一橋大学附属図書館企画展示
マーシャルとシュンペーターの遺産

   Lectures Given in Japan   


シュンペーターの来日と講演

1931(昭和6)年1月28日(水) 午前十時半、ボン大学教授シュンペーターは東京商科大学兼松講堂の壇上に立ち、「堂を埋めた聴衆を見ていとも満足げに終始愛嬌をふりまき」、“Theoretical apparatus of modern economics (現代経済学の理論的分析装置) ”を「流暢な英語で滔々二時間講演」した(『一橋新聞』1931.2.9)。

   
▲『一橋新聞』     ▲現在の兼松講堂

翌29日(木)は日本工業倶楽部で“The world depression with special reference to the United States of America (世界不況 : とくにアメリカ合衆国に言及しながら) ”、30日(金)は東京帝国大学で“The theory of the business cycle (景気循環の理論) ”(『帝國大學新聞』1931.2.2)と連日の講演後、日光と箱根で休養。2月6日(金) 今回の来日の正式の招聘元であった神戸商業大学(現・神戸大学)を訪れ“The present state of international commercial policy (国際通商政策の現状) ”、9日(月)“The present state of economics, or on systems, schools, and methods (経済学の現状、あるいは体系・学派・方法について) ”、10日(火)“The theory of interest (利子論) ”と題する講演を行っている(『神戸商大新聞』1931.2.15)。

講演の合間の2月7日(土)に訪れた京都の印象は記憶に深く刻まれた。ハーヴァードのシュンペーターに学んだ都留重人も次のように思い出を綴っている。「そのときの印象から、かれはこよなく京都を愛し、『源氏物語』をも愛読するようになった。そのあと、まもなくかれは籍をボンからハーヴァードに移したが、たまたまハーヴァードの学生であった私に、「紫式部のような婦人と一晩ゆっくり語りあかしてみたい」と言い、あるいはまた「われわれは、芸術というものをわれわれから疎外して考える。日本人は生活のすみずみにまで芸術を生かしている」と語ったのは、日本訪問の印象がいかに強烈であったかを物語っているように思う」(都留重人『近代経済学の群像』)と。

2月12日(木)はラジオ大阪で演説し、翌13日(金)神戸から乗船して帰国の途に就いた。彼の日本訪問は、中山伊知郎、東畑精一、高田保馬、柴田敬、安井琢磨など、黎明期にあった日本の近代経済学の逸材たちに甚大な影響を及ぼした(根井雅弘『シュンペーター』講談社学術文庫)。

ボン大学時代(1925-1932)のシュンペーターは、長らくドイツ歴史学派の支配によって軽視されてきた純粋経済学の意義を若く有能な研究者たちに伝えた。なお、ボン大学に就任前、東京帝国大学の客員教授への誘いがヨーロッパに滞在中の河合栄治郎からあり(『河合榮治郎全集』第22巻「日記 I」)当初これを受けるつもりだったが、後にボン大学が彼を正教授に招聘したので東大行きは実現しなかった。ボン大学在任中、1927年からハーヴァード大学に客員教授として出講。1932年9月にはボン大学を辞任して渡米。当時のハーヴァード大学は経済学部に関する限り、時代遅れのカリキュラムがまだ残っていたが、1930年代ハーヴァード黄金時代の立役者となった(都留重人『近代経済学の群像』)。シュンペーターは多くの弟子を育てた偉大な教師でありながらも、学派を形成しない孤高の経済学者であった(伊東光晴, 根井雅弘『シュンペーター』岩波新書)。


一橋大学附属図書館 学術・企画主担当