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常設展示
冒険の海 -村瀬文庫と海上保険の歴史

画像:冒険の海 -村瀬文庫と海上保険の歴史
展示
日 程 2011(平成23)年10月12日(水)~2013(平成25)年12月13日(金)
場 所 一橋大学附属図書館 公開展示室
開室時間 10:00~17:00(入場無料)(土・日・祝日・休館日は閉室)

 遠い昔、中世ヨーロッパには航海に際して船と荷物を担保とし金銭を借り受ける冒険貸借と呼ばれる仕組みがありました。これは難破等の事故へ備えるものであることから現在の海上保険の起源と考えられています。今回の常設展示では海上保険の文献を多く含む村瀬文庫を中心に、海上保険の歴史および本学における保険学の発展について紹介します。

※ 【 】内は附属図書館所蔵の請求記号です。

展示パンフレット


1 村瀬文庫について

 村瀬文庫は、一橋大学の前身・高等商業学校の教授であった村瀬春雄(1871-1924)の旧蔵書のうち、海上保険分野を中心として再構築されたおよそ3,300冊からなるコレクションである。
 1921年(大正10年)、村瀬はその蔵書およそ1万冊を母校である東京商科大学に寄贈したが、当時本学は神田一ツ橋にあったため、1923年(大正12年)の関東大震災にて焼失してしまった。その後、震災直前に完成していた保険書約2,800冊の目録を基に、村瀬博士記念館建築のために集められていた基金により再収集されたものが現在の村瀬文庫である。
 再収集は当時ヨーロッパへ留学していた本学諸教授の協力のもと進められたが、村瀬の蔵書には各国の代表的古典などの稀覯書が多く、受入記録によると1927年(昭和2年)より十数年という年月が費やされたことがわかる。
 また、1963年(昭和38年)には村瀬春雄博士記念事業会が発足、村瀬の胸像建築ともに村瀬文庫の充実を目的とした基金が募られ、戦後いったん途絶えていた文庫の充実が再開、1985年(昭和60年)まで続いている。
 このような経緯をもつ村瀬文庫は、近代的保険制度のなかで長い歴史を持つ海上保険分野を主とした保険文庫である。海上保険の起源は中世にまで遡るため古典資料が重要な役割を占めており、その観点からみると、全体の冊数こそ多いとは言えないものの国内外でも例を見ないほど古典資料が充実しているという特徴をもっている。

【展示資料】

画像:村瀬春雄博士記念事業会編『村瀬春雄博士の面影』1964

村瀬春雄博士記念事業会編『村瀬春雄博士の面影』1964年 【Murase/VIII-D:46】

昭和38年に発足した村瀬春雄博士記念事業会により出版。村瀬にまつわる思い出、事柄がつづられた論集であり、執筆者は本学関係者だけでなく実業界からも寄稿を受けている。村瀬の肖像のほか、自筆書簡などの写真資料も多く掲載されている。



2 海上保険の歴史

 海上保険は、近代的保険制度のなかでも最も長い歴史をもち、その起源は12~13世紀に盛んに利用された冒険貸借と呼ばれる危険負担・金銭貸借のシステムに遡ると考えられている。冒険貸借は、保険契約とは逆に船主が事前に積荷の価額を貸付けてもらい、船舶が無事に到着した場合は、貸主に相応の利息を付けて返済し、難破や船荷の損失などがあった場合は返済を免除される仕組みであった。
 その後、1230年頃に高利の受け取りを禁止する徴利禁止令がローマ教皇によって出されると、冒険貸借は、危険負担の代償として前もって保険料を支払う保険契約の形へとしだいに姿を変えていった。最古の保険証券としては、諸説あるが1379年にピサで契約されたものが現存しており、またこの頃、海上保険についての諸条例もジェノヴァやフィレンツェなどの都市で相次いで定められている。これらの諸条例はその後、世界最古の統一的海上保険法として名高い1435年のバルセロナ条例の制定へと結びついた。
 14世紀にイタリアの諸都市で誕生した海上保険は、スペイン、フランスなどを経て、16世紀頃までにはイギリスへと伝えられた。イギリスでは、エドワード・ロイドという人物の始めたコーヒー・ハウスが積荷の売買、海上保険の取引の中心地となり、個人保険者の集まりとして「ロイズ」の名が知られるようになった。ロイズで使用されていた海上保険証券は、その後ほぼそのままの形でイギリスの保険証券の標準様式となり、わが国の英文保険証券にも現在に至るまでその様式、文言等が引き継がれている。

【展示資料】

画像:Benvenuto Straccha, Benvenvti Stracchae De assecurationibus, tractatus. Venetiis, 1569

Benvenuto Straccha, Benvenvti Stracchae De assecurationibus, tractatus. Venetiis, 1569年 【貴E 33_1】

ベンヴェヌート・ストラッカ(1509-1578)『保険論』。村瀬文庫に収蔵されているのは、1569年にヴェネチアで出版された初版である。1552年に出版されたペトルス・サンテルナの同名書と並んで、海上保険に関する世界最古の著作の一つ。保険を危険の引き受け・売買とする考え方はこれらの著作まで遡ることが知られている。



画像:Balthazard-Marie Emerigon, Traite des assurances et des contrats a la grosse. 1783

Balthazard-Marie Emerigon, Traite des assurances et des contrats a la grosse. 1783年 【貴E 19】

バルタザール=マリー・エメリゴン(1716-1785)『保険および冒険貸借論』。エメリゴンは主にマルセイユで活動した法律家。本書は海上保険、貿易契約に関する権威書として知られ、アメリカ、イギリスでも訳書が出版されている。



画像:Joseph Arnould, A treatise on the law of marine insurance and average. London, 1848

Joseph Arnould, A treatise on the law of marine insurance and average. London, 1848年 【貴E 1_1】

ジョセフ・アーノルド(1814-1886)『海上保険』。アーノルドは英領インドで判事などを務めた法律家であるが、その名は1848年に出版された本書によってつとに知られている。本書は海上保険論の名著として版を重ね、2008年に出版された最新版で17版を数えるに至っている。



画像:Enrico Bensa, Il contratto di assicurazione nel medio evo : studi e ricerche. Genova, 1884

Enrico Bensa, Il contratto di assicurazione nel medio evo : studi e ricerche. Genova, 1884年 【Murase/I-E:1】

エンリコ・ベンサ(1848-1931)『中世における保険契約』。ベンサはイタリアの法学者。本書の実証的研究によって、従来、最古の海上保険条例とされてきたバルセロナ条例(1435年)の制定以前にも、ジェノヴァ、フィレンツェなどにおいて海上保険条例が存在したことが明らかになった。



3 わが国における海上保険の受容

 西欧諸国において、中世以降、海上保険が発達したのに対して、わが国でも17世紀初頭の慶長・元和時代には、抛銀(なげかね)と呼ばれる海難負担の制度が存在したことが知られている。抛銀はポルトガル人から伝えられたとされる一種の冒険貸借で、朱印船貿易の船主側が3~8割の高利で貸付を受け、海難の際には船舶と船荷の全損の危険をすべて出資者に負担してもらう制度であった。
 鎖国で外国貿易が禁止されると抛銀は消滅したが、代わって国内の廻船業において、問屋があらかじめ危険の負担料を含んだ高い船賃を取る代わりに損害が生じた際には埋め合わせをする、海上請負と呼ばれる制度が広く行われた。抛銀や海上請負は、幕末維新期に至るまで独立した事業として分化することはなく、西欧で発展した海上保険とは性質を異にするものであったが、こうした危険負担の制度が広く営まれていたことは、明治以降わが国で海上保険の理解と受容が大きな抵抗なく進む素地となった。
 幕末に鎖国が解かれると、海外の保険知識が日本にも紹介されるようになった。特に福澤諭吉は、保険に高い関心を寄せ、『西洋事情』(1866年)、『西洋旅案内』(1867年)などで西欧の保険制度を解説している。明治維新以降、海上保険の確立は商業・流通の発展に不可欠なものと認識され、国を挙げてその制度、教育の整備が進められた。明治維新からわずか10年余りの1879年には、わが国最初の保険会社である東京海上保険会社が設立され、第一国立銀行の海上受合事業を引き継いで本格的に海上保険事業を開始した。また同年、東京大学、慶應義塾の科目にそれぞれ「海上保険法」、「保険法」が加えられ、遅れて1886年には本学の前身である東京商業学校の学科に「海上保険法」が加えられた。

【展示資料】

画像:村瀬春雄訳『ヨーク・アントワープ共同海損規定』1897

村瀬春雄訳『ヨーク・アントワープ共同海損規定』1897年 【Murase/III-D:3】

ヨーク・アントワープ共同海損規定は、それまで慣例に基づいて行われていた海上輸送に関する事故や紛争の処理を、統一的な規定のもとで裁定するために1890年に定められた規則。村瀬は教鞭をとっていた高等商業学校の講義で使用するために、これを翻訳の上、英語原文、独語・仏語訳を付して出版した。



画像:福沢諭吉著『西洋旅案内:慶応三年』1867(複製)

福沢諭吉著『西洋旅案内:慶応三年』1867年(複製) 【Rc20:46】

福沢諭吉が、欧米への渡航などで得た知識、経験を、旅案内の形でまとめた著作。1867年(慶応三年)自身2度目のアメリカ行から帰国後、旅行中の不服従などで謹慎を命じられた際に書き上げたものとされている。海上保険については「海上請負」の名称で紹介されており、西欧の海上保険制度がわが国に紹介された例として最も早い時期に当たるものの一つである。



画像:?兒勃著、牟田豊訳『海上保險法全書』1885

?兒勃著、牟田豊訳『海上保險法全書』1885年 【Murase/I-D:43】

本書は、当時、産業行政を管轄していた農商務省が、海上保険についての理解を深めるために、イギリス海上保険法に関する著作を翻訳・出版したものである。出版当時わが国では海上保険関連法が整備されていなかったため、その制定が大きな目標となっていたが、その後1899年に制定された商法において、一編を割いて海商について規定されることとなる。



4 一橋保険学の歴史

 本学における保険関連の講義は1886(明治19)年に科目「法律」の中で海上保険法が扱われたことに始まる。その後「保険学」の名が冠された講義は、1909(明治42)年に石川文吾によって始められた。その講義では総論の他、海上保険、共同海損、生命保険といった各論の原理一般から実務に関する知識までが扱われた。この「保険学」に加え、「保険論(生命保険、海上保険、火災保険)」、「共同海損」、「保険目的学」、「保険哲学」、「労働保険」といった講義が順次開講されている。
 村瀬は保険会社に勤務する傍ら、講師として「簿記」、「商業学」、「保険論(生命保険、海上保険、火災保険)」、「共同海損」といった講義を1893(明治26)年から1918(大正7)年まで担当した。これら講義で使われた資料は国内外の最新情報を踏まえ毎年改訂を施され、「その内容の特に優秀なことが評判になり、これを求めんとする者続出」する程であった。留学や実務の経験を伴ったその学風は、博引旁証(広く海外の著作を比較研究し、多くの実例や証拠を挙げて論述すること)、保険の実際と学理を統合する村瀬保険学、更には一橋保険学の基礎を築くことになった。
 また村瀬は著作や書生の庇護などを通しても多くの保険学者を養成し、「わが国における海上、火災保険の優れた研究者は、かつてはほとんど全部一橋出身者によって占められていた」と言われている。本学においては、各国法制の比較検討や実地に即した論述を試みた藤村幸太郎や、海上保険約款の沿革的研究に取り組んだ加藤由作が村瀬に直接指導を受け、その後本学において保険に関する講義を行った。

【展示資料】

画像:村瀬春雄著『村瀬保険全集』1926

村瀬春雄著『村瀬保険全集』1926年 【Murase/I-D:10】

『村瀬保険全集』は村瀬が講義をする際に配布した資料(「海上保険講義要領」「火災保險講義要領」「共同海損講義要領」)を村瀬の没後田崎慎治藤本幸太郎らがまとめたものである。各国の法規や慣習そして保険学の最新動向に依りながら主として海上保険の理論と実際について解説している。



画像:藤本幸太郎著『海上保險論』1930

藤本幸太郎著『海上保險論』1930年 【Murase/I-D:15】

著者は村瀬宅に起居し指導を受けた後高等商業学校にて海上保険学と統計学の講義を担当した。本書は理論と実際の両面からまた沿革的比較法的に海上保険の経済論各国法制の比較検討保険実際界の慣習保険証券の特約条項その解釈・批判極めて広汎な事項にわたって論述が試みられている。



画像:加藤由作著『ロイド保險證券の生成』1953

加藤由作著『ロイド保險證券の生成』1953年 【693:9】

著者は「神戸高商において教わった商業科目の中何処か魅力的なものを感じて常に心を去らなかったのは村瀬先生の最初の門下生たる田崎慎治教授から講義を受けた海上保険学であった」ことから村瀬ゼミで指導を受けることとなった。本書はロイド保険証券を題材に海上保険法または約款の沿革的研究に力を注いだものである。



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