ティル・オイレンシュピーゲル

中世ドイツの伝説的ないたずら者ティル・オイレンシュピーゲル Till Eulenspiegel は、歴史上に実在した人物としては、1300年にクナイトリンゲン村 Kneitlingen で生まれ、1350年にメルン Mölln で病死したとされます。民衆本『ディル・ウーレンシュピーゲルの退屈しのぎ話』Ein kurtzweilig Lesen von Dil Ulenspiegel は、1510-1511年頃出版されました。つまり、実在の人物の言行を書き留めた同時代の記録ではなく、オイレンシュピーゲルの死から160年も経って書かれた文芸作品です。

主人公の名前は、現代の標準ドイツ語(およびそのもととなった高地ドイツ語)ではティル・オイレンシュピーゲル Till Eulenspiegel ですが、著者の母語と推定される低地ドイツ語ではディル・ウーレンシュピーゲル Dil Ulenspiegel でした。著者ヘルマン・ボーテ Hermann Bote は、1463年頃に生まれ、1520-1525年頃には死亡したとみられます [阿部謹也訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』東京 : 岩波書店, 1990.5 (岩波文庫 ; 赤(32)-455-1), p.419]。

前口上の末尾で著者自ら「そこには司祭アーミスやカーレンベルクの司祭などのいくつかの話も付け加えておきます。」(阿部謹也訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』東京 : 岩波書店, 1990.5 (岩波文庫 ; 赤(32)-455-1), p.8)と述べているように、古くから流布していた口誦伝承や先行文芸作品から多くのエピソードを引き写しています。

たとえば、第27話「オイレンシュピーゲルがヘッセン方伯のために絵を描き、私生児にはその絵がみえないと思い込ませたこと」は、『司祭アーミス』の第3話「見えない絵」の翻案ですが、スペインの説話集『ルカノール伯爵』El conde Lucanor (1335)の第32話「ある王といかさま機織り師たちに起こったこと」(アンデルセンの「裸の王様Keiserens nye Klæder (1837)の原作)とモチーフおよび話型を共有しています。

そのほか、ティル・オイレンシュピーゲルの第17話は、シュトリッカー Stricker によって1230年から1240年にかけて書かれた韻文小説『司祭アーミス』Pfaffe Amis の第4話「病人を直す」に、ティルの第28話と第29話はアーミスの第1話「アーミスと司教」に、ティルの第31話はアーミスの第2話「教会開きのお説教」にそれぞれ対応しています。また、第14話「オイレンシュピーゲルがマクデブルクの市参事会堂の出窓から飛んでみせると公言し、見物人を嘲笑する演説をして帰らせたこと」は、フィリップ・フランクフルターによって1470年頃に著わされ、1473年頃印刷公刊された『カーレンベルクの司祭』Die Geschicht des Pfarrers vom Kalenberg から採られた挿話です。

「   学問の愉しさについて語ろうとするとき、今の私にはティル・オイレンシュピーゲルをめぐる研究こそ最も身近かなものである。そこでヨーロッパで主として子供向けの書物の主人公として知られたティル・オイレンシュピーゲルの原型となっている民衆本(一五一〇〜一一)のなかからいくつかの話を選んで、ティル・オイレンシュピーゲルの世界を垣間みる試みをしてみたい。 ... 。
   ティル・オイレンシュピーゲルといえば、リヒアルト・シュトラウスの交響詩で知られたいたずら男であり、ヨーロッパでは子供たちのアイドルでもある。オイレンシュピーゲルの絵本もよくよまれ、映画も大変な人気を呼んだものである。不幸にしてわが国では専門家以外にはあまり知られていなかったが、最近邦訳が出版され、一五一五年版の全貌に接することができるようになった。私もまた民衆本に関心をもっていたので、訳書をよんだ学生やその他の人びとに感想を聞いてみたところ、「面白かった」という反響が意外に少ないのである。」
(阿部謹也「民衆本『ウーレンシュピーゲル』を読む」『歓ばしき学問』東京 : 岩波書店, 1980.11 (叢書文化の現在 / 大江健三郎[ほか]編集 ; 11), p.9-34 より p.10-11)
「つい最近にいたるまで『ティル・オイレンシュピーゲル』の現存する最古の版は大英博物館にある一五一五年版(シュトラースブルク本)唯一冊とされており、もとより著者の名すら知られていなかった ... 。しかもこの一五一五年版には多くの疑問点があって、到底原本とは考えられず、何らかの先行する版があって、それをかなり粗雑に編集したものとみられている。全体で96話までの話が集められているが、42話が欠番になっているために話として九五話であり、それぞれの話の冒頭につけられている題は必ずしも内容と一致していない。話の前後も矛盾しており、どこかで話がさしかえられ、また新たな話が挿入されたりしたと考えられるのである。そのうえ、低地ドイツ語の表現が未消化のまま数多くこの高地ドイツ語版に残存しており、しかも話の主たる舞台がニーダーザクセンのブラウンシュヴァイク周辺であって、その地域の地理的知識が非常に正確であるところから、原著者がブラウンシュヴァイクあるいはその周辺の人間であって、原本は低地ドイツ語で書かれ、それが誰かの手によって高地ドイツ語に翻訳されたものと考えられてきたのである。」
(阿部謹也訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』東京 : 岩波書店, 1990.5 (岩波文庫 ; 赤(32)-455-1), p.405-406)
「 ... 最近までこの民衆本には現存する最古の版として一五一五年版しかなかった。しかもこの版にはさまざまな疑問があって、到底原本とは考えられなかった。
   ところが一九七三年にペーター・ホネガーがチューリヒ・フラグメントと称する断片を発見し、それが一五一〇年から一五一一年に、一五一五年版と同じグリーニンガー書店から刊行されたものであることを明らかにした。そして一九七五年にはB・U・フッカーがほぼ完全な形の『ティル・オイレンシュピーゲル』を発見した。この両者は活字の分析によって同一のものであることがわかった。」
(阿部謹也『阿部謹也自伝』東京 : 新潮社, 2005, p.176)
「ホネガーは本来低地ドイツ語を自国語とする著者が高地ドイツ語で書いたものが、これら三つの版に先行する版なのではないかと推定する。これは従来の研究には全くなかった新しい視点である。この見解は一九七六年に発見されたヘルマン・ボーテの高地ドイツ語で書かれた手紙によっても明らかに裏付けられる。」
(阿部謹也訳『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』東京 : 岩波書店, 1990.5 (岩波文庫 ; 赤(32)-455-1), p.414)
「  ブラウンシュヴァイクの古文書(こもんじょ)その他からは、オイレンシュピーゲルが実在の人物である証拠(しょうこ)()げることはできない。しかし、それは16世紀の民衆本の主人公が実在の人物ではないということにすぎず、オイレンシュピーゲルという道化がいなかったというわけではないのである。おそらくかなり似た人物が何人かおり、それらのイメージからつくられたのがオイレンシュピーゲルだったのであろう。」
(リスベート・ツヴェルガー絵 ; ハインツ・ヤーニッシュ文 ; 阿部謹也訳『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』東京 : 太平社, [1991.6], 巻末の解説より)


一橋大学附属図書館 学術・企画主担当