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| 日 程 | : | 平成19(2007)年5月16日(水)〜31日(木) (土・日曜日は休室) 終了しました |
| : | 月〜金曜 9:00〜16:00 (入場無料) | |
| 場 所 | : | 一橋大学 附属図書館 公開展示室(時計台棟1階) |
EUは創設当初から一貫して各加盟国の言語を尊重する多言語主義の政策をとっており、全ての加盟国の主要言語を公用語としています。「すなわちすべての参加国が、自国の言葉で発言できるという原則を定めたのです」(注1)。1957年3月25日に調印したローマ条約(1958年1月1日発効)によって欧州経済共同体 (EEC) を設立した原加盟国は6か国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、西ドイツ、フランス、イタリア)で、公用語の数は4つ(ドイツ語、オランダ語、フランス語、イタリア語)だけでしたが、近年の加盟国の拡大で翻訳/通訳のコストも膨大になり、人材の確保もたいへんです。しかしこれは、機会あるごとに用いられているモットー「United in Diversity(多様性の中の統合)」を推進するために必要な対価と認識されています。文化の多様性の保護と促進はEUの基本的原則のひとつなのです。
神にはスペイン語で、女性にはイタリア語で、臣下にはフランス語で、馬にはドイツ語で話す――これは神聖ローマ帝国皇帝カール5世の発言とされる言い伝えですが(注2)、2007年1月にはその数が23言語にも達したEUの公用語は、具体的にはどのような言葉なのでしょうか?(注3)
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日・EUフレンドシップウィークは、毎年5月9日の「ヨーロッパ・デー」を中心とする前後数週間にわたり、日本と欧州連合(EU: European Union)の「人と人」の交流の促進を図ることを目的に、各地で文化、学術、スポーツなどのさまざまなイベントが開催されます。その一環として一橋大学では2007年は「EUの公用語」をテーマとする展示を開催します。一橋大学附属図書館にはEU情報センター(EU i)が設置されており、本学はまた、日本におけるEUに関する高度な学術研究および教育の拠点として2004年に発足した EUIJ (EU Institute in Japan) 東京コンソーシアムの幹事校でもあります。
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EU の公用語は現在、23言語です。 言語系統に従って並べれば、以下のようになります:
同じ系統に属する言語は文法や語彙に共通するところが多く、ひとつの言語を知っていると近縁のもうひとつの言語が、学習したことがなくともある程度は見当がつく場合があります。たとえば、チェコ語とスロヴァキア語の話し手は、それぞれの母語で話しても相手に理解されるほどです(注4)。ただし、たとえ似ている言語同士でも、理解度は個人によっても、またその教育水準によっても差がでてくると考えられます(注5)。
現在23あるEUの公用語のうち21言語は、ラテン・アルファベット(ローマ字)で表記します。英語で使われる26文字以外に、音を区別するための符号を付加した文字をも使用します。スペイン語の ñ 、ルーマニア語の ă 、チェコ語の ř 、ポーランド語の ł のように、その文字が出現するだけで言語名の識別同定に直結するヒントとなる文字もあります。現代ギリシア語は、古典ギリシア語と共通の文字で表記します。ブルガリア語の表記にはロシア語と同様のキリル文字を使用します。キリル文字はギリシア文字に倣って作られた表音文字で、東方正教会の布教に伴って普及しました。たとえばキリル文字の р が [r] の音を表すのは、ギリシア文字の ρ (ロー)に対応するものです。スラヴ語派の言語の表記には、東方正教会が優勢な国ではキリル文字が、ローマ・カトリック教会が優勢な国(スロヴェニア、チェコ、スロヴァキア、ポーランド)ではローマ字(ラテン・アルファベット)が使われています。
マルタ語はアラビア語と近縁でアフロ・アジア語族に属します。フィンランド語、エストニア語、ハンガリー語はウラル語族に属します。それ以外の19言語が属するインド・ヨーロッパ語族は、いくつかのグループに下位分類されます。英語はドイツ語、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語とともにゲルマン語派に属します。けれども英語は、歴史的変遷を経て活用形・語尾変化の多くを失い、フランス語からの語彙も大量に取り入れて、ゲルマン系の言語一般とはだいぶ異質なものになっています。英語は、学校教育や実務のうえでグローバルにひろく普及しているため、つい外国語の代表であるかのように思われがちですが、世界の言語の中でも文法的にかなり特殊な言語なので、英語を基準にして外国語一般を論じてしまうと、道を大きく踏み外すことになります。
森有礼(1847(弘化4)-1889(明治22))は1875(明治8)年に商法講習所(一橋大学の前身)を開所するにあたり、ホイットニー (William Cogswell Whitney 1825-1882)を Bryant & Stratton Chain of Business School から招聘しました。その3年前の1872年、初代米国代理公使の任にあった森は、イエール大学の著名な言語学者ホイットニー (William Dwight Whitney 1827-1894) (商法講習所のホイットニーとは全くの別人) に宛てた5月21日付の書簡(注6)で、「日本の話しことばは、帝国の人民のますます増大する必要に適合せず、音声アルファベットによったとしても、書きことばとして十分に有用なものにするには、あまりに貧弱である。そこでわれわれのあいだには、もしわれわれが時代の歩みを共にしようとするなら、豊かで広く用いられるヨーロッパ語のひとつを採用すべきであるという考えがひろまっている。」と述べ、「商業民族」である日本が「急速に拡大しつつある全世界との交流」をすすめるためには、英語を採用することが不可欠であると主張しました。さらに、ニューヨークで1873年出版の編著 Education in Japan (注7) の序文では、「けっしてわれわれの列島の外では用いられることのない、われわれの貧しい言語は、英語の支配に服すべき運命を定められている。とりわけ、蒸気や電気の力がこの国にあまねくひろがりつつある時代にはそうである。知識の追求に余念のないわれわれ知的民族は、西洋の学問、芸術、宗教という貴重な宝庫から主要な真理を獲得しようと努力するにあたって、コミュニケーションの脆弱で不確実な媒体にたよることはできない。日本の言語によっては国家の法律をけっして保持することができない。あらゆる理由が、その使用の廃棄の道を示唆している。」(注8)と記しました。
フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ルーマニア語はイタリック語派のロマンス諸語に属し、ラテン語が共通の祖先です。動詞の時制・相・態・法の組み合せが多くて活用形が複雑なことは、ロマンス諸語の多くに共通する特徴です。ブルガリア語、スロヴェニア語、チェコ語、スロヴァキア語、ポーランド語はスラヴ語派に属します。名詞・形容詞の格変化が複雑で、固有名詞も語形変化することはスラヴ語派の言語の多くに共通の特徴です。バルト語派はインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)の中で最も古い形を残しているといわれますが、リトアニア語はラトヴィア語に較べてよりいっそう古い特徴を保っています。ギリシア語は、単独でひとつの語派です。アイルランド語はケルト語派に属します。
フランス語は愛を語る言葉だとか、母音の明朗なイタリア語は歌に適していると言われることがあります。カール5世の名のもとに英語の引用句辞典に掲載されている “I speak Spanish to God, Italian to women, French to men and German to my horse” は、同時代の文献記録がみつかっていないので、本当に本人がそのような内容のことを語ったことがあるかどうかは定かでありません。他方、「明晰でないものはフランス語ではない (Ce qui n'est pas clair n'est pas français)」には確実な出典があります。ベルリンのアカデミーの懸賞論文に応募したリヴァロール著『フランス語の普遍性について』 De l'universalité de la langue française (1784) です。ただし、よほど奇特な人でないかぎり原典全篇を読みとおしたりはしないので、引用句は文脈を逸脱しながら一人歩きをしてしまいますが、リヴァロールのいう明晰さは個々の文章の明解さでも説得すべき論旨の一貫性でもなく、ひたすら語順と構文法の問題でした(注9)。主語動詞目的語、この語順のみが理性の秩序を忠実に示すものであるから、「ここにはすべての人間にとっての自然な論理がある」「我らの言語の称讃すべき明晰さ、その永遠の土台はここに由来する」(注10)。
「そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、國語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前に森有禮が考へた事を今こそ實現してはどんなものであらう。」と1946年に書いたのは、小説家の志賀直哉でした(注11)。「私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。」「外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあるとも云はれてゐるし、文人達によつて或る時、整理された言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。」
ところで、文人たちがある時、言葉を整理したのは、フランス語だけに限ったことではありません。近代国家は多かれ少なかれその成立に伴って国語の整備に努めました。日常の話し言葉はそのままの状態では方言の寄せ集めに過ぎず、国内でもお互いに会話も満足には通じません。また、土着の言語が書き言葉として用の足りるものになることは、科学技術・政治・学術・文芸等の語彙の増補といった、人為的な整備の努力を経て初めて可能となったのです(注12)。
フランス語は世界じゅうでいちばん美しく、いちばん明晰で、いちばん力強い言葉だということ、また、フランス語を守り、フランス語を決して忘れないようにしなければいけない、なぜなら、ある民族(注13)が奴隷の身に落ちたとしても、自分たちの言葉をしっかり保っているかぎりは、それはまるで自分たちの牢屋の鍵を握っているようなものだからだと語り、最後に「フランスばんざい!」と黒板に書いて絶句したのは、アメル先生でした。フランスの作家ドーデの小説「最後の授業」(1872)(短編集『月曜物語』所収)の登場人物です。普仏戦争の敗戦とともにアルザスおよびロレーヌの両地方ではフランス語の授業が禁じられ、職を失ってアルザスを去らねばならなくなったのです。「最後の授業」は明治時代に日本語に翻訳されて以来、今日まで多くの読者に親しまれてきました。また、教科書教材としての支持も高く、とりわけ国語教科書の教材として広範に採用されてきた作品でもあります。日本では「国語愛」を説くための伝統的な教材でしたが、アルザスの大多数の住民の母語はフランス語ではなく、ドイツ語の方言ともいえる「アルザス語」であるという背景が指摘・認識されるようになり(注14)、1986(昭和61)年を限りとして、日本の国語教科書からは完全に姿を消してしまいました(注15)。