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平成24年度 一橋大学附属図書館企画展示
「旅する高商生たち-明治・大正期の修学旅行報告書-」

出品資料の解説

  1. 最初と最後の修学旅行報告書
  2. 初期修学旅行
  3. 視察から調査へ
  4. 海外での調査
  5. 報告書の出版
  6. 栴檀は双葉より芳し
  7. 内国実践科
  8. 商業教員養成所
  9. 地図

1. 最初と最後の修学旅行報告書

藤村義苗・布施藤平
『関西地方商工業実視報告書』

明治22(1889)年調査。7月14日に東京を出発、神戸・大阪・京都・名古屋・静岡を経て8月16日に帰京した。新橋-神戸間の線路敷設が完了して直行列車が走るようになったのは、出発の2週間前、7月1日のことである。報告書は第1編が神戸と兵庫、第2編が大阪に充てられている。のちに『高等商業学校学友会雑誌』第2号~第4号に掲載された。

山本正男
『台湾糖業視察報告』

大正10(1921)年調査。修学旅行制度が廃止されたことを裏付ける史料は、これまでのところ見出していない。しかし、本報告書が現存する最後の報告書であり、作成者山本正男の学年が東京高等商業学校に入学した最後の学年であることから、修学旅行制度は東京高等商業学校が東京商科大学へと昇格したのを契機に廃止されたものと考えられる。

石井幾三郎・原田定助
『九州地方修学旅行報告書』

明治22(1889)年調査。藤村・布施組と同じく7月14日に東京を出発、静岡・名古屋・京都・大阪・神戸・兵庫を視察した後、25日に神戸を出港、26日に長崎に上陸して熊本・山鹿・三池・柳川・佐賀・有田・伊万里・福岡・下関を巡回した。熊本では、同年7月28日の熊本地震直後の様子を目撃している。

亀井藤重・土屋豊吉
『修学旅行報告書(宮城県・北海道)』

明治22(1889)年調査。7月14日出発、仙台・塩釜・石巻を視察し、21日に函館に到着。その後小樽・札幌を巡回し、8月25日に帰京した。報告書には、地理・主要産業・輸出入品・交通・金融などの項目が視察先ごとにまとめられている。のち、『高等商業学校学友会雑誌』第2号~第4号に掲載。

関保人
『上海ノ金融』

大正10(1921)年調査。上海に「ニ旬」(=20日)滞在して調査を行った。本報告書は、山本報告書と同じく現存する最後の修学旅行報告書だが、学年は山本の方が1年下である。山本は東京商科大学への進学を希望しなかったことから、商大へ進学した関と同じ年に調査を行うことになった。

2. 初期修学旅行

浅野長七
『上州地方蚕糸取調報告書』

明治24(1891)年調査。期間は他の修学旅行に比べて短く、7月28日から8月3日までの7日間であった。蚕糸にテーマを絞った調査という点も、同時期の修学旅行には見られない特徴である。序文によれば、出発する際に父親から、学校の体面を損ねるような行いはくれぐれも慎み、しっかりと調査に従事して、学校の命令の趣旨に背くことのないように、と言われたという。

七海兵吉・楠目成俊
『福島新潟両県下修学旅行報告書』

明治27(1894)年調査。7月20日に上野を出発、白河・郡山・福島・会津若松を視察した後に新潟へ抜け、小千谷・小出を経て8月10日に帰京した。第1編福島県蚕糸業、第2編若松地方、第3編岩越鉄道(今日の磐越西線)論、第4編新潟県という多岐にわたる構成となっている。

栖原啓蔵・森川鎰太郎
『八王子山梨静岡愛知四県下修学旅行報告書』

明治28(1895)年調査。7月19日に東京を出発、八王子経由で甲府に出た後、富士川を下って富士製紙会社工場を見学。清水・静岡・相良・浜松・豊橋・名古屋・一宮・熱田・瀬戸・半田の各地を巡回し、8月18日に帰京した。筆跡から、山梨県・静岡県と静岡県・八王子町で執筆を分担したと考えられる。

高橋三郎・桜庭豊吉
『四国地方修学旅行報告』

明治28(1895)明治23(1890)年調査。7月22日に東京を出発し、およそ一か月をかけて徳島・高松・松山・宇和島・八幡浜・内子・大洲を巡回した。四国の経済と密接な関係を有する大阪でも調査を行いたかったが、コレラが流行していて果たせなかったという。報告書は複数冊で構成されていたと考えられるが、徳島市を取り上げた第1編のみ現存する。

3. 視察から調査へ

永井定治
『硝子業取調報告書』

明治35(1902)年調査。序文が執筆されておらず、調査地及び調査期間は不明である。大阪の情報が詳しいので、おそらく関西に赴いたのだろう。ページの過半は、硝子(ガラス)の製造法や統計などの紹介に割かれている。

水谷新太郎
『新潟県下染織業調査報告書』

明治34(1901)年調査。タイトルの通り、新潟県内各地の染織業に関する調査結果をまとめたものである。調査地は、沼垂・亀田・葛塚・山辺里・新津・小須戸・白根・五泉・村松・加茂・一ノ木戸及び三条・吉田・見附・今町・栃尾・長岡・小千谷・十日町・柏崎・高田の計20か所に及ぶ。現在は1冊に合冊されているが、元々は全6冊であった。

古郡良介
『燐寸業取調報告』

明治28(1895)年調査。明治8年に産声を上げた日本の燐寸(マッチ)業は、明治10年代に急成長し、一大輸出産業となった。阪神地方での1か月にわたる調査結果をまとめた本報告書は高く評価され、『高等商業学校同窓会会誌』第3・4号に連載された。展示資料は、第3号掲載分の底本である。第4号掲載分の底本は何らかの事情で失われてしまい、現存しない。

曽野近一
『九州炭坑労働状態調査報告』

大正8(1919)年調査。労働運動の高まりを受け、大正8年に初めて労働状態の調査が修学旅行のテーマに選ばれた。明治後期に急成長を遂げた織物業の調査が明治30年代に集中的に実施されたことからもわかるように、調査の対象と地域は、その時々の経済的・社会的課題に即して設定された。

機業に関する報告書

  • 阿曽菊蔵『京都府及福井石川二県下修学旅行復命書』(明治29年調査)
  • 石丸素一『名古屋地方修学旅行報告書』(明治32年調査)
  • 松村大助・渋谷良英『京都府織物業調査報告書』(明治34年調査)
  • 河野恒三『京都機業取調報告書』(明治36年調査)
  • 中川太一『滋賀県機業調査報告書』(明治34年調査)

4. 海外での調査

笹山真一
『韓国鉄道現況調査報告書』

明治39(1906)年調査。上編京釜鉄道、下編臨時軍用鉄道の上下2編から成る。調査は統監府鉄道管理局が京釜鉄道を買収した1か月後に実施されており、時宜を得た調査であった。

西山勉
『山東省視察復命書』

明治39(1906)年調査。ドイツが租借した膠州湾を調査した。しかし、収集した資料のすべてを火災で失ってしまう。報告書は、統計を税関の報告書から得、租借地の行政官ウィルヘルム・シュラマイアーの著作などを読んで記憶を喚起しながら執筆した。

大島堅造
『中清茶業調査報告』

明治41(1908)年調査。長江中流に位置する漢口に滞在して、同地に集散する各種の茶について調査した。報告書には調査の結果しか記されていないが、三井物産の世話で茶問屋に通って調査を行ったと後に振り返っている(『一銀行家の回想』日本経済新聞社、1963)。

小林益太郎
『満洲ノ金融』

明治43(1910)年調査。8月3日に出発し、1か月余り現地で調査を行って9月17日に帰国した。調査先として、横浜正金や三井物産の出張所、満鉄、牛荘およびハルビンの領事館、関東都督府などの名前が挙げられている。報告書は第1編通貨、第2編金融機関、第3編金融事情の3部構成である。

5. 報告書の出版

八十島樹次郎
『名古屋地方修学旅行報告』

明治32(1899)年調査。同年の名古屋での調査は石丸素一・園田謙三郎・八十島樹次郎の3名で分担し、八十島は漆器・七宝・マッチ・陶磁器の調査を担当した。『阪神地方修学旅行報告書』とは違って出版されなかったが、出版の計画は行われたらしく、活字の大きさを指示する書き込みが見られる。

山崎主計『韓国ニ於ケル貨幣ト金融機関』
上田光雄『韓国ニ於ケル貨幣ト金融』

山崎は明治38(1905)年、上田は明治41(1908)年に調査。山崎の報告書を下敷きに上田が調査を実施し、報告書が出版された。山崎報告書の巻頭には、次のように記されている。

此ノ山崎主計報告宜シ。然レトモ時期遅レタルニ依リ、来ル四十一年夏期ノ旅行者ニ此レヲ与ヘ、材料トシテ今一度調査セシメ、其分ト此レトヲ併セテ印刷シタシ。尤モ其事実ヲ報告ノ始ニ記スコト。右佐野教授ノ意見。校長亦同意ニ決セラレタリ。

明治四十年 九月三十日(印)

春田茂躬
『清国天津付近石炭事情調査報告』

明治40(1907)年調査。調査については記載がなく、詳細は不明である。本報告書は、扉に記された次のような経緯により出版に至らなかった(読む順番を示すため、丸番号を補った)。

③校長  両氏意見ワレ
タルニ付、印刷   
見合ト決ス
①奈佐氏印刷ヲ要セズ
②関氏印刷スヘシ

6. 栴檀は双葉より芳し

福田徳三・坂田重次郎
『修学旅行報告』

明治26(1893)年調査。福田徳三(1874~1930)は明治後期から昭和初期にかけて活躍した経済学者。大正デモクラシー期の活動でも知られる。2巻からなる報告書のうち、福田は第1巻(群馬県・栃木県・長野県)を担当した。報告書には経済学の用語や経済学者への言及が見られ、福田が学生時代から経済学に目を向けていたことがうかがえる。

佐野善作・小林和介
『山梨県一円長野県諏訪伊那視察報告書』

明治27(1894)年調査。佐野善作(1873~1952)は東京高等商業学校校長・東京商科大学学長を歴任。初の母校出身の校長となった。報告書は視察結果をまとめたものであり、視察旅行について詳しいことは不明である。視察先である山梨県と長野県諏訪・伊那地方は現在の中央本線・飯田線沿線だが、当時はいずれも開通しておらず、主に馬車によって移動したと推測される。

三浦新七
『本邦之銀行業』

明治31(1898)年調査。三浦新七(1877~1947)は歴史学者。第2代東京商科大学学長。両羽銀行(山形銀行の前身)の頭取も務めた。本報告書は調査地が東京と横浜、テーマが銀行業で、他の報告書とは趣を異にしている。修学旅行報告書とは別の報告書のようにも思えるが、修学旅行報告書であることが巻頭に明記されている。

藤本幸太郎
『瀬戸萬古常滑陶磁器調査報告書』

明治35(1902)年調査。藤本幸太郎(1880~1967)は海上保険論と統計学を専門とし、日本で最初の商学博士となった。調査の対象としたのは瀬戸焼・萬古焼・常滑焼の3種だが、調査は名古屋・瀬戸・四日市(萬古焼の主な生産地)・常滑・多治見・横浜の各地で行っている。

緒方清
『山形及熊本ニ於ケル米券倉庫調査報告』

大正5(1916)年調査。緒方清(1896~1934)は協同組合研究で知られる経済学者。将来を嘱望されたが、若くして死去した。米券倉庫とは、収納した米に対して米券を発行した倉庫である。米券の所持者は、米券と引き換えに米券倉庫から米を受け取ることができた。山形県と熊本県の米券倉庫は、米券倉庫の中でも模範とされた。

井藤半彌
『阪神海運事情調査報告書』

大正6(1917)年調査。井藤半彌(1894~1974)は福田徳三の下で学び、財政学・社会政策を講じた。第2代一橋大学長。神戸港・大阪港及び阪神の海運業を論じた本報告書は、海運学の第一人者であった教授の堀光亀より、「阪神方面海運業ノ一般的状況ヲ審(つまびらか)ニスルニ足レリ(費用アレハ印刷シテ可ナリ)」との評価を得た。

村松恒一郎
『我近海市場ニ於ケル運賃ノ変動』

大正7(1918)年調査。村松恒一郎(1898~1984)は三浦新七の下で学び、経済史・文明史を講じた。本報告書は、運賃の変動を商品の出荷時期との関係で論じたものである。調査は井藤と同じく、阪神地方で行った。

7. 内国実践科

服部修二・賀集亮二
『京浜間和洋紙売買慣習取調報告』

輸入された洋紙や国産の洋紙、和紙など、80種類以上の見本が収録されており、紙の標本として大変興味深い報告書である。

税制に関する報告書

  • 山中千之『内外各港ニ於ケル港税及諸掛取調報告』
  • 江原忠『内外印紙税取調報告』
  • 横江勝雄・本木八郎『国税、府県税、市税、商業会議所税、取引所税』

会計事務に関する報告書

  • 鎌瀬貞蔵『東京米穀取引所帳簿及書式取調報告書』
  • 武縄七太郎『モスリン製造所帳簿及書式』
  • 川嶋五作『東京製紙会社帳簿組織ニ関スル取調報告書』
  • 早瀬義正『東京馬車鉄道株式会社帳簿諸書式取調報告』
  • 松田千蔵『東京電燈株式会社ニ於イテ使用セル書類及帳簿取調報告書』
  • 関口彦造『芝浦三井製作所帳簿組織等調査報告』
  • 野平道男『甲武鉄道会社使用帳簿雛形』

8. 商業教員養成所

竹内正太郎
『関西地方商業教育調査報告書』

宮本實蔵
『東京市内交通機関調査報告書』

森千代松
『名古屋市時計製造業調査報告書』

千布次郎
『広告事業調査報告書』

吉田義夫
『広島県缶詰業調査報告』

9. 地図

児玉謙次・柳谷巳之吉
『東北地方修学旅行復命書』

明治24(1891)年調査。

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