日・EUフレンドシップウィーク企画展示
EUの公用語

フランス語

フランス語はイタリック語派のうち、スペイン語やポルトガル語などとともにロマンス諸語の西ロマンス語に属します。 名詞、形容詞、冠詞は性・数に従って語形変化します。文法上の「性」は、男性・女性の2種類を区別します。 動詞は活用が複雑で不規則動詞も多く、辞書の見出し語は不定法の語形で掲載されているので、実際の文章中の単語(時制や人称に従って変化している)から見出し語のかたち(綴り)の見当をつけられる程度の基礎知識がないと、辞書は引けません。

文字表記と発音の対応は、やや複雑ですが、英語に較べればはるかに規則的です。子音は、文字のうえでは表記しても発音しない場合がしばしばあります。 語末の子音文字は原則として発音されません(母音付きの子音だけを音として発音)。けれども、後続する語の先頭が母音の場合は、語末の子音文字が発音されます(リエゾン)。フランス語では [h] の音声を使用しないので、文字 h は全く発音されません。ただし、ch は2文字ひとまとまりでシュ []の音を表します。

「   フランス語を少しでも学んだことのある方なら、その綴り方がいかに複雑かということは御承知であろう。その複雑さというのは、単に、アルファベット26文字でもってフランス語にある30以上の音素を表さなければならないために一つの音に複数の綴り字やアクセント記号を用いなければならないということだけではない。逆に、一つの音に複数の綴り字が対応している場合が少なくない。例えば、[o] 一つの音を表すのに oaueau という具合に何通りもの表記法があったりする。また、語末の子音字などで、書くけれども読まれないという綴り字も数多く存在する。ただし、音と綴り字(の組み合わせ)の対応については英語よりは、はるかに規則的ではある。よって、フランス語は綴り字から発音の再現は比較的容易ではあるが、音だけ聞いてその綴り字を再現するのは、その語を理解できなければ困難な場合が多い。このような表記法が生じたのには歴史的な背景がある。フランス語で書かれた文書がまとまった形で現れるのは12世紀以降、それ以前にもフランス語で書かれたものは僅かにありはするが、書き言葉は専らラテン語であった。フランス語が書き言葉として成立するにあたって、その綴り字のモデルとされたのはもちろんラテン語である。ただし、フランス語は他のロマンス語と違って音の変化の度合いが甚だしく、ラテン語の時代からフランス語へと徐々に変化を遂げていく段階で、母音の変化のみならず、語末の音が次第に消えていってしまい、その結果、多くの同音異義語が生じた。それを書き分けるために、かつて発音されていたであろうと推測される音に対応する形で綴り字を残していったという経緯がある。フランス語の綴り字が標準化され始めるのは16世紀、印刷技術が発達しはじめた頃であり、それがほぼ現在に近い形になるのは17世紀末のアカデミーによる辞書の編纂以降である。もちろんそれ以前の手書きの文書しかない時代においても、不統一ではあるにせよ慣習によるある程度の標準化は存在していたわけで、その従来の綴り方、及び発音と語源の間で、いかに折り合いをつけるかというのが、当時の辞書編纂者達の大きな課題のひとつであったはずである。結果として出てきたものは、かなりの工夫がなされているとはいえ、当然のことながら、ある程度までは妥協を余儀無くされ、恣意的にならざるをえなかった。アクセント記号の表記の仕方や、綴りの組み合わせの規則性が中途半端にしか考慮されなかった場合も多いし、語源がすべて生かされているとも言いがたい。」
(木内良行「フランス語の綴り字について」『Library Information』(大阪外国語大学図書館報) 第13号, p.3-4 (2000.10.30) より p.3)
「19世紀半ばにほぼ現代の綴り字の体系ができあがる。その時代は、印刷物の急速な普及、教育の一般化が進んだ時代でもあった。しかし、それに伴い、書き言葉の一層の標準化が進んだ結果として、もともとあった綴り方の不規則、不合理な部分は修正される機会を失ってしまい、逆にそれがフランス語の伝統的な「特殊性」として温存されることとなり、ついにはその特殊性がフランス文化の一部を成すものとして絶対視されるにいたった。そうなると、もはやそれに手を加えることは容易ではない。その結果、フランス語の外国人学習者のみならず、フランス人自身もその複雑さに苦しめられることとなっているにもかかわらずである。
  1990年の修正案というのは、上記の、綴り方の不規則で恣意的であった部分に関するものであった。 ... 。 ... つまり覚えにくく間違いやすかった部分のみの是正を目指したものであり、綴り字の基本システムにかかわる修正ではない。この程度のわずかな変更であっても一般に受け入れられるのはやはり簡単ではないようで、公表当時はメディア等の相当な反発があったようである。しかし、そもそもフランス語の綴り字に関してはそれが正しいかどうかを判断するような法律があるわけではなく、従って「修正案」自体ももちろん何の強制力も持ち得ない。新旧どちらの綴りを使うのかは、基本的に使用者の判断にまかされている。 ... 。
... 。
   なお、1990年の官報の綴り字訂正に関する報告書は、HANSE、Nouveau dictionnaire des difficultés du français moderne (第三版)、Duculot の巻末に全文が掲載されている。 ... 。日本では、クラウン仏和辞典(第五版)に簡単な説明がある。」
(木内良行「フランス語の綴り字について」『Library Information』(大阪外国語大学図書館報) 第13号, p.3-4 (2000.10.30) より p.4)
「フランス人が誇りにし、フランス文化同一性の源泉としてよく挙げられるフランス語も、フランス領土ほぼ全体で話されるようになるに は第一次大戦の時期まで待たねばならなかった。フランス革命が起きた一八世紀末にはフランス人の半分ほどしかフランス語を使用してお らず、またフランス語が話される場合でも、多くの人は現代フランス語とかなりかけ離れた表現を用いていた。第一次大戦が勃発する一九 一四年の時点にいたっても、フランス語以外にドイツ語・アルザス語・ブルトン語・バスク語・オック語・カタロニア語・コルシカ語とい う七つの言語がフランス各地で根強く話されていた。ちなみに現在のような形でフランス語が標準語として定着するにあたっては、第三共 和制の下での義務教育の普及が大いに貢献した。」
(小坂井敏晶『民族という虚構』東京 : 東京大学出版会, 2002, p.45-46)
「   大革命当時、... 国民の半分近くが、フランス国民でありながらフランス語を話すことができなかったのである。」
(田中克彦, H. ハールマン『現代ヨーロッパの言語』東京 : 岩波書店, 1985 (岩波新書 ; 黄版 292), p.55)
「   当時2300万人と推定されているフランスの全人口のうち、600万人はフランス語を全く理解せず、他の600万人はよどみなく話すことができない。」
(田中克彦『ことばと国家』東京 : 岩波書店, 1981 (岩波新書 ; 黄版 175), p.101)
「   全人口の4分の1から3分の1にあたる "国民" が "国語" を話してはいなかった ... 。今日においても、試算によれば、5000万のフランス国民のうちフランス語を母語とするもの71%、オック語は21%、次いでブルトン語、アルザス・ドイツ語など併せて8%という数字があるから、大革命期の母語の比率はそれほど動いていない。」
(田中克彦『ことばと国家』東京 : 岩波書店, 1981 (岩波新書 ; 黄版 175) , p.102)


一橋大学附属図書館 学術・企画主担当