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平成24年度 日・EUフレンドシップウィーク展示
「デンマーク体操:あらゆる世代の健康をめざして」 Niels Bukh's Danish Gymnastics 解説


1. デンマーク王国について

デンマーク王国Kongeriget Danmark は北欧諸国のなかで最も南に位置する国で、ユラン半島と約500の島々からなり、グリーンランド、フェロー諸島の自治領も持つ。首都はコペンハーゲン。言語はデンマーク語、通貨はデンマーク・クローネを使用している。EU(欧州連合)の前身であるEC(欧州共同体)には1973年に加盟している。


  • ■ 産業 「パンケーキのようになだらか」な地形を生かした畜産業が有名であり、世界各国に向け豚肉やチーズを輸出している。近年では医薬品産業や風力発電の発電タービンなど、工業製品の輸出も増えている。
  • ■ デンマーク製品 陶磁器のロイヤル・コペンハーゲンやレゴ・ブロックなどは、日本でも馴染みあるデンマーク製品である。他にも玩具のボーネルンド、銀製品のジョージ・ジェンセンなど、様々な生活場面で同国の製品を見つけることができる。
  • ■ スポーツ サッカーが盛んである。2010年のワールドカップ南アフリカ大会ではグループ・リーグで日本と対戦している。FIFA世界ランキングでは男子が9位(2012.4.11)、女子が12位(2012.3.16)と上位にいる。
  • ■ デザイン 「使う人のニーズに合う機能性を持ちながらも、材質の特性を生かしたシンプルなデザイン」を特徴とする。家具では、アルネ・ヤコブセンの考案したエッグ・チェア(卵型の椅子)を日本でも目にすることができる。
  • ■ 観光 1843年に開園したコペンハーゲンのチボリ公園には庭園や遊園地があり、「階級の別なく誰でも楽しめる場所」として現在も多くの観光客でにぎわっている。他にも同市にはアンデルセンの童話に登場する人魚姫の像、現在は国会議事堂として使用されているクリスチャンスボー城などがある。また、シェラン島ヘルシンゲルには、ハムレットの舞台となったクローンボー城(世界文化遺産)がある。
  • ■ 食べ物 豚肉やチーズ、ニシン、甘いデニッシュが有名。デニッシュは英語で「デンマークのペストリー」Danish pastry というが、デンマークではオーストリアのウィーンが発祥とされており、「ウィーンのパン」Wienerbrød と呼ばれている。
  • ■ 人物 同国で最も有名な人物といえば童話作家のアンデルセンだが、キルケゴール(哲学)、ティコ・ブラーエ(天文学)、ノーベル賞を受賞したニールス・ボーア(量子力学)などもデンマーク人である。


 同国はまた、「世界3大体操」(ほかは、ドイツ体操とスウェーデン体操)のひとつ、デンマーク体操が考案された国である。以下、デンマーク体操について詳しく見てみよう。


写真:(上)デンマークおよび周辺地図
(中)コペンハーゲン中心部ニューハウン(Nyhavn)の運河沿いに立ち並ぶ木造建築群
(下)コペンハーゲンの海岸沿いにある「人魚姫」の像


2. デンマーク体操とは

 デンマーク体操は、同国で発展した体操の総称である一方で、ニルス・ブックNiels Bukh(1880-1950)の考案した「基本体操」Primitiv Gymnastik と同義で使われる場合もある。
 デンマークは、体操するための環境整備がヨーロッパ諸国のなかでも早くから整えられた国である。推進者となったのはドイツの教育者フランツ・ナハテガルFranz Nachtegall(1777-1847)で、彼は体育家ヨハン・グーツムーツJohann Christoph Friedrich GutsMuths(1759-1839)の影響を受けつつ、19世紀初頭に義務教育における体操の正科化や軍体育学校の整備拡充を図るなど、国民体育制度の確立に尽力した。
 19世紀後半になると、スウェーデン体操が盛んに受容された。ペール・ヘンリック・リングPehr Henrik Ling(1776-1839)が解剖学や生理学に基づき身体の調和を意図して考案したこの体操は、「治療体操」「姿勢形成体操」とも呼ばれている。1880年代頃からバレキルデやアスコウといったデンマーク国内の国民高等学校で指導が始められ、1899年にはこれを基本とした体育指導書がデンマーク政府によって刊行されるなど、スウェーデン体操を主軸としたデンマーク体操の改良が行われた。  20世紀に入ると、スウェーデン体操が持つ堅苦しさや型を重視する傾向に対し、異論を唱える体操家も現れ始めた。こうした状況でブックも独自の体操を考案・実践することになった。


 ブックは1880年にユラン半島のヘアニンで生まれた。青年期に船員や農夫として働いた後、1912年に33歳で体育教師の資格を得た。このあいだに、当時デンマークを席巻していたスウェーデン体操に影響を受けつつ、その改善と指導に取り組むようになった。1914年にフュン島のオレロップに体操学習所を設立し 、本人考案による「基本体操」を指導することになった。1920年にスウェーデンで行われた実技披露を皮切りに、優秀な生徒を連れて世界各国を訪問した。1931年には、世界中からオレロップを訪れる体育教師のために「国際コース」を設置したほか、彼の著作は十数か国で翻訳されるなど、世界的な影響力を持つようになった。ブックは1950年に死去するまで、生涯をかけ「基本体操」の普及・発展に尽力した。


1915年に国民高等学校へ昇格、1917年に体操学校として認可されオレロップ体操高等学校となり、1920年に新校舎に移った。現存するオレロップ体育アカデミーGymnastikhøjskolen i Ollerup は、1920年を創立年としている。


 ブックによると、決まりきった生活スタイルや労働作業の繰り返しによって、動作の硬直や力の欠如・不器用さといった身体的欠陥が引き起こされている。彼の考案した「基本体操」は骨格・筋肉・神経に働きかけ、伸縮性ある筋肉と正しい姿勢を可能にし、筋肉と神経の協調を促すと期待された。この体操が、将来のデンマークを背負って立つ青年たちの身体的調和や発育を促進し、日々のルーティンに起因する非健康的な身体を矯正し、職業能率に関わる身体能力を向上させうると考えたのである。
 こうした分析に基づいた「基本体操」は、身体の力強さや柔軟性を増すために、様々な運動競技の動きを効果的に採り入れられている、体の様々な部位に効果があるよう、一つ一つの運動に多様な要素を混在させ、かつそれらがリズミカルに連続的に行われるように構成されている、体の重さや梃子の原理、振動・伸長運動を利用して、運動の効果が大きく増すように工夫されている、などの特徴が挙げられる。
 「基本体操」は指導者の指示、号令の下に進められる。順序はおよそ、行進や整列をした後に、立った姿勢で四肢や背、腰などを軽く曲げ伸ばしする準備運動に始まる。その後、立った姿勢から座った姿勢やうつ伏せになった姿勢に移行しながら、胴を中心に深く屈んだり伸ばしたり捻ったりする運動を行う。次に背、肩、背筋を伸ばすため、肋木を使ったり仲間と共同で組み体操をしたりすることで身体により強い負荷をかけていく。最後に全身運動としてマットや跳び箱などを用いた転回や跳躍を行うといった構成で行われる。

 こうした観点に基づく「基本体操」は、身体の力強さや柔軟性を増すために、様々な運動競技の動きを効果的に採り入れている。身体の様々な部位に効果があるよう、個々の運動に多様な要素を織り交ぜ、かつそれらがリズミカルに連続的に行われるよう構成されている。また、体の重さや梃子の原理、振動・伸長運動を利用することで、運動の効果がさらに上がるよう工夫されている。
 「基本体操」は指導者の指示、号令のもとで行われる。順序としては、行進や整列の後、立った姿勢で四肢や背・腰などを軽く曲げ伸ばしする準備運動に始まる。これに続いて、立った姿勢から座った姿勢、うつ伏せになった姿勢に移行しながら、胴を中心に深く屈んだり伸ばしたり捻ったりする運動を行う。次に、背・肩・背筋を伸ばすため肋木を使ったり仲間と共同で組み体操をしたりし、身体により強い負荷をかける。最後に、全身運動としてマットや跳び箱などを用いた転回や跳躍を行う。


 ちなみにブックのデンマーク体操は、日本の海軍体操・航空体操・商船学校体操・鉄道体操・警察体操・ラジオ体操等に影響を与えたともいわれている。


図の出典:柳田享『デンマーク體操』(三省堂、1931)


3. ニルス・ブックの来日

 ブックと彼の体操チームは世界じゅうに出向いてデンマーク体操の実技を披露し、各国で称賛を浴びた。外国訪問がとくに盛んだったのは戦間期(1918~1939年)で、なかでも1931年の来日を含むツアーは規模の点で際立っている。1931年以前の訪問は、アメリカを除きすべてヨーロッパ諸国であった。
 1931年8月5日にブックらはコペンハーゲンを発ち、ソヴィエト連邦・中国・韓国・日本・アメリカ等を訪問した。留意すべき事実として、中国と韓国での体操実技とも日本が主催している。中国での実技披露は、満州事変(1931.9.18)が起きる数週間前の8月31日、満州は奉天(現在の瀋陽)で行われた。主催したのは日本で、報道を通じた国際社会への権力誇示の目的があったともいわれている。数日後に韓国は京城(現在のソウル)でも実技披露が行われたのだが、韓国併合期の当時、主催はやはり日本であった。満州事変をはじめ1931年は日本にとって緊迫した時期であったが、デンマークの若き体操選手と彼らを歓迎した日本人のあいだに政治的なニュアンスは感じられず、ブックらは体操の普及のみならず日本各地で文化交流に努めた。

 ブックは25名(男子13、女子12)の門下生とともにソヴィエト連邦・中国・韓国を訪問した後、釜山を発った。彼らは1931年9月7日午前7時に下関港に降り立ち午前9時発の列車に乗って、9月9日朝に東京駅に到着した。9月8日付の朝日新聞(東京夕刊)には、デンマーク体操の精神と技術を日本の青少年に伝えたいというブック本人の言葉が掲載されている。後日の各紙でも、体操は「老若男女が楽しみながら行うもの」で、型にはまった窮屈さをなくし「人間性に即した国民保健の要因」とするべきだと語っている。東京でのブックらは、神田YMCA(9.11)、日比谷公会堂(9.12)、玉川学園(9.13)、成城学園(9.14)、自由学園(9.15)などで実技披露を行った。その後3週間強で北は秋田、南は別府まで全国各地で約40回もの実技披露を開催した。東京に戻った彼らは10月16日に首相官邸にて体操実技を披露し、「二十七名の男女がユニフォームの半裸姿で乗り込むというのは官邸始まって以来とのこと」とユーモアを交えて報じられた。その翌日、ブック一行は横浜港を発ちカナダに向かった。

 映像を含め当時の資料を紐解くと、ブックらが行く先々で熱狂を巻き起こし、高度な体操技術で観客を魅了したことが分かる。彼らが体操だけでなく同国の文化をも紹介してくれたことは、日本人にいっそう深い印象を残した。両国の文化交流は、「デンマークの夕べ」Dansk Aften に象徴されている。「夕べ」は体操の実技披露と並び開催された行事で、体操着から民族衣装に着替えた選手たちがデンマークの民謡・郷土舞踊・郷土劇等を披露する宴である。ブック一行はいわば、北欧からやって来た親善大使であった。日本側が伝統的な踊りや剣道・柔道・組み体操等を披露することもあり、両国は互いの国に対する理解を深めた。
 ちなみにニルス・ブックのデンマーク体操は、日本の海軍体操・航空体操・商船学校体操・鉄道体操・警察体操・ラジオ体操等に影響を与えたといわれている。

写真:(上)ニルス・ブックの玉川学園訪問(1931.9.13)
(中)玉川学園でのデモンストレーション(1931.9.13)
(下)自由学園でのデモンストレーション(1931.9.15)


■ 新聞各紙が伝えたブック来日の様子


デンマーク体操のニ氏一行 九日着京十二日日比谷で実演

読売新聞(1931.9.3) 朝刊8頁

文部省亜に全日本体操連盟後援によるニルス・ブック体操研究会の招聘により東上しつつあるデンマーク体操の創始者ニルス・ブック氏一行二十六名は目下京城に滞在中であるが、一行は来る九日朝東京駅着十二日には日比谷公会堂において昼夜実演大会を行い十五日からは福島、秋田、富山、高岡、金沢、神戸、京都、奈良、大分、福岡、岡山、米子、名古屋、静岡、横浜各地に実演「デンマークの夕」等を行い、十月中旬に再び上京して一路カナダに向かうことになっている。同氏の体操は現在の記録本位、勝敗主義で選手養成の弊に陥りつつある体育に対し、社会人の公正な要求として体育大衆化を図り、社会的普及をモットーとしたもので、我が国に氏の体操が紹介されるのは保健上□(ヨメズ)時代的な試みといえよう。


デンマークから体操王一行:けさ元気で下関着、東上。近く全国を実演巡回

朝日新聞(1931.9.8) 東京夕刊2頁

世界の体操王といわれるデンマーク体操の創始者ニルス・ブック氏は、日本側の招聘により男女二十五名の門下生を引き連れて七日午前七時関釜連絡船で下関に上陸、午前九時発の急行で東上したが、一行はさすがにはち切れそうな健康体の持ち主ばかりである。ブック氏は日に焼けた赤ら顔を輝かせながら語る。
「憧れの日本で今度私の創作独特のデンマーク体操をお目にかける機会を与えられたことを衷心から感謝する。この体操は体格の根本的改善その他を目標とし、従来の形式的で単調なスウェーデン体操を複雑化しリズム化して肉体を柔軟化動的ならしめ、かつ多数の人々が愉快にこれをやれるように大改革を加えたものである。したがって体操の創始者リング氏の精神をそのまま私が受け継いでいるといってよい。5週余の日本滞在中にぜひともこの精神と技術とを貴国の青少年諸君にお伝えしたい。私はこの体操が将来貴国国民の訓練に適し喜んでこれを実行されるに違いないと信ずる。」


体操は形よりも精神:ニールス・ブック氏一行きのう着京

読売新聞(1931.9.9) 朝刊8頁

デンマーク体操の創始者ニールス・ブック氏一行二十六名は、八日午前八時半東京駅着列車にて着京したが、同氏が引率してきた門下生にはデンマーク国務大臣ベーテル・ダルゴー氏の娘ムツス・グーディクソン嬢や有名な医学博士エンス・ボイゾン氏の令息も加わっているほかは、さすが農業国だけあって百姓の娘や息子が多く、中には料理店、理髪店、洗濯屋等の娘も混じっているが、いずれもデンマーク体操創始者の弟子だけあって健康そのもののごとき体格の所有者である。
ニールス・ブック氏は左のごとく語った。「私は日本へ自分の体操を教えに来たのではない。日常自国民がやっている生活上の体育を見せに来たまでで、体操の形を教えるのではない。体操の精神を示すつもりだ。形の身にとらわれた誤った体操に堕さないよう切に望む次第である。」


ラジオ体操成功に感心:夜七時三十分から開演、ニルス・ブック

朝日新聞(1931.9.11) 東京朝刊9頁

秋のスポーツ季節に先駆けて去る八日門下生二十五名とともに来朝したデンマークの体操王ニルス・ブック氏は来朝後初めての公演を今夜七時半AKから放送する。 デンマークはノルウェー、スウェーデンとともに体操国として世界に有名でわが国にはスウェーデン体操はつとに紹介されているが、デンマーク式体操はあまり知られていない。 ニルス・ブック氏はAKが今夏催したラジオ体操の会が大成功を収めたと聞いて大喜びであるから、このほか体操に関する種々の面白い話も出るであろう。通訳にあたる小原国芳氏は成城学園長である。


体操王歓迎会

朝日新聞(1931.9.12) 東京朝刊7頁

デンマーク体操王ニルス・ブック氏の一行三十名は十一日午前三時、上野精養軒で田中文相主催のお茶の会に招待された。デンマーク公使ユーゴ―・ベルケル氏夫妻をはじめ平沼体育協会長、文部省各局課長、体育関係者百名余り集まって、「体育の美」などの歓談に花を咲かし、文相の歓迎の辞、ニルス・ブック氏の挨拶があって、午後四時散会した。なお七時三十分から神田YMCAで一行歓迎のため体育デモンストレーションが開かれ、我が国最初のブック式体操実演を、ブック氏はじめ一行は一般観衆に混じって満足気に参観した。


楽しみながら体操を踊る:ブック氏きのう実演

朝日新聞(1931.9.13) 東京朝刊7頁

ブック体操は運動が連続的で人間のリズムに従って行われるようになっており、きわめて自然に運ばれるから、見ている者まで知らず知らずに仲間に入りたくなってくる。ゼンマイ人間のような在来の体操とはよほど毛色の変わったものだ。〔中略〕
「体操は義理にいやいや行うものではない。心身の鍛練を目的とするダンスだから、学校の生徒のみが課業としてするものではなく、老若男女が楽しみながら行うものでなくてはならない。」とはブック氏の言葉である。


競技と体操の握手を望む ニルス・ブック

読売新聞(1931.10.9) 朝刊5頁

ニルス・ブック氏はデンマークの体操王としてその名は全世界に知られている。目下来朝中を幸い、記者はスポーツの合理化問題をたたくべく同氏の意見を求めたところ、氏は左のごとく語った。
 スポーツと体操の正しい握手は、国民が体育に目覚めるほど必要なものとなってきます。スポーツはまことに美しく勇壮でありかつ興味多いものです。これに対して体操は従来の型においては興味少なく、まったく理知的なものとして考えられてきました。すなわちそれは無意識的に同じ運動を繰り返すもので、まったく個人主義的性質を持ったものですからです。しかし私の主張する体操はこれらの欠陥を除いたもので、素朴性と意識性と社会性の三つが判然とその中に織り込まれています。例えば従来閑却されていた脳神経と運動神経の自由な、そして敏速な連合のごときはこれで、私の体操には上段と下段、身体の右半分と左半分というように、身体の二部分以上の平行的、または反対的運動を多く課するようにしたのです。したがって演技者は十分なる精神の自由さと、朗らかさを味わいえるわけで、従来の体操から見ると明らかに一歩進めたものといえましょう。 体操はスポーツに比べると、より一般的ですから、従来の体操のややもすれば窮屈なる制縛を思わせるような型を破り、もっと人間性に即した国民保健の要因とならなければなりません。もし体操であって、しかも合理的であればそれは自らスポーツのなかにあって独自の地位を取り、人々の全体育の基礎となるべきものです。したがって最もよく訓練された体育家は、また同時に最も巧みなスポーツマンということになります。もっとも私のここにいう体操は軽業師的な体操でもなく、また私の指すスポーツは記録第一主義のスポーツをいうのでもありません。スポーツと体操の正しき意味の握手―それは私の常に望んでやまないところです。


デンマーク体操 若槻首相見物

朝日新聞(1931.10.17) 東京夕刊2頁

若槻首相は十六日午後一時から首相官邸でニルス・ブック一行のデンマーク体操を見物した。二十七名の男女がユニフォームの半裸姿で乗り込むというのは官邸始まって以来とのこと。幣原外相と南陸相だけはさすが時局だけにサッサと引き揚げたが、他の官僚は全部居残って見物。若槻首相化も心持ち体をくねくねとくねらしながら見とれた。


※ 引用にあたっては、原文を現代仮名遣いに改め、句読点を適宜補うなどして読みやすくした。


4. 参考文献

1) デンマークについて

  • 村井誠人編著『デンマークを知るための68章』、明石書店、2009年 (エリア・スタディーズ ; 76)。
  • 浅野仁・牧野正憲・平林孝裕編『デンマークの歴史・文化・社会』創元社、2006年。
  • 地球の歩き方編集室著作編『地球の歩き方 A29北欧 '11-'12』ダイヤモンド社、2011年。
  • 在デンマーク日本国大使館編『デンマーク王国』日本国際問題研究所、1989年 (世界各国便覧叢書 ; 西欧編)。
  • デンマーク王国(外務省Webサイト) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/denmark/index.html
  • FIFA.com, FIFA/Coca-Cola World Ranking http://www.fifa.com/worldranking/rankingtable/index.html
  • ―, FIFA/Coca-Cola Women's World Ranking http://www.fifa.com/worldranking/rankingtable/women/index.html

2) デンマーク体操とは

  • 青山敏彦「Niels Bukhの生涯と基本体操」『日本体育大学紀要』第2号、1972年、49-57頁。
  • 日本体育協会編『現代スポーツ百科事典』大修館書店、1970。
  • 日本体育協会監修・岸野雄三編集代表『最新スポーツ大事典』大修館書店、1987年。
  • 平林広人『人間をつくる体操:デンマーク体操の歩んだ道』ベースボール・マガジン社、1959年。
  • 柳田享『デンマーク體操』三省堂、1931年。
  • Bukh, Niels. Primary Gymnastics: The Basis of Rational Physical Development, translated from the 2nd Danish edition by F. Braae Hansen and F. de H. Bevington. Methuen, 1925.

3) ニルス・ブックの来日

  • 小原國芳『小原國芳全集』第17巻 教育論文・教育随想(3)、玉川大学出版部、1964年。
  • 小原國芳『小原國芳全集』第22巻 教育講演行脚・身辺雑記(2)、第2版、玉川大学出版部、1974年。
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』本編・写真編、玉川学園、1980年。
  • Bonde, Hans. “Gymnastics and Politics: Niels Bukh and the German Occupation of Denmark” Scandinavian Journal of History, vol. 29, Issue 2, 2004, pp. 119-141.
  • ―. Gymnastics and Politics: Niels Bukh and Male Aesthetics, translated by Simon R. Frost. Copenhagen: Museum Tusculanum Press, University of Copenhagen, 2006.
  • Jensen, Erik Flensted. Med Niels Bukh Jorden rundt: Med Forord af Niels Bukh. Copenhagen: Gyldendal, 1932.
  • Mehl, Margaret. “N.F.S. Grundtvig, Niels Bukh and Other ‘Japanese’ Heroes: The Educators Obara Kuniyoshi and Matsumae Shigeyoshi and Their Lessons from the Past of a Foreign Country” European Journal of East Asian Studies, vol. 6, No. 2, 2007, pp. 155-184.
  • Gymnastic Galleriet http://64.37.52.52/~profilda/gg/bukh.htm (based on Erik Flensted Jensen, 1932)
  • 聞蔵IIビジュアル(朝日新聞)http://database.asahi.com/library2/
  • 毎索(毎日新聞)http://mainichi.jp/contents/edu/maisaku/

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