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一橋大学附属図書館レファレンス・ブログでタグ「城山三郎」が付けられているもの

レファレンス・カウンターに寄せられた相談などの中から、日誌風に掲載していきます。

質問等は個人が特定されないように適当に脚色している部分があります。


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このページは2012年3月末現在更新を停止しております。
掲載情報は古い場合もございますので、参照される際にはご注意ください。

 

城山三郎の学生生活

 小説家の城山三郎(本名:杉浦英一)に関して調査依頼(レファレンス)がありました。
 城山三郎は昭和21年一橋大学の前身である東京商科大学の予科に入学,昭和27年3月に学部を卒業しています。在学中の出来事を題材とした自伝的小説「大義の末」では,皇太子殿下(今上天皇)の一橋訪問の場面が登場しますが,このことは学生新聞である一橋新聞の昭和22年6月15日に「専門部の文化祭賑う-皇太子さまを迎えて」というタイトルの記事で確認ができます。
 当時は予科が小平に,本科と専門部が国立に設置されていたので,前半の三年間は小平で,後半の二年間は国立で授業を受けたと思われます。『東京商科大学予科の精神と風土』【3700:2621】には予科が石神井から小平へ移転したこと(p.78),予科生の期間が三年間であったこと(p.83)の記述があります。
※当時の進学段階については以下の表をご参照ください。
東京商科大学の機構図(pdf)
(平成21年度 企画展示) 「一橋大学の歩み : キーワードで知る学園史」】より。

 彼は予科入学後一橋寮へ入寮しましたが昭和23年1月18日にはその建物が全焼してしまいます。(『一橋大学年譜II』に記述があります。)
彼は予科入学なので小平で授業を受けていましたが,この災難に遭った一橋寮は昭和19年3月31日に国立の専門部Aホールに移転した記録があります。(『一橋大学年譜I』より。)従って,国立で寮生活を送りながら,自転車で片道30分くらいの小平キャンパスまで通学していたことが想像されます。

 さて実は今回は,もうひとつ質問「従来の彼の年譜には所属学部が明記されていません。経済学部卒業でよろしいでしょうか。」がありました。
 彼の卒業論文から確認できるのは指導教官名(山田雄三先生)のみなのですが,他の資料を調べてみると学内の制度改革との関係が浮かび上がってきました。
 当時の一橋大学はちょうど東京商科大学から一橋大学へと移行する時期にあり,彼を含めて東京商科大学時代に入学して一橋大学時代に卒業した学生達は制度としては学部が分かれていない最後の時代の卒業生なのでした。このことは「一橋大学学制史資料」第9巻【Az:180】のp.73-及びp.172で確認できます。
 従ってこの時期の卒業生は本学OB名簿の表記に従えば「昭27経卒」ではなく,「昭27学卒」ということになるようです。


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