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常設展示
複式簿記がやってきた!

展示
日 程 2011(平成23)年1月4日(火)~
場 所 一橋大学附属図書館 公開展示室
入場時間 10:00~17:00(入場無料)(土・日・祝日・休館日は閉室)

複式簿記は、明治の文明開化によって、さまざまな文物とともに西洋から日本に導入されました。一橋大学の源流である商法講習所では、明治8年(1875)の設立当初から西洋式簿記が講じられており、卒業生たちはわが国への複式簿記の導入に大きな役割を果たしました。その後今日に至るまで、本学は日本における簿記学・会計学をリードし続けています。

一橋大学附属図書館は、商法講習所時代に使用された資料をはじめ、明治期日本の複式簿記導入史を解き明かすための資料を数多く所蔵しています。その中心を占めるのが、西川孝治郎氏の寄贈になる明治期簿記書のコレクション「西川孝治郎文庫」です。

西川孝治郎文庫は全419冊。日本で最初に出版された西洋式簿記書『帳合之法』を筆頭に、和式帳合から洋式簿記への移行期にわが国で刊行された主要な簿記書を網羅的に収集しています。本展示では、この西川孝治郎文庫から、日本における複式簿記の導入史をたどります。

※ 本展示は、平成15年度一橋大学附属図書館企画展示「複式簿記がやってきた!-明治初期簿記導入史と商法講習所-」を再構成したものです。
※ 展示資料は毎月入れ替えます。
※ 【 】内は附属図書館所蔵の請求記号です。

1 日本で最初の簿記書 

日本における西洋式簿記の導入は、明治6年(1873)6月、幕末明治の啓蒙思想家である福澤諭吉が、横浜の友人から紹介されたH.B.ブライアントと H.D.ストラットンの共著Bryant & Stratton's Common School Book-keepingを翻訳して出版したことに始まる。福澤が後に記したところによれば、彼は「この原書を翻訳すれば大福帳の法に優ること万々なり」と信じて翻訳に着手したという(『福澤全集緒言』)。

福澤の翻訳は、できるだけ日本の実状に合わせるように配慮して行われ、同書で使用された用語や記帳法はのちの翻訳簿記書に多大な影響を及ぼした。しかしながら、同書の紹介した西洋式簿記が実際に商店などで広く使われることはなかった。落胆した福澤は簿記書の翻訳・執筆から撤退し、以後、啓蒙的著作の執筆に専念した。

一方、同時期に西洋簿記書の翻訳を行ったのが、加藤斌(かとう・なかば)である。安政の大獄で命を落とすことになる橋本左内に師事し、海外の事情に通じていた加藤は、ウィリアム・イングリス(William Inglis)による簿記書Book-keeping by Single & Double Entryを翻訳。私費を投じ、『商家必用』と題して出版した。

【展示資料】

画像:帳合之法

H.B. Bryant, H.D. Stratton共著 福澤諭吉訳 『帳合之法』 慶應義塾出版局、1873~1874年 【Nishikawa:6】

Bryant & Stratton's Common School Book-keepingの全訳。日本で最初に出版された西洋式簿記書。
「Book-keeping」を「帳合」、「Debit & Credit」を「出入」とするなどの簿記用語の翻訳、千、百、十といった単位を用いないで日本数字を記入する方法、そして、縦帳への縦書きという簿記書形式を創案したこと等、西洋式簿記書を日本へ導入する際の工夫が随所に見られる。
本書は、小中学校や神戸商業講習所、東京商法講習所(夜学部)で教科書として使用された。



画像:商家必用

William Inglis著 加藤斌訳 『商家必用』 村上勘兵衛、1873年 【Nishikawa:3】

Book-keeping by single & double entryの抄訳。『帳合之法』に次いで日本で2番目に出版された翻訳簿記書。イギリス系簿記書の翻訳としては初めてのもの。
『帳合之法』の4ヶ月後の出版なので、訳者加藤はこれを参照していないと思われるが、帳簿の数字を縦書きにした点など、一致した点もある。
本書序文の執筆者には、旧福井藩主松平慶永(春獄)がおり、大名自筆の書が載せられている。
本書初編は、東京のほか、大阪、京都の書肆計10箇所から発売された。



2 御雇外国人シャンドと『銀行簿記精法』

民間銀行の設立を認める国立銀行条例が明治5年(1872)11月に施行されるに際し、課題となったのが、簿記の形式の統一であった。火急の要請に迫られた政府は、銀行簿記制度の立案に着手すべく、当時マーカンタイル銀行横浜支店の支配人であったシャンド(Alexander Allan Shand、1844~1930)を大蔵省紙幣寮に雇い入れた。

明治5年10月に紙幣寮に正式に雇い入れられたシャンドは直ちに立案に取りかかり、翌明治6年12月に『銀行簿記精法』を出版した。シャンドはさらに大蔵省が設立した銀行学局で講習を行い、『銀行簿記精法』では触れることのなかった決算法も補って教授した。その内容は後に『銀行簿記例題』および『銀行簿記例題解式』として出版され、講習を受講することのなかった人々にまで影響を及ぼした。

『銀行簿記精法』は福澤諭吉の『帳合之法』二編(複式之部)よりも半年早く刊行されており、日本で最初の複式簿記書である。本書の翻訳に関与した大蔵官員のうち、小林雄七郎と宇佐川秀次郎は慶應義塾の出身であり、翻訳作業にあたって『帳合之法』初編を参考にしたとも考えられている。

いずれにしても、先進国のエキスパートが他国に招かれて編集したという特殊な過程を経て成立した簿記書は他に類例がなく、この書は永くわが国銀行簿記の原典として重用され、その主簿組織はシャンド式簿記法として、広く一般実業界にも普及した。

【展示資料】

画像:銀行簿記精法

Alexander Allan Shand述 海老原濟・梅浦精一訳 『銀行簿記精法』大蔵省、1873年  【Nishikawa:2】

日本における最初の複式簿記書。
明治5年11月施行の国立銀行条例に基づく新設銀行のために大蔵省が翻訳し、編集刊行したもの。本文の前にある凡例22枚はシャンドの原案の不足部分を補ったものである。
主簿組織はすべての取引を伝票から日記帳(現金出納を総合仕訳帳とする)を経て、元帳にする仕組みである。



画像:銀行簿記精法

Alexander Allan Shand述 海老原濟・梅浦精一訳 『銀行簿記精法』 紀伊國屋源兵衛、1873年 【Nishikawa:2A】

5冊本の『銀行簿記精法』を合冊して1冊にしたもの。



画像:銀行簿記例題

大蔵省銀行課編纂 『銀行簿記例題』 佐久間貞一、1879年 【Nishikawa:339】

大蔵省が設立した簿記教育機関、銀行学伝習所が1879(明治12)年に閉鎖される際に、教師であった藤尾録郎と田中三郎が伝習の資料を整理し刊行したもの。大蔵省による簿記の教育は打ち切られたが、希望者が後を絶たなかったため、その後も非公式に簿記伝習が続けられた。



画像:銀行簿記例題

『銀行簿記例題』 【Nishikawa:352】

『銀行簿記精法』の練習の為に書かれたもの。大蔵省銀行課編『銀行簿記例題』から日付が続いており、続編とみられる。



3 日本で最初の学校用簿記教科書

国民全般を対象とする初等教育の普及を目指した明治5年(1872)の学制頒布後、小・中学校が全国に順次設置された。

小・中学校における簿記教科書としては、当初、日本で最初の簿記書である福澤諭吉の『帳合之法』や加藤斌(なかば)の『商家必用』が用いられた。しかし、小・中学校での教育にふさわしい教科書を自ら編集刊行する必要を感じていた文部省は、手始めとして、師範学校教頭のアメリカ人マリオン・スコット(Marion McCarrell Scott、1843~1922)らにアメリカの簿記書を選定させ、当時文部省六等出仕・簿記書担当であった小林儀秀(こばやし のりひで、1848~1905)に翻訳を命じた。

かくして、アメリカ人会計士マルシュ(Christopher Columbus Marsh、1806~1884)著A course of practice in single-entry book-keepingおよびThe science of double-entry book-keepingを底本として、文部省による初の学校用簿記教科書『馬耳蘇氏記簿法(マルシュしきぼほう)』が出版された。

しかしながら、本書は初等教科書としては大冊に過ぎ、授業時間その他の事情に合わず、難易度も高かったため、日本の教育現場に即した、日本人による教科書の編集が急がれるようになった。その一方、本書は実用書として重宝され、会社等の実務現場で長きにわたって利用された。

【展示資料】

画像:馬耳蘇氏記簿法

C.C. Marsh著 小林儀秀訳 『馬耳蘇氏記簿法』 文部省、1875年 【Nishikawa:11】

文部省がはじめて刊行した小・中学校の記簿法教科書『馬耳蘇氏記簿法』のうち、単式の部。
「Trial Balance」を試算表と訳したのは本書が初めてであり、単式・複式という名称も本書によって広まったとされる。 誤字が多く、版行途中で単式の部全3冊の予定を2冊に変更するなど、文部省が出版を非常に急いでいた様子がうかがえる。



画像:馬耳蘇氏複式記簿法

C.C. Marsh著 小林儀秀訳 『馬耳蘇氏複式記簿法』 文部省、1876年 【Nishikawa:9】

文部省がはじめて刊行した小・中学校の記簿法教科書『馬耳蘇氏記簿法』のうち、複式の部。



画像:馬耳蘇氏記簿法

C.C. Marsh著 小林儀秀訳 『馬耳蘇氏記簿法』 中村熊次郎、1877年 【Nishikawa:16】

『馬耳蘇氏記簿法』を全国に広く行きわたらせるため、文部省は民間による翻刻を許可した。これは木版で出版された文部省版単式の部を銅版に改め、小さな洋本の体裁にしたもの。
この版を含め、西川孝治郎文庫には単式8種、複式4種、単複合本1種が収蔵されている。



画像:馬耳蘇氏記簿法試験問題

高松久次郎編 『馬耳蘇氏記簿法試験問題』 吉田直次郎、1879年 【Nishikawa:51】

『馬耳蘇氏記簿法』第1巻の例題だけを集めたもの。前半に取引内容97件が箇条書きされ、後半に問題107問とその解答が収められている。



画像:小学校用簿記学

森島修太郎 『小学校用簿記学』第3版 金港堂、1894年 【Nishikawa:213】

一橋大学の前身である商法講習所の卒業生で、母校の助教となった森島修太郎の執筆した教科書。初版は1892(明治25)年。
演習を通じて簿記の道理を会得できるよう、解答記入方式が採用された。 扉の上部には、1886(明治19)年に確立した文部省教科書検定制による検定を通過した旨が記されている。



5 複式簿記の普及

<官用簿記>

明治6年(1873)7月に創業した第一国立銀行を皮切りに、複式簿記が実務に導入され、大蔵省や文部省、熊本鎮台も自省の金銭出納の記帳に複式簿記を採用するようになった。明治11年(1878)9月30日付「太政官第42号達」では、官省院使および府県に対し、「金銭出納簿記ノ儀明治十二年七月ヨリ複記式ニ改正」という通知が出された。官用簿記の「複式化」は、明治22年(1889)まで続いたが、翌年制定の「会計法」「会計規則」によって終焉した。


<家計簿記>

明治以前の近世期では家業と家計が未分離で、一家の主人が家計も差配する場合がほとんどであった。「家計簿」の概念は近代初期の家政書に登場し、衣食や育児に加え、家計を取り仕切ることが女子の務めとされた。
初期の家計簿記書はおもに簿記学者によって著述され、家計に複式簿記法を当てはめようとする内容であった。明治中期には家計簿記を学科目に定める簿記学校も出現した。女子教育に関しては明治初期には女学校・女子師範学校が設立され、記簿学はその学科目に採用された。明治28年(1895)には家計簿記が家事科の中に位置づけられ、本格的な女子教育のための家計簿記教科書が作られた。しかしその後、家計簿記書は簡便さを強調するものに変わり、明治20年代末には「単式への回帰」と「家計規模に合わせた記述へ」という方向に舵を切った。

【展示資料】

画像:鎭臺所屬會計部小目問答

川口武定編述 『鎭臺所屬會計部小目問答』 陸軍省第五局、1876年 【Nishikawa:10】

熊本鎮台附二等司契であった川口が、陸軍の経理規則である『在外会計大綱条例』の解説として書いたものが認められ、陸軍の会計本部にあたる第五局から出版されたもの。
経理官の職務権限や経理事務要領等を示し、日記・原帳・その他補助簿・毎日金貨出納計算表などによる複式簿記手続きが定められている。
川口武定は後に、陸軍経理学校校長・海軍主計総監を歴任した。



画像:臺所勘定表

植木綱次郎 『臺所勘定表』 1875年 【Nishikawa:8】

日本で最初に印刷された実用家計簿。
本文は「此表ハ元台所勘定帳なれハ台所の入用ハ一目瞭然なり店あきなひや納戸雑用も此表に倣ふて作るべし」という文章で終わり、明治8年(1875)1月から12月までの「台所勘定表」が続き、最後に明治8年「台所総勘定表」で終わる。



画像:毎家必要家内用帳合

甲斐織衛著述 『毎家必要家内用帳合:全』 甲斐織衛、1879年 【Nishikawa:47】

女学校の参考書として編集され、当座帳・月費帳・年費帳・金銭出入帳・物品口取元帳から成る。
序文には、「豫算の目的を誤らす家計能く整ふの功は多くは婦人細君たるものの内政宜しきにあるものなり」「女學校の設け漸次盛んにして學ぶ可き課目略具はるが如しと雖も未だ帳合學を教ふるもの甚だ少なきは遺憾と云ふ可きなり」とある。
甲斐織衛は慶應義塾出身で、神戸商業講習所の支配人を務めた。



画像:官用簿記例題

松井惟利編輯 『官用簿記例題』 小西福太郎、1885年 【Nishikawa:57】

明治11年(1878)7月の例題。出納主務に用いる簿冊は「現金受払簿」「日記簿」「原簿」の3点、補助簿として「予算簿」「雑収入科目類別簿」「経費科目類別簿」「府/県税科目類別簿」「民費科目類別簿」「警察費科目類別簿」「学資科目類別簿」「貸下原簿」「公債金明細簿」「日計表」の10点が列挙されている。



画像:官用簿記例題雛形

松井惟利編輯 『官用簿記例題雛形』 堀口總五郎、1882年 【Nishikawa:76】

凡例には「該書ハ本篇官用簿記例題の附録 則チ其雛形ニシテ五日間ノ記入シタル体裁ヲ挙グ 余ハコレニ准ス」とあり、明治11年(1878)7月1日から5日までを扱っている。収録しているのは「金銀受払簿」「日記簿」「原簿」の主要簿冊。



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