鐘 No.6 (1981.1)





図書館における目録と分類

田辺 広

  今年度に入り百年記念募金図書の購入が本格的に開始され,経常的に受入れられる年間2万5千冊以上の図書に加えて現在予定されているものだけでも凡そ5万冊の募金図書を処理しなければならない。 しかるに人員は減りこそするが増加の見込みはない。 それもさることながら8億円全部購入するとすれば多分10万冊を超えることになりこれを入れるべき書庫はない。 (「鐘」3号参照)
  このような状況の中で整理業務の中枢をなす目録と分類について述べて見たい。 目録には普通冊子体のものとカード体のものと2つあるが冊子体を作るにしても先にカード目録を作り,それをもとにして印刷する。 従って受入れた本については先ずカード目録を作らねばならない。 このことはよく知られている。 そしてこの仕事は図書館職員の専門的業務である。 しかしこの目録とはどう言うものであるか深く考える機会は図書館員でも少ないのではないかと思い簡単な説明をしてみよう。 目録は2つの目的をもっている。 1つは検索のためであり,もう1つは記録のためである。 目録作成のためには目録規則があり,世界中の図書館は凡そその国の標準的な規則によってカードを作成し,各国の規則(記述の部)はまた国際標準書誌記述(ISBD)によって作られており,この目録規則に従って作った目録は世界中どこへ行っても通用する。 この標準的目録規則は,記述の部と標目の部の2つからなり,記述の部は何百万冊,何千万冊の本の1つ1つを識別するために必要にして充分な要素(エレメント)は何と何であり,それらをどのような形でどのような順序で記入するかが書いてある。 又標目の部は,何百万,何千万の本の中から必要な1冊を入手するために,どのような索引見出しをつけ,どのように並べるかが書いてある。 以上の機能を完全に果すための目録作業は決して簡単なものではない。 熟練したカタローガーであっても多くの労力と時間を費すものであり,単に語学ができるからとか,その分野の研究者であるからと言って簡単に作れるものではない。 しかしある限られた範囲内で検索のためのトゥールとして目録を考えるならば,記述しなければならないエレメントのうち重要でないものから順に省略し簡略記入目録を作ることができる。 具体的に言えば著者と書名と棚の番号だけノートかカードに書いておけばよい。 もっと極端なことを言えば個人の蔵書には目録カードなど作ちないのが一般である様に研究室内でも研究者が頭の中で記憶しておれば目録など作る必要はない。 しかしそれはその研究室内のその関係の研究者の範囲でのみ言えることで,その枠外の利用者には通用しないことである。 そして私達が目録カードを作るのは公の財産であるものに対して公の利用に供するためであって,それが図書館の使命である。 しかし,話を現実にもどして考えれば,この大事な使命を遂行することは決して容易ではない。 10万冊の募金図書を完全に整理するのは一体何年かかるか。 経常業務を全部ストップして全員これにかかっても5〜6年はかかるだろう。 しかし完全な整理ができるまで利用出来ないままで放置することはできない。 不本意ながら仮整理で可及的速かに利用できるようにせざるを得ないのが現状である。
  次に分類のことであるが,本学に限らずどこの大学図書館でも教官の図書館に対する不満の1つに分類の間違いが多いと言うことがある。 しかも本学のように蔵書が社会科学に集中し研究者用の図書館である場合特に著しい。 もっともであると思う一方図書館職員にとって分類作業程割の合わないものはないと考えている。 分類法には本館は使用していないが十進分類法(外国ではUDC,DC,日本ではNDC)が一般であり,本学のように旧い大学は独自のものを使用しているが,いづれにしても学問体系そのものではないが,それを基にしている。 簡単なものは問題ないが,それが細分化され,内容の判断が難しいものに対しては図書館員が余程その分野に詳しい専門家でない以上とても研究者の満足の行くような分類は付けられない。 又いかなる専門家でも個人差によるバラツキが必ず出るものである。 洋書の場合など語学力ともからんで整理作業の大きな部分,すなわち時間と労力がかけられ,しかもその結果に対して常にマイナス評価されるのが分類である。 そして本学ではなお悪いことに登録番号(機械的な一連の備品番号)の代用に書架に収め引出すための請求番号(分類記号と書架の順序の番号の組合せ)が使われていたため,分類が決まらないと書店から届けられたままの順序を崩すことさえできなかった。 かっての新刊書の滞貨の原因の1つは分類であることは明らかである。
  一体分類とは何であるか。 これも更めて考え直す必要があろう。 既に述べたように目録規則の柱の1つは標目の部である。 これはカード目録の上部にあたるところで目録カード配列のための見出しであり,検索のためのキイである。 この検索キイは新しい日本目録規則によれば4つある。 すなわち重要な順から書名,著者名,件名,分類となっており,本館の場合和書では著者名,書名,分類の3つがあり,洋書では著者名と分類の2つがある。 者者名と分類が本館の主要な検索キイであるが,分類はある分野の中でどのような本を所蔵しているかを知るためには役にたつが,ある特定本を探すためには4つのキイの中で最も無能である。 現在学術情報検索のために様々のキイが開発されているが分類より件名(主題のアルファベット又は五十音順,KWICでなくKWOCに当る)の方が遥かに優れており米国等では主流が件名であるのに我国では逆である。 考えるに,分類は本をカード検索するためにあるのでなく本を書架に並べるに当り利用者が直接書庫の中で検索し易くするためにある。 また十進分類は公共図書館や学習図書館のように広く浅い蔵書には向いていても特殊な研究図書館には不適で,そこでは研究者が好む分類を研究者自身が決め図書の分類もした方がよい。 また書庫を有効に使うためには,一覧性はないが受入順に配架した方がよいし,それで良ければ分類は廃止できる。
  以上の目録も分類も今や新刊書については段々各図書館で独自に行なわなくても良いようになってきた。 集中目録作業,具体的には国立国会図書館や米国議会図書館で入力される書誌情報を電算機より出力する印刷カード利用がそれであり,近い将来にはオンラインで直接利用者にサービスするようになろう。

(図書館事務部長)



『鐘』に思いをよせて

関 春南

  かつて,『誰が為に鐘は鳴る』という映画を観た。若かりしゲリー・クーパーとイングリット・バーグマンの演ずるなかなかの名作であった。 このフィナーレが高らかに響きわたる鐘の音で,美しい愛の時を最後に鐘の音に凝集させているところが何とも感動的であった。
  鐘は時を告げるものであり,時間の代名詞でもある。 しかし,鐘の音は単に時を告げているだけではなく,“時”の大切さを告げているように私には思われてならない。 除夜の鐘はいつもそんな思いで聞いている。
  現在図書館の時計台から流れる鐘の音は,テープに吹きこまれたにせ物であるせいか,不思議とあの本物独特の音色と感情が伝わってこない。 まだあの音色が学内に響きわたっていた当時のことを懐しく思い出す。 百周年記念に,昔の鐘のひと回りもふた回りも大きなものをつくって,学内の真中に吊し,せめて一日に一回でも学内に響きわたらせるなどということをしてもよいのではなかろうか。 にせ物が大きな顔をしている当世,真理の殿堂である大学こそ,本物を大切にしたいものである。
  ところ,話は極めてリアリティをもつことであるが,本館の蔵書量の増加は大変なもので,書庫増設が追いつかず,数年後には完全にパンク状態になるという。 現代は「科学・技術革命」の時代といわれているように,あらゆるところで革命的な変化がおこつており,情報量においてもその例外ではない。 全ての学問分野で必要とされる情報量も飛躍的に増加してきており,従って,本館の蔵書量もまた飛躍的に増加し続けていくであろう。 このことは目に見えているし,全く当然なことであるにもかかわらず,抜本的な対策・計画が立てられておらず,その場しのぎで過しており,数年先が見えないとはどうしたことか。 百周年記念の今こそ,百年先を見通した計画を立てる必要があろう。
  ともあれ,本学の図書館が豊かな蔵書に満ちているということは,研究・学習のためのひとつの基本的な条件が整っているということであり,学生にとっても,われわれにとっても,すばらしいことであるにちがいない。 何とかこの埋もれている”すばらしさ”に充分な光を与えたいものである。
  ここで私は,かつて新入生に向って話したことを思いだす。 君たちは,本学の図書館の蔵書冊数がどれだけあると思うか,という私の質問に対して,彼らは思い思いの数を述べる。 それは,およそ,3万冊から30万冊ぐらいまでである。 私が,実は本館だけで約80万冊あるというと,彼らはそんなにあるのか! といった表情をする。 さらに私は,君たちがもし,一年間に20冊読んだとして,4年間で80冊,30冊読んだとしても120冊しか読めない。 これを見ても,80万冊とは如何に膨大な数であり,4年間とは如何に短かい時間であるかがわかるであろう。 このことはわれわれに何を物語っているのか。 それは,どれだけの書物を読むかが問題なのではなく,どういう書物を選び,読むか,しかも,如何に読むかが重要な問題として鋭く問われてきているということなのだ。 このことの自覚をもたなかった物は,4年間を有意義に送ることはできないであろうし,大きく成長することもないであろう。 何となれば,時間の質にたいする自覚をもった者のみが,時間を自己の支配下におき,自由な時間に変えることができるからである。 その意味で,時間の質にたいする自覚が現代ほど重要になってきている時代はないのではないか。 およそ以上のような趣旨のことを,あたかも自分にいい聞かせるようにして彼らに話したように思う。
  そもそも大学というところは,こういうことを組織的・体系的に教え・学ばせるところだと思うのだが,現在,本学では一体どこで,どのようなかたちで教え・学ばせることになっているのであろうか。 これこそ,百周年記念に,抜本的に考えてみるべきことであるように思う。

(経済学部助教授)



ベルンシュタイン=スヴァーリン文庫 (2)

細谷 新治

  前回,この文庫の二人の収集者,L.ベルンシュタインと B.スヴァーリンの経歴を紹介した。 この二人の経歴には共通点が多い。 彼らは書年時代,革命家としてレーニンとともにロシア革命に参加加し,ボリシェヴィーキ政権に反対して亡命したのち,パリを根拠地としてジャーナリズム活動をつづけた,熱心な収書家であり,しかもロシア革命文献の収集にもっとも有利な地位にいたというところもたいへん二人はよく以ている。 一橋大学の依頼を快く承諾されて,現地アムステルダムでこの文庫の調査をされた大阪市立大学の左近 毅助教授の報告によると,二人の文庫を合成したオランダのデッカー書店は,はじめスヴァーリン氏の文庫の購入を計画し,15年近い交渉の結果,ようやく成功したようである。 氏は最近,白内障が進行して書物が読めなくなったため,ついに自分の蔵書を手放す決心をしたらしい。 ベルンシュタインの蔵書の売却をデッカー書店に世話をしたのもスヴァーリンであったということである。
  残念なことには,ベルンシュタインとスヴァーリンの交友関係についてくわしいことがわからなかったので,両文庫の収集が全く独立して行なわれたのか,あるいは彼らの収集の過程で何らかの交渉があったのか,その辺については不明である。 またデッカー書店が両文庫を購入したときのリストがまだ届いていないため,両者の旧文庫を現在の文庫のなかで完全にわけることができない。 ベルンシュタインの旧蔵書には氏の蔵書印が押してあることもあるが,その件数はそれほど多くはないので,これを決め手とすることはできないであろう。 もうひとつの手掛りは装幀職人である。 私はたまたま東京に来られたデッカー書店の古書籍主任,ゲーリツ氏にきいてわかったことであるが,この文庫のなかのたいへん美しい装幀の書物は,ベルンシュタインが気に入っていたパリの装幀職人の仕事だそうである。 同種の装幀の書物は専修大学の M.ベルンシュタイン文庫(フランス革命コレクション)にも数多くみられる。 この話はひとつの決め手になるが,これもベルンシュタインの旧蔵書がすべて同種の装幀がなされているという保証はないし,またスヴァーリンも同じ職人に頼んでいたかも知れないので,決定的な決め手にはならない。 以上のような理由でいまのところ,蔵書印によってベルンシュタイン旧蔵書であることがわかる書物を除いては,ひとつひとつの書物にまでたちいってこの文庫と二人の収書者の経歴や思想との関連を跡づけることはできない。 この文庫の成立史のくわしい調査は将来の研究課題である。
  以下,文庫の内容を紹介することとしたいが,私はロシア革命史研究の専門家でもないし,紙数の制限もあって,このすばらしいロシア革命コレクションの全貌を正確に伝えることはできそうもない。 ただ幸いにこの文庫の成立のために長い間苦労したデッカー書店によってこの文庫の目録, “The Two Russian Revolution. An exceptional collection of old and rare journals, books and pamphlets mainly from the libraries from Leon Bernstein and Boris Souvarine. Amsterdam, Dekker & Nordemans, Antiquarian Department, l980. 188p.” が刊行されている。 そこで今回は,とりあえずこの目録の内容構成に大よそはしたがって,貴重な文献のほんの一部と,注目すべき入物を紹介するにとどめたい。 興味を持たれた読者はぜひ直接,目録をご覧いただきたい。 ただし,この目録と現在一橋大学に納入された文庫の内容とはかならずしも厳密には一致していない。 目録中の文献のほんの一部は別の文献とさし替えられているからである。 この点はあらかじめお断わりしておきたい。

1 プロローグ (19世紀-1905)

  この部門には,1861年の農奴解放令から1905年の第一ロシア革命までに刊行された文献・史料が約400件収録されている。 まず第一に注目されるのは,1861年2月19日,アレクサンドルII世の署名によって成立し,3月5日公布された農奴解放令の全文 『1861年2月19日皇帝陛下勅令,農奴的従属から脱却した農民にかんする条令. サンクト-ペテルブルグ, 1861.』 であろう。 ロシアの専制政治,農奴制に対しては多くのインテリゲンツィアが批判していた。 この文庫が所蔵しているもっとも初期の文献は,デカブリスト運動の指導者の一人としてみなされてパリに在住のまま欠席裁判で死刑を宣告された経済学者,政治学者,N.トゥルゲーネフがロシアの農奴制に反対して亡命地パリで刊行した 『時期. パリ, 1858.』 ほか1860年までに刊行した3件の著書,パンフレットである。 これらは1冊にまとめて美しく装幀され,背表紙に N.A. と彼のフランス語のイニシァルが,その下に I という数字が印刷されている。 これは,この書物がトゥルゲーネフの旧蔵書であることをしめすものであり, I は彼の著作を合綴製本した最初の書物という意味であろう。 フランス語で書かれた 『ロシアにおける農奴の解放. パリ, 1860.』 (論文抜刷)も彼の著作と思われる。
  ナロードニキの文献がたいへんよく集められているのはこの文庫の大きな特色のひとつである。 まず,その思想的先駆者,A.ゲルツェンの著作では,イスカンデルという匿名で出版された 『フランスとイタリーからの手紙, 1847-1852. ロンドン.』, 『フランスかイギリスか? ロンドン, 1858.』, 『終りと始め. ノルケピング, 1863.』 をはじめ,著作6件,最初の全集,最新の全集を含めた著作集5件がある。 友人,N.P.オガリョーフの書物は1件 『1825年12月14日と皇帝ニコライ. ロンドン, 1858.』 がある。 これにはゲルツェンが序文を書いている。 さらに注目すべき史料は,前号にも紹介したように,彼がオガリョーフと共同して編集・刊行した雑誌 『コーロコル(鐘)』 の第1号から196号(1857-1865)までの揃いである。 また同じく二人が刊行した文集 『ロシアからの声』 は,第8冊(ロンドン, 1860)のみがある。 ゲルツェンとならぶロシアにおける解放思想の先駆者,V.G.チェルヌイシェフスキーの著作は比較的少なく,最初の 『全集』 (1906.10巻)のほか, 『七月王政. ジュネーヴ, 1876.』, 『哲学における人間的原理. ジュネーヴ, 1875.』, 『プロローグ. ペテログラード, 1918.』 があるのみである。
  ゲルツェン,チェルヌイシェフスキーに次ぐ世代の代表的ナドードニキ思想家,P.L.ラヴローフの著作は充実している。 もっとも重要な文献は,P.L.ミルトフという匿名で刊行され,当時の青年に大きな影響をあたえた 『歴史書簡. ペテルブルグ, 1870.』 である。 この初版本は,欧米はもちろん,ソ連でもほとんど市場に出ない稀覯本である。 その他,この書物の再販(1905)を含めた,彼の著作をこの文庫は9件所蔵している。 そのひとつである 『進歩・理論と実践. パリ, 1895.』 (雑誌の抜刷. この雑誌“Devenir Social”, 1895-98.の四年分の全巻もある。) には,本文の右上に彼の自筆による献辞がみられる。 また彼がナロードニキ運動を実践するために一人で編集した隔週間の新聞 『フペリョート! (前進) ロンドン, 1876-77.』 の第13号から最終号の48号までの揃いも貴重である。
  以上のナロードニキ運動の先駆的思想家の文献のほか,ナロードニキ運動の参加者の著作がこの文庫にはたん念に集められている。 紙数の関係で書名を省略し,重要人物名と所蔵文献の件数だけをあげておこう。 O.V.アプチェークマン(1件),M.IU.アシェンブレネル(1件),A.V.バラニコフ(1件),V.F.ヴォルフォフスキー(4件),S.M.グラヴチンスキー(匿名,S.ステプニャーク)(4件),A.D.ミハイロフ(1件),N.S.ルサーノフ(匿名,I.セルゲーエフスキー,K.タラソーフ,など)(4件),IA.ステファーノヴィチ(1件),P.N.トカチョーフ(1件),L.チホミーロフ(1件),L.E.シシコ(2件)など。 つぎに,ナロードニキ運動の展開過程のなかから1901年に創立された社会革命党(エスエル党)関係の革命家の著作では,まず中心人物の一人である V.M.チェルノーフ(2件)のほか,E.K.ブレシュコ=ブレシュコフスカヤ(1件),G.A.ゲルシューニ(2件),V.ヤコヴレフ(匿名,V.ボクチャルースキー)(2件)などがある。 ここでひとつだけ注目すべき史料をあげておこう。 それは, 『人民の意志』 党からのちにエスエル党の幹部アゼフが実は政府のスパイであることをばくろした人物として有名であるが,これについては次号で述べよう。 この書物は,厚手の大版の台紙にもとのパンフレットをばらして4枚づつはりつけて製本したものである。 はじめの台紙2枚に裏表にびっしり書かれた彼の手稿が3枚はりつけてあり,うしろにブールツェフと,彼の署名がある。 内容は法廷に提出する上申書の草稿であるとデッカーの目録にあるが,ロシア革命史の一場面の緊張したふんい気を伝える貴重な史料であろう。 全文の解読は専門家にお願いしたいと考えている。 この文庫には草稿の類は全くないが,その理由のひとつは,デッカー書店がベルンシュタイン旧蔵書を息子のミッシェルから購入したときに,彼は父レオンの所蔵していた多数の草稿を売らずに手許にとどめたからである(左近氏の報告による)。 このブールツェフの上申書は,文庫のもっている唯一の手稿ということになる。 これはたいへん残念であるが,いまのところ止むおえないであろう。 ここでナロードニキ各派の雑誌をいくつか紹介しておこう。 「人民の意志」派の機関誌 『人民の意志通報. ジュネーヴ, 1883-86.』 の5冊揃い, 『スヴァボードナヤ・ロシア(自由ロシア)ジュネーヴ, 1889.』 全3巻揃い, 『ナバート(警鐘)ジュネーヴ, 1878-79.』 不完全揃い(リプリント版の全揃いはある)。
  つぎに,アナーキスト革命家ではM.A.バクーニンがよく揃っている。 『科学と日々の革命事業. ジュネーヴ, 1907.』 ほか,単行書,論文集,全集を含めて7件,研究書7件,P.クロポトキンはこの文庫には2件しかない。
  ロシアにおけるマルキシズム,共産党関係の文献は次号で詳しく紹介するが,この第一部にもつぎのような文献がみられる。 マルキシズムの導入者,G.プレハーノフと,彼が創立した 『労働解放団』 のメンバーの著作では,プレハーノフの 『史的一元論. サンクト-ペテルブルグ, 1895.』 のほか,8件,V.I.ザスーリチ(著作集のほか1件),L.ジェイチ(3件),この派の雑誌では, 『社会民主主義者. ロンドン, 1890.』 全5巻, 『ザリャー(あかつき). シュトットガルト,1901-02.』 全4号3冊のうち,第2/3号と最終号の第4号,レーニンはこの第2/3号に 「農業問題と『マルクス批判家』」 の前半,第4号に 「社会民主党の農業綱領」 を発表した。 マルクス主義者のうち,経済主義者といわれたグループでは,S.N.プロコポーヴィチ(2件),この派の雑誌では 『労働者の大儀. ジュネーヴ, 1899-1902.』 全12号揃い, 『赤旗. ジュネーヴ, 1902-03.』 全3号揃い。 合法的マルキストでは,S.M.ブルガーコフ(1件),V.A.ポッセ(1件),この派の雑誌では, 『生活. ジュネーヴ, 1902.』 全16号揃い。 ロシア共産党関係では,N.トロツキー(3件),A.A.マリノフスキー(匿名,ボグダーノフ)(2件)などがみられる。
  のちに紹介するように,この文庫にはロシア社会主義,革命運動に影響をあたえた外国人社会主義思想家の著作,およびそのロシア訳が多数所蔵されているが,この第一部にも2,3の珍らしい文献がある。 例えば,ポーランドの国民詩人,A.ミツケーヴィチがパリのコレージ・ド・フランスで行った講義を出版した 『スラヴ人. パリ, 1914年.』 他1件と,彼が編集した雑誌 『ポーランド巡礼. パリ, 1833-34.』 全巻揃い,イタリーのアナーキスト,のちマルクス主義者,C.カフィエーロの 『アナーキーと共産主義. パリ, 1899.』 は貴重であろう。
  以上,ツァー専制政治に反対したナロードニキ系思想家からマルクス主義思想家にいたる文献をあげてきたが,この文庫がもっている自由主義各派に属する学者の諸著作,学術雑誌,政府側政治家の文献も見逃すことはできない。 初期の学者では,B.N.チチェーリンの 『政治学説史. モスコー, 1869-1902.』 5巻,そのほか,G.サマーリン(1件),P.ミリューコー(1件),P.ドラゴマーノフ(5件),P.ドルゴルーコフ(1件),N.A.ボロージン(1件),V.クリュチェフスキー(1件),M.コヴァレフスキー(2件),S.IU.ヴィッテ(1件),C.ポベードノスツェフ(1件)など。 雑誌では, 『解放. シュトットガルト, パリ, 1903-05.』 のほとんど完全な揃いがある。
  最後に第一部の異色,L.トルストイの文献を紹介しよう。 まずイギリスで刊行された最初の完全ロシア語版 『復活. 1899.』 とロシアで発禁となったトルストイの多くの作品をはじめて収録し,イギリスで刊行された 『ロシアの検閲で禁止されたL.N.トルストイ著作全集. 1901-03.』 全15巻,が注目される。 そのほか, 『人は何で生きるか. モスコー, 1882.』, 日露戦争に反対した 『反省せよ!1904.』 『ドゥホボルト教徒の迫害. ロンドン, 1896.』 など,彼の社会的発言を中心とした後期の作品(ほとんどが初版)を20件以上この文庫は所蔵している。   (つづく)

(社会科学古典資料センター教授)



図書館機械化委員会中間報告

  図書館機械化委員会は業務機械化の当面の目標を開架図書の貸出・返却処理におき,昨年2月から検討と準備作業を行ってきた。 4月からは実行委員会のもとで,スケジュール,現行業務の分析と機械処理の方式,関連諸条件の再検討を行うとともに,6月に本館3名,小平分館1名から成るワーキング・グループを編成し,メーカーの講習会等に参加してプログラムの作成に備えてきた。 夏期休暇中に,対象となる開架室図書の選定と,旧接架室から開架室への移転後の在庫調整を行い,また,12月中に利用者ファイル用のデータ作成を和書係を中心に全館員で行なった。 9月に入ってメーカー側との打合わせを始め,11月にシステムとプログラムの設計を終え,引き続きワーキング・グループが,一橋大学情報処理センター,メーカー側SEの指導を受けながら,プログラムのコーディング作業にかかっている。

〈システム概要〉

  1. 貸出対象図書は開架室の,参考図書,雑誌を除いた約2万冊。 図書は1冊1番号とし,図書番号とコール・ナンバーが図書マスターに登録される。
  2. 利用対象者は利用登録申請をした本学学生・教職員である。 利用者は利用者コードのついた利用証を交付され,利用者マスターに登録される。
  3. 利用者が貸出,予約を行えば,その情報は図書マスター,利用者マスターに記録され,返却,予約解除を行えば,図書マスター,利用者マスターの記録が更新される。
  4. 図書マスターに記録されている情報は,図書番号,あるいはコール・ナンバーをキイとして,また利用者マスターの情報は利用者コードをキイとして,ディスプレイ画面に即時呼び出せる。
  5. 図書マスターの登録・削除,利用者マスターの修正はおんらいん,バッチいずれでも行える。
  6. 機器は情報処理センターの主機と結ぶ端末装置,即ちディスプレイ制御装置,日本語ディスプレイ装置(ライトペン付),ディスプレイ装置(OCRハンドスキャナー付),ディスプレイ-プリンター(漢字,A/N)が設置される。

(佐々木)



誌別索引類型化の試み

-- 東京大学附属図書館情報学セミナー参加報告 --

  東京大学附属図書館情報学セミナーの昭和55年度前期に参加した折,レポート作成に際して和雑誌の総索引・総目録・総目次をテーマとしてとり上げた。 15週に及ぶセミナー期間のうち,講義と見学に続いて,最後の約4週は個別的な研究主題についてのレポート作成にあてられている。 図書館員としての立場とは逆に,おこがましくも研究員としての立場に身をおき,図書館の利用者となったわけである。 その体験の喜びと苦しみはさておいて,レポートについて述べてみたい。 レポートの作成は,講師の指導による論文作成の研修でもあり,論文構成としては, 第1部: 総目次・総索引の資料的位置, 第2部: 誌別索引の類型調査, 第3部: 誌別索引の効用, 第4部: 「一橋論叢」索引作成への応用, としたが,このうち第1部,及び第4部の概略を述べる。
  雑誌論文・記事の検索方法には,論文目録,記事索引を利用する場合と,特定の一雑誌について縦に検索する場合とがある。 後者の場合は,その雑誌の総目録・総索引・総目次を総称して誌別索引と名付け,その刊行状況と内容について調査し,内容の類型化を試みた。
  まず,一橋大学附属図書館の学生・院生の利用頻度上位100誌を対象とし,既成の書誌によって刊行状況を調査した。 この結果,対象100誌のうち73誌が,誌別索引をなんらかの形で出していることがわかった。 次にこれらの100誌の誌別索引のうち53点と,図書館情報学関係の文献で取り扱われている誌別索引7点を加えた60点についてその内容を分析した。 内容は誌別索引の構成スタイルと記載事項との2面から分析した。
  構成のスタイルは,索引方式の組み合わせによって類型化した。 索引方式には,巻号別,年度別,項目別,事項別(分類別),執筆者別,法令別,辞書体,執筆者索引,年月日索引,著名事件索引,件名索引等がみられた。 誌別索引の構成スタイルには,これらの索引方式のさまざまな組合せが,21種類みられたが,これらを次の6つの型に類型化した。 (1)巻号別 (2)事項別(分類別) (3)巻号別+執筆者索引 (4)事項別+執筆者索引 (5)巻号別+執筆者別目録 (6)事項別+執筆者別目録。
  さらに,上記の誌別索引の構成のスタイルとその雑誌の主題分野との関係,あるいはその雑誌の発行機関の種類との関係なども興味ある結果が得られた。
  ところで,「一橋論叢総索引第一巻〜第四十巻 1959」は,構成のスタイルとしては,事項別目録+執筆者別目録のタイプである。 また現在既に八十巻を超えているので,次の総索引が欲しいところである。 「一橋論叢」の理想的な総索引として,事項別目録+執筆者別目録+巻号別目録のタイプを考え,必要なデータを入れておけば,3種類の目録が作成可能である機械編集を想定した。
  セミナー期間中は,図書館におけるコンピュータの利用について,講義を受けたばかりであり,プログラムについても初心者であったので,「一橋論叢」の英文タイトルを74件だけ,執筆者名順に out put してみただけであったが,コンピュータによる漢字処理も可能になった現在,キカイ(機会と機械)があれば,索引編集なども手がけてみたい。
  閉講式の際の,東京大学情報図書館学研究センター助教授井上如氏の御言葉どおり,何かものを創ってみたいという気になったことが,このセミナー参加の最大の収穫であった。
  図書館機械化委員会も発足したばかりの忙しい中,セミナー参加を許して下さった田辺事務部長と日常業務をささえてくれた閲覧係の皆様に,この紙上を借りて,お礼申し上げます。 ありがとうございました。

(川津 朋子)



●百年記念募金購入図書に記念シール

シール   「一橋大学創立百年記念事業会」より寄付を受けた「図書購入資金」による図書の購入が購入委員会の審議・検討を経て,いよいよ本格的に開始される運びとなった。 これによって本学の図書資料が一段と充実することとなるが,同募金による購入図書には永くこのことを記念するため,すべての図書にシールを貼付することとし,このほど左図のシールが作成された。 (実物大)焦茶アート紙使用。デザイナー砂川恵四郎氏の制作である。



●小場瀬卓三文庫目録を刊行

  小平分館に所蔵する都立大学名誉教授故小場瀬卓三先生の旧蔵書の目録が11月に刊行された(「鐘」No.2に本文庫の紹介記事がある)。 収録冊数1,677冊。B5版,105頁。


〈会議〉

●三大学図書館協議会 (昭和55年度)

  11月20日,本学特別応接室,職員集会所を会場として行なわれた。
  出席者: 神戸大図書館長ほか4名,大阪市大図書館長ほか2名,一橋大は木村館長ほか12名が出席した。

  (協議題)
三大学協議会規定改正とそれに伴う今後の協議会のあり方について。
  (承合事項)
  1. 中国書の整理方法,特に分類,排列(混排か,別分類か)等について。
  2. 中央館備付け購入雑誌選定基準について。
  3. 視聴覚資料の利用規定について。
  4. 聴講生に対する利用規定について。
  5. 購入図書の予定価格の算出について。
  6. 外国から依頼の文献複写の取り扱いについて。

●創立百年記念募金図書購入委員会 (第12回)

  10月15日

  1. 第1部門収書計画。
  2. 第2部門収書計画。
  3. 今後の図書購入について。
  4. 創立百年記念事業運営委員会との連絡について。

●創立百年記念募金図書購入委員会 (第13回)

  11月19日
  土屋文庫について,他。

●図書委員会

  10月15日

  1. 昭和56年度新規購入希望外国雑誌について。
  2. 復刻許可願の取り扱いについて。

●社会科学古典資料センター人事委員会

  9月10日
  新任人事について。

●社会科学古典資料センター運営委員会

 10月29日

  1. 年報発行の件。
  2. 古典資料講習会の件。


〈人事異動〉

〔新〕
一橋大学創立百年記念募金図書購入委員会委員
石川滋(経研) 10月1日
一橋大学社会科学古典資料センター人事委員会委員
青木順三(小平分校主事),古賀英三郎(社会学部) 10月1日
一橋大学社会科学古典資料センター運営委員会委員
米川伸一(商学部) 9月1日
古賀英三郎(社会学部) 10月1日
〔退〕
一橋大学社会科学古典資料センター運営委員会委員
中村忠(商学部) 9月1日
岩崎允胤(社会学部) 10月1日
〔転〕
社会科学古典資料センター専門員
岡崎義富 10月1日。 兵庫教育大学助教授に昇任。 学校教育センターに所属。




一橋大学附属図書館報 “鐘” No.6
1981年1月20日 発行
編集委員
大橋渉・佐々木正・田辺広・松尾剛・諸沢菊雄
発 行 所
一橋大学附属図書館