「未開人」へのまなざしと『野生の思考』

髙本善四郎氏助成図書コーナー 小展示 第16回


( TZ〈ほんの窓〉第16号 (2008.7.1) [pdf] | 詳細情報 | レヴィ=ストロース著作リスト | 文献からの抜き書き )

■文献からの抜き書き
「   そもそも人間の歴史が、ほぼ一直線に必然的に進歩をつづけてきたし、今後もまたつづけるであろうと信じるような思想は、人類全体の思想史からすれば、きわめて新しい現象だといっていい。古代から文明の栄えたエジプトやインド、中国、ギリシャ、そしてイスラエルといった地域をとってみても、このような進歩史観はどこにも生まれていない、と断定することができる。キリスト教が出現したあとのローマや、中世ヨーロッパを考えてみても、事情は同じなのである。」(p. 21-22)
「すなわち「緊急避難」の要件をみたしているならば、食糧の尽きた難破船での殺人・食人は犯罪を構成しない。それが犯罪にあたるかどうかが初めて法廷で問われたのが一八八四年ミニョネット号事件である。それ以前はあらためて問うまでもなく、自己保存にとって止むをえない行為と考えられていたのである。法遵守の厳正さと法状態停止の暴力とが両極分解して現れるのはローマ帝国以来の西欧政治の伝統であるが、大航海時代以降、出航数の増大にともなって頻発した遭難は、国際法の整備と食人の容認という形でこの二極性を強めたと思われる。壊血病を患ったマゼラン隊の一員が「男でも女でもいいから殺したらその臓腑を持ってきてくれ」と懇願した例から見ても、食糧の尽きた難破船での殺人・食人はかなり普通だった。こうした食人記録はほとんどないが、コロンブス以降の植民地主義・男性主義の文脈を考えると、食人事件は頻発し、奴隷・子供・女・男の順で食われたことは間違いない。」(p. 179-180)
「ところで、われわれが上陸しようとすると、隊員で病気にかかっている連中が、男でも女でもいいから殺したならばその臓腑(ぞうふ)を持ってきてくれ、それを食えば病気がすぐなおるから、とわれわれにしきりに頼むのであった。」
(アントニオ・ピガフェッタ著 ; 長南実訳 ; 増田義郎注「マガリャンイス最初の世界一周航海」. コロンブス [ほか著] ; 林屋永吉 [ほか訳注]『航海の記録』東京 : 岩波書店, 1965.7 (大航海時代叢書 ; [第1期] 1), p. 477-670 より p. 527)
「   人類においてはどの人口集団の間でも交配が可能だから、人類はただ一つの種を構成している。生物学者によって人種概念が使用されなくなったのは人種差別を助長しないための人道的配慮などからではなく、この概念がそもそも無意味だからである。
   人種とは客観的な根拠をもつ自然集団ではなく、人工的に区分された統計的範疇にすぎない。どの身体的特徴 (身長・体形・髪・血液型・皮膚色・眼色・頭形・鼻形・唇形・体毛の濃さなど) に注目するかによって (その) 分類の仕方は異なってくる。 ... 。
  ある形質を軽視し、他の形質を重要視する理由はまったくない。」(p.3-4)
「40歳ニナッタラ体ヲバラシテ  ミンナデ分ケテ食ベマス
食ベラレル人ハ幸セデス
幸せ?  殺されて食べられちゃうのに?
トテモ幸セデス 皆 40歳ニ ナルノヲ楽シミニ生キテマス
食ベラレル事ハ最大の栄光デス
コノ日ノタメニ ミンナニ オイシク食ベテモラエルヨウ 健康ニ気ヲツケテ生キテイマス
病気ニナルト 内臓ガオイシクナクナリマス
ミンナニ食ベラレレバ永遠ニ 生キラレマス
最高ノ人生デス」(p. 32)
「   日本語における人種と民族の区別は必ずしも厳密ではありませんが、人種は身体的、生物学的な特徴による区分という建前があり、文化や生活様式によって区分される民族とは一応区別されています。
   日本語の「人種」に相当する英語はレース (race) ですが、レースには、民族も(たとえば日本民族(ジャパニーズ・レース))、人種も(たとえば白色人種(ホワイト・レース))、はてはエスニック集団も(たとえばユダヤ人種(ジュイシュ・レース))も含まれています。こまかく分ければそのほかにも、ある特定な文化的特徴のある人間集団 (people)、民族ないし民族的な国民 (nation)、種類 (kind)、類型 (type)、品種や血縁 (stock) など、一〇以上の意味で使われます。」(p. 140-141)
「愛の極限における食人の表現と、人類学における最後の謎をSF的作品の中に封じこめたのが、筒井康隆の「血と肉の愛情」 ... という短篇である。 ... 部族文化が食人について自ら説明する語り口、つまり一昔前に人類学者達がそれを聞いて熱心に書きとめもっともらしく書物の中で再現した記述と、愛の極致が食人であるという主題をないまぜにした作品である。」
(山口昌男「人を食った人類学 (解説)」. W.アレンズ著 ; 折島正司訳『人喰いの神話 : 人類学とカニバリズム』東京 : 岩波書店, 1982, p. 251-264 より p. 257)
「一八〇〇年代のアフリカは、探検隊の土足によって、ふみあらされることになります。 ... 。
... 奥地のアフリカ人は、長い間つづいたどれい狩りに、恐怖(きょうふ)をすてきれませんでした。そのため、前にも書いたように、部族社会(しゃかい)はこわされ、アフリカ人の心はすさんでいたでしょう。どれい狩りは、そもそも、うしろでヨーロッパ人が手引きしているのを、知っていますから、白人がのこのこやってきたのを見て、だれが歓迎(かんげい)したでしょうか。
   野心家が部族の村を通過(つうか)しようとすると、アフリカ人はそれをさえぎりました。むりやり通ろうとすれば、逆につかまって首をはねられてしまうこともたびたびでした。そうなると、
「アフリカ人は首狩りをする野蛮人。」
と、いうことになります。つかまった探検家が、(かま)ゆでにされたり、つるし首にされたりすることは、その後マンガとして、世界(せかい)(つた)わりました。最近(さいきん)でもテレビのコマーシャル・フィルムにそういうシーンを見かけました。こんなところにも、まだ、アフリカ人への誤解(ごかい)がのこっているのを知って、おそろしくさえなります。
   あたりまえではありませんか。自分たちのもうけのためにどれい狩りをやり、こんどは、白人自身(じしん)が、わけもわからずにのりこんできたとき、平気(へいき)でお通りくださいという人が、いったいあるでしょうか。」(p. 114-115)
「未開人の中には、人食いを呪術の一種の儀式に加えること、戦いにおける敵への威嚇とすることなどを文化としている種族があるようである。しかし、人肉を食料とすることを文化としている種族はない。」(p. 64)
「   だれが食われるか?
   さてこの食人種、ビアミ族の人肉嗜食についての方式をできるだけ調べあげてみたところ、次のようなことになることがわかった。
   彼らは病気で死んだ場合の人の肉は決して食べようとはしない。おそらく病気に対する恐れと気味の悪さが原因だろう。それに加えて、もともと栄養失調で肉気があまりないようなのが、病気のために骨を黒い渋紙で包んだみたいになったのは食べる対象にはあまりなるまい。しかし血気さかんな若者でもコロリ死ぬ病気だってあるから、やはり気持ちがわるいというのがその食べない理由だと考えてよかろう。
   事故死や、殺された人間の肉だけが食物になる。彼らの生活環境内には、(おぼ)れるほどの大河はないし、落ちて死ぬほどの、断崖(だんがい)もやたらとは存在しない。しかし木から落ちたり、怪我をして、それが原因で死に至ることはときたまあるだろう。その場合は食物に変わる。
   もっとも多い食人のケースは、部族内で起こる殺人事件による死者の発生で、殺人の起こる原因にはいろいろあろうが、彼らも人間であるからわれわれ文明社会とあまりちがいはない。もめごと、うらみ、にくしみがもとで、殺人は彼らの社会では悪いことになってはいないから、ちょっとしたことで殺人がおこなわれる。
   部族内での殺人でもっとも多い例では、美人の人妻が殺されるものであって、最新の二例はこれに属する。
   美女は複数の男に恋されるが、彼女はそのうちの一人を選んで夫とする。心を傷つけられた男の大多数は間もなく他の娘によって傷をいやされるが、ガンコな男は他の娘に目を向けない場合がある。
   原始食人社会の風習、約束ごとのうち、人の心を傷つけることがもっとも罪深いもので、そのために殺されてもしかたがない。
   妻となった美女は美人ゆえに、ガンコな男に恋された不幸ゆえに、いずれは殺されなければならない運命をたどることが多い。
   彼女が殺された翌日、部落全員によって死体が穴で焼かれ、食われることとなる。
   殺人者は名乗り出ろといえば、ノコノコ出てくるのも、悪いことをしたという気がまったくないからで、人肉を食べて平気なのもこれが悪事につながっていないからだ。
   肉親の死のうち長わずらいが原因である場合、食物にされてしまう機会はおそらく非常に少ない。病気の気持ちわるさもあるが、もともとやせているのがガラのようになって食べるところがほとんどないことが、食べない理由のひとつであるようだ。」(p. 189-190)
「私がニューギニアの最奥地に、現存しているならばこのあたりでしかないという目安をつけて、単身、食人族をさがしにでかけたのは、一九六八年の六月だった」(「文庫版あとがき」より p. 251)
「君は人食いを見たか
   カニバリズム(人肉食)の話は世界中にみられる。現代においても戦争や,遭難などの危機的状況のなかで人の肉を食べたことが伝えられている。しかし,突発的な行動としての人食いではなく,習俗や制度として人間の肉を食べているところの,俗に言う「人食い人種」といった人間社会が本当にあるのかどうかは,大いに疑問である。W.アレンズは,これまでの人類学などにおける人間の肉を食べているとの報告のすべては誰かからの伝聞,二次資料であり,報告者が実際に自分の目で食べている現場を見たものではないと述べ,人食いというのはそれ自体「神話」なのだ,と主張する。この主張は,これまでのカニバリズムについての多くの報告が,例えばヨーロッパ世界から遠く離れたアフリカやアマゾンの「未開民族」は,「人肉食」といった人間にあらざることをしているという非難,蔑視を含むものだとして,その偏見を暴露し,大いに意義があった。」(p. 72)
「人肉を食べる必要性?
   しかし,いくつかの事例は,事実として人肉食が行われていることを示唆する。例えば,いくつかの地域やある過去の時代に,戦いの後に復讐の意味をこめて殺した敵の肉を食べるという表現行為があったことが伝えられているが,そのいくつかの事例は真実であろう。」(p. 72)
「   モニ族・アヤニ族など、私たちと生活を共にした高地パプア人が、どのような態度で私たちと接したか。これまでの物語で、ある程度は理解していただけると思う。このような人々が、なぜ「ヒト食い人種」としてきめつけられていたのだろう。実際は、やはり人食いをやるのだろうか。手もとにあるニューギニア本島の文献(単行本)から、「ヒト食い人種」をうたった題名の本を並べてみよう。(カッコ内は著者の国籍)――『食人種の谷』(アメリカ)・『最後の食人種』(デンマーク)・『私の父は食人種』(スヱーデン)」・『人喰人種の国』(日本)……。
   このほか副題や目次に食人種をうたったものはいくらでもある。だが右の単行本の中で、著者として食人の事実を目撃した者は一人もいない。すべては推定か、そんなハナシを聞いただけにとどまる。」
(本多勝一「ニューギニア高地人」『極限の民族』東京 : 朝日新聞社, 1994 (本多勝一集 ; 9), p. 183-377 より p. 304)

   cf.
「   アヤニ族やモニ族の私たちに対する態度は、昔から変わらぬものなのだ。人食いの事実についても、高地パプアに関する限り、いわゆるヒト食い人種のイメージとは程遠いものである。彼らが人肉を食うことが絶対にないと、私は断言はしない。むしろ、あり得る可能性の方がおそらく強いかもしれない。だが、この可能性を問題にすることは、文明国における食人の可能性を検討することと質的な差が認めにくい。とくに戦時の文明人が、敵味方を問わず“食人種”と化した実例は、珍しいことではない。
   ヒト食い人種ということばには、ヒトさえ見ればとって食う人種、人間を主食にでもしているような人種、私たちに会えば必ずつかまえて食う人種というようなイメージがある。鬼ガ島の鬼のように。そのような人種が、ニューギニアの、どこか私たちの知らない所にはいるのだろうか。だれか、自分自身でその事実を直接目撃した証人があるだろうか。」
(本多勝一「ニューギニア高地人」『極限の民族』東京 : 朝日新聞社, 1994 (本多勝一集 ; 9), p. 183-377 より p. 309-310)
「ところで、人食い人種という人種は実際には存在しないのである。 ... 。
... 。一九六三年から六四年にかけてニュー・ギニア西イリアン領の高地に住むモニ族、アヤニ族、ダニ族の部落で生活を共にした朝日新聞記者の本多勝一はこう書いている。「(人食い人種を題名にうたった本をあげてから)だが、右の単行本の中で、著者として食人の事実を目撃した者は、一人もいない。すべては推定か、そんなハナシを聞いただけにとどまる。……かれらが、人肉を食うことは絶対ないと、私は断言はしない。だが、『人食い人種』と宣伝されるような性質のものでないことは、断言できる。」
(中野美代子『カニバリズム論』東京 : 福武書店, 1987.7 (福武文庫), p. 62)
「   マーガレット・ミードの最初の著書である『サモアの思春期』はアメリカで発表後またたく間にベストセラーとなり、今日でも各国語に翻訳され、ロングセラーを続けている。しかしながら、西サモアのインテリたちの間でこの書は大変評判が悪い。」(p. 47-48)
「   一九八三年にハーバード大学出版会から出たオーストラリア国立大学名誉教授デレク・フリーマンの反ミード論である『マーガレット・ミードとサモア――人類学的神話の形成と解体』 [FREEMAN 1983] に、世界の人類学界は騒然となった。同じボアズの女弟子でも『菊と刀』のルース・ベネディクトの方がはるかに有名な日本では、それほどの騒動ではなかったけれども、ミードが《人類学の顔》となっている合衆国で、また合衆国の文化人類学に競争心を燃やす英国やその系列の諸国で、それは大事件であった。」(p. 111)
「『サモアの思春期』は、思春期は問題の多い時期として通常知られているがそれは人類に普遍的ではない、という結論を導き出しているのだが、その反証として挙げられているのがサモアである。ミードの観察によれば、サモアでは成長を急がされることなく、性や死の事実から疎外されることなく、また社会全体の価値観に多様性のないのが、スムーズな思春期を迎えられる原因なのである。
   フリーマンはミードの描くサモアのひとつひとつをとって反証を挙げ、未熟なミードがいかにサモアを把握しそこねたかを論証しようとするが、ミードが何故間違えたかというと、師であるボアズの文化決定主義の枠組に沿って、最初から思春期の文化的相対化をめざしていた、最初からミードには結論が存在していたからであるという。また、未熟なミードがサモア語に充分堪能であったわけではなく、通訳を介しての調査が生のサモアをとらえきれておらず、サモアの娘たちの悪い冗談にひっかかったのだとまで結論づけるのである。」(p. 112)
「   彼らは他の島々に攻め入り、その島に居る女、特に美しい若い女を捕えてきて、彼女達を家事に使ったり、妾にしたりするのでありますが、彼らがあまり沢山の女達をつれてきてしまうので、五十軒の家に男が全然見当らないほどでした。そしてこの捕虜になっていた女達の内二十名以上の若い女が我々についてきましたが彼女達のいうことには、彼らは全く信ぜられないほど残忍で、彼らの子供でも、彼女達が産んだ者は喰ってしまい、自分達の妻に生れた子供だけを育てるということであります。彼らは、男は生きたままを自分の家へ連れて行き、これをなぶり殺しにして、すぐに喰うのであります。
   人間の肉は非常に美味で、これほどうまいものはこの世にないということでありますが、実際彼らの家で我々がみつけた骨は、かじれるだけかじってあり、固くてどうしても喰えないところだけしか残しておりません。一軒の家では、鍋で人間の首筋を煮ているのをみつけました。彼らは男の子を捕えてくると、その局部を切ってしまってから彼らが大きくなるまで使い、そして祭典の際に、彼らを殺して喰うのであります。それは、男の子供や、女の肉は喰っても余りうまくないからだそうです。我々のところへこうした男の子供が三人、逃げてきましたが、そのどれもみな局部を切られておりました。」(p. 86)
「   かれらは毛織物も亜麻布も綿織物も、いっさい必要ないので持っておりません。また私有の財産というものがなく、すべてが共有になっています。かれらには国王も官憲もなく、各人がみずからのあるじです。かれらは好きなだけの妻をめとります。息子は母親と、兄は妹と、従兄は従妹と、男と女は行きあたりばったりに婚姻をするのです。また望むときはいつでも離別し、この点なんらの秩序もありません。さらにまた、かれらには教会も法律もなく、偶像礼拝者でもありません。さてなんと申したものでしょうか? かれらは天然自然のままに生きており、禁欲主義者(ストイコ)というよりは享楽主義者(エピクレオ)というほうが正しいでしょう。かれらのあいだには商人というものは存在せず、交易ということをいたしません。彼らどうしが戦うときは術策もなければ秩序もありません。老人たちがなにか弁舌をふるって自分の考えに若者たちをひきつけ、かれらを戦闘にかりたて、そこで残忍な殺戮をするのです。戦闘で捕虜になったものは、生きたままで戦勝者に仕えることはなく、あとで殺されて食用に供せられるだけです。すなわち、かれらはたがいに、勝者は敗者を食ってしまうのでありまして、肉のなかで人間の肉は普通の食物なのです。このことは正真正銘であります。かつて父親が息子や妻たちを食ったことがあったそうです。私もある男と知り合いになって話をしたことがありますが、その男は三百体以上の人間を食ったという噂でした。また、私はある町に二十七日間滞在したおりに、そこの家々に人肉を塩漬けにして天井の(はり)からぶらさげてあるを見ましたが、それはまるでわれわれが塩漬肉や豚肉を紐でぶらさげるのとおなじことでした。いやそれどころではありません。われわれが敵を殺して、その肉がじつに美味だというのに食用に供しないことを、かれらは不思議におもうのです。かれらの武器は弓と矢です。戦闘で敵に向かうときもかれらは防禦のために身体の一部を遮蔽するようなことはせず、この点も野獣と似ております。われわれは機会あるごとにかれらを説得して、このような野蛮な風習を変えさせるようにつとめましたので、それをやめることをわれわれに約束しました。すでに申しあげたように、女は素裸でかつ欲情がはげしいのですが、からだは美しく清潔で、欠点とすべきところはありません。」(p. 329-330)
「この問題を考え始めたときは私自身、読者と同様、食人は昔も今もかなり普通な現象だという意見をあらかじめ抱いていた」(p. v-vi)
「私は今では、社会的に受け入れられた慣習として食人が存在したことは、時代と場所を問わず、なかったのではないかと考えるようになっている。生か死かという状況下で、また滅多にない反社会的行動として、食人が行われることは、いかなる文化においてもあり得ないことではない。しかしそれが慣習であるためしはなく、常に嘆かわしい行為とみなされている。」(p. 9)
「例えば構造主義の第一人者であるレヴィ=ストロースは、煮ることは家庭内で消費する料理のために通常用いられ、焼くことは客に出す食事の場合に一般的ではないかと述べたあと、さらにこのモデルを拡大して、食人者は親族を料理するときには概ねこれを煮、敵の場合は焼くことを好むだろうとしている(Lévi-Strauss 1966 ["Le triangle culinaire". L'Arc. 26, p. 19-29 (1966). クロード・レヴィ=ストロース ; 西江雅之訳「料理の三角形」. 『レヴィ=ストロースの世界 : アルク誌』東京 : みすず書房, 1968.6, p. 41-63])。」(p. 19)
「どのような社会にあっても、どのような形であれ、生きるか死ぬかの状況下を除いて、食人行為が慣習として存在したという満足のいく証拠が、私には見出せなかった。」(p. 25)
「以下では食人の一次資料をいくつか簡単に検討していくことになる。これらは一見、上に述べた私の立場を覆すように見えることだろう。しかしこうした諸報告は、実は、見たところしっかりした証拠が、結局は全く不満足な、先入主を排除した分析には耐えないものであるという、格好の例である。」(p. 26)
「   シュターデン以後の著述家達も、トゥピナンバ族のこの慣習を確認している。これらを検討してみることにしたい。科学的方法の要諦は、第三者が独立に情報を確認できることにある。だから、同じ時代の他の報告例があれば、慣習としての食人について、決定的な証明がされたことになるはずである。これらの著述家達が、皆そろって自らの観察を曲げて伝えたと、頭から決め込むのは、当を得ないことだろう。しかし、彼らが古今の著作家に共通する剽窃という名の欠陥に捕えられたとしても、不思議はない。」(p. 34)
「歴史的証拠の第三者による確認という問題を扱うとき、もし他により妥当な説明が可能であるならば、複数の著述家が互いに内容を写しあっていたという考え方を、軽々に受容すべきものではない。しかし、この例では、公刊された資料の特異な内容と、言語の問題とを考え合わせると、数種の資料が口を揃えていることの説明として、剽窃が最も簡単で、しかも可能性の高いものだという結論が導かれる。
   つまり、このトゥピナンバ族の場合、私達が取り扱っているのは、恐らく食人についての一連の文献資料なのではなくて、頼りにならないひとつの証言をもとにして、それがほとんど逐語的に、目撃譚と称する他の文献報告に繰り込まれたものだろうと思われるのである。こうして、ここにあるのは、科学的な独立の確認過程などではなくて、その学問的反対物の例なのだが、それがひとつの伝統的な南アメリカのインディオ文化に、食人の慣習の確立した例を見るための、論拠として用いられている。」(p. 37-38)
「地球上のありとあらゆる場所から、人類学者が起居をともにしたこれこれの人間集団は食人者であったという報告が入って来る。遠い昔、接触以前、平定以前、ついこの間まで、いやつい昨日までは、などなど。読者に襲いかかってくるのは過去時制の洪水であって、それは多様な種類の時間的懸隔を表しているのだが、ともかく、研究者が現地に住み始める前にこの慣習が廃れたことを示している。先にも述べたように、食人というこの主題を扱う論文は数多い。奇妙なのは、長い間この主題に関心が抱かれてきたにもかかわらず、実際に事実を目撃したと主張する人類学者による論文は、ただの一編 [Dole, Gertrude E. "Endocannibalism among the Amahuaca Indians". Transactions of the New York Academy of Sciences. Ser. 2. 24(2), p. 567-573 (1962)] しか存在しないということである。」(p. 44-45)
「外部者がフォレ族の食人を目撃したことは、一度もない。先に触れたように、バーント(Berndt 1962)は、一九五〇年代早く、彼がここに至る三年前に、この慣習は禁止されたと述べており、一方グラースの書くところでは、これが廃止されたのは、一九五〇年代後半に彼がこの地を訪れる四年前である(Glasse 1967)。 ... 。 ... グラースとリンデンボームが根拠としたのは、バーントによる癖のある議論、フォレ族は身内の死人を食べるという回りの部族の間での風評、誰かが誰かを食べたというような半端な情報、それに、「女達はほとんどが人食いだ」という男達の考えなどであった(Glasse 1967:751)。」(p. 147)
「しかし文献を調査してみれば、アレンズの主張が大袈裟なのは明らかである。カニバリズムを行っているという非難は、道徳的な優越性を投影したものであるというアレンズの主張は正しいが、カニバリズムがまったく存在しなかったと主張するのはいきすぎである。信頼できる証人が、カニバリズムが存在することを目撃した人はいないというアレンズの主張に反駁する報告を行っているのである。」
(ペギー・リーヴズ・サンデイ著 ; 中山元訳『聖なる飢餓 : カニバリズムの文化人類学』東京 : 青弓社, 1995.12, p. 27)
「   一九二〇年代までアメリカにおいては、人種間の不平等、優劣は暗黙の了解であって、大きな議論に発展することもなかった。そのような社会的な土壌のなかで人種言説に挑戦したのがボアズ (Franz Boas, 1858-[1942]) であった。『未開人の心性』 (1911) は、言語学や生物学など幅広い知識を基盤に、人種間に生来の能力に差はなく、表面上異なって見える心性も根本的には人類普遍であると説いたものである。」
(竹沢泰子「第1章「人種」とアメリカ人類学」. 綾部恒雄編著『文化人類学のフロンティア』京都 : ミネルヴァ書房, 2003.4, p. 3-30 より p. 14)
「ボアズの著作出版は多くない。かれは小論文を好み(六〇〇を超える)、それらのうち優れて影響が大きかった一連の論文が二冊にまとめられて出版されている。一つは生前に(Boas [Race, language and culture] 1940)、もう一冊はかれの死後しばらくして、熱烈な支持者たちの手でまとめられた論文集である(Stocking [(ed.). A Franz Boas reader : the shaping of American anthropology, 1883-1911] 1974)。」(p. 177)
「幼い頃からケイトは菜食主義となる。
「ママがシチューを作ってくれて、肉のかたいところを食べていたら、急に私は死んだ動物を食べてることに気がついたの。それ以来肉は食べられなくなったの」
「その場は人骨でおおわれていた。地面は血で染められ、そこここに大きな肉の塊が散らばっていた。めった切りにし、焦げた食べかけの肉である。要するに、敵に勝ったあとで、ここで開かれた勝利の宴のあとだった。三個の頭蓋、五本の腕、三、四本の足の骨、人体の他の多くの部分をわたしは見たのである。フライデーが身振りでいうことには、ここまで四人以上の捕虜が宴会のために連れてこられて、そのうち三人が喰われ、じぶんが四番目だったのだ、とみずからを指さした。また、フライデーは王の臣下のひとりだったらしいが、彼らおよび彼らの次の王の間に大戦闘がおこなわれ、多数の捕虜がつかまり、戦争で彼らを捕えた者たちが捕虜全員を何箇所かに連れていって、ここに連れてこられた者たちがやられたように、食べてしまったのである。
   わたしはフライデーに、頭蓋、骨、肉、その他残っていたものすべてを集めて積み上げさせ、そこで大きな火を起こして、ぜんぶ灰になるまで燃やさせた。フライデーはまだ肉が食べたさそうな様子だった。いまだに人食いの性質が抜けなかったのである。」(p. 204-205)
「「経済学はロビンソンを愛好する」とは『資本論』第一篇第一章第四節の一句である。実際、アダム・スミスやカール・マルクスはじめ多くの経済学者は、「経済人」ロビンソン・クルーソーについて言及し、その意味について述べている。わが国でも、大塚久雄氏がロビンソンのテーマについていくつかの論考を書いていることはよく知られている。」
(増田義郎「大西洋世界のロビンソン・クルーソー (訳者解説)」. ダニエル・デフォー ; 増田義郎訳・解説『完訳ロビンソン・クルーソー』東京 : 中央公論新社, 2007.6, p. 305-339 より p. 310)
Da die politische Ökonomie Robinsonaden liebt, erscheine zuerst Robinson auf seiner Insel.
(Marx, Karl. Das Kapital.
1. Bd., 1.1.4 Der Fetischcharakter der Ware und sein Geheimnis)
「経済学はロビンソン物語を愛好するから、まず、ロビンソンをかれの島に出現させよう。」
(マルクス [著] ; エンゲルス編 ; 向坂逸郎訳『資本論』1. 東京 : 岩波書店, 1969.1 (岩波文庫 ; 白-204-212,白(34)-125-1-9,7058-7094), p.138)
(第1巻「資本の生産過程」第1篇「商品と貨幣」第1章「商品」第4節「商品の物神的性格とその秘密」)
「ホモ・サピエンスはアフリカで出現した。世界のその他の地域への移住は十一万二千年から二十八万年前までは開始されなかった。最新の、より技術的に洗練された研究がこの分布範囲のより若い年代の終わりの線に近い年代を算定している。
   言い換えるならば、すべての非アフリカ系人種の多様性――白色人種、黄色人種、赤色人種、ホピ族からノルウェー人、フィジー人に至るすべての人々――は十万年よりもはるかに古くないかもしれないのである。それに対して、ホモ・サピエンスははるかに長い間アフリカに住んでいた。その結果、遺伝的多様性は進化上の変化を可能にする時間とほぼ関連するので、アフリカ人の間での遺伝的多様性は、世界のその他の地域の、あらゆる人々を合わせた遺伝的多様性の総和を超えるのである! それゆえに、アフリカ以外の世界のすべての土地に住んでいるアフリカ人以外の人々に見出されるよりも多くの進化的な空間と遺伝的多様性をアフリカ系黒人が示すとき、我々は「アフリカ系黒人」を単一のグループとして扱い、好ましいか、好ましくないか、どちらかの特徴をどのように彼らに与えることができるのだろうか? 系統学の適切な定義によれば、アフリカは最大多数の人類がいる。残りの我々すべてはアフリカ人の系統樹の枝を占めている。この非アフリカ人の枝は確かに繁栄してきたが、しかし位相的にはアフリカ人の構造の中の小区分にすぎない。
   我々は人間の多様性の本質とその意味について、この驚くべき新しい方向づけを理論的、概念的、図像学的に我が物とするためには多くの年月と十分な熟考が必要であろう。もっとも、私は初心者に対しては「アフリカ系黒人はリズム感が良く、あまり知的でなく、優れた運動選手だ」というような意味のない言説を最終的には捨て去るように提案する。もしアフリカ人が世界の他のすべての地域を合わせたよりも多くの多様性を示しているために、アフリカ人を一つのまとまったグループとして説明できないのならば、そのような主張は、社会的有害性は別として無意味である。」(p. 504-505)
「実際どこの国の人間にでも、世界中の慣習の中から最も良いものを選べといえば、熟慮の末誰もが自国の慣習を選ぶに相違ない。このようにどこの国の人間でも、自国の慣習を格段にすぐれたものと考えているのである。そうだとすれば、これほど大切なものを嘲笑の種にするなどということは、狂人ででもなければ考えられぬ行為といえるであろう。どの国の人間でも、慣習についてこのように考えていることは、いろいろな証拠によって推論することができるが、中でも次に記すことはそのよい例といえよう。
   ダレイオスがその治世中、側近のギリシア人を呼んで、どれほどの金を貰ったら、死んだ父親の肉を食う気になるか、と訊ねたことがあった。ギリシア人は、どれほど金を貰っても、そのようなことはせぬといった。するとダレイオスは、今度はカッラティアイ人と呼ばれ両親の肉を食う習慣をもつインドの部族を呼び、先のギリシア人を立ち会わせ、通弁を通じて彼らにも対話の内容が理解できるようにしておいて、どれほどの金を貰えば死んだ父親を火葬にすることを承知するか、とそのインド人に訊ねた。するとカッラティアイ人たちは大声をあげて、王に口を慎しんで貰いたいといった。慣習の力はこのようなもので、私にはピンダロスが「慣習(ノモス)こそ万象の王」と歌ったのは正しいと思われる。」(3.38) (松平千秋訳. 上 p. 306-307、改版 2007. 上 p. 354-355)
「   この種族の東方には遊牧をこととする別のインド人が住んでおり、生肉を常食し、パダイオイ人の名で呼ばれている。彼らの風習は次のようであると伝えられる。同民族の間で男女を問わず病にかかるものがあると、男の場合は彼と最も親しい男たちが、病やつれしてはせっかくの肉がまずくなると称して、その男を殺すのである。当人は病ではないといいはるが、友人たちは容赦せず殺してその肉を平らげる。病人が女の場合も、右と同じように病人に一番親しい女たちが、男たちと同じことをする。それというのも、この種族では高齢に達したものは殺して食う習いだからであるが、しかしそこまで生き長らえるものの数はあまり多くはない。そこに至るまでに病にかかったものは一人残らず殺してしまうからである。」(3.99) (松平千秋訳. 上 p. 351、改版 2007 上 p. 407)
「   イッセドネス人の風習は次のようなものであるという。ある家の父親が死亡すると、親戚縁者がことごとく家畜を携えて集まり、これを屠って肉を刻み、さらにその家の主人の死亡した父親の肉も刻んで混ぜ合せ、これを料理にして宴会を催すのである。死者の頭は毛髪その他を取り除き、綺麗に掃除した後金を被せ、これを礼拝物のごとく扱い、毎年盛大に生贄(いけにえ)を捧げて祀る。この国では、ちょうどギリシア人が年祭を営むと同じように、子が父のためにこのような礼を尽すのである。その他の点では彼らも正邪の理を弁えた立派な民族であるといわれ、この国では女子も男子と同等の権利をもっている。」(4.26) (松平千秋訳. 中 p. 20-21、改版 2007 中 p. 23)
「   アンドロパゴイ人の風習は世にも野蛮なもので、正義も守らねばなんの掟ももたない。遊牧民で、服装はスキュタイ人によく似たものを用い、独特の言語をもつ。ここに述べる民族の中では、彼らだけが人肉を喰う。」(4.106) (松平千秋訳. 中 p. 63、改版 2007 中 p. 72)
「最後の「未開」社会の噂はつねに存在する。その社会は、当然カニバリズムを行なっており、カメラや手帳の訪問を受けておらず、訪問を受けてみれば、つい最近カニバリズムをやめたことが判明する。幸いなことに、丘を一つ越えれば、人類学者がまだ訪れていない社会があり、そこではまだ食人が行なわれている、というわけである。これは五〇〇年前にコロンブスが聞いた話とまったく同じである。アレンズは、この人食い神話の頑迷さを論証し、「人類学(アントロポロギー)と食人(アントロポファギー)は……気心の知れた支援関係にあった」、それゆえ「現在の形態では一方は他方抜きには存立しえない」とさえ言える、と結論する。言い換えれば人類学とは、しばしば「カニバリズム」で表象されてきた絶対的「他者」なる試金石がきっとどこかに存在するはずだという欲望拡大の制度的表明にすぎないのである。」(p. 111)
「   さてここで、戦いで捕えられた捕虜が、その敵国でどんな扱いをされるか知る必要がある。到着すると直ぐ、彼らは最上等の食物を食べさせてもらうだけでなく、男の捕虜には妻が与えられる(女に夫が与えられることはない)。それどころか捕虜の引取り手は、自分の娘や妹を結婚相手として差出すことに、難色を示したりはしない。そして捕虜に選ばれた女は、夫を大事にし、彼の必要なものは何でも調えてやるのだ。その上、別に予め期限が定められているわけではなく、男なら狩猟がうまいとか漁が巧みだとか、女なら畠仕事が上手だとか牡蠣取りに長けているとかいうことがわかると、引受け人はある期間彼らを自分の所に泊めて働かせる。しかしそうは言っても、飼育中の豚みたいに丸々と肥らせると、結局は撲殺されて食われてしまうのである。」(p. 222)
「実際、ひとは《歴史なき民》を易々と口にする(ときには、一番幸福だといわんがために)。この省略命題は、かれらの歴史があるけれどもまだ知られていないのだということを意味しているだけであって、それが存在しないことを意味しているのではない。何万年も何十万年もの間、やはりそこには、愛し、憎み、苦しみ、工夫し、闘った人間がいたのである。実際、幼児のような民というものは存在しない。すべて大人なのであり、いわば幼年期や青年期の日記をつけなかった大人なのである。」(p. 27-28)
「ヨーロッパにおいて、ネアンデルタール人は、新人(ホモ・サピエンス)のもっとも古い諸形態に先行していたのではなく、後者は前者と同時代のものであったのであり、おそらく前者の先行者でさえあったかもしれないのである。 ... 。
... 。先史学と考古学の知識の発展は、時間のうちに並べて考えてきた文明の諸形態を、空間のうちに展開しようとする。そのことは次の二つのことを意味する。まず、第一に、《進歩》(この語は、はじめそれを適用していたのとはきわめて異った現実を意味するのが適当としても)は、必然的でも連続的でもないということである。それは間歇的な飛躍によったり、生物学者にいわせれば突然変異によって行われるのである。このような間歇的な飛躍は、必ずしも同一の方向への進行ではない。ちょうど八方に進め、決して同方向にではないチェスのナイトのように、それは方向の変化を伴っている。進歩する人類は、一歩一歩すでに征服した歩みに新しい一歩をつけ加えつつ、階段を上る人物には全く似ていない。それはむしろ、その運がいくつかのサイコロの目にかかっており、さいころを振るたびにサイの目がトバク台の上に散らばり、いろいろなポイントを振出す賭博者を思わせる。ある目で稼いだものを他の目でいつもすることになり、歴史が累積的であるのは、つまり、ポイントがうまいコンビネーションをつくるのは、時々のことにすぎないのである。」(p. 31-33)
「  未開人は彼等の文化によってほんの少しの秩序しかつくり出しません。今日では彼等のことを私たちは未発達の種族と呼んでいます。しかし彼等はその社会の中でほんのわずかのエントロピーしか生み出しません。大ざっぱに言って、これらの社会は平等主義的で機械的な型に属し、今しがた話したような意見一致の原則によって律せられています。それと反対に、文明人は、その機構や文明の大事業が示しているように、その文化の中で多くの秩序をつくり出していますが、社会の中では多量のエントロピーをもまた作り出しているのです。たとえば社会的軋轢、政治闘争など、さきほど見てきたように、すべて未開人が多分私たちの考える以上に意識的で組織的なやり方で避けている混乱を、私たちは生み出しているのです。」(p.40)
「具体の科学は、近代科学と同様に学問的である。その結果の真実性においても違いはない。精密科学自然科学より一万年も前に確立したその成果は、依然としていまのわれわれの文明の基層をなしているのである。」(p. 22)
「いかなる時代、いかなる地域においても、「野蛮人」が、いままで人が好んで想像してきたように、動物的状況をやっと脱したばかりで今なお欲求と本能に支配されっぱなしの存在であったことは、おそらくけっしてないのである。また、情意に支配され、混乱と融即の中に溺れてしまった意識でもない。」(p. 51)
「コントはロングの本 [Long, J.(1791). Voyages and travels of an Indian interpreter and trader] を知り得たにもかかわらず、タブーという観念はときおり用いているけれども、トーテムという観念は知らなかったらしい。それだけいっそう意味深長なのは、コントが物神崇拝から多神教(彼はおそらくその中にトーテミズムを入れたのであろう)への移行を論じて、それを種の観念が出現した結果であるとしていることである。
   「たとえば、オークの林で、それぞれ別個の木がみな同じように成長しているのを見て、これらの現象に共通のものを神学的な考え方の中で表象するに至ったとき、その抽象的存在はもはやどの一本の木の物神でもなく、森の神となったのである。これが物神崇拝から多神教への知的移行である。多神教は本質的に、一般概念に対する種概念の不可避的優位性に帰するものである。」(第五十二講、vol. V, p. 54)」
[Comte, Auguste. Cours de philosophie positive, 6 vol., Paris, n. éd., 1908] (p. 195-196)
「トーテミズムについてまったく何も知らなかった(おそらく知らなかったがゆえに、幻に欺かれることもなかった)コントは、分類体系の経済と射程を同時代の民族学者よりもよく理解していた。ただ彼の理論を裏づける資料がなかったので、思考の歴史におけるその重要性に大まかな評価を与えたのである。
   「この時代以後、人類の思考様式に、方法の統一性と理論の均質性という特質がこれほど進んだ形で見出されたことは一度もない。この偉大な特質こそわれわれの知性の完全に正常な状態なのであるが、それはこの時期に巧まずして自発的に獲得されたものである……。」(Comte, 53e leçon, p. 58)
   たしかにコントは、この「野生の思考」を歴史の一時期――フェティシズムと多神教の時代――のものとしている。私にとって「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。効率を昴めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である。栽培思考は地球上のあるいくつかの地点に、歴史上のあるいくつかの時期に現れたものであって、民族誌の情報(およびこの種の情報の採集と取扱いによって身につく民族誌的感覚)をもたなかったコントが、野生の思考を栽培思考に先立つ精神活動様式として回顧的なかたちでとらえたのは当然なのである。今日のわれわれには、この両者が共存し、相互に貫入しうるものであることがもっと理解しやすくなっている。それはちょうど、野生の動植物と、それを変形して栽培植物や家畜にしたものとが、(少なくとも理論上は)共存し交配されうるのと同じである。」(p. 262)
     Sans doute Comte assigne-t-il à une période de l'histoire ―― âges du fétichisme et du polythéisme ―― cette 《 pensée sauvage 》 qui n'est pas, pour nous, la pensée des sauvages, ni celle d'une humanité primitive ou archaïque, mais la pensée à l'état sauvage, distincte de la pensée cultivée ou domestiquée en vue d'obtenir un rendement.
(Lévi-Strauss, Claude. La pensée sauvage. Paris : Plon, c1962, p. 289)
「   『野生の思考』は、一九六〇年代に始まったいわゆる構造主義ブームの発火点となり、フランスにおける戦後思想最大の転換をひき起こした著作である。本書の直接の主題は、文明人の思考と本質的に異なる「未開の思考」なるものが存在するという幻想の解体である。未開性の特徴と考えられてきた呪術的・神話的思考、具体の論理は、実は「野蛮人の思考」ではなく、われわれ「文明人」の日常の知的操作や芸術活動にも重要な役割を果たしており、むしろ「野生の思考」と呼ぶべきものである。それに対して「科学的思考」は、かぎられた目的に即して効率を上げるために作り出された「栽培思考」なのだ。この分析を通じてレヴィ=ストロースは野生の思考を復権させるとともに、神話の論理の探究への道を開いた。それは人間精神の普遍性の把握にもとづく異文化理解の基礎理論の建設であると同時に、「野蛮人とは野蛮を信ずる者のことだ」とまで言い切るほどに厳しい、西欧文化のエスノセントリズムの自己批判でもある。」(「訳者あとがき」より p. 354)
「《煮たもの》は多くの場合には《内料理(エンド・キュイジーヌ)》とでも呼べるようなものに属しており、それは親密な間柄にある人々のために作られ、他人の入り込めない小グループが使うことを目的としている。他方、《焼いたもの》は《外料理(エクソ・キュイジーヌ)》に属し、それは客に供するものである。」(p. 49)
「《人食い(カンニバリスム)》(定義としては、人類にとって一種の“内料理(エンド・キュイジーヌ)”である)は焼くテクニックよりは煮るテクニックの方をより好んで採用し、死体を焼いて料理する場合は、民族学の文献により立証されていることではあるが、《内食人(エンド・カンニバリスム)》(親族を食べること)の場合より、《外食人(エクソ・カンニバリスム)》(敵の死体を食べること)の場合の方が多いに違いないという推察を立てることができよう。この点に関して統計的な調査をしてみることは興味があろう。」(p. 50)
「   事情をよく知らない読者たちにはたいへん受けのよかった、深みには欠けるが才気にあふれる、ある著作(The Man-Eating Myth ... )のなかで、W・アレンズは、クールーをめぐって正しいと認められている見解にとくに噛み付いた。」(p. 252)
「   信頼に足る民族学者たちには、カニバリズムの現実性に異議を唱えるものは一人もいないが、だからといって、カニバリズムを、敵を食べるために殺すことからなる、この上なく獣じみた形態に帰すことはできないといういことも誰もが知っている。こうした習慣はかつては確かに存在しており、 ... 。」(p. 253)
「   いまから半世紀前のこと、アルベルト・シュヴァイツァー博士は、妻にめとった柔順な女性とともに、西アフリカのまだ人肉を食う習慣を捨て切ってはいなかった原始的な部族の中に飛び込んで医療活動をするため、フランスのボルドーから船出をした。」(p. [5])
「人肉を食べる風習も、五〇年ほど前に外部からフォレ族にもたらされたものだった。フォレ族が食人種だという話は、原住民や欧米人のあいだで広く信じられており、集落の人々は「人食いの風習をなんの屈託もなく認めていた」と、一九四七年にフォレ族について書かれたR・I・スキナー巡察官の報告書にもある。一般に知られていなかったのは、食人がフォレ族にとってまだ新しい風習だったという事実だ。北部フォレ族の人々は、北に住む近隣部族カマノ族(その高度な知識は部族間で伝説となっていた)から食人風習を取り入れた。すると、今度はそれを見て感心した南部フォレ族が、北部フォレ族から食人行為を学んだ。フォレ族のひとりは、その経緯をこう語っている。「タワツィという名の先祖が……たまたま呪術……によって殺された。遺体はクラワンティに運ばれ、そこで調理され、肉があたり一帯に配られた。それを味わった人々は、称賛の声を上げた。『これはおいしい』『私らとしたことが。気でも狂っていたのか。いや、こんなおいしい食べ物があったのに、今まで食べずにいたとは』」[Berndt, Ronald. Excess and restraint : social control among a New Guinea mountain people. Chicago : University of Chicago Press, 1962, p. 271]と。人口が増えていたので、森の獲物は徐々に足りなくなってきていた。まだ飢える者はなかったものの、フォレ族は食人の行為を見たときに名案だと思った。「フォレ族の食人風習について忘れてならないのは、彼らが人肉をおいしいと思ったことです。彼らは堪能していたのです」とシャーリー・グラス(現在の姓はリンデンバウム)は言う[Lindenbaum, Shirley. Kuru sorcery : disease and danger in the New Guinea highlands. Palo Alto : Mayfield Pub. Co., 1979 (Explorations in world ethnology), ch. 4]。」(p. 131)
「  こうして一時期、食人習慣を否定する人類学者が主流を占めた。彼らはある部族を「人食い人種」と決めつけるのは、たんなる記述を通り越して侮蔑であると論じた。
   だがこの主張ももはや正しくはない。イギリス人のなかに狂牛病に(かか)る人と罹らない人がいる理由を調べているうちに、人類がその歴史の初期に食人習慣を持っていたことが、図らずも証明されたのだ。実際、私たち人類は皆ある時代には人食い人種であっただけでなく、そのせいで大きな犠牲を払うこととなった。食人は、死亡率の高いプリオン病の勃発につながったのだ(おそらくそのために、私たちは人肉を食べることに嫌悪感を覚えるようになり、さらに時代が下ると食人は禁忌(タブー)とされるようになったのだ)。」(p. 266-267)
「かれらは仇敵の肉を食う。しかしこれは美味というよりもただ習慣によるのである。仇同志がたがいに相手を食うというこの風習はつぎのようにしてはじまった。ある老婆が一人息子をもっていたが、この息子が敵の部族から殺された。それで数日後に、この老婆の仲間が、息子を殺した部族の男を一人捕虜にして老婆のいるところへ連れてきた。老婆はその捕虜を見ると息子を思い出して、まるで狂犬のようにその男に飛びかかり、背中に噛みついた。捕虜はやがて脱走することができた。そして仲間たちに背中の傷を見せて、自分が食われそうになった模様を話した。その後、かれの部族が敵の部族のものを捕虜にしたとき、そいつらを食ってしまった。こんどは食われたほうの一族が食ったほうの一族を食い、こうしてこの風習が生じたのである。ところですぐに食ってしまうのではない。まず各自が一きれずつ切りとって家に持ちかえり、燻製にする。そして八日目ごとにこれからひときれずつ切りとり、仇敵のことを忘れないためにほかの食物といっしょに焼いて食う。この話をしてくれたのは水先案内人(ピロート)ジョアンネ・カルヴァジョであった。かれは以前この土地で四年すごしたことがあり、今度の航海でわれわれに同行していたのである。」 (p. 497-498)
「文明批評の書として一般に広く読まれた,サモア人酋長ツイアビ(正しくはツイアビイ)の演説集とされる『パパラギ』は,半世紀以前の書物がもとのドイツ語版で ... 再版されるやベストセラーとなり,1981年に出版された日本語版も多数読者を獲得した。一般の受け止め方に比して,評者も含めた多くの人類学者は同書のもてはやされ方をどちらかというと冷ややかな眼で見ていたが,それは,この本がどう見ても紹介者ショイルマンの筆になるものとしか思えなかったからである。 ... 。
   サモア文化に親しんでいる評者は,ツイアビの演説がサモアに従来ある演説の形式も踏んでいないし,サモア人が通常用いるディスクールとも異なることをショイルマン=作者説の根拠として挙げることができる。しかしそうした文化の詳細を知らなくても,一般に人類学者が親しんでいる未開社会の人々は,文明人が未開社会との対比のうちに内省的に見出すような文明人像を挙げてきたりはしないものだ,とわれわれは知っている。 ... 。『パパラギ』に説かれている《サモア人》ツイアビの自然哲学は,文明人(文明社会の知識人)が自らの社会の病理について感じていることそのままであって,そこには立場の異なる者,異なる世界観をもつ者の意外なことばは全く聞こえてこないのである。」
(山本真鳥「山内昶著『経済人類学の対位法』 (書評)」『民族學研究』59(3), p. 291-296 (1994.12) より p. 294)
「   「パパラギ」は1920年、ドイツ人エーリッヒ・ショイルマン(1878−1957年)によって編集、スイスのフェルゼン社から発行された。北欧各国語、フランス語などに翻訳され、日本語版は岡崎照男氏の訳で81年、立風書房から出版。計約95万部のベストセラーになっている。
   ショイルマンは前書きで「私は彼(ツイアビ)の了承なしに、さらにはその意志にさからって、これをヨーロッパの読者に紹介した」と記している。しかし、本当にツイアビの演説集なのかどうか、論議は絶えない。サモアの有力紙サモア・オブザーバーは昨年12月、オーストラリアの研究者の調査をもとに、ツイアビはドイツなど欧州には行ってないと、ショイルマンの「でっちあげ」か「勝手な解釈」との見方を報じた。
   ショイルマンは当時、詩人ヘルマン・ヘッセに傾倒していた。岡崎氏は「これだけの内容を好き勝手に書けるほど、ショイルマンは立派な人物ではない。ツイアビとの出会いはあったと思う。その話と創作の半々だと思う。二つの文化がぶつかって生まれた作品だ」と話している。」
(都丸修一「目的地に早く着くことがたいした得になるわけではない : 南海の酋長ツイアビの演説集「パパラギ」(Be on Saturday「ことばの旅人」)」『朝日新聞』2003年5月10日(土), p. e1)
「ツイアビの孫のファアラニガ・ツイアビさん(39)が今も、族長として村を守っている。 ... 。
   ファアラニガさんは優しさと威厳の風貌(ふうぼう)で「ようこそ」と歓迎してくれた。続いて出てきた言葉はしかし、「ビジネス」という予想外の言葉だった。
... 。
   「わたしは去年、ニュージーランドに行った。祖父ツイアビのことをビジネスにしているのを知って、失望した。祖父の話は本当だが、それで(もう)けるなら、利益は平等にこちらにも払われるべきだ。あなたは何の目的で祖父の話を聞きに来たのか?」
   ビジネス? 僕はその言葉がよくのみ込めなかった。出版社のことか。「パパラギ」は、日本だけで95万部も出ている。僕のこの取材も「ビジネス」と思われているのかも知れない。」
(都丸修一「目的地に早く着くことがたいした得になるわけではない : 南海の酋長ツイアビの演説集「パパラギ」(Be on Saturday「ことばの旅人」)」『朝日新聞』2003年5月10日(土), p. e1-e2)
「かれの三つの理論――すなわち、アフリカ人の基本的権利の若干を縮小すること、黒人は子供で白人がその親であるということ、および白人は黒人の兄であるということ――は、基本的にシュバイツァーがいかなる形でも人種的平等に反対しているという、アフリカ人知識人の間の一般的な見解を強く裏書きしている。」(p. 192)
「文明、西欧文明は、ほとんど四百年をついやして、最もおそろしい残酷な所業の一つを根絶した。風習としての人食いを排除することに成功したのである。」(p. 7)
「シュピールの『食人の世界史』 ... は、「文明、西欧文明は、ほとんど四百年をついやして、最もおそろしい残酷な所業の一つを根絶した。風習としての人食いを排除することに成功したのである」などといった、単細胞的な、かつ偏見にみちた態度でもって「未開人」のカニバリズムを列記している。」
(中野美代子『カニバリズム論』東京 : 福武書店, 1987.7 (福武文庫), p. 66)
「捕虜は頭を打ちくだかれて、どっと倒れる。緊張した顔でながめていた女たちが、いっせいにはせ寄って死体をひきずり、たき火のそばまで持って行く。そして包丁で皮膚をきれいにすり落としてあおむけに寝かせる。一人がさっそく手足を切りはなす。するとすばやい女が、その一本を奪い取る、次の女がすぐまた一本を奪い取る。こうして、あっという間に四本の手足は女たちに奪い去られてしまう。女は奪ったものを高くさし上げて、自分の家の中にかけ込み、歓声をあげている。
   次に土人たちに肉が分配され、内臓は女たちに与えられる。内臓は水で洗いスープにして、子供たちもいっしょに吸うのである。この人間スープのことを彼女らはミンガウとよんでいた。こうして捕虜はただの一片も余さず、全部食べられてしまうのである。」(p. 264-266)
「   ブレッタニア島のまわりにはこのほかにも小さい島がいくつかあるが、イエルネ島は大きな島で前者から見て北寄りにあってこれに並行し、(島の形は)幅の方がむしろ長目である。
   わたしどもには、この島について何ひとつはっきりした説明ができないが、ただひとついえるのは、この島に住みついている族民はブレッタニア島民より粗野な方に属し、人喰い族で大食いでもあり、親が死ぬとこれを食べるのがりっぱなことだとして食べる。また、他人の妻、母親、姉妹とも公然と交わる。
   ただし、わたしどもは以上の説明をするにしても信用の置ける証人を持っているとは思っていない。もっとも、食人についてだけいえば、これはスキュタイ族の風習でもあるといい、また、敵の包囲を受けて仕方のないばあいにはケルト、イベリアそのほかいくつかの部族民がこの行為を行ったともいう。」(4.5.4 C201)(飯尾訳. I, p. 347)
Considering that any doctrine of racial differentiation or superiority is scientifically false, morally condemnable, socially unjust and dangerous, and that there is no justification for racial discrimination either in theory or in practice, ... 人種的相違又は優越性のいかなる理論も科学的に誤りであり、道徳的に非難されるべきであり及び社会的に不正かつ危険であること並びに理論上又は実際上、人種差別を正当化することはできないことを考慮し、...

一橋大学 附属図書館 髙本善四郎氏助成図書コーナー「本の紹介」班