日・EUフレンドシップウィーク企画展示
EUの公用語

明晰でないものはフランス語ではない

「一七八二年、 ... ベルリンのアカデミーは三つの問題を掲げて懸賞論文を募集した。それは、(一)フランス語を全ヨーロッパの普遍的な言語としたものは何か、(二)フランス語は何ゆえにそのような特権にあたいするのか、(三)フランス語はその地位を維持できると思われるか、というものであった。締切り期日は一七八四年一月一日であった。 ... 。
   最終選考には二つの論文が残った。一つは無名のフランス人リヴァロールと、もう一つはシュトゥトガルト大学の哲学の教授シュワーブで、このほうはドイツ語で書かれていた。 ... 賞は二人の間で仲良よく分けられることになった。」
(田中克彦『ことばと国家』東京 : 岩波書店, 1981 (岩波新書 ; 黄版 175), p.98)
「懸賞論文それじたいは、よほど奇特な人でないかぎり、全篇を読みとおしたりはしない。だからこそ、「明晰ならざるものは、フランス語に非ず」の一句は、それが書かれ、あるいは口にされた時の状況や、全篇にあっての文脈を途方もなく逸脱しながら、引用者の思いのままに畸形化して一人歩きをするあの神話的言辞の安易さと危険さとを、同時に担うことになるのだろう。」
(蓮實重彦「明晰性の神話」『反=日本語論』東京 : 筑摩書房, 1986 (ちくま文庫), p.190-204 より p.191)
「フランス語が何ゆえにすぐれているかという点で、リヴァロールはそのシンタクス(語順)がすぐれていることをあげる。主語—動詞—目的語、この語順のみが理性の秩序を忠実に示すものであるから、「ここにはすべての人間にとっての自然な論理がある」「我らの言語の称讃すべき明晰さ、その永遠の土台はここに由来する」と述べ、その次に、あの、世界じゅうのフランス語愛好者の口にのぼる、永遠の讃辞が記された。いわく、「明晰でないものはフランス語ではない」と。しかし、すぐそれにつづく語呂合せのような一句が引かれることはああまりない。いわく、「明晰でないものはといえば、英語、イタリア語、ギリシャ語あるいはラテン語である」と。 ...
     Ce qui n'est pas clair n'est pas français;
     Ce qui n'est pas clair est encore anglais, italien, grec ou latin. 」
(田中克彦『ことばと国家』東京 : 岩波書店, 1981 (岩波新書 ; 黄版175), p.98-99)
「リヴァロールが言及する明晰さとは、ラテン語が濫用した語順の転倒という現象をフランス語は絶対に認めえず、原則として、「主辞」—「連辞」—「賓辞」という論理的「命題」の順序を忠実に反映しながら、「主語」と「動詞」と「述語」を配置せざるをえない点にかたちづくられるものである。彼が、例の「明晰ならざるもの、フランス語に非ず」の直前で問題にしているのは、あらゆる古今の国語のうちで、フランス語のみがいわゆる「直接的順序」 ordre direct に忠実であり、それ故に「感覚」の刺激によって乱れることのない「理性」の秩序に従っているという事実の指摘なのだ。したがってフランス語の文章の語順は一つの義務であり、その義務が明晰さを生むというのである。 ... リヴァロールのいう明晰さが、... 個々の文章の明解さでも、説得すべき論旨の一貫性でもなく、ひたすら語順と構文法の問題だという点は、ここで改めて強調しておかねばならない。」
(蓮實重彦「明晰性の神話」『反=日本語論』東京 : 筑摩書房, 1986 (ちくま文庫), p.190-204 より p.196-197)


一橋大学附属図書館 学術・企画主担当