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平成22年度 一橋大学附属図書館・慶應義塾図書館共同企画展示
「大江戸商売繁盛記 : 所蔵貴重資料から」

出品資料 

札差事略

札差事略
文化14年(1817)
一橋大学附属図書館所蔵

札差株仲間の結成が認められた享保9年(1724)以降、文化12年(1815)に至るまでの札差株仲間に関する編纂記録。全35巻38冊。文化13年に編纂がはじまり、翌14年に完成した。

本資料の編纂者は、扇谷定継を中心とする有志の札差であったと推定されている。定継については、下野(現在の栃木県)の出身であること、若いころから札差の店に勤務し、後に札差株を入手して店を構えたことがわかっているが、彼が働いていた店や彼自身の屋号と名前(○○屋×右衛門、△△屋□兵衛など)は不明である。

『札差事略』の原本は札差会所に備え付けられ、一番組から六番組にはその写本が割り当てられた。原本・写本合わせて7部のうち、現存が確認されているのは札差会所備付本(全巻揃)・一番組備付本(全巻揃)・四番組備付本(一部欠)・五番組備付本(一部欠)の4部である。一橋大学附属図書館はこのうち、札差会所備付本・一番組備付本・五番組備付本の3部を所蔵している。

札差会所備付本は、桐製の本箱3箱に分けて収納された。本箱の蓋裏の記載から、札差会所備付本が完成したのは文化14年2月だったことがわかる。

札差株仲間

三組連判帳
享保14年(1729)
一橋大学附属図書館所蔵

札差株仲間の結成が認可された享保9年(1724)7月21日、札差一同は全22条からなる規約を定めた。その内容は、利率の制限や名義貸しの禁止のように業務に関わるものから、祝言金(結婚祝い金)の額のように仲間内の交際に関わるものにまでわたった。

天王町組・片町組・森田町組の各組には、規約を記し、札差全員が承諾の印を押した帳面が備え付けられた。この帳面を条目帳という。天王町組と森田町組の条目帳は享保14年2月に火事で焼失したため、焼失を免れた片町組のものを底本として同年9月に再度作成された。展示資料は、享保14年に再作成された森田町組の条目帳である。

札差仲間株帳
文政9年(1826)
一橋大学附属図書館所蔵

札差株所有者の台帳。天王町組・片町組・森田町組の順に、文政9年(1826)10月時点での札差株の所有者が捺印している。

札差株仲間は安永7年(1778)に最初の台帳、天明8年(1788)にその改訂版を町奉行所へ提出していたが、株の所有者が多数入れ替わったことから、文政9年10月に再改訂版を北町奉行所と南町奉行所へ提出した。展示資料は、札差株仲間の手元に残された副本である。

この副本は文政9年以後も書き継がれ、株が譲渡される都度、新所有者が捺印した。また、所有者が改名したり印を変更した場合も登録内容が更新されている。

名前の前に朱書で記載されているのは、株の来歴である。左の株は一度も譲渡されたことがなく、株仲間結成時の構成員を指す「起立人(きりゅうにん)」という呼称が記されている。一方、右の株は文政9年までに所有者が3回変わり、その後も天保8年(1837)に伊勢屋金五郎、万延元年(1860)に森村屋長右衛門へと譲渡された。

御蔵御場所見廻組合割付
元治2年(慶応元年、1865)
一橋大学附属図書館所蔵

元治2年(慶応元年、1865)4月時点での札差一覧。101名の札差が組別に掲載されている。

天王町二番組の青地四郎左衛門・天王町三番組の鹿島清兵衛・片町組六番組の鹿島利右衛門の3名は多額の上納金を納めた功績によって苗字を名乗ることを許されていたため、「伊勢屋」「鹿島屋」という屋号ではなく苗字が掲載された。

札差業務所及関連所地図
大正4年(1915)
一橋大学附属図書館所蔵

元札差の細谷(和泉屋)多七氏によって作成された、札差の店舗と関連施設の地図。番号一~一五および六一~六五が関連施設、一六~六〇が札差の店舗である。

札差青地家

札差株式譲請請合証文帳
安永7年(1778)
一橋大学附属図書館所蔵

札差株の購入者が株仲間へ加入する際は、正副の保証人である請合人と加判人を立て、連印の証文を仲間へ提出しなければならなかった。本資料は、安永7年にそれまでの証文を書き替えてまとめたものである。同内容のものが天王町組・片町組・森田町組の各組に備え付けられ、安永7年以後も書き継がれた。

展示箇所の右半分は文化12年(1815)に加入した伊勢屋惣右衛門の証文の後半部分、左半分は文化15年(文政元年、1818)に加入した伊勢屋恒蔵の証文の前半部分である。伊勢屋惣右衛門の証文では、請合人に本家の伊勢屋四郎左衛門、加判人に分家の伊勢屋幾次郎が立っている。

御蔵宿頼証文
慶応元年(1865)
一橋大学附属図書館所蔵

御蔵宿頼証文とは旗本・御家人が札差へ換金業務を依頼する証文で、借金は支給される蔵米で精算すること、直差(じきさし、札差を通さずに直接自分で蔵米を受け取ること)は決して行わないことが明記されている。

この証文では、依頼者である小貫増三郎の名前が大きく、札差の伊勢屋幾次郎の名前が小さくかつ下方に記されている。これは、武士の方が社会的地位が上だったためである。

俵出入之帳
一橋大学附属図書館所蔵

米の流通

糴糶必用八木虎之巻
猛虎軒著 天明7年(1787) 高木遷喬堂他刊
一橋大学附属図書館所蔵

糴糶必用八木豹之巻
猛虎軒著 天保7年(1836) 盬屋忠兵衛他刊
一橋大学附属図書館所蔵

「八木(はちぼく)」、すなわち米の相場の先行きを読むための書。糴糶(てきちょう)は買い米、売り米の意である。米価の上下は陰陽の理に即しているという論理のもと、暦を元に相場を読む方法が示されている。大坂堂島の米相場は投機的な取引が多く、易占の対象のひとつとされた。当時、占いと米相場に密接な関係があったことは興味深い。

大坂米相場帳
天保8年(1837)写
一橋大学附属図書館所蔵

安永10年(天明元年、1781)から天明8年(1788)までの大坂米相場を写したもの。月ごと、生産地ごとの価格を記録している。展示箇所の天明4年(1784)4月には「当春米相場大高下ニ付帳合米度々相止ミ」とある。「帳合米」とは、実物の米を扱わず、帳簿上での基準米の売買を一定期日内で決算する形式で行われる取引のことで、大坂の堂島米会所でのみその取引が許可されていた。天明4年(1784)に米相場が大荒れとなったのは、その前年に発生した浅間山の噴火による影響と考えられる。

仙台蔵米切手
江戸時代後期
一橋大学附属図書館所蔵

仙台藩が発行した米切手(左が表面、右が裏面)。仙台藩は文化9年(1812)、米切手の発行を幕府から認められた。国元から輸送した米を仲買人に入札させ、落札した者にまず米切手を渡し、のちにそれと引き換えに米の蔵出しを行った。米切手を使用することにより、米の引き取り量を買い手が調整できるので、保管場所に制限のある米問屋や米仲買にも安定した供給が行われ、将来を予測した買い付けも可能になった。

切手願之節筋々江入内覧ニ候訳書
江戸時代後期
一橋大学附属図書館所蔵

仙台藩用人、大松沢丹宮実敏(おおまつざわ たみや さねとし)による、米切手の使用許可を求めた文書の案文。資料の表題から、関係者へ事前に内容を示していたと考えられる。

もともと有数の米の産地であった仙台藩は、江戸に近いという利点を生かして、農民から年貢以外の米を買い上げ、江戸へ運び売却するという「買米仕法」を実施した。この制度で買い集められた米を大量に売りさばくため、仙台藩は子年(文化元年(1804)か)、幕府へ蔵米引取証書である米切手の使用許可を願い出た。本資料では米切手使用の効果として、仲買人はすぐに米の引き取りをしなくてもよいため、蔵の借料がかからないことや、保管時の災害を心配する必要がなくなり、大量の買い備えが可能になることなどを挙げている。

江戸の風景と物流

江戸鳥瞰図
鍬形蕙斎画 須原屋伊八 江戸後期刊 1枚
慶應義塾図書館所蔵

本所付近からの江戸全景の鳥瞰図で、西洋から伝わった一点透視図法でリアルな江戸の都市が描かれている。図の中央あたりに日本橋があり、隅田川越しに西方の遥か彼方に富士山を望むことができる。鍬形蕙斎(北尾政美 1764-1824)は浮世絵師北尾重政に師事し、江戸後期に活躍した。本図を元に作成された肉筆に『江戸一目図屏風』(津山郷土博物館蔵)がある。

菱垣新綿番船川口出帆之圖
一亳齋芳豊画 江戸末期刊 三枚続の合貼1枚
慶應義塾図書館所蔵

大坂・安治川口における菱垣廻船の新綿番船出帆の図である。新綿番船とは、毎年秋にその年の新綿を大坂から江戸へ競争で運送した菱垣廻船の年中行事のことで、元禄頃に始まり明治初期まで続いた。各問屋の名誉をかけたレースだったため、どの問屋も最新鋭の性能をもった船を出した。絵には菱垣廻船問屋や樽廻船問屋の倉庫群も描かれている。

新版浮繪江戸日本橋市中之圖
江戸 総州屋與兵衛 江戸後期刊 1枚
慶應義塾図書館所蔵

日本橋が架けられたのは慶長8年(1603)で、日本橋川を中心に交通が発達し、米や塩、材木などの問屋が軒を連ねた。東海道をはじめとする五街道の起点でもあり、図からは当時の賑わいぶりがうかがえる。

渓斎英泉(1790-1848)は美人画で名を馳せたが、歌川広重とともに『木曾街道六十九次』など風景画(名所絵)も残している。

江戸時代の貨幣

古金銀貨幣コレクション
慶應義塾図書館所蔵

江戸時代の古金銀貨幣コレクションで、恩賞、贈答用の大判金から携帯に便利で重宝された小玉銀、藩で発行した藩札まで幅広く収集したもの。

享保大判金、天保五両判金、慶長小判金、元禄小判金、南繚二朱銀、丁銀、小玉銀(豆板銀)、藩札など。

魚市場

魚問屋記録
江戸時代後期
一橋大学附属図書館所蔵

日本橋の四組(本小田原町組、本船町組、本船町横店組、按針町組)の魚問屋行事による記録。日本橋魚市場は「古場」と呼ばれる本小田原町組と本船町組を起源とし、のちに本船町横店組と按針町組が公認されて四組となった。新肴場、四日市、芝雑魚場の諸組と同様、日本橋の四組は、幕府への納魚と魚介類の卸売りを行った。展示箇所は仲間の規約について記したもので、「四組を一組ニ相束、何事も一統ニ割合、…」と、組合内の結束をはかり、納魚にあたり不正を働かないよう定めている。

芝浦魚問屋記録
明治16年(1883)写
一橋大学附属図書館所蔵

享保6年(1721)に公認された、鮮魚のみ取り扱う魚問屋仲間(芝金杉町組、本芝町組)の記録。芝橋をはさんで隣りあった、芝金杉通四丁目と本芝一丁目の両町では、隔月で鮮魚の市が開かれていた。

江戸名所図会
斎藤月岑編 天保5年(1834) 須原屋茂兵衛他刊
一橋大学附属図書館所蔵

斎藤月岑・編、長谷川雪旦・絵の江戸の地誌紀行書。江戸城を中心に江戸郊外までを含めた地域の名所1,000カ所以上を紹介している。

展示箇所は、日本橋魚市場の図である。左上には、巨大な魚を載せた船が着岸している。一方、納屋の奥では魚問屋の番頭らしき人物が帳簿つけを行い、その前方には、「板舟」と呼ばれる仲買の売場が広げられている。鯛・ひらめ・ふぐ・蛸・鮑などの多様な魚介類が並べられた売場で、仲買人が小売商などと取引している様子や、棒手振が天秤状の左右の桶に魚介類を満載して江戸の町へ繰り出してゆく様子が描かれている。

海運

菱垣廻船積仲間
文化6年(1809)
慶應義塾図書館所蔵

樽廻船に積荷が集中して収入が減少し、相次ぐ難破船を補填することもできなかった菱垣廻船問屋は、勢力挽回のため、文化5年(1808)に菱垣廻船積問屋仲間を結成した。これ以降、菱垣廻船に積荷する荷主は、十組問屋以外の問屋であっても菱垣廻船積仲間に加入し、共同出資して菱垣廻船の修復と新造船の建造を行うことになった。本資料は、この構成員を一覧にしたものである。

酒田御城米積入船破船諸事書
安永6年(1777)
一橋大学附属図書館所蔵

周防国小郡(現在の山口県山口市)の船頭が、東廻航路にて江戸廻米を行った際の記録。安永6年(1777)、出羽国村山郡(現在の山形県山形市周辺)の年貢米を積載し酒田(現在の山形県酒田市)から出航した船が、途中、佐井湊(現在の青森県下北郡佐井村)近辺で悪天候に見舞われ、出帆と帰帆を2回繰り返した。その後、沖へ出たものの潮に流され、弁才島(弁天島か)付近で船腹を擦って沈没した。当時の航海の難しさと船頭の苦労が伝わる文書である。

方向針筋廻船用心記
吉村海洲著 天保12年(1841) 前川善兵衛刊
慶應義塾図書館所蔵

帆船の運行に関わる情報を、図を多用し、コンパクトに掲載した書。星度器の製作とその使用法に始まり、順風時、変風時の運航方法、船路計算方法などが詳しく述べられている。「大意」の項には「此書は専ら天文の玄理を述るにあらず。唯廻船漂流の難を救はんが為に天地の経緯を諭し、極星度数の梗概をしるす而巳」とあり、執筆の意図は航海における実用的な情報を提供することにあった。

改正日本船路細見記
美啓編 天保13年(1842) 秋田屋良介刊
一橋大学附属図書館所蔵

船乗必携の航海の虎の巻として、嘉永4年(1851)から明治28年(1895)まで五度も増補改訂された。

商都大坂に集まる諸国廻船の船着場、諸大名の船印、風雨日和の予知法、船路詳細を掲載し、そのほか月の満欠、諸国湊の潮時などのデータも詳しい。「年中日和の梗概」の項では、日の出、日の入の色、月の暈、虹、雷、稲妻などの具体的な現象から気象を予測するためのポイントが示されている。

木綿店の資料から

菱垣廻船一件
天保5年(1834)
一橋大学附属図書館所蔵

樽廻船に押されぎみだった菱垣廻船を再興させるため、十組問屋は積荷に関する取り決めを行うよう幕府に嘆願を続け、天保4年(1833)11月、幕府から菱垣廻船一方積の命令が出された。本資料はその請書である。酒荷は樽廻船のみの扱いであることと、7品(米、糠、阿波藍玉、灘目素麺、酢、溜り(醤油)、阿波蝋燭)は両廻船扱いであることはすでに協定で取り決められていたが、この命令により4品(鰹節、塩干魚、乾物、幕府御用砂糖)を加えた11品と酒荷以外の品物は、菱垣廻船が独占して扱うことになった。幕府の後ろ盾を得て、一時的ではあったが菱垣廻船の勢力が回復した。

大福帳
一橋大学附属図書館所蔵

指引帳
江戸時代
一橋大学附属図書館所蔵

大伝馬町太物問屋仲間の記録。全12冊。寛文年間(1661~1672)から天保13年(1842)に至るおよそ170年間、行事(行持・行司とも記す)が交代で書き継いだ。記録の内容は、構成員の変動や規約の制定、運送に関わる事項など多岐にわたる。

江戸買物獨案内
文政7年(1824) 中川芳山堂撰 中川五郎左衛門他刊
一橋大学附属図書館所蔵

江戸時代の買い物ガイドブック。大伝馬町の木綿問屋は21軒掲載されている。

江戸の地図

寛政十年江戸古図
一橋大学附属図書館所蔵

ビデオ上映

札差-御蔵前泉屋
台東区教育委員会企画 東京を記録する会製作 1996

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