鐘 No.22 (1990.4)





プランタンの家

倉林 義正

  プランタン=モレトウス印刷術博物館の名でも知られている“プランタンの家”を訪れたのは1967年の夏の終りのことであった。 もう4半世紀も昔のことになる。 アントワープの旧市街の一角,何の変哲もない入口をくぐると,蔦かずらを茂らせたアーケードをめぐらす三層の住居兼工房の石造りの広壮な邸宅が4世紀の風雪に耐えて建っている。 一階が印刷工房である。 プランタンがこの工房を拠点として,印刷業者,そして恐らくはユマニスト印刷業者としての繁盛を誇ったのは1500年代の後半のことである。 グーテンベルクがマインツの工房で印刷術の革新をもたらしてからほぼ1世紀後に当っている。 記録によると,このプランタンの印刷工房では24台の印刷機が稼動され,100人以上の働き手が労働に従事していたと言う。 ヨーロッパの当時としては稀な大規模経営の原理に基いて運営されていた工房の例と言うことができよう。 この邸宅の上層は書物の変遷を展示する博物館になっている。 なかでも展示されてる装飾写真のコレクションはすばらしい。 アメリカで1,2を争う装飾写真のコレクションである“モルガン・ライブラリ”(ニューヨーク)に質量とも優るとも劣らないと思われる。
  印刷業者として大をなしたプランタンではあるが,彼の事業の主たる関心は印刷よりもむしろ出版にあったようである。 多国語対訳聖者の刊行は出版業者としてのプランタンの成功を歴史にとどめる大きな事業であることはよく知られている。 関連する宗教書の出版に加えて,古典古代作家の著作,医学および科学関係の著作,のみならず同時代のフランスの作家の著述を含む広汎な出版目録は,出版にかけるプランタンの並々ならむ意欲を物語るようである。 このことはまた16世紀における出版事情の変化,従ってまた“書物”に対する需要構造の変化を反映しているように思われる。 L. フェーブルと,A-J. マルタンの示すところによると(L. フェーブル,A-J. マルタン,「青物の出現」,関根・長谷川・宮下・月村訳,築摩書房,1985),パリにおける1501年の出版点数の60%は宗教書によって占められていたが,1549年の出版点数の中で宗教書の占める比率は17%まで低下しているからである。 同書によると,同様の状況がシュトラスブルクにおいても観察されると言う。 そうして宗教書を除く他の出版物は,ギリシャ・ラテン語作家およびユマニスト作家の著作によって占められているのである。
  プランタンの活動の場が16世紀後半のアントワープであったことがプランタンとユマニストとの関係を一層複雑にしているように思われる。 まず第1に,1520年ごろを境目としてルネッサンスと呼ばれる西欧の歴史を画する1つの時代を切り離す裂け目が生じたことである。 すなわち1520年以降宗教改革と反宗教改革の抗争の嵐が全ヨーロッパを席巻することになるからである。 プランタンの生涯(1514-1589)はほぼこの激動の時代と重なり合っている(ちなみに,わが国では1516年足利幕府は大内義興に対明貿易独占権を認めている。 また1589年は豊臣秀吉の小田原征伐(発令)の年である)。 この混乱の嵐に立ちはだかるユマニスト出版業者の運命と悲劇を身をもって体現したのがE. ドレである(渡辺一夫,「フランスルネッサンス断章」,岩波親書,1950,の“ある出版屋の話”)。 これに加えて,第2に,プランタンが活動の場とした当時のアントワープは,なおスペインの支配下にあったのである。 同時代の P.ブリューゲルが描く「べツレヘムの戸口調査」(ブリュッセル,王立美術館)の荒涼とした心象風景は,フィリーペII世圧制下の占領地ネーデルランドの現実でもあったことであろう。 プランタンはそのフィリーペII世の庇護のもとに多国語対訳聖書ーそれはフィリーペII世にちなみ Biblia regia と呼ばれるーを出版したのである。 さらに事業の継続の過程において,オランダの独立をめぐるスペイン支配への反抗と,異端への加担,再びアルバ公の軍隊による奪還と,めまぐるしい政治の転換を身をもって体験するのである。 のみならず,1583年から1586年まではあのレムブラントが学年でもあったライデン大学へ大学の印刷業者とし難を避けざるを得なかった。 これらの困難の中で事業を維持しえたプランタンの営々不屈の努力は,まさに「不撓のプランタン」(Douglas C. McMurtrie, The Book : Thestory of Printing and Book-making, Oxford University Press, New York, 1943)の名を冠するにふさわしい。
  ジョルダーノ・ブルーノの思想史的解明に新生面を開拓したイエーツ女史の説くところによると(フランセス・イエーツ,「魔術的ルネッサンスーエリザベス朝のオカルト哲学」,内藤訳,晶文社,1984),プランタンの出版になる多言語対訳聖書のヘブライ語専門家として参加したギ・ルフェーブル・ド・ラボドリは,ヴェネチアのフランシスコ会修道士フランチェスコ・ジョルジの思想と理論の熱烈な信奉者であったと言われる。 ジョルジの思想はピコ・デラ・ミランドーラを頂点とする15世紀フィレンツェの新プラトン主義の哲学をユダヤ教の神秘主義的解釈であるカバラと融合することによってキリスト教の真理を解明しうるとするキリスト教カバラ主義によって基礎づけられているから,プランタンとユマニストの思想的なつながりは決して浅くないものがあると言うべきであろう。 のみならず,上記のイエーツ女子の書物はラボドリとバイーフ,デュ・ベレー,ロンサールらによって代表されるフランスのユマニスト達との思想的な関連をも示唆しているのである。 フランスにおけるキリスト教カバラ主義はギョーム・ポステルらのヘブライ研究によって推進されるのであるが,この東洋学者の生涯については,前期渡辺−夫教授の著作に詳しい(渡辺一夫「前掲書」,の“或る東洋学者の話”)。
  フランスにおける新プラトン主義の浸透の例にも見られるように,イタリアルネッサンスのフランスへの伝播には約1世紀のおくれを伴っているようである。 デュ・ベレー,ロンサールらのユマニストたちはこのイタリアルネッサンスの清心の息吹きを数々のポエジーの世界にみずみずしく結晶させた。 おそらくはこうした潮流に棹さして,プランタンも1つのソネットを残している。 親して「この世の幸せ」(Le bonheur de ce monde)と言う。 この詩に対しては,すでに平川祐弘教授による見事な日本語訳が知られているが(平川祐弘,「ルネッサンスの詩 -- 城と泉と旅人と --」,講談社学術文庫,1987年),ここではその末尾の3行を原語で引用して小文の結びとすることにしたい。 筆者は本年3月末をもって,学生としてこの学園に迎え入れられて以来45年余りを過したこの大学を去る。 この3行は筆者の昨今の感懐でもある。

Conserever l'esprit libre, et le jugement fort,
Dire son Chapelet en cultivant ses entes,
C'est attendre chez soi bien doucement la mort.

(くらばやし よしまさ 経済研究所助教授)


一橋大学図書館と私

藤野 正三郎

  思いつくままに書いてみる。 私が東京商科大学の学部に入学したのは,1948年4月のことであった。 その頃,良い戦争の影響で海外の研究文献,殊に研究雑誌は図書館に入っておらず,僅かに日比谷にあるアメリカ文化センター,東大図書館,それに横浜のアメリカ文化センターで戦争中のアメリカでの研究雑誌が利用できるという状態であった。 それも,現在のよらにコピー機器を簡単に使用できるという状態にはなかったから,上記の場所に通ってその日の終了時刻を気にしながら,必要文献をノートに筆写したものである。 いつか横浜のアメリカ文化センターまで出掛けていったら,偶々その日はアメリカの独立記念日で残念ながら休館だったこともある。
  そのようなわけで,学生から特別研究生の頃には,あまり図書館を利用した記憶がない。 記憶に残っていろのは,借り出した本が,筆写の手間をはぶくため,何者かによって剃刀で一部バッサリと切取られていたといったことである。
  1964年4月に経済研究所に入ってから,図書館1階の1研究室を利用することとなった。 それも3人で1室ということであった。 その研究室は,戦争中に暖房用のスチームのラジェーターが金属回収で取りはずされたままになっており,冬はダルマ・ストーブで暖を取ることになっていた
図書館の建物は分厚い壁をもっているから,外気の温度が及ぶのに時間がかかる。 それ故,夏は涼しくてよいのだが,冬は一度建物が冷えきってしまうと,今度は冷凍庫のようになってしまう。 その中でダルマ・ストーブに石炭をついで仕事をやるのは仲々大変だった。 ダルマはすぐに熱くなるが,ちょっと時間がたつとすぐに温度が落ちる。
  その頃経済研究所では戦前からの日本経済の成長・発展過程の研究が始まっていた。 この方向の研究には,わが大学の図書館の所蔵する文献が大きな働きをした。 東京附近の大学・研究機関の所蔵する戦前期の文献は,少くとも二度の危機に遭遇している。 一度は関東大震災であり,次は第2次大戦中の空襲である。 後者は疎開措置によって避けられたから,前者の影響が大きいだろう。
  しかし,幸いにして,わが大学図書館の所蔵文献はこの二度の危機を回避することができた。 そのため,戦前期の日本経済の研究にとって欠かせない統計書類が無事で戦後を迎えることができた。 いわゆるL記号図書である。
  L記号図書は「禁帯出」となっている。 それを研究所での研究に利用するというので,特別に研究所に借受けて利用した。 他の研究機関に比して,わが研究所の日本経済委研究が大いなる成果を上げたのには,このことが重要な要因となっている。 最近,長期経済統計全14巻がある出版社から出版を完了し,某新聞社からの経済図書文化特賞をえた。 このことにも,図書館の所蔵する資料の貢献は大きいであろう。
  その一冊に,私も戦前の綿糸紡績業についての生産量・粗産出額・固定資本ストック・労働投入量・賃金支払額などの推計結果および分析結果を発表した。 その作業過程では,図書館の所蔵する大日本紡績連合会編の『綿糸事情参考諸』,『紡連月報』などを利用した。
  また,1873年(明治6年)に始まる大蔵省『銀行局年報』は,日本の貨幣ストックを始め銀行活動・資金市場の状況を研究する上で欠くことのできない資料である。 これが,図書館にはそろっている。 そしてそのある年のものは,今や手厚い修理製本作業を必要としているものもある。 これは,私どもの利用の結果でもある。 十分な手入れが行われ,永く利用されるようになることを心から祈念している。 この資料を利用した,日本の貨幣量の推計作業結果およびその分析,また資金循環表の推計結果も,なるべく早い時期に公表したいと考えている。 その時には,まず第一に,わが図書館に献本する予定でいる。

(ふじの しょうさぶろう 経済研究所教授)


図書館遍歴

都築 忠七

  図書館は,研究者にとって空気か水のようなものかもしれない。 停年・退官という人生の一応の区切りを前にして,40年ほどの研究生活をふりかえるとき,いくつかの図書館が薄い記憶の膜のなかに浮かんでくる。 図書館について強烈な印象をもったのは,大塚金之助先生の『解放思想史の人々』「まえがき」を読んだときぐらいであろう。 先生は,戦時中「思想犯」として母校の図書館の利用さえ制限された。 人間が空気や水の供給を制限されるようなものである。 学者は本なしには生さられない。 先生の書物蒐集活動は,失業時代もふくめ生涯つづいた。 私が卒論に利用したデフォーの『完全な英国紳士』も,先生が神田の古本屋で見つけたものだが,幸い今では国立の大塚文庫におさめられている。 話はとぶが,私の留学中,先生の和書を外国の図書館に売りこむため,例の「まえがき」を英訳してPRにつとめたこともある。 結局,売りこみは成功せず,和書は,先生の今ひとつの母校,フンボルト大学(のちに東独国立図書館)に寄贈されることになった。
  私自身の図書館遍歴の走馬灯の最初にくるのは,プリンストン大学のファイアストン・ライブラリである。 斬新な施設,たとえば院生ひとりひとりに与えられる書庫内の小部屋(キャレル)が印象的だった。 図書館のなかにコーヒー・シヨップがあり,ゴールドマン教授のアメリカ史のセミナーの途中,よくそこでくつろいだものだ。 そのときいっしょだった久保きぬ子女子(当時女人禁制のプリンストンでは変則的存在)やマッキントッシュ君(のちにイギリス労働党議員,政治史の著書あり)も,今では故人になった。 次の留学先マディソンのウィスコンシン大学で,ようやく研究らし研究を始め,とくに大学に隣接た州立歴史協会の図書館 -- アメリカ史に関する第一次資料の宝庫 -- を利用させていただいた。 ミルウォーキーへビールとともにドイツからやってきた社会主義運動 -- その関係資料は圧巻だった。 世界中の新聞が丹念に保存されているのにも驚嘆した。 ウィスコンシン制度学派のひとり,セリグ・パールマン教授の自宅をたずね,ロシア紅茶をご馳走になったことも忘れがたい。 ブロンフェンブレナ教授夫妻と知りあったのもこの頃である。
  私の最初のオックスフォード生活は1954年から59年まで,ポドレーアン図書館の手書きのカタログに眼を見張り,クリストファー・ヒルがどこかで書いているように,ボドレーの収書の指針にった思想の自由の先駆者たちの壁面の肖像に時を忘れ,G.D.H. コールの蔵書を入手したばかりのナフィールド・カレッジの旧図書館に通いつめたのも,壊しい思い出である。 当時はセント・アントニーズ・カレッジの奨学金(ローンではない)で研究生活をつづけ,カレッジから研究旅費を頂戴してアムステルダムの国際社会史研究所を訪れ,旧ドイツ社民のアーカィブを渉猟することもできた。 ハインドマンやモリスの手紙の解読に疲れて外に出ると,物静かな運河の佇まいが仕事の疲れを癒してくれたものだ。
  一年の約半分を占めるオックスフォード大学の休暇は,ほとんどロンドンで過こした。 大英博物館の快適な読書環境は,今では大分損われたようだが,それでもマニュスクリプト部は今も変わらず,そこで当時まだ整理中のバーナード・ショ−の私信に目を通した記憶がある。 ここはその後も,私の仕事の拠点となり,コリンデールの新聞図書館とならんで,私の研究の最大の恩人だったといえよう。 コリンデールで出会った研究者は数多いが,そのなかでへンリー・コリンズとへンリー・ペリングの印象がとくに鮮明だ。 ロンドンではLSEの図書館にもお世話になった。 当時の古い図書館は迷路のようだったが,新聞雑誌が比較的容易に見られたこと,スタッフが親切なことなど,当時の特色が今の新しいLSE図書館にも受け継がれている。 もうひとつ,クラーケンウェル・グリーンのマルクス・ハウス(もとSDF「二十世紀出版所」)へも,足繁く通った。 シェフイールド郊外のウォートリ・ホールに所蔵されていたハインドマン文庫を調べに出かけたのも,その頃である。 シェフィールドの中心街は煤煙で真黒に汚れ,工業都市の面目躍如としていたが,それも今では隔世の感がする。
  私がエリノア・マルクスの調べものをしたのは,主にフランスだった。 国立図書館や国立文書館にも足を運んだが,最大の鉱脈は当時発掘されたばかりのマルクス家私信であり,それを保管していたサン・クルーのポッティジェリ氏のところに一週間通いつめた。 東ベルリンのマルクス・エンゲルス研究所へも出かけたが,収穫は意外に乏しかった。
  次のテーマ,カーペンターの調査は,シェフィールド市立図書館とケンブリッジのキングズ・カレッジおよびトリニティ・ホールそれぞれのカレッジ図書館に多くを負っている。 最初の産業革命の舞台だったイングランド北部の工業都市では,工場の多くは姿を消したが,いずれも立派な公共建造物,とくにすばらしい石造りの図書館を後世にのこした。 シェフィールドのほか,リーズ,マンチェスターの市立図書館を訪れ,リーズ大学のブラザトン・ライブラリ,マンチェスターの古風なライランズ・ライブラリにはマニュスクリプトでとくにお世話になった。
  爆撃で破壊しつくされたコヴェントリー市の新しい市立図書館と近くのウォーリック大学ナショナル・アーカイヴ・センターは,貴重な資料を私のトム・マン研究に提供してくれた。 ジョン・サヴィールが案内してくれたハル大学図書館は,サヴィールの研究関心を反映して,労働史研究の知られざる宝庫になっている。
  研究者は,個人所有の私文書にも目を向ける。 私の場合はシートン・ワトソン家のハインドマン文書,ラドフォード家のエリノア・マルクス関係文書など。 マンの息子チャールズ・マンのサマセットの家を二回訪れ,レーニンの肖像画のかかった部屋で寝泊まりして,古い手紙や切り抜きに目を通したことも懐しい思い出である。 個人の蔵書では,マンチェスターのフロウ・コレクションが最近の圧巻である。 エディ・フロウはもと機械工,その蔵書は,同じく機械工出身のジョン・パーンズの有名な蔵書にまさるとも劣らない内容だった。
  図書館や蔵書は研究者にとって水や空気の如きもの,と最初に述べたが,実は,その水や空気は,多くの人々の好意によって得られた貴重なものだった。 私が主に仕事をしたイギリスでは,私の知るかぎり,研究者は相互に助けあい,図書館は進んで研究者の研究に協力した。 上に書き連らねた私の追想が,リサーチ・ライブラリとしての本学図書館の今後の発展に何かを示唆するものとなれば,私の望外のよろこびである。

(つづき ちゅうしち 社会学部教授)


「市民ゼミ」と「ネタ本」と「私」と

岡山 誠司

  小幡祐土氏のすすめで,一昨年9月「県民力レッジ」で「情報を楽しむ」を講演した。 その冒頭で,われわれの身辺に氾濫する情報を,“知らない”と, (1)恥をかく“モノ知り情報” (2)損をする“ハウツー情報” (3)世の中に乗りおくれる“ヤジ馬情報” (4)人生につまづく“ライフ情報” とに4分割する「情報分類」を紹介し,私は,これを時系列の順序にならべて,人々の関心は(1)から(2),(3)へ,次第に(4)へと移ってきていることを指摘した。 また,情報源については,マスコミ,ミニコミの情報を“信頼性”そして“おもしろさ”の観点から,その程度を座標点であらわす「情報心理地図」を紹介して,私は,この地図の空いた領域つまり信頼度は高いが全くおもしろくない情報(データ)と,信頼度は低いがおもしろい情報(仮設)が欠落していることを指摘したりした。
  さて,この「情報分類」や「情報地図」は, 『分衆の誕生』博報堂生活総合研究所編,日本経済新聞社1985 からの引用である。 そして,講演のむすびには 『かくれたリズム』 エビエタ・ゼル・バベル者,サイマル出版1984 でみつけた,知的な楽しみの2つのタイプ, (a)地球裏側に住む人々の生活について学び,何千年前の昔の出来事を調べるなど,空間的・時間的制約を越えて知的な世界をひろげていく“望遠鏡的な楽しみ” と, (b)日頃みなれているもの,あたりまえと思っている事柄など,あらためて見直し,そこに新しい事実や意味を発見する“顕微鏡的な楽しみ” とがあるという木田橋美和子氏のまえがきの一節を紹介し,共感をこめておすすめした。
  さて,“ライフ情報”は,前述のa.の楽しみとかかわっている。 例えば, 『健康な人格』 D. シュルツ者,川島書店1982 があげられよう。 豊かな人間性や生き方の参考になる7つのモデルとして,成熟した人間(オルポート),完全機能する人間(ロジャース),生産的人間(フロム),自己実現する人間(マスロー),個性化した人間(ユング),自己超越した人間(フランクル),”いま,ここ”に生さる人間(パールズ)が解説されている。 もう1冊あげれば, 『発達の理論』 W.C. クレイン著,田研出版1984 がある。 人間の清心・心理の成長について,ロック,ルソー,ダーウィン,ローレンツ,ティンバーゲン,モンデツソリー,ピアジェ,フロイド,エリクソン,ユング,バブロフ,スキナー,チョムスキーらの所説が要領よくまとめてある。 こうしたテーマや内容は,専門や職業,学生や社会人,男女を問わず,今日生きるわれわれにとって大いなる関心事ではないだろうか。
  そしてまた,“データ”と“仮設”については,前述のb.の楽しみとかかわっている。 この“データ”を探しあてること,これを自分の力で加工,処理して“仮設”を導くことこそが,情報を楽しむ窮極であり,ぞれが自分を活性化させ,勇気づけるのに役立つと力説したこともあって,その後,聴講者有志を相手にゼミナールをもち,私流の加工処理の具体事例を,情報科学と銘打って柏市の福祉会館で披露してきた。 そのためにも“データ”となりそうなネタ情報を図書に求めることになった。
  ちなみに,私にとってネタ本であるための条件は,数値的,計量的に扱われていること,表やグラフが示してあること,スケッチや写真などの図表現があることの3点である。 ニューサイエンス分野の訳書が,漢字かなまじり文でビッシリなのは,私のせっかくの好奇心も勢いがそがれてしまうのである。
  さて,知的楽しみにつながる図書となると,学問・知識の領域,部門や分野を問わない。 UDCやNDCの分類コードは関係なく無差別になってくる。 そして,いわゆる専門書には用がない。 断然,一般教養向け図書である。 自然科学系の蔵書が少なくても気にならないから,本額の附属図書館,本館,第1,第2,第3書庫,そして新館に出没することになる。
  大部分の図書,書架の前はパスしてよい。 しかし,どこに“これは”と注目すべき書が混入しているか,ゆだんはできず,背表紙を眼でスキャンするのがひと苦労であった。 もっとも分館は,教官指定学生専用図書の制度があったので,教料の名を借りて,もっぱらネタ本として役立ちそうな図書をしっかり購入してもらったし,他の教科の指定書も結構,利用した印象が残っている。 それはともかく,自分が満足できる情報を自分の手と頭で選び出し,つくり出していく楽しみを共有しようとする人々が連帯して,生きがいの輪をひろげていくことが,私は,今日の高度情報化社会を生きる知恵だとみている。 それはひそかではあっても着実に進行しひろがってきていると“にらんで”いる。
  実は,これも 『人間,この共謀するもの』 N. コールダー者,みすず書房1976 の結論に,人間は人間をつくる。 教育し,互いに行動を形成し合い適切な行動を助長し,不適切な行動を阻止するよう共謀する存在である……と書かれていたのに触発されての私の願望である。
  同書の原題 The Human Conspiracy の記憶が 『アクエリアン革命』の (The Aquarian Conspiracy) M. ファーガソン著,実業の日本社1981 を見て再生した。 心の変革をなしとげた個人があちこちに生れ,互に知り合うことがなくても,目に見えない連帯となって拡がり,やがで世の中全体を変革していく……(堺屋太一氏の序文)。 そして第1章がズバリ The Conspiracy なのである。 それは暴力を用いる革命ではなく,人々の心の中の静かな連帯であり“たくらみ”と呼ぶにふさわしい文化のうねりだ,と要約している。
  連帯や共有を前提とした自由で自発的な市民の存在を扱った 『ネットワーキング』 J. リップナック & J. スタンプ著,プレジデント社1984 を最近みつけた。 紙数もつきたので引用は省略するが,アメリカでは,地球における新しい生活方法として1980年代の1つの流れでもあったという。
  私の気負ったさきの“にらみ”も,こう事情が明るみに出てくると色あせたものになってくるのだが,-- “様々な語らいの時をもち……充実した時の流れはあっという間に過ぎ,その後の私の心の中には,まるでひとつぶの水滴をたらした水面のように幾重にも波紋がおり重なって…久しぶりに新鮮な空気を吸いこんだような…語らえば,お互いの「生」は探まり,広まりを感じ,生命がいとしくなる” -- (税所祐子さん)。 私の講演について寄せられた,こんな感想文を読んで,自らなぐさめている今日この頃ではある。

(おかやま せいじ 経済学部教授)


私の運命を定めた一橋大学図書館

-- 「打出の小槌」のようにコンビニエンス --

田中 浩

  一橋大学の図書館の思い出について何か書くようにとのことであるが,この7年間,自分で本を借りだしに行ったことがほとんどなかったので,図書館職員の方々ともまったくといってよいほど面識がないままに国立を去るのほちょつと残念である。
  かといって,私が本学の図書館の恩恵を受けなかったわけではない。 それどころか大変にお世話になったのである。
  話はいきなり40年ほど前に遡るが,私は,故太田可夫先生のお口ききで,昭和26年の春から夏休み前にかけて(旧制大学3年・卒業年次),ハースという人のエピクロス思想のホッブズ哲学に与えた影響にかんするドイツ語文献を読むために都心から国立へ週1回位の割合で,通っていた。 貴重文献のためか持出し禁止で,今のようにコピーなどという便利なものはなかったので,私は全文を大学ノートに筆写しながら考えるという作業を続けた。 当時,東大の「史料編纂所」に勤めておられた永原慶二さんかあるいは歴史学者の遠山茂樹さんか渡辺義通さんからうかがったか,記憶は定かではないが,戦後アメリカの日本研究者たちが,「史料編纂所」にハンディな複写機を持ち込んできて,パッパッとコピーするそばで,日本人研究者が汗水垂らしながら古文書などをせっせと筆写している,という話を聞いて,さすが戦勝国の文明発達の度合は違うわいと,関心したりうらやましがったりしたのも今は遠い昔物語りである。
  ともかく,私は数カ月かけてハースの本を筆写し,それを頼りに「ホッブズ自然法理論におけるエピクロス的性格」という卒論の骨格を作りあげた。 今,思うと,正面一階の突当りの右手に細長い机がおいてあって,そこでシコシコ⊃と大学ノートに原書を筆写した。 ときおり,当時,助教授位であったかと思われるが,若き日の鈴木秀勇氏(なぜそれと判ったかはわからないが,恐らく図書館の方からうかがったのかも知れない)が熱心に原書を読んでおられたが,もちろん恐れ多くてお話したことはなかった。 私が社会学部に着任したとき,当時とほとんど変りないような若々しい感じの鈴木教授を教授会の遠くの席から拝見して,あの頃のことを懐しく思いだしたものだが,ついに,それをお伝えする機会を逸した。
  さて夏休みは,卒論の草稿をンェイプ・アップするために,まず,避暑兼研究・執筆で戸隠高原におられた新婚ホヤホヤ(?)の水田洋先生夫妻を尋ね,一晩,同部屋で川の字になって寝ながら,ホッブズの論文の構想などを語り,先生はただウンウンと聞いておられたような気がする。 それから北陸回りで京都に出掛けた。 ここには旧制高校時代の同級生が7・8名いたので気強かった。 約40日間,京都御所の東側,同志社大学近辺の今出川通り出町に部屋を借りて(たしか12畳で7百円であった),午前中は,法学部か中央図書館で本を読み,日中は暑いので(もちろんクーラーなどない),もっぱら友達とだべり,夜は夜で近所の広場でかれらと盆踊りに熱中した。 というわけで,ほとんど遊んで暮したようなものだったが,故大島康正教授から紹介状をいただいたギリシャ哲学の権威故田中美知太郎先生,アリストテレス学の大家高田三郎先生,また西哲叢書に「ホッブズ」を書いておられた故重松俊明先生のお宅に時々うかがっては,テーマに関する質問点について御教示いただいたことが最大の収穫であった。 三先生とも,見ず知らずの「えせ」哲学青年を心よくお迎え下され,ときには夕食までおごちそうになった。 古き良き時代の思い出である。
  しかし,何といっても,一番お世話になったのは太田可夫先生である。 そもそも,私の卒論テーマ自体,先生がヒントを与えて下さったものだからである。 「田中君,ホッブズとエピクロスの関係を調べてみたら面白いよ」とさりげなくおっしゃった先生の御言葉を今でも忘れることができない。 それから,ツェラー,ディルタイ,J. マリタン,ハスバッハ,ベイリー,ルクレチウス,ボルケナウなどの哲学史や政治・社会思想に関する原書や文献を読み漁り,何んとか12月15日までに卒論を書き上げ,それが契機となって,卒業と同時に当時新設の東京教育大学の政治学科の助手に採用された。 したがって,「風が吹けば桶屋がもうかる」式に言えば,私の今日あるのは,一橋大学図書館のあの一階読書室である,ということになろう。
  さて,私は,1983年4月から,思いがけず社会学部に赴任することになる。 もうその頃は,私の研究関心は,近代日本政治思想研究に重点か移りつつあった。 そして,西洋はもちろんのこと,日本についても,一橋大学の図書館が実に充実していることにどれだけ助けられたことか。
  この5・6年,私は,福沢諭吉,田口卯吉,陸羯南などの思想に取り組んできたが,これらの思想家に関する全集や文献を読みたいと思えば,まるで「打出の小槌」のように,次々に本が運ばれてきた。 また.長谷川如是閑の彪大な文献については,書誌係の方々が実に親切に国会図書館に連絡してコピーその他の形で収集して下さった。 誠に感謝の念にたえない。
  私がこれまでよく使ってきた図書館は,第一に国会図書館,第二に早稲田大学の図書館,第三に東大の図書館であった。 しかし,一橋大学に赴任してからは,自己の蔵書に加えて,本学の図書館を利用すればほとんど間に合った。 これは実に有難度いことであった。 今,国立を去るにあたり,一番心配なのは,図書館問題である。 しかし,今後とも一橋大学の図書館を利用させていただければ,この難問も突破できるのではないかと思っている。 どうか,時計台のそびえる美しい一橋大学の学問を象徴する図書館よ,いつまでも私の強力な味方になって下さい。 最後に,図書館員の皆さんにお礼の言葉を申し上げると共に,ますますの御健斗をお祈りする次第である。

(たなか ひろし 社会学部教授)


マイクロフィルム資料の周辺

山本 満

1

  一橋大学の図書館には私が調べたいと思うマイクロフィルム,マイクロフィッシュの資料がいくつか所蔵されている。 しかし,そのためのまとまった時間かなかなか取れなかったり,目の疲れを思うとつい億劫になったりして,この大学に8年いる間に実際に目を通すことができたのは,見ようと思っていたもののほんの一部分を出ない。 だが,居ながらにして一次資料を利用できた有り難さは小さなものではない。 資料に因む雑感を一つ二つ記して,図書館とそしてお世話になった職員の皆さんへの謝辞に代えようと思う。
  目を通したマイクロフィルム資料の一つは1930年代の英米関係また英日関係に関するイギリス外移省の文書である。 ついでに記しておくと,図書館に現在までに受け入れずみの同文書はつぎの三つのグループから成る。 (1)アメリカ関係 (United States Correspondence, ロンドンの外務省と在米の出先との交信記録,1930-1948年分計388リール), (2)日本関係 (Japan Correspondence, 日本駐在の出先との交信,1856-1905年分計113リール,1930-45年分113リール), (3)ロシア関係 (Russia Correspondence, 同じくロシア駐在の出先との交信,1883-1948年分計970リール)。 (1)と(2)のごく一部を私は見たことになる。

2

  「会談は憂鬱なものでした。 希望のきざし,気持を引き立ててくれる話は何ひとつありませんでした」 -- 米大統領に正式就任する直前のロ−ズヴェルトにニューヨークで面会したイギリスのリンゼイ駐米大使はロンドンへこう報告する (サイモン外相宛,1933年2月21日)。 「ローズヴェルトの話しぶりやゼスチュアは快活でしたが,それはこの人物の楽天的な気質をあらわしているだけで,われわれの懸案問題をめぐる状況が明るいわけでは少しもありません。 新政機の国務長官には有能を噂される人物が予定されていますが,この人に会うことに私はいまのところ唯一の希望をつないでいます。 明日ワシントンヘ戻ります。 その人物--ハル氏にはそこで面会する予定です」
  日米開戦直前のハル・ノー卜(1941年11月26日付)で日本にも因縁浅からぬ国務長官予定者に2月27日に会ったリンゼイ大使は,しかし,英米間のさしせまった懸案問題について,明るい見通しは引き出せない。 その日のうちにロンドンへ送った報告(外相宛) -- 「会談はどちらかと言えばまとまりのないもので,解決へ向かって前進するというものではなかったようです。 ハルの話ぶりは散漫で,実務家とか行政家より議員スタイルです。 政策の一般的な考えは頭にあっても,細部までの掘り下げた検討があるとは見えません」。 誠実な人格者,努力家,どちらかと言うと内気,その性格にどれほどの強ささがあるかはよくわかりません,というのがハルに対する印象である。 「内密に耳にしたのですが,前国務長官のフィリップス氏が新政権の同じポストに任令されます。 何よりも喜ばしいニュースです。 同氏が筋道の通った考えの,親切切な人物であることはさておいて,氏が次官になれば国務省の機能回復も近々のことでしょう」
  頼みになりそうな交渉相手と新政権の方針に関する確たる情報とを求めて大使の探索は精力的につづくのだが,期待するような成果は得られない。 このあたりの電報の往復を読んでいくと,たとえばアメリカの国際政治学者コへインが,両次大戦間の国際政治経済における対立激化の原因として,アメリカの政治の混迷を重視する考えを述べていることが,ごくミクロのレベルで確かめられるように思えてくる (After Hegemony, p. 34)。 回り回って大統領のところへ戻るのだが,そめたびに大使が出会うのは,不況,失業,銀行危機といった当時の状況を背景に,議会と,そして世論と呼ばれるものの囚われ人となっている大統領の,曖昧でとらえどころのない,時間かせぎとしか思えない話である。

3

  当時,イギリスにとって対米関係における最もさしせまった懸案が二つあった。 一つは第一次大戦のさいの対米債務の処理つまりは債務支払いの思い切った切り捨ての要求であり,もう一つは国際的協力によって世界恐慌からの脱出を図る趣旨で前年来国際連盟を中心に企てられていた世界経済会議開催の準備である。 イギリスの主張では,問題は二にして一である。 ドイツからの賠償取り立てと,英仏などの対米戦債支払いを含む政府間債務一切の思い切った軽減こそ,世界経済立て直しの第一の前提条件だと考えたからである。 ところがアメリカからすると,戦債と会議はあくまで別々の問題でなければならない。 恐慌で苦しんでいるのはアメリカ人も同じである。 国内に債務の重圧にさらされている人が多数いるというのに,外国へ貸した金をなぜ棒引きさせられねばならないのか。
  最初に引用した電報によると,ローズヴェルトはこういうことをイギリスの大使に言っている。 全く個人的な意見だが,戦債棒引きが一番いい解決かもしれぬ。 しかし,棒引きどころか英仏などが合意ずみの軽減案さえ,とんでもない話というのがアメリカの世論の現状だ。 各国が協力して世界経済の回復を図るんだということが,世界経済会議などを通じて具体的に見えてくるようだと,世論の雰囲気もおそらく今よりはよくなって,何か見通しが出てくるんじゃないのか。 苦い薬を飲み易くする工夫を議会のために考えてはいるんだけど…。 2番目に引用した電報に言うハルとの会談では,さしあたり戦債のことは脇に置いておいて,世界貿易を妨げている経済ナショナリズムの除去に自分は取り組むつもりだという話を大使は聞かされている。 一番大事なことを脇に置かれたのでは話の進めようがないというのが大使の感想だったであろう。 マクドナルド内閣も,この問題で議会およべ世論の恐慌論の虜になっていた。 その点ではローズヴェルト政権と変わりはなかった。 ドイツからの賠償取り立てを事実上中止し,そうすることで世界恐慌の克服にイギリスが貢献するからには,アメリカへの借金返済を終わりにするのは当然のことではないか。 そういうのがイギリスの世論であった。

4

  難題がさらにもう一つ加わる。 4月19日にアメリカが金本位制を離脱した結果,主要国間の為替レー卜切り下げ競争をどうやって抑制するかが緊急の問題として登場したことである。 これらの問題のどの一つについても話がまとまらないうちに,6月12日,世界経済会議がロンドンで始まってしまった。 内幕が分かってみれば,いくら前からの予定とは言え,こんな状態でよくもこんな大掛かりな国際会議が開かれてしまったものだという気がする。 確たる見通しは何一つなかったのに,開会後1カ月半で無期休会になったことより,始まったことのほうが不思議に思えさえする。 事情の分かっている内輪の人たちは,たぶん成功の幻想なぞ初めから持たずに,ただ儀式をやっただけかもしれない。 他にやることを思い付かなかったためだけで。 どんな時でも政治家は何かをしているように国民に見せかけていなければならないためだけで。 いつだって‥。 交信を読みながら,そんなことを思ったりする。

(やまもと みつる 法学部教授)



外国雑誌センターと私

宮鍋 幟

  教師や学生にとってその所属する大学の図書館は,日々そこに出入りし,内外にわたる新旧の書物や新聞・雑誌等を利用させてもらえるのだから,思えばまことにありがたい存在である。 まして本学のように充実した図書館をもつ場合はなおさらそうである。 私も例外ではなく,戦後間もなく旧制予科に入学してから今日に至るまで小平の分校図書館,国立の附属図書館や経済研究所の資料室など,本学のいくつかの図書館にずいぶんとお世話になってきた。
  そのうち私が附属図書館を比較的よく利用したのは昭和25年4月から3年間の学部学生時代である。 とりわけ学部3年生の春から秋にかけて(夏休みを除き)日課のようにして附属図書館に通ったことが今でも記憶に残っている。 そのころの私にはカネはなかったが,時間はあつたので,卒業論文の準備のために附属図書館の本と閲覧室をいわば集中的に利用させてもらったのである。 私が卒論を,その出来栄えはともかく,何とか書きあげることができたのは,まったく附属図書館のおかげであった。
  しかし学部卒業後,特研生を経て経済研究所でソ連経済の研究に携わるようになってからの私は,附属図書館から自然と足が遠のいてしまった。 経済研究所資料室のソ連経済関孫の蔵書は定期刊行物をふくめて質量ともにいまやわが国第一級のものであるが,その基礎は私が経済研究所助手になった昭和31年にはすでにできあがっており,以来,私はますます充実していくそれらの資料を利朋することでこと足りたからである。
  ところが最近になって事情が変わり,私は附属図書館に再び出入りするようになった。 というのは,今から5年前に附属図書館の1階に社会科学系外国雑誌センターが設置され,そこで研究所資料室ににはないソ連の新聞や雑誌が閲覧できるようになったためである。
  5年前といえば,ソ連でちょうどゴルバチョフが登場したときである。 このときからソ連では社会体制全体のペレストロイカ(立て直し)が国の目標になり,これにグラスノスチ(情報公開)と民主化を加えた三位一体的なスローガンのもとで,ソ連が大きく変わりはじめたことはよく知られている。 とりわけグラスノスチを通じで言論の自由が認められるようになったため,ソ連の新聞・雑誌が非常に面白くなった。 研究所資料室でソ連の新聞では『プラウダ』,『イズヴェスチヤ』,『社会主義工業(本年1月から『ラボーチャヤ・トリブナ』に改称),『トルード(労働)』などの日刊紙,『経済新聞』(同じく『経済と生活』に改称),『文学新聞』,『ネジェーリャ(一週間)』および英文の『モスクワ・ニュース』といった週刊紙が利用できるが,これだけでは間に合わなくなった。 また同資料室には社会科学関係のソ連雑誌がほとんど揃っているが,そこにはないいくつかの文芸総合誌や全ソ知識普及協会の機関紙などにもエコノミストの興味深い論文が掲載されるようになった。 たとえば文芸総合誌『ノーヴィ・ミール(新世界)』の1987年2月号は,ソ連の公式統計の水増しぶりを徹底的に枇判した G. ハーニンと V. セリューニンの共著論文「狡猾な数字」を載せた。 それによると1928〜85年のソ連国民所得の伸び率は公式統計では90倍であるが,著者の計算ではせいぜい6〜7倍にとどまるというのである。
  もう1例を示しておこう。 別の文芸総合誌『ズナーミャ(旗)』の昨年1月号にソ連科学アカデミー米国カナダ研究所の N. シメリョフ教授が「権力かルーブルか」と題する論文を発表し,そのなかでスターリンにまつわる次のようなひどい話を紹介している。 1950年にルーブルの対ドル交換レートを決めたとき,専門家たちは1ドル=14ルーブルというペーパーをスターリンに提出した。 ところがスターリンは「彼ら(つまりアメリカ人)にはこれで十分だ」と言いながら青鉛筆で14ルーブルを消し,代わりに4ルーブルと書いたというのがそれである。 こうしてルーブルの為替レートが当時スターリンによって恣意的にひどく高目に設定され,それが現在まで尾をひき,結局そのような非現実的なレートは「われわれに高いものについた」とシメリョフは述べている。
  外国雑誌センターには今ではかなり多数のソ連の新聞・雑誌が揃っている。 そのなかで日刊紙の『ソビエト・ロシア』と『コムソモーリスカヤ・プラウダ』,週間紙の『論拠と事実』およびロシア語の『モスクワ・ニュース』,それに週間紙の『アガニョーク(ともしび)』,月刊紙『ズナーミャ』や全ソ知識普及協会の2つの機関誌『科学と生活』と『知は力』などは経済研究所からお願いして1987年から同センターで購入してもらっているものである。 なお,『ノーヴイ・ミール』は小平分館にあり,以前はときたまそれを利用させてもらっていたが,ペレストロイカ以後これにはしばしば経済論文が掲載されるようになったため,昨年から研究所資料室でとってもらっている。
  こうして現在,私にとって研究所資料室とともに外国雑誌センターはなくてはならぬものである。 それらに常備されている上述のソ連の新聞・雑誌をひとりの力ですべて読みこなせるものではむろんないが,いざ必要なときにはいつでも利用できるので,恵まれた条件にあるといえる。 間もなく定年を迎え本学を去る私にとって,同時にそれはこの恵まれた研究条件から離れることを意味する。 それだけに,その恩恵がひとしお感じられる今日このごろである。

(みやなべ のぼる 経済研究所教授)



文献複写料金徴収猶予について

-- 公私立大学へのお知らせ --

  平成元年9月1日から「料金の徴収猶予」(後払い)制度を実施しています。平成2年度にこの制度を利用する機関は「文献複写料金徴収猶予許可申請書」を当館に提出してください。



平成元年度大型コレクションの購入

  平成元年度予算において,外国学術図書の重点的整備のために文部省が講じた予算が本学にも配分されました。 本学では本年3月に「英国貴族院日誌」1点を購入します。 資料の活用を期待し,コレクションの概要を紹介します。



「英国貴族院日誌 (Journal of the House of Lords)」について

神武 庸西郎

  後述の Rotuli Parliamentorum に引き続くイギリス議会史上の基礎史料としては,1547年以降刊行されてきた Journal of the House of Commons (英国庶民院日誌)がしばしば利用されている。それは諸種の陳情,委員会報告,各省庁からの報告,証言の聴取記録,予算案などを記録しており,16世紀以降のイギリス史(政治史,議会史,経済史など)を研究するばあいの第一級の史料となっている。
  今回購入された「英国貴族院日誌 (Journal of the House of Lords)」はその貴族院版である。 それは Henry VIII世(在位1509年-47年)の治世第1年目(Anno primo Regni Regis Henrici Octavi)を期して刊行が開始され,共和制時代(Commonwealth period)における貴族院院の廃止に伴い11年間の中断があったものの継続的に公刊されて今日にいたっている。 最初はすべての記録内容がラテン語で表現されていたけれども,法案の名称や欄外注をあらわすのに英語が徐々に使われるようになり,ほぼ1世紀後の James I世(在位1603-25年)の治世には英語表記が支配的になって,国王の演説など若干の形式的な部分だけにラテン語が使用きれるにとどまった。
  「貴族院日誌」は内容が簡略であるために別の史料(代表的なものは Historical Manuscript Commission Report, House of Lords MSS 1678-1706,6 voIs.)によって補われなくてはならないが,しかしそれは,上記「英国庶民院日誌」とあわせて,イギリス史研究の基本史料を構成しているので,今後できるだけ多くの研究者や学生によって活用されることが望まれる。 なお,本学附属図書館所蔵の「庶民院日誌」は1547年から1947年におよんでいる(ただし,現存利用できるのは第38巻[1780ー82年]までで,1783年以降の部分は未整理)。


「議会記録集 (The Rolls of Parliament)」について

  本記録文書は Rotuli Parliamentorum というタイトルで,1767年にイギリス議会の発議により刊行が企画された。 実際に刊行されはじめるめは1771年からで,77年までに計6巻が公刊された。 しかし,Index の編纂は大幅に遅延し,1832年につぎのような表題でようやく完成した。 すなわち,
  Index to the Rolls of Parliament; comprising the petitions, pleas and proceedings of Parliament, from ann. 6 Edw.I., to ann. 19 Hen. VIIA. D. 1278-1503. Prepared and edited ... in Part by J. Strachey, and J. Pridden; and completed by E. Upham. London, 1832.
  記録は Edward I世(在位1272年ー1307年)の治世第7年目から Henry VII世(在位1485年-1509年)の治世19年目におよんでいる。 記述内容は Richard III世の治世(在位1483年-1485年)以前と以後とでかなり変化している。 それ以前の Rotuli Parliamentorum には,制定法として成立しなかったものをも含めて,請願,法案,抗弁などが記載されているが,それ以後のばあいには議会制定怯(Acts of Parliament)だけが記録されるようになる。
  本資料はすでに評価の定まった有名なものであり,当該時期におけるイギリスの法制史,政治史および社会経済史の研究にとって必要不可欠の一次史料である。 ちなみに,この史料においては庶民院と貴族院との区別がなされていないが,その理由は両者の明確な区別が15世紀までは存在しなかったからである。

(かみたけ ようしろう 経済学部教授)



本学教官著訳寄贈書一覧 (平成元年度)

〔国立本館〕
山崎 昭: 数理経済学の基礎 (学位論文)
油井 大三郎: 未完の占領改革
小島 清: 海外直接投資のマクロ分析
田中 克彦: シャマニズム (訳)
松石 克彦,水岡 不二雄: 空間編成の経済理論 上下 (等訳)
山田 勇三: 寒蝉第4集
西成田 豊: 近代日本労資関係史の研究
木村 栄一: 一橋論叢101巻5号抜粋 (木村栄一名誉教授 略年譜・著作目録)
松永 征夫: 現代経済の制度と組織 (宮沢健一先生退官記念論文集)
山本 武利: 現代中国の消費革命 (編著)
久保庭 眞彰: Quantitative economics of socialism input-output approaches.
尾高 煌之助: The Motor vehicle industry in Asia. (編)
〔小平分館〕
上田 辰之助: 上田辰之助著作集3
倉林 義正: SNAの成立と発展
松石 勝彦,水岡不二雄: 空間編成の経済理論 上下 (等訳)
河村 錠一郎: ヴィクトリア朝の絵画




フランスの企業図書館

-- クレディ・リヨネ見学記 --

鎌田 陽子

  昨年の夏10年ぶりにパリヘ行った。 第55回国際図書館連盟大会に参加するためである。 各国の図書館関係者の交流と協力をはかるこの機関は毎年世界のどこかの都市で大会を開いている。 1986年には東京で第52回大会が行われた。 1989年はフランス革命200周年を祝うパリ市が誘致したのである。
  国際会議につさものの分科会やレセプションの他に,この催しには図書館見学が用意されている。 今回も,大学図書館や公共図書館から病院や刑務所の図書館にいたるまで,パリとその近郊にある様々な図書館が80カ所以上も大会参加者のために公開され,団体見学のツアーも会期中毎日組まれていた。 見学対象図書館のリストの大企業の企業委員会図書館という項目の中に,クレディ・リヨネの名前が目についたので迷わず行ってみることにした。
  というのは,図書館で働くようになる前にクレディ・リヨネが共同出資者のひとつであった小さな合弁会社で秘書兼タイピストとして働いていて,その時のボスがここから出向して来た人だったので親しみと懐かしさを感じたからである。 クレディ・リヨネは,その名が示すようにリヨンで19世紀の半ばに設立された金融企業で40年ほど前に国有化され,現在ではフランス有数の銀行のひとつになっている。
  引率者に連れられて着いたところは目抜き通りから少し入った裏通りにある小ぶりなビルの1階で,日本でいえば市立図書館の分館といった趣きの小さな図書館であった。 書架にならべられている図書の大半は小説や趣味のための本で,こども向けの本もかなり多く揃えてある。 カセット・テープやCDなどの音楽資料も置いてある。 閲覧コーナーのテーブルの上には自由に持ち帰られるようにパンフレットがならべられていた。 ひとつはフランス革命に関する本の解説付き目録でA4判32ページのもの,もうひとつは0才から16才まで2才毎の年令別に示した自動書のリストでA5判32ページのもの,いずれも内容に応じたイラストが入っていて紙質も良く,かなりお金がかかっているように見える。 その他に企業委員会の活動全般を知らせる縦長の冊子。 こちらのほうは質素な紙を使って印刷も簡便なものである。
  その場で受けた説明と配られた資料によるこの図書館の状況は次のようである。 開設されたのは1977年で,200平方メートルの広さのところに約2万1千冊の図書を備えている。 利用対象者は本店とその周辺のオフィスに勤務する従業員で,全体の35%に相当する2350人が利用登録をしており,そのうちの80%を女性が占める。 司書資格を持つ6人の専任職員によって運営され,毎日11時30分から14時30分までと水曜の午後に開館している。 年間の貸し出し冊数は3万6千冊にのぼり,月に一度新着図書案内を作成して社内に配布もしている。 今回訪ねた本館の他にパリ市内三カ所に分館がある。 それらは所蔵図書が平均約5千冊,開館時間は週三回の11時30分から14時30分で,本館に比べるとかなり小規模であるが,利用登録者は平均40%強で本館よりも比率が高い。 これら四つの図書館で相互貸借も行っているという。
  職員の雰囲気が組合活動家風であったので,管理職は利用対象者ではないのかと尋ねてみたら,そんなことはない。 社長を含む全社員のための図書館であるとの答えだった。 また,日本では社会人の読書活動を促進させるためには公共図書館の充実をまず考えるが,と言ったのに対しては,公共図書館はその基盤となる自治体の事情に制約されるが,われわれの図書館はもっと由由に利用者に即した運営ができるという利点がある,という返事だった。 地味だけれども誇りと意欲を持って働いていることがありありと感じられた。 ちなみに見学者は,誘い合わせて出かけた日本人三人以外は全員がフランス人の女性で,地方の公共図書館や他の企業委員会図書館で働く人たちであった。
  企業委員会 (Comite d'etablissement または d'entreprise) とはなんだろうか。 企業の内部における労働者の利益を代表するために1946年に設けられた制度で,従業員50人以上の企業に設置することが義務づけられているものである。 運営資金は一定の比率で経営者側から与えられる。 その任務には,企業内の福利厚生事業を管理することと,企業の経営状態に関する情報を労働者に伝えることの二つがある。 企業委員会図書館はこの前者の活動の一環をなすものである。 このような図書館は西ドイツに少しある他はヨーロッパではフランスにだけ見られるのだそうである。
  企業内私設公共図書館ともいえるものが成立するもうひとつの社会的背景がフランスにはある。 それは lecture Public の思想である。 日本では公読書という訳語があてられている。 フランスの市立図書館は元来学者や知識人のための研究図書館の性格が強かった。 それに対して一般市民の読書のための図書館活動をめざす運動が19世紀の半ばに起こった。 この流れを汲んで,現在でもフランスでは民間の非営利団体による読書普及運動が盛んで,私立の公共図書館が数多く存在する。 企業委員会の図書館運営は1968年の五月革命以後とりわけ活発になった。
  クレディ・リヨネの図書館を見学しようと決めた時,実は専門図書館に類する企業の資料室を想定していた。 金融関係の大企業の図書館を見れば何か本学の図書館の仕事に役に立つことが得られるだろうという期待も持ったのであった。 これは企業委員会という語を見過ごしたための心得違いである。 けれどもいままで知らなかった種類の図書館を目の当たりにして,思いがけなくもフランスの社会事情の一端を知ることになった。
  日本においても特に大企業では従業員のために厚生施設が整えられている。 とはいうものの,そのほとんどがスポーツのための設備に限られているように見受けられ,社員のための図書館のある会社というのは少くとも筆者は聞いたことがない。 企業が自ら生き延びるのに必要な情報を得るための図書館とは別に,従業員とその家族の生活を豊かにするための企業図書館がわが国にもあっていいのではなかろうか。

参考文献

波多野宏之 フランスの私立図書館事情 「地方自治通信」 No.202 1986年9月
日仏図書館学会編 フランスの公共図書館 東京 同会 1981年
朝倉俊一他編 事典現代のフランス 東京 大修館 1977年および1985年(新版)。

(かまた ようこ 洋書係)



第3回国立大学図書館協議会シンポジウム(東地区)報告

深沢 茉莉

  このシンポジウムは,昨年12月7,8日に幕張の海外職業訓練センターに於いて開催され,2年間にわたる「外国出版物の購入価格問題に関する調査研究」成果である「報告書」を中心に, (1)競争原理の導入と価格問題 (2)予定価格の算出 (3)価格格差の解消に向けて という3つのサブテーマのもとに各大学の事例発表や,外国出版物の価格をめぐるその後の動向の報告があり,活発な意見交換が行なわれた。
  以下,サブテーマ毎に簡単に報告する。

(1) 競争原理の導入と価格問題

  実際に競争入札を行うか否かは別として,競争を生ぜしめ,より安井価格で購入するために,国内書店だけでなく,広く門戸を開き外資系書店をも含めて取引対象とすることで,かなりの効果が得られた。 外資系書店の参入によって競争がより熾烈になったと言える。 そのためには,安定供給の確保,国の会計制度への理解・遵守等を確認する必要があり,また従来のような細かいアフターケアを期待しない,対象とする資料と書店の向き不向きを考慮する等,図書館側の態勢も整備しなければならない。

(2) 予定価格の算出

  現在算出方法としては,元価に諸経費と手数料を加える「積み上げ方式」と,諸経費と手数料を一定の係数で置き換え元価に乗じる「係数方式」とが行なわれているが,いずれの場合も外貨の元価を把握するのに困難な状況があり,妥当な手数料(率)の設定方法にも決定打がない。 今回は係数算出の新しい方法が試みられた。

(3) 価格格差の解消に向けて

  外国の書店からの直接購入や並行輸入など,流通経路の改善によってより安価に購入することができないかが試みられ,一定程度の効果が確認できた。 契約基準の整備がなされれば全国の国立大学で直接購入も可能となろう。 円建てのものや出版元での差別価格に関しては,国際図書館連盟でも問題にされ,調査の中間報告が昨年の大会でなされている。

(ふかざわ まり 洋書係)



雑誌目録等の発行について

『一橋大学附属図書館雑誌目録 1990年版』刊行のお知らせ

  1987年に欧文篇と和文篇が刊行されて依頼12年ぶりの改訂・増補である。 新目録には,国立本館,小平分館,外国雑誌センター,社会科学古典資料センターで所蔵する欧文,和文の雑誌・新聞(マイクロ版を含む),年鑑・年報類が収録される。

〈人文・社会科学系外国雑誌センターのご案内〉

  パンフレットが神戸大学附属図書館と共同で作成されました。御活用ください。



図書館発行目録類の残部について

  次の目録類は,まだ残部があります。 ご希望の方は,受入・書誌係(内線520)までご連絡下さい。

  1. 石原宗助文庫目録 (昭和15) 英文学 (洋4,430冊 和959冊)
  2. 三浦文庫目録 (洋書之部) (昭和35) 西欧分化史 (洋5,505冊)
  3. シュムペーター文庫目録 (昭和37) 経済学 (洋3,736冊)
  4. 和文雑誌新聞目録 (昭和53) 一橋大学附属図書館所蔵和雑誌
  5. 欧文逐次刊行物目録改訂版 (昭和53) 一橋大学附属図書館所蔵洋雑誌
  6. 中山文庫目録 (昭和58) 理論経済学 (洋1,502冊)
  7. 一橋大学附属図書館史 (昭和50)
  8. 一橋大学年譜I 明治8年8月-昭和21年3月 (昭和51)



新規購入外国雑誌 (平成2年度)

  平成2年度から新規に購入する外国雑誌が下記の通り決まりましたのでお知らせします。 なお,リスト中,Lib. has(B.N.):Vol.○○等と記入してある雑誌は,その部分のバックナンバーをすでに購入したので,新着分と併せてご利用ください。
  また,このリストには,スペースの都合上,社会科学系外国雑誌センターとして新規に購入する雑誌(634タイトル)は含まれていないのでご注意下さい。 外国雑誌センター新規購入雑誌リストは,センター窓口(国立本館正面玄関隣)に備えてありますので,そちらでご覧ください。

〔国立本館購入分〕

  1. Australian journal of labour law. -- North ryde, NSW.
  2. Bulletin de l'Ecole francaise d'Extremeorient. -- Paris.
    Kunitachi Lib. has(B.N.):Tome 38(1)(1928)
  3. Controlling : Zeitschift fur erfolgsorientierte Unternehmenssteuerung. -- Munchen.
  4. IP Asia. -- Hong Kong.
  5. Journal of America college health. -- Washington, D.C.
  6. Journal of college student psychotherapy. -- New york.
  7. Journal of economic dynamics & contral. -- Amsterdam.
  8. Journak of educational administration and history. -- Leeds.
  9. Journal of energy law and policy. -- Salt Lake City.
  10. Journal of popular culture. -- Bowling Green, OH.
  11. Journal of teacher education. -- Washington, D.C.
  12. Muttersprache : Zeitschrift zur Pflege und Erforschung der Deutschen Sprache. -- Wiesbaden.
  13. die Neue Gesellschaft. Frankfurter Hefte. -- Bonn.
  14. Philosophisches Jahrbuch. -- Freiburg.
    Kunitachi Lib. has(B.N.):Bd.25(1912)-38(1925) Lack:38(4)
  15. Product liability international. -- London.
  16. Produkthaftpflicht international. -- Karlsruhe.
  17. Quellen und Forschungen aus italienischen Archiven und Bibliotheken. -- Tubingen.
    Kunitachi Lib. has(B.N.):Bd.34(1954)-68(1988), Register:Bd.1-50.
  18. Resources and energy : a journal devoted to interdisciplinary studies in the allocation of national resources. -- Amsterdam.
  19. Revue du Marche-Commun. -- Paris.
  20. School organization. -- Basingstoke.
  21. Storia della storiografia : rivista internazionale = Histoire de l'historiographie = History of historiography. -- Milano.
    Kunitachi Lib. has(B.N.):1(1982)-14(1988)
  22. Town & country planning : the journal of the Town & Country Planning Association. -- London.

〔小平分館購入分〕

  1. Analysis. -- Oxford.
    Kunitachi Lib. has(B.N.):Vol.1(1933)-41(1981)
  2. Communications in algebra. -- New York.
  3. Deutsche Sprache : Zeitschrift fur Theorie, Praxis und Dokumentation. -- Bielefeld.
  4. Olympisches Feuer. -- Frankfurt am M.
  5. Oxford art journal. -- Oxford.
  6. Poetica : an international journal of linguistic-literary studies. -- Tokyo.
  7. Science. -- Washington, D.C.
  8. Советская славяновение. -- Москва.
  9. Theologische Rundschau. -- Tubingen.




◆外国雑誌センターだより -- 新着雑誌ブラウジング --

  雑誌センター平成2年度(1990年)新規追加購入雑誌は634種,これまでの継続受入中の分24402種と合計して3036種となります。
  雑誌センターの新規収集希望調査は例年,7月中旬に締切,10月下旬に予約手続きとなりますので,希望するタイトルをお持ちの場合には,お早めに雑誌第二係までお知らせ下さい。
  1989年は激動の年となりました。 とりわけ,ベルリンの壁,ルーマニアの悲劇に象徴される東欧民主化の波は歴史の歯車の音を聞く観がありました。 当雑誌センターも東欧圏の雑誌を多数収集しておりますが,今回は,カレントな情報を中心とした雑誌を紹介します。

ABSEES : abstracts Soviet and East European series. (Oxford) 1(1970)+
ソ連・東欧圏の雑誌・新聞記事の抄録を国別主題別に,マイクロフィッシュに収録。
Danas. (Zagreb) 203(1987)+
ユーゴスラビアの総合雑誌(週刊)
Horizont. (Berlin) 18(1985)+
東ドイツの総合誌(月刊)
Hungarian obsever. (Budapest) 2(1989)+
Kulpolitika. (Budapest) 12(1985)+
ハンガリーの月刊総合誌。
PlanEcon report. (Washington) 1(1985)+
ソ連・東欧諸国の公式統計を基に編集された経済データ資料集
Polityka. (Warszawa) 29(1986)+
ポーランドの週刊紙
Rumania Today. (Bucharest) (1987)+
ルーマニアを紹介する月刊誌
Аргумент и факты. (Москва) (1989)+
政治・経済の論拠と事実を掲載する週刊紙
Огонёк. (Москва) (1988)+
革新路線の編集で内外の注目を集めている週刊誌。グラビアも多数。


◆小平分館における教官用複写サービスについて

  小平分館では,4月から教官に対して書庫内複写サービスを行なうことになりました。 このことにより,分館の図書・資料を複写したいときには,その場ですぐコピーをとることができるようになります。
  方式はIDカードによりコピーをとり,その枚数を毎月集計し,料金を教官研究費より振り替えるというシステムです。 国立本館の書庫内複写サービスと全く同じ方式ですので,一枚のIDカードで本館,分館とも利用することができます。
  IDカード交付の申請は,教官研究費所属事務室で受け付ております。 なお,このIDカードがその年度内限り有効ですので,翌年度も引続き利用する場合は再度申請して下さい。
  分館の複写機は事務用と共用ですので,暫くの間ご不便をおかけすることになりますがご了承下さい。 また,この複写サービスはセルフサービスですので,この点もお含みおき下さい。


◆社会科学古典資料センターから

★第9回西洋社会科学古典資料講習会(1989年10月4日〜7日)

  下記のプログラムにより開催され国公私立大学の図書館職員,大学院生31名が受講した。

第1日
(1) 資料調査の意義   山中隆次 (中央大学商学部教授)
(2) 書籍の劣化と保存 --問題にどう気付くか--   岡本幸治 (製本家)
(3) 1840年代のドイツ人亡命者の調査と文書館   的場昭弘 (東京造形大学助教授)
第2日
(1) 古典資料について --図書館現場で考えること--   本間暁 (早稲田大学図書館整理二課長)
(2) フランス革命,その基本的文献の解明   高橋誠 (中央大学法学部教授)
(3) 古典経済学とアイルランド   上野格 (成城大学経済学部教授)
第3日
(1) 古版本の整理 --古典資料センター所蔵資料に即して--   中野悠紀子・松尾恵子 (社会科学古典資料センター)
(2) 古典資料とデータベース   宮澤彰 (学術情報センター研究開発部助教授)
(3) 情報交換・座談会
第4日
(1) イタリア啓蒙と「経済学の国際的交流」   奥田敬 (社会科学古典資料センター)

★所蔵資料展示

  1989年11月 「法の精神」の一想源 -- G.V.グラヴィーナ「市民法の起原」 --


◆会議

〈学内〉

図書館委員会 平成元年度第3回〜第4回 (元.11〜2.2)
専門図書費の配分について
その他
小平分館図書委員会 平成元年度第2回 (元.12)
平成元年度予算について
その他
社会科学系外国雑誌センター運営委員会 平成元年度第3回 (元.11)
平成2年度購入雑誌の予約について
その他
社会科学古典資料センター運営委員会 第33回 (元.11)
平成元年度校費学内配分について
その他

〈学外〉

平成2年度国立大学図書館協議会賞受賞者選考委員会
第1回 10月19日 於:大阪ガーデンパレス
国立大学図書館協議会・理事会
第2回 10月19日 於:大阪ガーデンパレス
平成元年度国立大学附属図書館事務部長会議
11月9,10日 於:KKR東京竹橋
第3回国立大学図書館協議会シンポジウム(西地区)
11月16,17日 於:関西地区大学セミナーハウス(神戸市)
第3回国立大学図書館協議会シンポジウム(東地区)
12月7,8日 於:海外職業訓練協会(千葉市)
図書館専門職員問題特別委員会
10月3日 於:東京大学
図書館専門職員問題特別委員会ワーキンググループ
12月26日 於:一橋大学
第24回大学図書館国際連絡委員会総会
2年2月7日 於:東京大学
外国雑誌センター館会議
2年3月9日 於:東京工業大学
東京西地区大学図書館相互協力連絡会
平成元年度第2回加盟館会議 (元.12) 於:創価大学
平成元年度第2回実務担当者会議 (元.10) 於:津田塾大学


◆各種委員異動

図書館委員会
平成2年1月1日付 山田裕理(商)
創立百年記念募金図書購入委員会
平成2年1月1日付 山田裕理
小平分館図書委員会
平成2年1月1日付 山田裕理
社会科学古典資料センター人事委員会
平成2年3月1日付 南亮進(経済研究所長)


◆人事異動

(新) 平成元年10月1日付 情報サービス課閲覧係 石村 恵子 転任 (埼玉大学附属図書館)
2年2月5日付 情報管理課書誌係 伊藤 真知子 採用
(旧) 平成元年10月1日付 情報サービス課閲覧係 笹野 哲生 配置換 (小平分校)
12月21日付 情報管理課書誌係 鈴木 幸子 辞職
(表彰) 平成元年11月23日付 小平分館 別府 節子 永年勤続




一橋大学附属図書館報 “鐘” No.22
1990年3月31日 発行
発 行 人
前川英夫
編集委員
森茜・大橋渉・松尾恵子・田村悦子・本間紀美子・川森静子・鎌田陽子・薄田恭子・金沢幾子・飯島朋子
発 行 所
一橋大学附属図書館