平成19年度一橋大学附属図書館企画展示
阿部謹也と歴史学の革新

一橋大学の学問的背景

縦と横の座標軸

連綿と続く一橋大学の学問的伝統と「新しい歴史学」のあいだには、そもそも融和的な関係がいくつか認められる。『一橋の学風とその系譜2』(1985)に収録された「一橋歴史学の流れ」(1982)で増田四郎は、高等商業学校時代の中期にあたる1895年ごろに、これの原型が形成されたとし、その特徴を「政治史中心だとか、皇国史観だとか、国家の制度だとかそういうものではなしに、庶民生活に即した商業史、工業史」に見ている。増田自身も地域史の提唱者であった。このように、一橋大学の歴史学の伝統は、「新しい歴史学」と同じく、歴史学を狭く政治史に限定しない傾向を備えていたのである。また、本学で教鞭を執った三浦新七(1877−1947)やその弟子の上原専禄に共通する、世界史的・全体史的志向も忘れてはならないだろう。

増田四郎「西洋史講義」手稿 ▲

大勢の研究者のなかから出てくる学問的な雰囲気、学風の存在することは確かであり、とりわけ本学ではそれの強調されることが少なくない。しかし、「新しい歴史学」や社会史に対する、学内の研究者たちの態度は必ずしも一様でなかったことも事実である。阿部と同時期に本学社会学部に籍を置いた、佐々木潤之介(1929−2004)と安丸良夫(1934−)の社会史に対する態度の相違は、好例であろう。   佐々木潤之介(日本社会史)の「社会史」批判は、よく知られている。佐々木は、1930年代のマルクス主義史学における社会史などとは区別される、括弧つきの「社会史」にとって致命的なことは、それに「社会」の欠落している点であると主張する。「社会史」の面白さは「知識供給の面白さ」であると断言し、社会の欠落した「社会史」は歴史学からほど遠いという。また「社会史」には「歴史の総合」といった側面が弱いことも、批判の根拠であった。彼にとって本来あるべき社会史とは、「国家史の諸問題をもくみこんだ民衆史」であった。 【参考:佐々木潤之介「「社会史」と社会史について」『歴史学研究』第520号(1983. 9)、31−37, 61頁】

▲ 佐々木潤之介『世直し』(1979)

対して安丸良夫(日本思想史)は、「理念化された近代思想像に固執してそこから歴史的対象を裁断するモダニズムのドグマ」に批判的であった。そのようなドグマに陥った視点からは、支配者たちの思想は見えてきても民衆については困難で、明らかにされる場合でも、ネガティヴな評価の圧倒的なためである。しかし彼にとって、歴史を突き動かす根源的な力は民衆の側にある。そこで安丸は『日本の近代化と民衆思想』(1974)の目的を、「民衆の生き方・意識の仕方」を通して、日本の近代化過程の意味を考えなおすことに求め、従来の「近代化論」や「国家主義的歴史観」に根底から見直しを迫った。この点で、阿部や網野の社会史にも深い理解を示したといえる。

安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』 (1974) ▲

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当