鐘 No.16 (1986.4)





新入生を迎えて

小平分館長 森川 俊夫

  昨年ヴィーンで催された展覧会「夢と現実」は1870年から1930年までのヴィーンを芸術の側面からばかりでなく,政治,経済,社会のあらゆる側面からも綜合的に表現しようとする野心的な試みで,会場キュンストラーハウスの屋上には,当時物議をかもしたクリムトの大作「医学」に描かれた裸女を立体化した金色の立像と,労働者住宅「カール・マルクス・ホーフ」の一部の模型が飾られていたが,これはそれぞれに「夢」と「現実」を象徴しているのだろう。 過去への郷愁をいたずらにかきたてることもなく,またこの文化を踏みにじった30年代の政治的現実を声高に告発するでもなく,それだけにかえってこの時代に対する人々の思いの深さが知れる感動的な催しであった。
  当時の代表的な建築家オト・ヴァーグナーもこの展覧会の主要なコーナーを占めていたが,会場前のカール広場にもヴァーグナーの設計になる建築物がある。 地下鉄駅カール広場の入り口である。 円と直線をモティーフにし,黒と黄金色を基調にしたこの建物は,気品と頽廃を漂わせる不思議な色気ともいうべき魁力をそなえている。
  ふと気がつくと,この建物の屋根ごしに見える向かい側のビルに,ある白本の複写機の広告文字が大きく並んで,ヴァーグナーの設計を見下していた。 この構図に日本とオーストリアの経済力の格差の暗示を見ることができるかもしれないが,ここで日本を象徴するものが複写機というのも痛烈な皮肉であろう。
  それにしても「日本」の氾濫ぶりはききしにまさるものがあり,関係者のいら立ちもよく理解できるというものである。 西ドイツの総合情報誌「シュピーゲル」は,日本の新聞特派員がレポートを送るときに大いに参考にするばかりか,ときにはニュース源にするような,内外の信頼度の高い週間誌で,したがって広告媒体としての評価も高いが,ここ数年,この雑誌の広告全体の10%以上は,日本の,それも自動車やエレクトロニクス関孫の企業や製品によって占められている。
  60年代の「所得倍増政策」が今日の日本をもたらしたといえるかどうか,門外漢には自身がないが,これが重要な節目であったことは否定できないだろう。 当時すでに光学機器,小型ラジオ,ミシンなどの分野では日本製品が世界の市場をほぼ制圧し,オートバイはヨーロッパの青年たちの人気を呼んでいた。 しかし,たとえば今をときめく自動車産業も,当時は国内でトヨ夕と日産が激烈なシェア争いを展開してはいたものの,国際競争に耐えうる水準に達するにはなお数年を要する段階にあった。 総体として「日本」の評価は低く,池田首相がドゴール大統領から「トランジスタのセールスマン」と酷評されたのもその頃であった。 この時期の「シュピーゲル」に「日本」が顔を出すことはめったになかった。 まさに隔世の感があるが,この,いわばゼロ地点から今日の成功を見るまで,四半世紀を要していないのだから,これを迎える側としては瞳目すべき現象であるだろう。 スイスの街角に駐車していたダイハツ・シャレードに「私はロールス・ロイスももってるよ」という英語のステッカーが貼ってあったが,低価格でしかも高品質の「日本」の有無を言わせぬ進出に対する「ヨーロッパ」のささやかな,庶民レベルのうっぷん晴らしであったろう。
  しかしこうした成功にはおとしあながある。 たしかに日本は,第2次大戦後日本と同じようにゼロ地点から立ち上って195O年代にいちはやく「奇蹟の復興」をとげた西ドイツを経済的に追い越したといわれているが,国民生活全体から受ける印象は西ドイツのほうが格段に豊かである。 オーストリアの経済水準は西ドイツよりはるかに低いが,その文化的な水準は日本より段違いに高い。 メンガー文庫を介して一橋大学とかかわりの深いヴィーン大学の図書館はいくつかの学部とともに大学本館におさまっているが,最近そこから外へ移った法学部のあとを図書館が引き継いだという。 この法学部のあとは,一橋大学図書館の全蔵書をそっくり収めて余りがあるほどの収納空間をもっている。 国の経済カは格段に劣るのに,これだけ潤沢に資金を投ずるのは,いわば文化への強烈な意志があるからである。 逆説的にいえば,文化が本来経済発展の阻害要因であることを,これらの国の当局者は十分に認識しているのである。
  経済大国「日本」は日本人のうちに思いあがりを生み出し,科学技術の分野で示された優秀性が他の分野での優秀性を裏書するかのような錯覚にとらわれた人間が,学問の世界にも散見されるようになった。 1920年代,トーマス・マンは学界における非合理主義賛美の傾向に危惧を表明し,ナチズムの運動はそうした傾向が生み出したものと指摘したが,学問の世界におけるいわれなき思いあがりは不吉な兆候ではないだろうか。 もともと国として日本は倫理性が希薄なところがあり,雑済大国としてクローズアップされるにつれて,その難点が目立つようになってきている。 たとえば,中国や韓国との関係において「過去に不幸なことがあった」という認識ぐらい無反省なものはない。 それではまるで日本の意志とは無関係に不幸が訪れてきたかのようである。 相手国がこの認識を受け容れるのは,悪いことに日本の経済力に敬意を表しているからであって,この認識を是認しているからではない。 それに反して西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が降伏の記念日に過去についてきわめて厳しい認識を表明したことは日本にも伝えられたが,すでに数代前のハイネマン大統領も4OO年前の農民戦争を記念する集会で,反乱農民の名誉を回復する形で農民戦争の歴史を教科書のなかまで書きかえなければならないと語っている。 ここでも日本とはまったく異なる価値観がうかがわれる。
  先頃フランスのテレビが経済大国日本についての番組を放映したさい,日本の大学は,勤勉で息詰まるような日本の社会のなかで唯一の息抜きの場だとコメントしたという。 おそらくのんびりした大学生活に対する皮肉をきかせたつもりであろうが,「息抜き」を一つの価値基準への傾斜に対する反逆としてとらえているとすれば,これはまさに大学の本質をとらえたものである。 学生諸君にはやみくもに自分の専門領域にのめり込むのではなく,さまざまな価値観に触れる場として大学,そして図書館を利用してもらいたい。

(もりかわ としお 法学部教授)



「私の大学」

西成田 豊

  本号が出るのは,新入生を迎え新学期が始まるころであろうから,話を私の学生時代のことから始めることにしよう。
  率直に言って私は,大学の講義はあまり面白いとは思わなかった。 もちろん,新しく学ぶ第二外国語(私のばあいドイツ語)や,増田四郎先生の講義など,幾つかの授業には新鮮さを感じたものの,自己の学問と社会的現実とのかかわりを主体的にのべようとしない講義には,どうしても興味をもてなかったのである。 そうした私の思いには,大学や学問の在り方を問題にした,折からの「大学紛争」の影響もあったであろう。 私は間違いなく出席不良者の一人であった。
  しかし私は,さきの思いを共有した友人たちと読書会や研究会を開き,人生を,社会を,国家を論じ,そしてまた学問的情報を交換して,「私の大学」を創造したと思っている。 友人たちとの討論の素材となった本は,社会科学のあらゆる分野にまたがっていた。 社会科学の総合大学と自由主義的伝統に魅せられて一橋大学に入学した私は,経済学部に所属していたものの,経済学だけを勉強する気はまったくなかった。 「大学紛争」のなかで研究者・知識人を揶揄する言葉で用いられた「専門バカ」になることを恐れただけではない。 社会科学の総合大学を誇る一橋大学で勉強する以上,社会科学にかんする諸知識を幅広く身につけ,社会を総合的に把握し深く洞察する頭脳と眼を養うことが必要であると考えたからである。 そのとき読んだマルクスの『資本論』,山田盛大郎の『日本資本主義分析』,服部之総の諸著作,大塚久雄の諸著作とくに『近代化の人間的基礎』,上原専禄の『歴史学序説』,石母田正の『歴史と民族の発見』,川島武宜の『日本社会の家族的構成』,戸坂潤の『日本イデオロギー論』,古在由重の『現代哲学』,丸山真男の『現代政治の思想と行動』等々は,そのときどきの時代精神を反映し,現実との鋭い緊張関係を保持している点で,まさに古典という名にふさわしいものであった。 学生時代に乱読したこれらの古典的諸著作が,その後の私の研究を支える思想的な糧となったことは言うまでもない。
  しかし大学院に入り,そして研究者として論文を書くことを生業とするようになると,読書の量は学生時代と比べものにならないほど増えたにもかかわらず,読書の幅は次第に狭くなった。 研究することが面由くなればなるほど,自己の専門にかんする著書や論文や資料を読み,ものを書くことが喜びとなり,問題意識を欠いた教養人的な読書が出来にくくなったのである。 それはまさに「専門バカ」の境地といってよいであろう。 教養人がもつ幅広い知識を自己の専門領域で論理的・体系的に展開するだけの構想力をもつことが,現在研究者にもとめられている。 私はそうした研究者に一歩でも近づきたいと思っているが,学生時代の乱読はそのために少しはで役立つであろうと自負している。
  以上の私の経験から言えることだが,頭脳の柔らかい学生時代に,できるだけ広く深く古典的著作に取りくむことを,私は学生諸君にすすめたい。 社会人になってから,あるいは研究者になってから,古典を中心とした幅広い教養的知識を身につけようとしても,それは時間的にも精神的にも不可能に近いからである。 古典とじっくり取りくむことは理解力,分析力,構想力を鍛え,職業の如何にかかわりなく将来の知的生活を豊かにするであろう。
  古典を読むためには,図書館を積極的に利用すべきである。 現代の社会的・文化的風潮からいって,古典に類するような本はコマーシャル・ベースにのりにくく,市場的な価値を喪失し,絶版になっているものが少なくない。 街の書店は何といっても市場性の高い本を中心に置くが,図書館の特徴は,本の市場的な価値にかかわりなく,人間の知的営みにとって必要な本を集めているという点にある。 街の書店を覗きこみ,面白そうな(あるいは何かすぐに役立ちそうな)本を適当に買い込むより,図書館に足繁く通い古典に接触し,じっくり思索を深めることを,学生諸君に要望したい。

(にしなりた ゆたか 経済学部助教授)



図書館とのおつき合いから

酒井 正子

  本学は中央図書館制をとっているため,研究室の購人希望図書は,すべて図書館を通して発注し,受入れてもらう。 この連絡・調整役は助手の重要な仕事の一つである。 私の所属する社会人類学研究室で扱う文献は,実に多岐にわたり,日常生活のあらゆるテーマが含まれている。 ある時,『テーブルマナーの本ー食事を楽しく頂くために』や『冠婚葬祭人門』の発注希望を出した所,「研究図書館なので,ハウツーものはちょっと…」と言われたが,人々が何気なく受入れている文化のパターンは,重要な研究対象なのだ,と諒解頂いた事もある。 試みに,関連分野,テーマを羅列してみると,世界中の,サイズの異なる様々な文化や民族についての民族誌,人類学,民族学一般(理論や概説),言語・記号論,象徴論,儀礼,家族,女性学(ジェンダー),社会組織,文化摩擦,異文化コミュニケーション,神話,民話,宗教,呪術,占い,食事,身体,しぐさ,病気,経済・交換,美術,音楽,舞踏,映像,生態学,動物行動学,精神病理学,民俗学,歴史民族学,社会学,社会史,コンピューター…etc. と収拾がつかなくなる。 書かれた時期に流通しているターミノロジーの反映がそこにみられ,個々の人類学者の頭の中では,「人類学的視点と方法論」によってこれらが統合,整理されているとしても,外からの基準で分類するのは至難の業である。 当然,図書館の分類基準の枠からもはみ出し,図書は書庫のあちこちに分散されることになる。 そこで研究室では,関連図書を独自にカード化して,所蔵を調べ請求記号を記入し,利用しやすいようひとまとめに並べて置いてある。
  この作業の為,私はしばしば図書館のカードボックスで大量の検索を行う。 その際,和書,特に翻訳書のカードをひくには,ちょっとしたコツが必要である。 新入生の方の参考にもなるかと思うので,次の4例について考えてみよう。

  1. ポール・リクール/久米博訳 『フロイトを読む一解釈学試論』
  2. M.M. バフチーン/川端香男里訳 『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』
  3. W.F. ホワイト/寺谷弘壬訳 『ストリート・コーナー・ソサエティ』
  4. ロジャー・シャタック/生月雅子訳 『アヴェロンの野生児 -- 禁じられた実験』
  ボックスは,出版年が'65年以前と以後で分かれている。 著者,翻訳者から著者名目録を,書名から書名目録を検索でき,どちらを使ってもよい。 カードの配列は,日本語はローマ字(へボン式)に,外来語は原語のスペルに直し,両者混ぜてアルファベット順に並べてある。 以上の原則を知った上で,とりかかってみよう。 まず,どれも最近の出版物らしいので'65年以後のボックスを使う。 原著者のスペルを完璧に知っていれば事は簡単なのだが,出版案内も,そこまでは載せてない。 そこであて字を試みる。 1はリクールでひく。 最近売れっ子だが,Rで始まるかLなのか,ハタと迷う。 Ricoeurである事に思い至らず,挫折。 2は見当もつかず,3はWhiteではない。 4はShatack,ShattackなどひくうちにShattuckと出てきて解決。 次に翻訳者名を見る。 日本人名は音,訓よみが入り混じり,確定しにくい。 一音違っても配列はかなり変る。 例えば3はTerayaかTerataniか,名前はHiromiか…仲々難しい。 この4例中,すんなりゆきそうなのは1のKume,Hiroshiぐらいである。 1はこれでみつかった。 2は,フランソワのスペルを考えるかKawabata,Kaoriでゆくか? 後者でひき,当った。 最後に残った3は,書名を手がかりに,Streetで捜す。 ストウ夫人(Stowe Fujin) -- ストライキ(strike), -- ストリート(Street) … (あった!) -- ストレス(stress) → と並んでいてみつかった。 なお,この場合のストライキは配列ミスで,本当はストレスの後らしい。 配列する人によっては,日本語としてsutoraikiで並べることもあるが本来ではないそうである。 ちなみに「スト権」という合成語は,ストライキと並んで出て来るようにと,strikeで配列するとのこと。 このあたり,係の方の目に見えぬ苦労,配慮がしのばれる。 外来語に関して,他を見てみるとイギリス(Igirisu),インド(Indo),インダス(Indus),フランス(France)と,原語に直すかどうかは,ケース・バイ・ケースのようである。 ところがカードの見出しには,基準としたスペルが記入されてない為,ある本が見つからないと,自分の読み方,スペルのあて方が間違っているせいか,本当に入っていないのか,最後まで判らずじまいにあちこち捜すこともある。 私自身は研究室では,館報7号で田辺氏が提案された電話帳式の配列を試みているが,一長一短あり,仲々洋書のようにはすっきりいかないものである。 とはいえ翻訳書は,我々のカードの中でも1/3を占める。 このようなひきにくさを解消する,何か良い手だてはないものか,今後も御検討頂ければ幸いである。
  注文が先に立ってしまったが,増大する出版量,蔵書量と格闘される館員の方々の御苦労は,日々現場で見聞きしており,その上我々の雑多な要望にも快くおつき合い下さっていることに,この紙面を借りて,厚く御礼申しあげたい。

(さかい まさこ 社会学部助手)



図書館改修工事を終えて

関 篤

I はじめに

  附属図書館国立本館(以下図書館という)の改修工事がこの程無事完了し,またこれに伴う移転作業や設備類の購入手続等も済み,初期の計画に沿って図書館業務が推進されていることを関係者各位にご報告し,併せて,ご協力に対し厚く御礼申し上げます。
  この改修工事は,具体的に計画をはじめてから完了するまで約2年が経っていますが,この間は,図書館の内外でいろいろと動きの多かった時期でもあります。
  学外の動きとしては,ネットワークを背景とした全国的な学術情報システムの進展,あるいは,最近の社会的要請に基づく大学図書館公開の問題等がありましたし,また学内的には,「社会科学系外国雑誌センター」の設置,「図書館業務改善のための当面の方策(学長諮問)」,そして,「長期構想計画(学長諮問)」等がありました。
  その問に懸案の改修工事が終了できたのは,事務局,文部省,建設業者そのほか関係者のご協力とご指導のお陰です。
  本文の趣旨は,この改修工事の意義,経緯,概要等を報告することですが,併せて,関係者各位に謝意を表し,更に今後のご協力をお願いするものです。

II 基本的な考え方

  本改修工事に対する施設課と図書館事務部を中心とした関係者の共通の認識は,以下の3点に集約されよう。
  第1は,建物の保存性に対する価値評価である。 本学には,昭和初期の建物として,兼松講堂,東校舎本館,図書館,本館,旧守衛所がある。 このうち,伊東忠太設計による兼松講堂が昭和2年の完成で最も古く,またこれは近代日本における西洋建築史の流れの一時期の「建築様式をよく示している」(注1)建物として高く評価されているものである。 そのほかの建物は,昭和4年から同6年にかけて兼松講堂の建築様式や雰囲気に合せてすべて文部省大臣官房建築課の設計・現場監理によって建てられている(本学にはこのほか,ユーゲントシュテイル風として親しまれた如水会館〔1919年中條精一郎設計〕があったが,取り壊されて今はない)。
図書館前景
図書館前景

  全棟,建築様式や意匠がロマネスク調で統一された重厚な建築群で,昭和57年に日本建築学会選定貴重建物に指定されている。 とりわけ図書館は,「特色ある景観」(注2)の中心であり,また建物内に多数の教官研究室や共同研究室を含み,日夜,教官,学生等に親しまれる本学のシンボル的存在として愛着の深い建物でもある。
  このような背景から,施設課は保存維持のため改修5ケ年計画をたて順次その工事を行ない,昭和60年度,最大規模の図書館改修工事の時を迎えたところであった。
  第2は,経年によって生じる構造耐力・内外装の仕上・付帯設備等の機能の劣化及び防災設備の関連法規の適合の可否などに対する対策の必要性である。
  施設課による調査,検討の結果,構造耐力については今後も相当期間耐用できるが,内外装の仕上・付帯設備等については建物内外の随所に劣化・損傷が著しく,図書館事務部からこゝ数年改善要求を出していたように,日常の使用にも支障を来たし,ごく一部だが危険性も認められた。 また防災設備については,劣化のほか法規上からも不適当な部分が見られることが明らかになりその処置が必要とされた。
  第3は,図書館業務部門の整備及びサービス機能拡大への対応の必要性である。
  昭和5年の開設以来,蔵書は増大を重ね,一建造物の中に所蔵する資料数では,日本の大学図書館では現在屈指の存在になっている。 その間,書庫の増築だけは四度(社会科学古典資料センターを含む)行われ,また利用者である教官,学生等の増加に応じて閲覧席の増強も適宜なされてきた。 しかし,近年における情報化社会の進展と共に変容する図書館機能・サービスや事務機構の拡大に対応するための物理的措置はほとんどなされていない。このまゝ放置することは許されないが,根本的な解決は,現在審議が沈降中の「長期構想計画]に委ねることとし,差し当り,事務処理上の有機的連係を目的とした業務部門の統合整備と昭和60年4月発足の社会科学糸外国雑誌センターのため何らかの処置を講じることが必要とされた。
  本改修工事は上記の観点に立って行われたものである。

III 経緯

  本改修工事の具体的な計画について,昭和59年2月,図書館事務部と施設課は初めて合同の教義を公式に行なった。 内容は,昭和60年度概算要求書の作成を当面意図したもので以下のとおりであるが,改修工事関係のほか,図書館機能,管理運営,将来計画などかなり多面的であった。

  1. 改修5ケ年計画の一環として昭和60年度を実施予定とする。
  2. 改修建物は,図書館内大閲覧室,目録室,参考室,館長室,各事務室,第1書庫,研究室で昭和5年建設部分とする。
  3. 改修概要は,内外装及び付帯設備等を改修し,そのほか大閲覧室内仮書庫の撤去と小部屋の統合で主室の拡張を計り,更に,近く発足予定の社会科学系外国雑誌センター所要室を地階部分を含めて整備する。
  4. 図書館の管理運営の合理化をはかる。
  5. 中期的・長期的将来計画をたてる。
  6. 図書館事務部は早急に改修計画案(移転計画,移転中の業務体制計画等を含む)を作成する。
  以後,昭和60年初期にかけて,図書館事務部は図書館委員会に諮りながら,改修計画案,移転先の確保,工事期間中の業務体制,改修に伴って生じる必要設備の予算的措置の要求等の検討を続けた。 そしてその結果を関係の部局・課に報告し,必要に応じ協議し,また協力の依頼をしながら,すでに提出中の概算要求に対する回答を待った。
玄関ホール
玄関ホール
  この間にあって特記しなければならないのは,本学に学長諮問の長期構想委員会が発足し,図書館問題検討小委員会が置かれたことである。 これは図書館の機能及び建築施設と管理運営の在り方を長期的な観点から構想しようとするもので,今回の改修工事がこの委員会での審議内容を規制しない範囲で行う必要があると考えられた。 委員会の構想が,現在図書館の建っている敷地をもし将来の改築の場所と指定した場合に,全面改修を今施すことは好ましくないと思われるからである。
  このため初期の計画はかなり縮少せざるを得ないと判断された。 すなわち,昭和60年度概算要求では,改修建物は先述したように,図書館内大閲覧室,目録室,参考室,館長室,各事務室,会議室,第1書庫,研究室等で,その面積規模は7,690m2に及んでいたものが,施設課が文部省との協議の上で作成した実施計画案は,目録室,参考室,第1書庫を除いた面積規模になった(但し,実施段階で目録室・参考室も改修したが,これらについては長期構想との関連で最小限にとどめてある)。
  そして昭和60年4月に,本改修工事予算の内示を受けたので,図書館事務部は直ちに具体的な内部設備の計画,移転計画,設備品購入計画等について所管の部署と最終的な協議・確認を行なった。 その後,工事発注作業と併行して工事計画について検討したが,研究室を含めて全体を同時に工事する場合その移転先の確保が不可能なため,工事を2段階に分割する竪割方式で行うことになった。 工期は7月から12月の下旬で,第1段楷は,研究室を含む図書館事務部までの北ブロックであった。 これに伴う移転作業は6月中に行われ,工事は7月より着手,10月20日に完了し,図書館事務部を除く研究室の移転をはさんで,第2段階は残りの研究室の南ブロックであった。 この部分の工事は10月26日から12月20日までに大方の完成をみた。 図書館事務部関係の移転作業も12月16日から24日までに残りの研究室とともに終了し,改修工事関係はすべて完了した。 なお設備品については,「建物新営に伴う設備費」の配当を受け,現在閲覧机,椅子,書架等を発注し,3月中は,大閲覧室や社会科学系外国雑誌センターなどに配備されることとなろう。

IV 改修工事の内容

1. 施工上の要点

  工事に当って最も留意したのは,建設当時の美観,雰囲気,形態をできる限り損わないという点である。 外装については,外壁スクラッチタイル張り,それに関連した装飾である軒の疑石,連続小アーチ,窓周辺砂岩等の補強は,エポキシ樹脂注入放びステンレスピン打込工法により処理し,窓建具は従来の形状を重んじて組子をつけ,カラーアルミのかぶせ工法にしてある。 内装については,既存の素材感覚に近い新建材を選び違和感をなくしてある。 付帯設備については,電気,給排水,冷暖房関係が全面的に整備された。 電気関係では,幹線系統を含む配線の引替分電盤の更新,照明器具,コンセント等の増設がなされ,特に各種配線類と分電盤は,建設当時のまゝではなはだ安全性に欠ける状況のため,現在の基準に合わせて改修された。 また一部の照明器具は特注品とし,建設当時のイメージに近づけると共に照度は特段にアップされた。 給排水設備も配管類が改修され,冷暖房設備も大閲覧室を除いて,現状の使用形態を勘案して中央方式から個別方式に転換された。

2. 工事概要

  規模等
  鉄筋コンクリート造2階建4,458m2のうち3,562m2(中央階段以西を除く。 但し,以西についても最小限の改修を行う)
 
  工事費
文教施設整備費単年度予算 392,000千円
 
建築工事 230,000千円 飛鳥建設(株)
電気設備工事 92,000千円 浅海電気(株)
機械設備工事 70,000千円 大成温調工業(株)
 
  仕上概要
1) 外装
2) 内装
3) 付帯設備
4) 防犯設備
5) その他

大閲覧室
大閲覧室

V 結びにかえて(現在の課題)

  改修成った大閲覧室その他の内外装の見事な変り方には驚かされる。 もち論工事は電気・ガス・水道の配線・配管等見えない部分にも施されており,今後相当期間建築施設としての物理的機能は維持されるであろう。
  改修工事の報告であるこの小文の目的からやや外れるが,ここで,本学図書館の現在の課題について若干触れたい。
  周知のように,近年の情報化社会の進展と学術研究の高度化に起因して一般に図書館が収集・管理する図書資料は増大の一途をたどっているが,とりわけ本学図書館は,社会科学糸総合大学の特性から増大の度合は一段と強いと思われる。 更にこれと歩調を合わせるように,教官,学生等及び学外者の利用数も増え,加えてその利用の要求や形態もはなはだ多様化,複雑化してきている。
  このような状況に対して,旧態の体制で図書館機能を維持し,更に学術情報システムの中心としてサービス活動を行うことは全く困難で,早急に対応措置を講じ必要がある。
  対応措置の一つは,機能的な建築施設の実現である。 本学図書館は昭和5年に蔵書約15万冊をもって発足したが,昭和61年2月現在,約96万冊(全学では153万冊)を数えようとしている。 その間四度増築がなされてきたが,すでに面積の狭隘は限界に達し,4,5年後には飽和状態になるであろう。 また設備的にも,大学図書館として具備すべき基本的な所要室が欠けているのが現状である。
  その二つは,管理運営の近代化である。 研究・教育の支援組織としての基本機能に立って,情報資料の迅速・適確な収集・蓄積・提供システムを整備する必要がある。
  昭和59年9月に,先述したように,「一橋大学長期構想委員会」が発足し,次いで60年4月に「図書館問題検討小委員会」が置かれ,図書館の機能及び建築施設と管理運営の在り方について長期的な観点から,現在審議が行われている最中である。 「本答申」は,61年9月に出される予定である。


  なお,本文作成に際し,施設課から工事関係の技術的,専門的データ,掲載写真,そのほかご助言などをいただいたことを申し添えます。
  最後で恐縮ですが,厚くお礼申し上げます。

注1) 昭和57年,日本建築学会選定貴重建物に指定された際の理由の一つ。
注2) ibid.

参考文献

  1. 町田豊“施設の大規模な改修 [一橋大学]”「教育と施設」1984, 秋号, No.7,p.12〜15.
  2. 菅野誠・佐藤譲「日本の学校建築 -- 発祥から現代まで --」東京 文教ニュース社 1983, P. 804〜821.
  3. 建築学大系 第6巻 (近代建築史) 東京 彰国社 1973, P. 233〜332.

(せき あつし 整理課長)



社会科学系外国雑誌センターが利用できます

  前号(No.15,1985.12)でお知らせしました外雑センター室の整備もできまして,利用できるようになりました。 まだ,発足間もないので収蔵点数は350点余りですが,順次入荷が見込まれますので,大いに利用してください。 いずれ神戸大学で収集した雑誌と合わせて目録を作成し,利用に供するつもりです。 室は図書館の玄関を入ってすぐ右側です。




改修後の図書館の使い心地

-- 利用者インタビューを中心として --

  1. 全体的な印象
  2. 大閲覧室,目録室自動ドア
  3. 学生休憩室
  4. マイクロ資料室
  5. 参考室
  6. 新館と旧館
  7. 外国雑誌センター
  8. トイレ
  9. サイン
  10. 作業スペース
  インタビューできた方はあまり多くありませんでしたが,この他,書庫の中で,同じ分野の本が別置されているのは利用しにくい(特に雑誌や大型本)とか,整理を早めてほしい,一階の整理課で入荷状況をきけるのはよい,などの意見もありました。 今回は,部分的な改修にとどまったため,大きな変化はなく,新館と旧館のカウンターが離れた場所にある不便さを訴える声を多く聞きました。 御協力に感謝いたします。 今後も図書館を利用しやすくするために意見をおよせ下さい。

(文責: 藤原孝子,金沢幾子)



◆会議

〈学内〉

図書館委員会 第5回 (61.2)
昭和60年度専門図書費追加配分について
社会科学系外国雑誌センター運営委員会 第7回 (61.1)
外国雑誌購入予定について。
社会科学古典資料センター運営委員会 第24回 (61.3)
昭和60年度事業報告

〈学外〉

「大学図書館の公開に関する調査研究班」委員会
第7,8,9回 (61.1.16・61.2.6・61.3.13) 於:東京大学総合図書館
外国雑誌センター館会議
2月28日 於:東京大学資料編纂所
関東七国立大学附属図書館事務部長連絡会
3月1日 於:学士会館分館


◆各種委員異動

社会科学古典資料センター人事委員会
昭和61年3月1日付 津田内匠(経済研究所長)


◆人事異動

昭和61年1月31日付 小平分館 遠藤 雅子 退職
2月1日付 小平分館 近藤 由紀 採用
3月20日付 閲覧課閲覧係 川島 仙也 退職




一橋大学図書館報 “鐘” No.16
1986年3月31日 発行
編集委員
関篤・及川励一・大島朋子・大橋渉・金沢幾子・砂川淑子・藤原孝子・松尾恵子
発 行 人
井上克巳
発 行 所
一橋大学附属図書館