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杉村広蔵杉村廣藏
1895 - 1948

杉村広蔵 (1895-1948) は、昭和初期に活躍した経済学者・哲学者。

東京高等商業学校(のち東京商科大学に改称)の在学中に、左右田喜一郎、三浦新七らに師事し、卒業後は助教授や講師を務めた。

1935年、東京商科大学に提出した学位請求論文「経済社会の価値論的研究」が白票多数によって否決されたことをきっかけに大学内の紛争の中心に立つこととなり(白票事件と呼ばれる)、翌年助教授職を辞して大学を退くこととなった。不通過となった学位論文を、同年、『経済哲学の基本問題』として岩波書店から出版した。

その後は上海にて商工会議所の理事などを務め、中国や日本の経済問題について新聞雑誌に多数の時評や論考を記した。また同時期に再度提出した学位論文経済倫理の構造によって東京商科大学から経済学博士の学位を受けている。上海から帰国後は貿易統制会や交易営団の理事に就任し、三菱商事の監査役も務めたほか、あらためて東京商科大学で講師を務めている。

その学問は左右田喜一郎を引き継ぐものであり、左右田とともに「経済哲学」の創始者と呼ばれる。

略年譜

明治28年(1895)
函館に生まれる。
大正3年(1914)
函館商業学校本科卒業。
大正4年(1915)
東京高等商業学校予科入学。翌年本科入学。
大正8年(1919)
東京高等商業学校本科卒業、専攻部入学。左右田喜一郎、三浦新七に師事。
大正10年(1921)
東京高等商業学校専攻部卒業、東京商科大学(東京高等商業学校より改称)助手に就任。
大正11年(1922)
東京商科大学予科講師に就任。
大正13年(1923)
東京商科大学助教授に就任。
大正14年(1924)
文部省在外研究員としてドイツへ赴任。
昭和2年(1927)
左右田喜一郎逝去のため帰国。
昭和3年(1928)
東京商科大学で助教授・予科教授・専門部講師を務める。
昭和4年(1929)
故左右田喜一郎博士記念会を組織し、実行委員を務める。
昭和7年(1932)
神戸商業大学で講義を行う。
昭和10年(1935)
白票事件。学位請求論文「経済社会の価値論的研究」および副論文2編が否決される。不通過論文を『経済哲学の基本問題』として刊行。
昭和11年(1936)
東京商科大学助教授を退官。
昭和13年(1938)
上海日本商工会議所理事に就任。
昭和14年(1939)
学位論文「経済倫理の構造」で東京商科大学から経済学博士の学位を受ける。
内閣から興亜院嘱託を委嘱。上海日本居留民団(官選)議員、上海共同租界市参議会委員となる。長江産業貿易開発協会や日華経済協会に関与。東亜研究所第一調査委員会中支那会(在上海列国対支投資調査会)の代表者として列国対支投資および支那国際収支を研究指導。
昭和17年(1942)
上海日本商工会議所理事を退職、貿易統制会理事兼企画第一部長に就任。世界経済調査会産業委員、長江産業貿易開発協会特別委員に就任。比島調査委員会の経済部門担当者としてマニラへ赴く。
昭和18年(1943)
貿易統制会に代わり設立された交易営団の理事兼調査部長に就任、営団経済研究会を設立する。東亜経済懇談会、東京都商工経済会などに参与として招かれる。
昭和19年(1944)
交易営団調査部廃止のため調査部長から監査部長へ異動。
昭和21年(1946)
東京商科大学講師に就任。交易営団理事任期満了、事務嘱託になる。世界経済調査会で研究員の研究指導補助にあたる。
昭和22年(1947)
三菱商事株式会社監査役に就任。
昭和23年(1948)
永眠、享年54歳。

デジタルアーカイブから

時代背景
学園史・展示を手がかりに

杉村廣藏と白票事件
一橋大学附属図書常設展示解説
経済哲学の創始者左右田喜一郎と杉村広蔵
一橋フォーラム21第59期(一橋大学名誉教授 塩野谷祐一)
杉村廣蔵博士—その生涯と学説
橋問叢書 特別第2号 一橋の学問を考える会『回想の左右田学派・その生涯と学説』 第二部より(一橋大学名誉教授 馬場啓之助)

文献目録

1910年代
「文化としての一橋」(『一橋会雑誌』第142号、1918年)
「企業経済の方法論的研究」(『一橋会雑誌』第149号、1919年)
1920年代
「私経済学の本質」(『一橋』第9号、1921年)
「経済学に於ける経営概念の方法論的研究」(『商学研究』第2巻第1号、1922年)
「倫理思想家としてのアダム・スミス」(『商学研究』第3巻第1号、1923年)
「福田博士の『アダム・スミス論』」(『商学研究』第3巻第3号、1924年)
「個別的倫理法則と歴史的世界観」(『商学研究』第4巻第2号、1924年)
「フランツ・シュタウディンガー」「カール・フォルレンダー」(『新カント派の社会主義観』岩波書店、1925年)
「経済学的認識の価値性質」(『商学研究』第5巻第2号、1925年)
「大学論」(『一橋新聞』第29号、1926年)
「経済学認識論」「経済学方法論」「経済哲学」(『哲学大辞書』追加、同文館、1926年)
「カール・メンガー『社会科学方法論』の研究」(『商学研究』第6巻第1号、1926年)
「先験心理主義の理論とその社会哲学」(『商学研究』第8巻第3号、1928年)
「川村豊郎著『判断力批判の研究』」(『一橋新聞』第74号、1928年)
「守株的傾向を恐る」(『一橋新聞』第82号、1928年)
「エネルゲティク」(『一橋新聞』第90号、1929年)
「一つの報告書」(『一橋新聞』第94号、1929年)
「金子鷹之助の近著『社会哲学研究』」(『一橋新聞』第95号、1929年)
1930年代
「政策学と経営学」(『一橋新聞』第126号、1931年)
「ミルと左右田と大西」(『大学と社会』第2号、1931年)
「左右田喜一郎全集編纂者序文」(『左右田喜一郎全集』第1巻、1931年)
「経済学に学派はない」(『一橋新聞』第138号、1931年)
「禅と団体生活(講演要旨)」(『鉄如意』一橋如意団、1931年)
「川村豊郎君を悼む」(『一橋新聞』第145号、1931年)
「価値論史」(岩波講座『哲学』、1931年)
「哲学と経済学との交渉」(岩波講座『哲学』、1932年)
「ドイツ経済学と『経営学』」(『東京商大研究年報(経済学研究)』(1)、1932年)
「経営学の二労作」(『一橋新聞』第164号、1932年)
「文化価値主義の経済哲学」(改造社経済学全集第9巻『経済哲学』、1933年)
「『貨幣中心論』に対する修正の試み」(福田徳三博士追憶記念論文集『経済学研究』、1933年)
「経済性の問題」(『東京商大研究年報(経済学研究)』(2)、1933年)
「哲学と歴史学の交渉」(岩波講座『哲学』、1933年)
「ゾムバルト『三つの経済学』―その邦訳書」(『一橋新聞』第172号、1933年)
「価値不安の社会」(『一橋新聞』第174号、1933年)
「高木友三郎氏の近著『生の経済哲学』」(『一橋新聞』第177号、1933年)
「新カント派の社会理想」(理想特輯号『社会改造の諸学説』、1934年)
「綜合試験制を樹立せよ」(『一橋新聞』第189号、1934年)
「日本経済学会での感想」(『一橋新聞』第201号、1935年)
『カント』三省堂、1935年
「経済学の方法及び歴史」(『経済学の栞』第1章、1935年)
「石階をのぼる」(『神戸商大新聞』1935年)
『経済哲学の基本問題』岩波書店、1935年
「左右田博士の胸像を迎へて」(『一橋新聞』第214号、1935年)
「学位論」(『東京朝日新聞』9月16・17・18日、1935年)
「学問研究のために」(『中央公論』10月号、1935年)
「ザーリン『国民経済学史』とジィド、リスト『経済学史』の邦訳」(『一橋新聞』第219号、1935年)
「丸谷喜市著『経済生活の本質及び現象形態』」(『東京商大研究年報(経済学研究)』(4)、1935年)
「経済哲学の生成と領域」(『中央公論』12月号、1935年)
「哲学と科学」(『所載新聞名不明』、1936年)
「春の鎌倉」(『週刊朝日』4月19日号、1936年)
「カール・メンガー著作集第三巻と邦訳『社会科学方法論』」(『一橋新聞』第228号、1936年)
「不連続性の思想様式」(『中央公論』9月号、1936年)
「学者は如何に生くべきか」(『饗宴』10月号、1936年)
「カール・メンガーの全集を読む」(東京帝大『経済学論集』3月号、1937年)
「経済的正義を考へる」(『早稲田大学新聞』(3月)、1937年)
「現代日本の政治心理」(『政界往来』4月号、1937年)
「日本文化認識論への感想」(『中央公論』7月号、1937年)
「経済哲学」(『新哲学講義』理想社、1937年)
「昭和十二年を回顧して」(『神戸商大新聞』1937年)
「左右田喜一郎の世界観」(『科学ペン』1月号、1938年)
「アカデミズムの本質」(『科学ペン』3月号、1938年)
「全体主義か自由主義か」(『理想』3月号、1938年)
「政治の優位、経済の優位」(『知性』6月号、1938年)
「社会科学」(『現代哲学辞典』日本評論社、1938年)
『経済哲学通論』理想社、1938年
「無題」(『三田新聞』(7月)、1938年)
「新なる産業秩序の倫理」(『科学主義工業』8月号、1938年)
「ある周囲」(『理想』8月号、1938年)
「統制と社会倫理」(『改造』9月号、1938年)
『経済倫理の構造』岩波書店、1938年 『経済学方法史』理想社、1938年
「棄てよ、出店根性」(『大阪朝日新聞』11月26日、1938年)
「現地としての上海を語る」(『中央公論』12月号、1938年)
「理想主義概論」「ヘルマン・コーヘン」(『廿世紀思想』第1巻、河出書房、1939年)
「中支那放談 (『上海毎日新聞』(1月)、1939年)
「我思ふ故に我あり」(『国際』東亜同文書院、1939年)
「上海『租界』と日本人の『認識』」(『中央公論』1月号、1939年)
「日本的思考の特性」(『帝国大学新聞』(1月)、1939年)
「日本語による教育の問題」(『揚子江』3月号、1939年)
「上海の経済文化について」(『東京朝日新聞』3月10・11・12日、1939年)
「功利的と浪漫的と」(『文芸春秋現地報告』5月号、1939年)
「和戦を超ゆるもの」(『改造』7月号)
「租界と法幣への幻想」(『文芸春秋現地報告』7月号、1939年)
「現下の学者的様相」(『日本評論』8月号、1939年)
「上海の現状を語る」(『東京日日新聞』8月13・14・15日、1939年)
「新事態に徹するの途」(『文芸春秋現地報告』9月号、1939年)
「現地を重視せよ」(『改造』10月号、1939年)
「事変処理と現地感情」(『文芸春秋現地報告』12月号、1939年)
「資源主義の経済倫理」(『知性』12月号、1939年)
1940年代
「大学、社会、学生」(『一橋新聞』第300号、1940年)
「支那経済の虚実」(『科学主義工業』1月号、1940年)
「大陸へ進出するものへ(対談)」(『文芸春秋現地報告』2月号、1940年)
「汪政権成立以後の課題」(『中央公論』2月号、1940年)
「総力戦下の揚子江」(『文芸春秋現地報告』3月号、1940年)
「静粛なる期待」(『上海毎日新聞』(4月)、1940年)
「遷都政権」(『文芸春秋現地報告』4月号、1940年)
「和平建国の政治秩序」(『改造』5月号、1940年)
「法幣の不安と円域」(『文芸春秋現地報告』6月号、1940年)
「東亜経済の新秩序」(『上海毎日新聞』(7月)、1940年)
「上海と第三国勢力」(『文芸春秋現地報告』7月号、1940年)
「拠点を上海に置け」(『大阪朝日新聞』8月6日、1940年)
「組合財閥を警戒せよ」(『大陸新報』(9月)、1940年)
「現地新体制確立の急務」 (『文芸春秋現地報告』9月号、1940年)
「組合観念の更新を望む」(『上海毎日新聞』(10月)、1940年)
「思想の新暦旧暦」(『大陸新報』(10月)、1940年)
「一億弗対蒋借款と上海」(『文芸春秋現地報告』12月号、1940年)
「公益優先と組合財閥」(『科学主義工業』1月号、1941年)
「中支那に於ける三つの経済」(『上海毎日新聞』(1月)、1941年)
「法幣断想」(『上海毎日新聞』(1月)、1941年)
「門松と正札と」(『大陸新報』(1月)、1941年)
「教育新体制」(『大陸新報』(2月)、1941年)
「金の理論」(『上海毎日新聞』2月21日、1941年)
「再び金の問題について」(『上海毎日新聞』2月25日、1941年)
「公益優先―上海随感―」(『東京・大阪朝日新聞』2月1日、1941年)
「対支文化工作の重点」(『文芸春秋現地報告』3月号、1941年)
「新人静観」(『上海毎日新聞』(3月)、1941年)
「上海と支那」(『上海毎日新聞』(4月)、1941年)
「上海経済の考へ方」(『文芸春秋現地報告』4月号、1941年)
『支那の現実と日本』(岩波書店、1941年)
「日本政治の現地態勢」(『改造』6月号、1941年)
「上海清郷工作」(『文芸春秋現地報告』7月号、1941年)
「事変の世界戦的意義」(『中央公論』7月号、1941年)
「改組病を掃蕩せよ」(『大陸新報』(9月)、1941年)
「資産凍結以後」(『大陸新報』(9月)、1941年)
「民団の学校」(『大陸新報』(10月)、1941年)
「政治なき事務」(『大陸新報』(10月)、1941年)
「中支那経済の考察」(『大陸新報』(10月)、1941年)
「寄附の統制を望む」(『大陸新報』(10月)、1941年)
「支那の商人(“曳光弾”)(『東京朝日新聞』10月26日、1941年)
「資産凍結と上海経済」(『文芸春秋現地報告』10月号、1941年)
「最近の上海」(『帝国大学新聞』11月20日、1941年)
「百八十度の転回」(『大陸新報』(11月)、1941年)
「貨幣消費の心理」(『大陸新報』(11月)、1941年)
「上海より見た日米危局」(『文芸春秋現地報告』12月号、1941年)
「新文化の倫理」(『日本文化の現実と構想』中央公論社、1942年)
「上海をどうするか」(『上海毎日新聞』(1月)、1942年)
「日米開戦と支那経済」(『改造』1月号、1942年)
「戦時東亜の経済倫理」(『中央公論』2月号、1942年)
「戦時東亜と上海経済」(『上海日本商工会議所月報』2月号、1942年)
「買弁政権たるを恥ぢよ」(『大陸新報』(3月)、1942年)
「新支那問題の構想」(『中央公論』5月号、1942年)
「民族観念の陷穽」(『都新聞』5月、1942年)
「大東亜交易の思想」(『中央公論』6月号、1942年)
「根本課題の解決」(『東京日日新聞』6月27・28日、1942年)
「根本課題の解決」(『大阪毎日新聞』6月29・30日、1942年)
「支那事変の意義」(『報知新聞』6月28・29日、1942年)
「法幣小観」(『東京日日新聞』(6月)、1942年)
「交易計画化の諸問題」(『貿易統制会々報』6月、『東亜経済懇談会々報』12月、1942年)
「営団経済の倫理」(『新経済』7月号、1942年)
『現代の経済哲学』(日本国家科学大系 経済学、実業之日本社、1942年)
「航空随想(第三回航空を記念して)(『日本産業経済新聞』9月11日、1942年)
『支那・上海の経済的諸相』(岩波書店、1942年)
「世界史の転換」(『エコノミスト』10月号、1942年)
「世界文化と大東亜」(『創造』10月号、1942年)
「交易営団設置に関する覚書」「交易営団の理論的諸問題に関する研究顚末」(『貿易統制会々長室に於ける討議の際の所見要旨』1942年)
「『列国対支投資概要』編纂者序」(東亜研究所『列国対支投資概要』1943年)
「大東亜戦争に於ける支那問題」(『中央公論』5月号、1943年)
『営団経済の倫理』(大理書房、1943年)
「比島経済の再編成」(『比島経済調査委員会報告』1943年)
「比島産業の将来」(『東京・大阪朝日新聞』10月8・10日、1943年)
「東洋に還る新生比島の経済」(『同盟通信』第2842号、1943年)
「経済上の自由独立」(『毎日新聞』11月13日、1943年)
「東亜共栄圏建設の展開」(『帝国大学新聞』11月22日、1943年)
「戦力増強と営団」(『経済毎日』新年号、1944年)
「今後の交易の問題」(『海運』1月号、1944年)
「南方建設と物資交流の問題」(『太平洋』2月号、1944年)
「構造の論理より観たる営団」(『統制経済』2月号、1944年)
「道義経済原則」(『大東亜の建設』第5章、毎日新聞社、1944年)
「国家管理より経済国家へ」(『財政』12月号、1944年)
「鬼頭仁三郎著『交易理論の基礎』」(『一橋論叢』第14巻第6号、1944年)
「『金政策の動向に関する調査』綜合報告」(『調査研究動員本部報告』1945年)
「戦力増強と経済倫理」(高倉佐一郎博士記念論文集『戦争經濟と戦力増強』千倉書房、1945年)
「世界経済の安定」(『世界経済』1月号、1946年)
「激動期に処する日本経済」(『中央公論』2月号、1946年)
「日本貿易政策の針路」(『商工』2月号、1946年)
「イェ・ヴァルガ『戦後世界工業発展の動向』とイ・ガイ『国際分業の問題』の解題」(『戦後世界工業発展の動向』協同出版社、1946年)
「世界経済に於ける自由と計画」(『外交評論』4月号、1946年)
「社会主義と世界経済」(『世界経済評論』10月号、1946年)
「価値論史断想」(『東京工業大学新聞』1946年)
「戦後世界経済の形態」(『世界経済』1月号、1947年)
「経済哲学の過去と現在」(『一橋新聞』第383号、1947年)
『近代社会成立と資本主義』(文部省公民叢書5、1947年)
「政治感覚が足らぬ」(日本政経研究会『日本』5月号、1947年)
「職業と人生」(『経済随想』5月、東洋経済新報社、1947年)
「世界貿易の構図」(『外交評論』5・6月号、1947年)
『経済哲学原理』(現代経済学叢書5、東洋経済新報社、1947年)
「輸出貿易の重点」(『夕刊新潟』7月30日、1947年)
「平和の国、文化の民」(『商工人』9月号、時事通信社、1947年)
「カント永久平和論について」(『一橋論叢』第18巻第4号、1947年)
(武藤光朗と共著)『社会主義の哲学』(夏目書店、1947年)
『経済哲学概説』(東洋経済講座叢書第23輯、1947年)
「国際連合の経済的基礎」(『法律新報』12月号、1947年)
「世界経済の機構と復興の問題」(『世界経済評論』2月号、1948年)
『カントと社会哲学』(思索社、1948年)
「文化の問題としての経済」(『思索』第9号、1948年)
『世界経済安定の諸問題』(社会評論社、1948年)
「貨幣論断章(絶筆)」(『思索』9月号、1948年)
「左右田博士の学者的風格」「西洋経済学史序説」(『一橋論叢』第20巻第3・4号、1948年)
杉村敦子編『杉村廣藏博士を憶う』(1950年)および「杉村廣藏博士主要著作目録」(『一橋論叢』第20巻第3・4号、1948年)を参考にした。

所蔵状況

HERMES-IR: 一橋大学機関リポジトリ 杉村広蔵関係資料
デジタルアーカイブ化した公開資料。
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