈戦前〉の思考』(文芸春秋、一九九四年) 一二三 ― 一五六頁を参照。」
(小坂井敏晶『民族という虚構』東京 : 東京大学出版会, 2002, p.57 [註30])
「言文一致は、言(話し言葉)を書くということを意味しているように見えます。しかし、現在でもそうですが、話し言葉は、地域によってまったく違っています。実際のところ、言文一致は、それまでの文語体において、その語尾だけを口語化することであり、しかも、その語尾は江戸弁です。その他の地域においては、この言文一致の文章は、少しも言=話し言葉と合致していないのです。言文一致とは、実際のところ、新たな「文」であり、また、それは標準語として、日本全域に、それを「話す」ように強制された「文」なのです。たとえば、沖縄の人たちは、言文一致の「文」を話すように強制されたわけです。しかし、この新たな文が標準化されることができたのは、すでに「文」がある程度日本全域に確立していた、つまり書き言葉としては共通していて、たんに語尾などを変えればよかったからです。
   要するに、現在の日本語の文章は、しゃべられていたものを書き写したものではありません。その逆に、われわれは、書かれた文章をしゃべっているのです。」
(柄谷行人『〈戦前〉の思考』東京 : 文藝春秋, 1994, p.124-125)
「   たとえば、ダンテの『神曲』、あるいはデカルトの書物や、ルターの聖書の翻訳とかは、今でもイタリア語・フランス語・ドイツ語で読めますが、それは言葉があまり変わらなかったからではなくて、実は、それらの作品が各国語を形成したからです。西洋においても、「言文一致」というのは、新たな文章表現の創出です。それは、その時代の人間がしゃべっていた言語ではない。」
(柄谷行人『〈戦前〉の思考』東京 : 文藝春秋, 1994, p.144)

1469-1527 マキャヴェリ Nicollo di Bernardo dei Machiavelli イタリア
1532. Il principe「君主論」イタリア語
1561-1626 ベーコン Francis Bacon イギリス
1605. The advancement of learning「学問の進歩」英語
1620. Novum organum「新機関」 ラテン語
1583-1645 グロティウス Hugo Grotius オランダ
1625. De jure belli ac pacis「戦争と平和の法」ラテン語
1588-1679 ホッブズ Thomas Hobbes イギリス
1651. Leviathan「リヴァイアサン」英語
1592-1670 コメニウス Johann Amos Comenius ボヘミア(チェコ)
1657. Didactica magna「大教授学」ラテン語
1596-1650 デカルト Rene Descartes フランス
1637. Discours de la methode「方法叙説」フランス語
1623-1662 パスカル Blaise Pascal フランス
[遺稿] Pensees「思考」フランス語
1627-1691 ボイル Robert Boyle イギリス
1661. The sceptical chemist「懐疑的化学者」英語
1632-1677 スピノザ Baruch de Spinoza オランダ
[遺稿] Ethica ordine geometrico demonstrata「倫理学」ラテン語
1632-1704 ロック John Locke イギリス
1690. Essay concerning human understanding「人間悟性論」英語
1643-1727 ニュートン Isaac Newton イギリス
1687. Philosophiae naturalis principia mathematica「自然哲学の数学的原理」ラテン語
1646-1716 ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibniz ドイツ
[遺稿] Monadologie「単子論」フランス語

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当