一橋大学附属図書館企画展示
マーシャルとシュンペーターの遺産

シュンペーター年譜

ヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(Joseph Alois Schumpeter, 1883年2月8日 - 1950年1月8日)
シュンペーターの出身地チェスチュ Třešť (ドイツ語名トリーシュ Triesch) には、カフカ(シュンペーターと同じ1883年生まれ)の叔父の家があった。

フランツ・カフカ Franz Kafka (1883.7.3-1924.6.3) の叔父(フランツの母ユーリエの異母弟)ジークフリート・レーヴィ Siegfried Levi はチェスチュで医者を開業していた。短編小説「田舎医者」Ein Landarzt(1917)にはその反映が見られる。
「カフカの叔父は一族の中で最も学のあるヒューマニストで、この町で医院を開業していた。 作家カフカはこの叔父を大変慕い、一九〇〇年から一九〇七年の間、たびたびここを訪れた。 医院はシュンペーター生家の斜め前に現存し、窓にカフカのレリーフがかかっている。」
(石原健「シュンペーターの生地を訪問」『如水会会報』921, p.3-4 (2007年2月号)【ZA:17】 より p.4)
「ジークフリートは医者を開業。フランツ・カフカは父方よりも母方の叔父たちに親しんだ。幼いころジークフリート叔父の住む田舎町へ毎年のように出かけた。短篇「田舎医者」のモデルにしたと思われる。」
(池内紀「カフカの家族」(「カフカの好奇心」(9))『三省堂ぶっくれっとNo.153 (2002.3) → [再録]: 『カフカ事典』池内紀, 若林恵著. 東京 : 三省堂, 2003.6, p.75【9400:288】)
「母の義母の子。トリーシュで開業していた「田舎医者」。カフカはその人柄を敬愛し、学生時代の休暇の折によく訪問した。カフカの最晩年のころには、なにかと医者としての助言を怠らなかった。ナチによって強制収容所に送られる直前、自殺したと伝えられる。」
(『カフカ全集』マックス・ブロート [ほか] 編集. 決定版. 9: 吉田仙太郎訳「手紙 1902-1924」新潮社, 1981.9, p.579 【9480:7:9】)

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