平成19年度一橋大学附属図書館企画展示
阿部謹也と歴史学の革新

『ハーメルンの笛吹き男』の世界

鼠捕り男Rattenfängerに出会うまで

自身にとって生を賭けるに値すると思われるほど切なるテーマを追求し続けることを決め、これを貫いた阿部の誠実な態度は、その学問的方法論にも共通して見られる。大学院在籍当時、学界を席捲していた大塚史学にどうしても共感できなかった阿部は、それら既存の歴史概念や用語に頼らないことを決め、何よりも自分の正しいと信じ、納得のいく研究方法を模索していた。

修士論文を執筆するにあたって阿部はまず、騎士修道会時代のオステローデ地域の全体像を描くため、測量用の地図をドイツから取り寄せた。25,000分の1の縮尺で作られた地図はオステローデ全体で45枚に上り、下宿の6畳間でつなぎ合わせると天井まで届いた。彼はその真ん中に座布団を敷いて座り、地図を読んだという。文字で残された歴史を映像として再現するかのように、史料の記述に基づいて、ある地域で起きた過去の出来事および人間どうしの関係を地図に書きこみ、それを眺めることで過去に接近する阿部独自の方法であった。彼はこの頃より自身の方法に確信を持っていたと推察されるが、これを完全に実践するには、原史料にあたる必要があり、その機会を待っていた。文書を現地で読みこなせる語学力を養い、自身の研究の方向が定まってから、ドイツに向かうことを計画していたのである。

阿部がドイツへ向かったのは小樽商科大学助教授に就任してのちのことで、1969年末から1971年までの2年間を現地での史料調査に費やした。ゲッティンゲンの州立文書館でひたすら原史料を読み解いた成果は、Die Komturei Osterode des Deutschen Ordens in Preussen 1341-1525 (1972) と『ドイツ中世後期の世界』(1974) に結実している。しかし、懇望し続けたこの土地が彼に与えたのは、そればかりではなかった。

文書館で東プロイセンの古文書史料を調査し、併せて近年の研究を読み進めていた阿部は、ある指摘に遭遇した。それによれば、オステローデのサッセン地方に、ハーメルンの笛吹き男に率いられた子どもたちの入植した可能性があるという。阿部は背筋に何かが走るのを感じ、「古文書の解読と分析に多少疲労していた私の頭は、それまでの単調な仕事からの息抜きを求めてあっという間に想像の羽をひろげていった」と振り返る。彼はこの瞬間に、伝説のまさしく舞台であった異国の地で、幼少期に読んだ『ハーメルンの笛吹き男』の世界と不思議な再会を果たしたのである。

 
▲ 手稿:Die Komturei Osterode (左)   『ドイツ中世後期の世界』(右)

歴史的事実と伝説のあいだ

この日以来、阿部は本来の研究と並行して、ハーメルンの笛吹き男に関する調査に没頭した。130人の子どもたちが1284年6月24日にハーメルンの町で行方不明になったことが歴史的事実であると判明すると、「伝説の探求」に対しても彼の研究方法は等しく有効であった。最初に笛吹き男の世界に出合った際のそれとは違い、「深い持続的な興奮」に包まれた阿部は、自身の関心が何に向かっているのかはっきり自覚していた。それは、伝説の検証でも謎解きでもなく、100人以上もの幼い子どもたちが行方不明になったという異常な出来事の背後にある、当時のヨーロッパ社会における庶民の生活であった。また、良知力の言葉を借りるならば、「歴史的「事実」を時間の中で濾過させながら「伝説」に昇華させていった民衆の意識の必然性」を明らかにすることでもあった。【引用:良知力「伝説をとおした中世賤民像」『月刊エディター : 本と批評』第60号(1979.9)、14頁】

『ハーメルンの笛吹き男』(1974) ▲

既存の歴史概念では捉えきれず、従来の歴史学の方法では再構成できない過去の世界、そこに生きた人々の「思考世界」に阿部は惹きつけられ、何とかしてこれに近づきたいと思う。今では歴史的事件の英雄たちに隠れてしまったその他大勢の民衆の姿、注意深く耳を傾けなければ聞こえてこない、かき消された民衆の声を掘り起こし再構成する歴史学に、彼は向かっていた。阿部は笛吹き男の研究を、自身の研究生活のなかにおける「小さな花」と呼び、何かしら特別な思いを抱いていたようであった。

書店や図書館の書架に「〜の社会史」「〜の文化史」と題された本のあふれている現在では、価値あるいは重要性の有無をめぐる議論を超え、人間の生を再構成する多様な試みに対して、さほど違和感を覚えないかもしれない。しかし1970年代当時の学問的状況において、阿部の『ハーメルンの笛吹き男』の与えた衝撃がいかなるものであったか考えるとき、私たちは敬服の念を覚える。阿部の実践した歴史学は、歴史研究のあり方に本源的な問いを投げかけ、「解りたいと切実に思う個人の関心」は徐々に学界全体に響く声となっていった。膨大な原史料に忠実に基づき、瑣末とされてきた過去の断片をもすべて拾い集めて描かれた阿部の中世ヨーロッパ世界について、日本近世史家の吉田伸之は、「中世ヨーロッパの自由都市イメージが、本書〔ハーメルンの笛吹き男〕によってかなりの修正を迫られているのではないか」と評した。 【引用:吉田伸之「阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男』を読んで」『歴史評論』第321号(1977. 1)、51頁】

鼠捕り男の家と舞楽禁制通り(1898年頃)

▲ 鼠捕り男の家に刻まれた、1284年6月26日の出来事を伝える碑文

一橋大学附属図書館 学術・企画主担当