鐘 No.7 (1981.5)





和書目録カードについて

田辺 広

  本学の図書館は他の大学図書館と大変異る点があり,それらが本館の特色となっていることも事実である。 ユニークであることにもプラス面とマイナス面があることは当然であるが,そのマイナスの1つで常に改善を考えながら遂に手をつけることが出来なかったことがある。 それは本館の和書目録カードのことである。
  本館のように所蔵の大部分が閉架式で学部学生は入庫することができないところでは,彼等にとってカード目録は資料検索の唯一の方法であり,入庫可能な研究者にとっても最近のように書庫内の資料の移動が多く蔵書も増えてきた場合,必要なものを確実に速かに入手するためにはカード目録を検索せざるをえない。 そのため図書館では多くの人手と時間をかけてカードを作成しカードケースに繰込んでいる。 カード目録は和用別々になっているが,和書は著者名,書名,分類の3つから検索できる。 ここまでは大体他大学と同じであるが,本館では和書目録カードが1965年以前にカードが作られたものと以後のものと2つに分かれているので,場合によっては両方見ないと所蔵を確かめることができない。 カードの大きさが異るので恰好は悪いが洋書でしたように混配することは可能である。 そしてこのような現象は旧い大学にはよくあることでそれ程珍しいことではないし,ある程度の費用で物理的に一緒にすることはそう難しいことではない。
  問題はカード配列のことである。 本舘では和洋共にアルファベット順(和書の場合はヘボン式ローマ字の)に配列してあるが,その配列の基準になる見出し(標目と言う)にローマ字が書いてない。 すなわち職員は漢字混りの日本語を頭の中でローマナイズして新しいカードを繰込む作業を行ない,利用者も同様頭の中でローマ字を思い浮べながらカードを引いている。 他の図書館では図書館用語で表記と称するローマ字かカナによる読みがカードの最上部に付いている。 それがないのは日本中で本館のみと思っていたが神戸大学六甲分館でもそうであることを最近発見した。 本館で表記を入れなかった理由は多分ローマ字をタイプ印字する手間を抜いて省力化することにあったと思うが,今やカード枚数の増加と共に表記なしのカードの配列と索引は目に見えない形で職員と利用者に余計なエネルギーをがけ,かつミスファイルと検索ミスをおかしていると思われる。
  もう1つの配列上の問題は,個人名について姓と名を分け各々を一単位とすることを除き,アルファベット1字1字の字順配列である。 この点洋書は語順配列で同じアルファベット順であっても1語1語を分け,1つの単語を1単位として配列しているから第1語目が同じ単語であれば同じところに配列される。 何故このような違いがあるかと言うと日本語には分かち書きの法則が確立されておらず,単語においてもはっきりしないものが多い。 例えば東京都庁は1語なのか,東京-都庁 又は 東京都-庁 のように2語なのか,東京-都-庁 の3語なのか定まっていない。 やむなく字順配列となるが,その場合次のような現象が書名目録の中でおこってくる。 聖書--聖書講座--生殖--聖書物語--清少納言--聖書年代記--青少年--……--聖書における人間と社会。 以上のような配列に対し,図書館測も利用者の方も多少の抵抗を感じながら規則に従っているのが現状である。
  次の配列上の問題は表記の文字の問題である。 大学図書館の多くは和書カードの配列にローマ字を使っている。 その利点は大学においてはローマンアルフベットに馴れていること,翻訳書の場合原著者名を原綴にすることで日本人著者と混配することができることであろう。 しかし日本語のローマ字化にはヘボン式と訓令式があり,大学図書館の殆んどがヘボン式であるのに,国立国会図書館は訓令式である。 ローマ字はカナより字数が少なくて便利のようであるが,日本語を表す場合常に子音母音の2字が必要であるのに対し,カナは1文字で済む。 日本語をタイプする場合,カナの方がローマ字より早いのもこのためで,電算機の場合もビット数が半分で済む。 つまりカナは日本語を表記するに最も適した音標文字なのである。
  以上のような幾つかのファクターを考察した上で,私は本館の和書目録カードはカナによる五十音順文学別配列とすべきであると考えている。 文字別と言うところが説明しないと分からないが漢字別としてもよい。 そしてもっと理解を深めるために電話帳式配列と言った方が手っとり早い。 私達は日頃電話帳を使い馴れているし,それに対してさしたる不満も聞かない。 電話帳の配列原則は,漢字1字1字を1つの語と考える語順配列である。 電話帳方式は漢字カナ混り文を原則とする日本語の配列に最も適したもので,図書館は謙虚にこれを検討し取り入れる必要があろう。 これをすでに実行に移したのが広鳥大学附属図書館で1年9ケ月の年月と4名のアルバイトの手を借り,和漢書54万枚の書名目録を五十音順文字配列に切替えた。
  本館において目録カードに表記をしなかったことは,カード配列切替作業にとっては幸いである。 と言うのは他の図書館のように消去すべきローマ字表記がなく,五十音順文字別配列に必要な沢山の見出しカード(山カード)はいづれにしても入れなければならない状況にあるからである。
  最近漢字処理のできる電算機が続々と開発され,図書館にもその人出力端末がつけられるようになった。 漢字を使う日本語の人出カをどのようにするか,長い間の研究が重ねられ,ことに入力については漢テレ方式,和文タイプ方式,カナ入力方式が試みられどうやらカナ入力方式が普及しそうであり,出力についてはドット方式が定着したようである。 また日本語によるワードプロセッサー(文章作成機)なるものが出現,マイコン内臓の事務機器として脚光をあびるかも知れない。 これもカナでタイプすることにより自動的に(多少の選択を伴う)に漢字変換ができるもので,カナを手がかりに必要な漢字群を検索する五十音文字別配列方式と軌を1つにするものである。 ともあれ私達は日本語を読む場合も記憶する場合も,主として漢字をパターンとして認識しているのであって,一字一字の音を読んだり記憶しているのではない。 その意味で図書館においても漢字を使用する日本語の書誌情報とどのように付合って行くかが大きな問題となるのである。

(図書館事務部長)



メラー文庫について

木村 栄一

  兼松講堂から図書館の方に進んだ道が経済研究所の方に分かれるところの右手に,一つの胸像がある。 明治から大正にかけて30年間本学ではじめて海上保険,共同海損等の講義を担当され,海上保険学の父といわれる村瀬春雄先生の像である。 先生は生前,その所蔵されていた貴重な図書をすべて本学に寄贈されたが,惜しいことに関東大震災で烏有に帰してしまった。 しかしその後諸先輩の長年にわたる並々ならぬ努力によって,古典についてはほぼ旧状に復することができた。 現在,図書館国立本館にある村瀬文庫がそれである。
  村瀬文庫は洋書2,405冊,和書475冊から成り,冊数としては必ずしも多くないが,海上保険に関する内外の古典を網らし,稀覯書の多いことにおいて斯学では世界第一級の文庫である。
  ところで,かっては海上保険や火災保険が損害保険の二大種目であった。 しかし近年は,その他に自動車保険,責任保険,傷害保険,航空保険,原子力保倹など多種多様の保険が行なわれるようになったので,研究対象は拡大し,研究方法も多面的になってきた。 このような時代の変化に応じ,本学図書館も鋭意蔵書の充実につとめてきていたが,今回はからずもメラー文庫という当代随一のコレクションを入手することができた。
  メラー文庫は,1979年,事故のために急死されたハンブルク大学名誉教授ハンス・メラー (Hans Moeller) 氏(享年71歳)が所蔵されていた保険関係図書のコレクションで,3,051点,3,300冊の図書と多数の小冊子から成立っている。
  メラー教授は,1907年ハンブルクに生まれ,1931年ハンブルク大学卒業,同年同大学助手となり,1936年講師,1939年助教授,1941年教授となり,1973年定年退官,名誉教授。 この間,ドイツにおける保険法および保険学の研究の中心である同大学において,保険法(社会保険法を含む)関係の講義並びに保険法および保険学の演習を担当し,また1942年以降退官時まで同大学保険学ゼミナール (Seminar fur Versicherungswissenschaft) の所長を兼ねられていた。
  メラー教授は,「c.i.f.と保険」,「定額損害と個別損害」,「保険仲立人」など数多くのすぐれた研究を残されているが,特にその「保険契約法大コンメンタール」は「保険法典」ともいうべき不朽の名著として高く評価されている。
  メラー教授はまた,第2次世界大戦後から逝去時まで引続いてドイツ保険学教授連盟会長,ドイツ保険学会副会長,保険学雑誌編集責任者およびドイツ連邦保険監督局顧問の任にあったほか,数々の要職を努め,文字通り保険学界最高の地位にあった。 晩年にはドイツ保険学界の法王とさえ呼ばれていた。
  メラー教授は更に,AIDA(アイーダ,国際保険法学会)創立以来,その会長または名誉会長として,国際的にも保険学界の指導的役割を果されていた。 同教授の学問的功績に村して,イタリアからはアカデミー賞,テサロニキ大学(ギリシャ)からは名誉法学博士の称号など,外国からも数々の栄誉を受け,オスロー大学,カイロ大学,カリフォルニア大学,ストラスブール大学など数多くの大学に講師として招かれていた。
  日本との関係では,昭和35年,日本保険学会の名誉会員に推挙され,その招きで昭和40年および49年に来日,各地で講演された。 一橋大学にも前後2度来訪され,新館401教室での学生に対する講演会,商学部教授会メンバーとの座談会,国際交流委員会主催による本学教授有志との懇談会をもたれた。 故米谷隆三教授,故加藤由作名誉教授,大林良一名誉教授などとは特に親交があった。 これら諸教授のおかげで,筆者も2年間のハンハンブルク大学留学中はもとより,その後もずっと親切な指導を受けることができた。
  上記のように,メラー教授は40年以上にわたり,保険法および保険学の研究に従事され,斯学における世界最高の地位におられたが,突然の死去に伴い,その蔵書の全部がコレクションとして処分されることになった。 そして同教授および夫人が日本,とりわけ一橋大学に強い親近感をもっておられたことが幸いして,今回本学図書館の入手するところとなったのである。
  メラー文庫の図書は,私保険および社会保険の両分野にわたり,海上・運送・火災・責任・自動車・権利保護・傷害・生命・社会保険など保倹の全種目に及び,保険法,保険経済,保険経営,保険教学などの各研究領域にまたがり,保険契約法および保険監督法の両者を含んだ,保倹の研究に関する文字通り網ら的文庫である。 同文庫にはメラー教授自身の著作はもちろんのこと,同教授が編集または監修された記念論文集または叢書,および同教授が審査された約200冊の博士論文または教授資格論文をはじめ,保険関係の重要なドイツ語文献はすべて含まれているといってよい。 現在これだけの質量ともにすぐれた保険関係専門書を所蔵しているのは,ドイツでもハンブルク大学保険学ゼミナールだけであろう。 わが国ではもちろん皆無である。 特に第2次世界大戦当時に出版された文献の多くについては,わが国では本文庫によって初めて利用する機会に恵まれたこととなった。
  ドイツ語文献だけではない。 同教授が前記のようにAIDA会長,諸外国の大学の講師として国際的にも広く活躍されたことを反映し,本文庫にはドイツ以外の国の代表的文献も多数含まれている。 保険の比較法的研究ないしは国際比較にも,本文庫の寄与するところは大きいものがある。
  村瀬文庫が主として海上保険に関する古典文庫であるのに対し,メラー文庫は,保険の全分野にわたり,ドイツ保険学の研究成果を網らした今世紀最高のコレクションと言ってよい。 本学図書館は,村瀬文庫にメラー文庫を加えることによって,今や文字通り斯学研究者のメッカとなったのである。

(商学部教授)



ベルンシュタイン=スヴァーリン文庫 (3)

細谷 新治

  はじめに私事にわたって恐縮であるが,わたしは,この3月に大学を定年退職した。 1945年10月にはじめて経済研究所の資料部に入り,1947年に研究所長となられた大塚金之助先生から,「君はブックマンになりたまえ」といわれたことが,わたしのライブラリアン生活のスタートであった。 約20年間,経済研究所の洋書収集を担当し,次いで日本経済統計文献センターで明治初期の統計資料を収集,最後のの3年は社会科学古典資料センターに移って西欧社会科学古典の収集にかかわった。 35年6ケ月の大学勤務生活は長いようでもあり,またたく間にたったような気もする。 この間,多くのコレクションの導入のお手伝いをしたが,なかでも忘れがたい思い出は,「バートフランクリン文庫」と,この「ベルンシュタイン=スヴァ−リン文庫」の導入である。 閑話休題,「文庫」の紹介をつづけよう。

2 ロシア革命運動に影響をあたえた外国人著作家たち

  「文庫」のこの部分には,1917年以前に刊行された欧米の社会主義思想家の著作や,革命史・労働運動史・社会思想史の定本のロシア訳が多数含まれており,マルクス・エンゲルスとならんで,修正社会主義,無政府主義思想がロシアの革命思想に大きな影響をあたえた様相一端をよく知ることができる。 以下,代表的著作のいくつかを紹介しよう。
  まずマルクスでは, 『哲学の貧困. ジュネーヴ, 1886.』 (最初のロシア訳)が貴重である(1905年訳もある)。 そのほか 『ルイ・ポナパルトのブリュメール18日. サンクトペテルブルグ, 1906.』 など。 エンゲルスでは,ヴェラ・ザスーリチが訳し,プレハーノフの序文のある 『ロシアについて. ジュネーヴ, 1894.』 が見逃せない。 マルクス・エンゲルスの共同著作のロシア訳では, 『共産党宣言. サンクト-ペテルブルグ, 1900.』 (最初のロシア訳は1869年), 『同書. ジュネーヴ, 1903.』 などがある。 そのほか,マルクス・エンゲルスの著作および研究書は,第2次大戦後の刊行物まで含めると40冊以上にに及んでいる。
  ドイツ社会主義思想家,とくにオーストリア社会民主党系の著作のロシア訳を多数所蔵していることは,この「文庫」の特色のひとつであり,ロシアのメンシェヴイキ革命家にドイツ修正社会主義思想家が大きな影響をあたえたことがうかがえる。 F.ラッサール(4件),W.リープクネヒト(1件),K.ウウツキー 『農業問題, 1905.』 ほか8件,F.メーリンク 『ドイツ社会民主党史, 1906〜07.』 4冊のほか1件,A.ベーベル(5件),E.ベルンシュタイン(2件)など。 またフランス社会思想家では,エリゼ=ルクリュ,J.ゲード,P.ラファルグの名前がみえる。
  ツぎに労働運動史,革命史では,A.トゥンの 『ロシア革命運動史』 の1903年(シシュコ編訳),1906年版(ヴェラ・ザスーリチ訳),E.リッサガレーの 『パリ・コミューン史, 1906.』, A.オーラールの 『フランス革命とロシア革命, 1917.』 などがみられる。 最後にアメリカのジャーナリスト G.ケナンの著作,パンフレットのロシア訳が, 『シベリアと流刑制度, 1906.』 をはじめ5冊あることが注目される。

3 第一革命とその帰結 (1905〜1917)

  1905年1月9日の「血の日曜日」事件をきっかけに始まった第一革命から,ロマノフ王朝がたおれた1917年2月革命までのロシア革命の進行の過程で,社会革命党(エス・エル),社会民主労働党(ボリシュヴイキ派,メンシェヴィキ派)などの諸政党は,革命の主導権を争って複雑な展開をみせる。 これらの政党の発行した新聞,雑誌,綱領,宣言や大会議事録が丹念に集められているこの部分は,この「文庫」のなかでもっとも充実した部門といつてよいであろう。
  新聞,雑誌では,ボリシェヴィキの合法機関紙 『ノーヴァヤ・ジーズニ (新生活),1905.』 の揃い(ただし,1925〜26年の再版),在外メンシェヴィキの新聞 『ゴーロス・ソツィアルデモクラータ (社会民主主義者の声). ジュネーヴ,パリ, 1908〜11.』 の全26号の揃いがあり,また長崎で日露戦争の捕りょに働きかけるために,N.ラッセルたち亡命革命家が発行した新聞 『ヴォーリャ(自由)』 の第82号から最終号(第89号)まで(1906〜07)の揃いが珍しい。
  また大会議事録では,エス・エルの 『第1回社会革命党大会(フィンランド, 1905〜06年)議事録. フィンランド, 1906.』, 『第1回社会革命党全ロシア協議会(1908年)議事録,パリ, 1908.』 があり,ロシア社会民主労働党(後のソ連共産党)の大会議事録は,ここでソヴェート政権成立以降の時期まで含めてあげておくと,第2同大会(1903年)から第18回大会(1939年)までのうち,第7,9,12回を除いてはとんどオリジナル版(第4回と第16回大会議事録のみ再版)で揃っていることは特筆すべきであろう。 ベルンシュタインは,1889年,ミンスクで開かれた第1回創立大会に,ブント派を代表して出席したことは先に述べたが,このときの議事録は当時刊行されなかった。
  つぎに革命家の著作の2,3をあげれば,レーニンとともにこの時期の立役者であったトロツキー(匿名,L.D.ブロンシュテイン)の 『われわれの革命, 1906.』 ほか6件,A.L.ゲリファンド(匿名,パルヴス)の 『ロシア革命, 1906.』 ほか1件,プレハーノフ(匿名,N.ベリトフ)の 『わが批判者の批判, 1906.』 ほか1件があり,そのほか,A.ルナチャルスキー,A.ボグダーノフーマリノフスキー(匿名,N.マキシーモフ),N.ヴァレンチーノフ,N.N.ギンメル(匿名,N.L.スハーノフ),マンデリシュタム(匿名,M.N.リャドーフ)などの名前がみられる。
  エス・エルの最高幹部であったアゼフが,実はロシア政府のスパイであったことが V.L.ブルーツェフによつて暴露されたことは,ロシア革命史上,有名なエピソードであるが,この「文庫」には,このアゼフの裏切りをエス・エルが審査したときの記録である 『アゼフ事件裁判審査委員会の結論. ジュネーヴ, 1911.』 をはじめ,関係資料が5件あることが注目される。

4 レーニン

  レーニン関係文献は,レーニンの著作の初版本30件を含めて100件をこす。 もっとも貴重な資料は,レーニンが創刊した党の機関紙 『イスクラ(火花)』, 『フペリョート(前進)』, 『プロレタリー』 の完全揃いであろう。 『イスクラ』 創刊号は,1900年12月,ライプツィヒで印刷された。 その後ミュンヘン,ロンドンと転々と場所を変えて発行され,ひそかにロシア国内にもちこまれてロシア社会民主労働党の団結に大きな役割を果した。 1902年の第2回大会でメンシェヴイキとボリシェヴィキに分裂, 『イスクラ』 は第52号からマルトフ,プレハーノフらメンシェヴィキの手におちた。 これに対してレーニンは,1904年2月,ジュネーヴで 『フペリョー卜』 を創刊,新 『イスクラ』 とたたかった。 1905年の第3回大会でレーニンは,再び指導権を握り,党の中央機関紙として 『プロレタリー』 が創刊された。 この3紙のバックーナンバーがすべてここに揃っている。 この3紙の旧所蔵者,ベルンシュタインが,かつてデッカー書店に語ったところによると, 『イスクラ』 の附録ともの完全揃いは,1940年以降古本市場に出たことがないという。 しかもこれらの新聞の保存状態がたいへんよいことも特筆すべきであろう。
  レーニンの著作では,もっとも初期の 『罰金についての法律の解説,ジュネーヴ, 1897.』 (初版は1895年の非合法出版)をはじめ, 『何をなすべきか? われわれの運動の焦眉の諸問題, シュトゥトガルト,1904.』, 『一歩前進,二歩後退. ジュネーヴ, 1904.』, 『貧農に訴える. ジュネーヴ, 1904.』 など30冊におよび,その大部分は初版本と思われる。 (この点については,今後のくわしい調査にまたなければならない。) また 『レニンスキー・ズボールニク(レーニン文集)』 の37巻(1924〜70)のオリジナル・セットが貴重であろう。

5 大革命から“大転換”まで (1917〜1929)

  十月革命からソヴェート政権の確立期を経て農業集団化の開始される1929年までの時期の文献を収めたこの部門では,とくに1920年前後のボリチェヴィキ,メンシェヴィキ,エス・エルの文献が豊富にみられる。 まず大会議事録では, 『左派社会革命党第1回大会議事録. モスクワ, 1918.』, 『全ロシア農民代表ソヴェート臨時大会および第1回大会議事録. ペトログラード, 1917.』, 『憲法制定会議議事録. ペトログラード, 1918.』, 『全ロシア労働組合第1回大会議事録. モスクワ, 1918.』 など。
  新聞,雑誌では,左派エス・エルの機関紙 『ナーシ・プーチ(われわれの道). サンクト-ペテルブルグ, 1917.』 全3号,また 『チターチェリ(学習). モスクワ, 1917〜18.』 全5号の揃いは,ナロードニキの書誌学者,N.A.ルバーキンらが寄稿した雑誌で,ロシア書誌学とナロードニキの密接な関係をしめす興味ある資料であろう。
  個人著作のうち,ボリシェヴィキでは,N.ブハーリンの 『ロシアにおける階級闘争と革命. モスクワ, 1917.』 ほか3件,L.卜ロツキーの 『労働,規律,秩序が社会主義ソヴェー卜共和国を救う. モスクワ, 1918.』 ほか8件,V.ボンチ=ブルエヴィチ(1件),IU.M.スチェクローフ(1件),メンシェヴィキでは,プレハーノフ(2件),IU.O.ツェデルバウム(3件),I.ツェレテリ(1件),エス・エルでは,V.L.ブールツェフ(6件)(そのうち 『ゲー・ペー・ウーと闘おう! パリ, 1932.』 のタイトル・ページには,彼の自筆による献辞がみられる),E.K.プレシコ=ブレシコフスカヤ(1件),V.M.チェルノーフ(2件)などがある。

6 “大転換”以降

  この部分には,第二次大戦以降に西欧諸国およびソ連で出版されたロシア史,ロシア革命史,ソ連研究書が含まれている。 そのうち,ロシア語以外の書物は,現在でも入手可能と思われるのですべて省略し,最後に今までふれなかったが,この「文庫」はソ連共産党史の書物をよく所蔵しており,そのなかには,すでに党によって抹殺された文献も含まれているので,これをリスト・アップしておこう。 マフノヴェツ(匿名,V.アキーモフ) 『ロシアにおける社会民主主義の発展概要. サンクト-ペテルブルグ, 1916.』, V.V.マンデリシュタム(匿名,M.N.リヤドーフ) 『ロシア社会民主労働党史,第1巻. サンクト-ペテルブルグ, 1906.』, SH.M.レーヴィン。 I.L.タターロフ 『資料によるロシア共産党(ボ)史. 第1巻1883-1916. レニングラード,1926.』 (第2巻は刊行されず),V.I.ネフスキー 『ロシア共産党(ボ)小史, 2版. レニングラード, 1926.』, V.ヴォロセヴィチ 『ロシア共産党(ボ)小史. レニングラード, 1930.』 (初版は1926年),E.ヤロスラウスキー 『全連邦共産党(ボ)史. パリ, 1931.』 (仏文),N.ポポフ 『全連邦共産党(ボ)史概要. モスクワ, 1932.』 2冊, 『同英語版. モスクワ, 1934.』 なお,スターリンが指導した最初の党史である 『全連邦共産党(ボ)史小教程. モスクワ, 1938.』 以下の公認の党史については省略する。
 

以上,わたしは駆け足で「ベルンシュタイン=スヴァーリン文庫」の内容の一端を紹介してきた。 最後に,これまでふれることのできなかった点も含めて,この「文庫」の特色をあげておこう。
  第一に,この「文庫」は,ロシアにおけるマルクス主義正統派とみなされているレーニンおよびソ同盟共産党関係の文献を大量に所蔵しているが,それ以上にこの「文庫」の最大の特色は,現在のソ同盟共産党の立場から非正当派とみなされ,軽視されてきた革命諸潮流(ナロードニキ,エス・エル,メンシェヴィキ,アナーキズムなど)の関係文献を実に豊富に所蔵していることであろう。 第二に,正統派,非正統派の革命家の多くは,革命の進展の過程でロシア国外へ逃れなければならなかったが,この「文庫」には,これら亡命革命家が,ロンドン,ジュネーヴ,ベルリンなどの亡命地で刊行した文献が大量に所蔵されている。 第三に,この「文庫」には,革命史上の著名な思想家,革命家ばかりでなく,革命に参加した多くの労働者や農民などのマイナーな人物の著作が多数見られる。 最後に,革命成立以前のツァー政権や臨時政権側の重要人物の著作が集められていることも注目すべきであろう。
  わが国のロシア革命史の実証的研究は,原史料人手の困難さという点でソ連邦や西欧先進諸国の研究者にくらべて大きなハンディキャツプを背負いながら,最近急速にその水準を高めてきた。 ロシア革命史の基本的文献や史料については,すでに北大のスラヴ研究センターや,国立国会図書館の努力によって相当の充実をみるにいたったが,さらにこの「文庫」の導入により,大量の原史料が研究者の利用可能になったことは喜ばしい。 一橋大学図書館は「文庫」の整理を近々はじめる予定であるが,完全な蔵書目録が作成されて,この貴重な「文庫」の全貌が研究者に公開される日の一日も早くくることを期待したい。

(前一橋大学社会科学古典資料センター教授)



故中山伊知郎先生の御蔵書本学へ

  本学名誉教授,故中山伊知郎先生の旧蔵書(和洋約2000冊)が,御遺族の御好意により附属図書館に寄贈されることになり,1月にも搬入を終えました。 さらに,先生の談話と御姿を記録した16ミリフィルム,ビデオカセットなども寄贈されました。 これらの整理はいま進行中です。




■参考室より

Social Sciences Citation lndex

  ある問穎について文献を広く探す場合,一つの方法として,手掛りとなる論文に引用されている文献をまず入手し,それらに引用された文献を求め,これを繰返して関連文献を拾い出して行くやり方があります。 論文に引用された文献が何等かの意味で重要性を持つとすれば,この方法は非常に有効なものですが,限界もない訳ではありません。
  第一に,引用された文献を実際に入手出来なければ,探索はそこで止ってしまいます。 築二に,出発点となった論文から,時間的に先行する論文へ遡ることは出来るが,その逆の方向に進むことは出来ません。 出発点となった論文が後に他の論文で引用され,引用した論文が更に別の論文で引用される,ということが繰返される可能性がありますが,これを網羅的に調べるのは,尋常の手段では殆んど不可能です。
  ここで紹介する Social Sciences Citation Index (略称 SSCI)は,アメリカの Institute for Scientific Information が1973年から刊行を始めた,社会科学全般にわたる雑誌論文の索引ですが,Citation Index の名が示すように,文献引用の相互関係を調べ出せるようにした点に大きな特徴があります。 参考室には1971〜1975年の5年間の累積版がありますので,それについて使用法を説明したいと思います。
  SSCIは大きく分けて,Citation Index,Source Index,Permuterm Subject Index の三つの部分から成り立っています。
  このうち,Source Index は1971〜1975年の間に発表された雑誌論文の著者名順の索引です。 収録の対象となる雑誌は,世界各国の社会科学関係の雑誌約1000種類で,これにのった論文や記事は全部収録されています。 この他に,自然科学系の雑誌約2000種にのった社会科学関係の論文が収録されています。 論文の総数は445,000点にのぼるということです。
  著者名を引くと,その著者が期間内に発表した論文の題名(英語以外のものは英訳),掲載誌名,巻号,頁数,年度があげてあり,その下に,著者が論文の中で引用した文献を列挙してあります。 ただし,ここに列挙された文献の書誌的事項は,単行書の場合は書名と発行年,雑誌論文の場合は,誌名,巻号,年度,最初の頁だけです。 論文名を知るためには,原論文を見るか,或は指示された雑誌の巻と頁に直接当って見なければなりません。
  Citation Index は,Source Index において個々の論文の下に列挙されている被引用文献を,その著者名の順序に並べ替えたものです。 当然の事ながら,こちらの文献は単行書もあれば論文もあり,古典もあれば同時代のものもあります。 Source Index とは逆に,個々の被引用文献の下に,それを引用した著者名と,雑誌名,巻,頁,年度を列挙してあります。 引用している方の論文名は,Source Indexを引き直せば分ります。
  この Citation Index と Source Index を組み合わせて使えば,最初に述べたように,一つの論文を出発点として,それ以前の文献に遡って行くことも出きるし,後発の論文を網羅的に探すことも出来ます。 この点にSSCIの独自性があると考えられます。
  Permuterm Subject Index は,Source Index に収録された論文の題名中に使われた用語二つを組合わせて,論文を探し出せるようにしたものです。 被引用文献を調べて行くには,最初の手掛りとなる論文が少なくとも一つはなければなりませんが,その最初の手掛りがつかめない時には,この Permuterm Subject Index が役に立ちます。 調べたいと思う主題を表わす言葉を引くと,その言葉が題名中に使われている論文の著者名と年度が分ります。 Sorces Index でその著者名の所を見れば,論文名その他の書誌的事項が得られます。
  SSCIは普通の文献目線と比べて,構成がやゝ複雑なので,実例をあげて使用法を説明出発ると良いのですが,紙幅がありませんので,使用上注意すべき点を幾つか書いておきます。
  まず第一に,論文の著者が文献を引用するのにはさまざまな理由があり,被引用文献の全てが重要文献と言えないのは勿論ですし,論文の主題との関連性が薄い場合もあります。
  次に,SSCIでは,被引用文献の表示を強いて統一せず,引用者の記入法をそのまゝ写し取っているだけなので,時に混乱が見られます。 例えば,Jose Ortega y Gassett 名は,Citation Index の中では,12通りの書き方をされています。 複合姓を持つ人や,英米人以外の場合,特に注意が必要です。
  先に書いたように,被引用文献が雑誌論文の場合,Source Index に採録されていれば論文の題名が分りますが,そうでないもの(時期的に古いもの)は分りません。 論文集中の一論文の場合も分りません。 その上,論文集の表題も長いものは省略してありますので,同一著者が同一年に似通った標題の論文集を出している時は,CItation Index では区別出来ないことがあります。
  従って,SSCIだけで被引用文献を完全に把握することは困難で,結局,原論文と披引用文献そのものを入手出来ることが前提条件になります。
  また Permuterm Subject Index は,論文の題名中に使われた用語によって検察するものですから,題名が内容を過不足なく表現していることが必要で,抽象的な題名などの場合,いわゆるノイズとなる恐れが多分にあります。
  この他,活字が細かくて見難いなどの難点もありますが,これだけ大量の文献を累積収録している索引は,余り例がありません。 大いに活用されることを望みます。

(参考室 大橋 渉)



山田欽一文庫目録を刊行

  本目録は,一橋大学附属図書館が寄贈を受けた本学名誉教授・故山田欽一先生の御蔵書の,名付けて「山田欽一文庫」の目録である。 数学を中心とした和洋書504冊がB5版・38頁の収められ,磯野修教授の「山田欽一先生の思い出」が付されている。 文庫は先生が深い愛着を持っておられた小平分館に収蔵されている。 なお,目録はまだ残部が若干あります。



〈会議〉

図書館委員会
2月25日。
追加予算の配分について。
社会科学古典資料センター運営委員会
3月25日。
昭和56年度センター事業計画,他。


〈人事異動〉

〔新〕
附属図書館事務部長
杉山裕(千葉大学附属図書館事務部長) 4月1日
社会科学古典資料センター教授
杉山忠平(静岡大学教育学部) 4月1日
社会科学古典資料センター人事委員会委員
森田哲弥(商学部) 2月1日
外池正治(経済学部),佐藤毅(社会学部) 4月1日
附属図書館委員会委員・一橋大学創立百年記念募金図書購入委員会委員
榊原清則(商学部),浜下武志(経済学部),野林健(法学部),菅順一(社会学部) 4月1日
小平分館図書委員会委員・附属図書館委員会委員
桜井雅人(経済学部) 3月16日
〔免〕
小平分館図書委員会委員・附属図書館委員会委員
山本和平(商学部) 3月16日
〔退〕
田辺広(附属図書館事務部長)は4月1日に退職した。
細谷新治(社会科学古典資料センター教授)は4月1日限り定年により退職した。




一橋大学附属図書館報 “鐘” No.7
1981年5月20日 発行
編集委員
杉山裕(長)・大橋渉・佐々木正・松尾剛・諸沢菊雄
発 行 所
一橋大学附属図書館